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 SaaS特化でスタートアップ支援を行う前田ヒロの視点。多様性の摩擦を解消するのは「ミッション」

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クラウド技術を使い、場所もデバイスも問わず利用できるSaaS*。「Microsoft Office 365」「Adobe」「Salesforce」など、世界規模で成功事例が生まれている。海外SaaS市場は、平均で年間約20%の成長。2020年には約890億ドル(10兆円弱)の規模まで成長する見込みだ。

世界規模の大きなビジネスチャンスとも言えるこのSaaS市場。もちろん日本も例外ではない。国内のSaaS市場もまた、平均約15%の年間成長を遂げているとのデータもある。そして、そんな国内SaaS市場の成長に尽力しているのが、ベンチャーキャピタリストの前田ヒロ氏だ。国内外のSaaS企業を支援し海外で得たノウハウを、日本のSaaSビジネスに還元している一人である。
今回は前田氏に海外と日本のSaaSビジネスの差、そしてこれから国内のSaaSビジネスが成長するために何が必要なのか話を伺った。

*SaaS (Software as a Service)の略。クラウドで提供されるソフトウェア。ユーザーのデバイスにソフトウェアをインストールするのではなく、サービス提供者側でソフトウェアを稼働させ、ユーザーはネットワーク経由でサービスを利用する。

INDEX

グローバルで成功する企業の共通点とは?
多様性の一辺倒では、成長企業になれない理由
グローバル展開を意識するよりも、考えるべきは「産業の変革」
日本の大手企業の力がSaaSビジネスを成功に導く
少子化を追い風に成長する日本のSaaS市場
SaaSビジネスに重要なのは人の共感を得る力
ここがポイント

前田ヒロ(まえだ・ひろ)
日本をはじめ、アメリカやインド、東南アジアを拠点とするスタートアップへの投資活動を行うグローバルファンド「BEENEXT」マネージングパートナー。2010年、世界進出を目的としたスタートアップの育成プログラム「Open Network Lab」をデジタルガレージ、カカクコムと共同設立。その後、BEENOSのインキュベーション本部長として、国内外のスタートアップ支援・投資事業を統括。2016年には『Forbes Asia』が選ぶ「30 Under 30」のベンチャーキャピタル部門に選出。世界中で100社を超えるスタートアップに投資を実行。投資実績は、SmartHR、Kurashiru、Qiita、WHILL、Viibar、Instacart、Slackなど。

グローバルで成功する企業の共通点とは?

現在、インド、インドネシア、ベトナム、アメリカ、そして日本で投資活動を行っている前田氏。キャピタリストとして国を跨いで投資を行う難しさはとは何だろうか。

前田「国が違っても起業家には共通言語があります。起業家が悩んでいることはどこの国でも大差はありません。共通する悩みのひとつは『インスピレーションの不足』です。どのように事業を設計するのか、どこでマネタイズすべきか、彼らは常に考えています。そのため、外部の人間と話してインスピレーションをもらえる機会に貪欲です。私はSaaSサービスに特化して投資を行っているので、海外事例の引き出しもたくさんあります。その点はどこの国のスタートアップ経営者にもメリットを感じてもらっていますね。もうひとつの万国共通の悩みは『孤独』です。起業家は悩んでも社員に相談はできませんし、弱みを見せることも難しい。悩みを打ち合けることができ、共感してくれる相手を求めているのです」

そうは言っても、国によって法規制や市場環境は違う。他国のサービス事例をどのように活用しているのだろうか。

前田「もちろん他国の事例をそのまま当てはめることはできません。しかし、市場環境は違っても学べることは多い。他国で成功しているビジネスを分解して、うまくいった要素を抽象化して自分たちの戦略に活かしています」

グローバルでの成功企業を見てきた前田氏は、日本の企業がこれから世界で戦うために、何が必要だと見ているのだろう。

前田「グローバルで成功しているSaaS企業にはいくつか共通点があります。ひとつは『ボトムアップでユーザーを獲得できる』こと。ようするに、複雑な説明を受けなくても、簡単にサービスを使うことができて、営業プロセスが不要であることです。オンラインビデオ会議ツールの『zoom』、タスク管理ツール『Trello』、コミュニケーションツールの『Slack』もそう。簡単にセルフサーブで導入できるのです。ふたつ目の共通点は『オンリーワンの価値を持っている』こと」

前田「これは、提供する市場で同じようなソリューションを探しても見つからない状態のことを言います。例えば今、投資先のインドのスタートアップアップが、日本にはまだないソリューションを提案し、日本で成功する兆しが見えています。ロボットやAIなど、高い技術を要する分野では、技術力さえあればグローバルで戦える可能性が十分にあります。言い換えれば、『圧倒的に使いやすいサービス設計』もしくは『圧倒的に高い技術力』のどちらかがあれば、グローバルで戦えるビジネスになります。このどちらもなければ、難しいでしょうね」

多様性の一辺倒では、成長企業になれない理由

前田氏が挙げるグローバルで戦うための条件、「圧倒的な使いやすさ」「圧倒的な技術力」は一朝一夕で手に入れるものではない。これから海外で戦おうとする日本のスタートアップは何をすればいいのだろうか。

前田「先に挙げたふたつを手に入れるため条件にあるのは、『いいチームづくり』です。世界レベルで戦える技術者、UXデザイナーを獲得するしかない。つまり世界レベルのチームを作ることが最も重要なのです。世界レベルのチームを作ることに資本力はあまり関係ありません。『飛び抜けた数人』がいればいいので。それと、前提として戦略も重要です。どの市場の、どの課題を、どんなプロダクトで解決するのかを誤まるとグローバルで成功するのは難しいでしょう。ビジネス・プロセス系のプロダクトのように、既にグローバルの巨人がいるような市場を選択してしまっては、どんないいチームができたとして意味がありません」

イノベーションのためには「多様性」が必要だと言われることがある。では、多様性のある人間が集まったチームと、同質化した価値観を持ち同じ目標に向かって走れるチームでは、どちらが適しているのだろうか。

前田「贅沢を言えば、『多様性があって、共通のミッションを持っているチーム』が1番です。多様性は大事ですが、共通のミッションや判断基準を持っていないチームは、事業を拡大していく上で壁にぶつかります。判断基準がずれていると、議論に摩擦が生じるからです。例えば判断の軸として、お金を基準にしている人と、顧客の満足度を基準にしている人、ビジョンを基準にしている人が集まっては、議論がまとまりません。正解もないため、どこまでいっても議論は平行線。これは世界中のスタートアップで起きている問題です」

前田「実際に私もチームの間に入って、議論がずれている理由を探し、話をまとめることがしばしばあります。いつまでも判断基準が揃わず議論もまとまらないのであれば、誰かがチームを離れることも仕方ありません。それが経営陣であってもです。ただでさえリソースの足りないスタートアップで人が、それも経営陣が、離れることは大きな痛手。しかし、企業が成長する上で欠かせない成長痛でもあります。現に世界の成功している企業を見れば、最後まで創業時の全ての経営陣が残っているケースはほぼありません」

グローバル展開を意識するよりも、考えるべきは「産業の変革」

グローバルで戦うには、世界で戦えるチームが必要と語る前田氏。それでは、サービスの作り方に関してはどうなのだろう。

前田「最初からグローバル展開を考えて、サービス設計するのは至難の業です。スタートアップのミッションは、兎にも角にも目の前の顧客を満足させることでしょう。グローバル展開まで考えると、考えるべき項目が増えますし、目の前の顧客を取り逃がすことにもなりかねませんし、開発のスピードを遅らせる要因にもなります。正直、グローバル展開できるかどうかには運の要素も強く、再現性は高くないのであまり考えすぎない方がいいですね。私は産業にどれだけ変革を起こせるかの方が大事だと思っています。例えば建築業界はとても大きいですよね。もし建設会社向けのSaaSで成功できたらどれだけ大きな変革を生めるだろうかと思います。大きな産業で独占的なポジションを狙えるかが重要なのです。ですので、海外のことは置いておいて、産業別で考えましょう」

他国への展開よりも産業変革へ特化するのは世界共通の場合なのだろうか、それとも日本だからなのだろうか。

前田「SaaSビジネスが成熟しているのは、アメリカ、ヨーロッパに次いで日本が3番目です。そしてアメリカにしても、ヨーロッパにしても自国をベースにビジネスを展開しています。インドは成熟するのはこれからですが、自国がベース。日本のSaaSスタートアップも、まずは国内市場をベースにして間違いないですね」

日本の大手企業の力がSaaSビジネスを成功に導く

これから日本で国内市場に目を向け、産業の変革を目指すSaaSビジネスを始めるとしたら、「大手企業を意識する必要がある」と前田氏は続ける。

前田「SaaSビジネスが成功するには、多くの人が悩む深い課題を見つけ、それを解決する方法を考える必要があります。悩んでいる人の数が多ければそれだけ市場は大きいだろうし、深い課題であれば、お金を払ってでも解決したくなります。これは、産業別で考える場合も共通する視点です。そして、そこには大手企業の力は必要不可欠なのです。産業に変革をもたらすのなら、大手企業を口説けなければ始まりません。パートナーになってもらうことが理想的ですが、顧客として使ってもらうことも大事です。大手企業向けにビジネスを展開するのと、中小企業向けにビジネスを展開することは似て非なるもの。『サービスが追いついていること』『組織が追いついていること』のふたつが大手企業向けビジネスでは必要です。大手企業向けの部隊を新設する企業も珍しくありません。それだけの準備と覚悟をもたなければなりません」

部署の新設などは「準備」の問題。では「覚悟」と表現した意図はなんだろうか。

前田「大手企業では雇用している人の数が桁違いです。そのため、ひとつのトラブルが及ぼす影響の範囲が格段に大きくなります。SaaSビジネスはブランド力が全てです。『信用できるブランド力』は全力で守らなければなりません。大手企業との取引は大きな信用につながる反面、一回のトラブルがブランドを毀損する大きなリスクにもなりかねません。そして、そのためには人員や組織の拡充も含めて『覚悟』が必要となるのです」

大手企業と取引をするメリットは明白だ。しかし、慎重になるあまり開発スピードが低下するなどのデメリットも考えられる。どのようなタイミングが大手企業と取引をするのに適切なのだろうか。

前田「競合環境によって、最適なタイミングは異なります。どう考えても競合がいない、もしくは競合がいても簡単にリプレイスできるのであれば焦って大手企業を狙う必要はありません。逆に先行優位性のある市場で競合がいるようであれば、急いで大手を開拓した方がいいです。社内環境とのバランスも重要で、一番避けなければならないのは『大手企業をお客にできたけど、満足してもらえないで解約されること』です。満足してもらえるサービス、組織になっていないのであれば、無理しない方がいいでしょう」

大手企業を顧客にすることは、スタートアップにとってフェーズが変わる出来事だ。
それでは、顧客ではなくパートナーとして大手企業と付き合っていく上ではどうなのだろう。オープンイノベーションがうまくいかない理由についてこう話す。

前田「オープンイノベーションが失敗する一番の理由は、スタートアップと大手企業、両者のモチベーションの整合性がとれていないから。オープンイノベーションで何を目指すのか、成功の定義がなんなのかが共有できていなければ、成功するはずもありません。また、お互いに同等のコミットメントをしていることも重要です。どちらかが中途半端な姿勢では、オープンイノベーションは成功しないのです。実際にスタートアップから相談されてヒアリングをすると、どちらかが本気ではないケースばかり。オープンイノベーションに取り組んだ実績が欲しい、大手企業と協業したファクトが欲しいというモチベーションでは成功しませんね」

少子化を追い風に成長する日本のSaaS市場

スタートアップが大手企業を巻き込んでの盛り上がりが予測される日本のSaaS市場。しかし、日本はこれから少子化で人口が減っていく。果たして日本の市場に未来はあるのだろうか。

前田「これから日本のSaaS市場は伸びていきます。なぜなら少子高齢化によって、人を採用するハードルが上がっていくから。少人数でも売上を保つには、業務を効率化するしかありませんし、そのためにSaaSは欠かせません。逆に労働人口が増えているベトナムなどは、SaaSビジネスには不利になりえます。SaaSは『人件費を考えたらSaaS入れた方が圧倒的に安いね』という環境でなければ、なかなか普及しません。これは、日本のSaaS企業が海外に進出する際も大きなネックになります」

SaaSスタートアップに追い風が吹く日本市場。スタートアップのエコシステムまで視野を広げると、前田氏にはどう映っているのだろう。

前田「日本のスタートアップのエコシステムはとても恵まれています。資金供給量が少ない、資金調達の額が低いという方もいますが、それを踏まえても海外に比べて恵まれているでしょう。アメリカではSaaS企業が資金調達するハードルが年々上がっています。SaaSはBtoBがメインのため、分解してKPIを設定することが比較的容易です。そして、急成長したトップティアのKPIが全て公開されています。シード期のスタートアップであっても、それらトップティアとKPIを比較されるため、トップティアになる兆しがなければ投資を得られません。つまりはトップティア企業にお金が一極集中する一方で、それ以外の企業にはお金が集まらないのです」

エクイティファイナンスの性とも言える事態が既に海外では起き始めている。日本はその影響を受けないのだろうか。

前田「日本はアメリカとは市場が違うので、今のところ競合とは見られていません。成長曲線を見て判断されることはあっても、細かいKPIまで比較されることはないですね。そもそも日本はまだSaaS企業が多くはありません。そのため、トップティアの定義がなされておらず、ある程度社会ニーズがあると思われれば資金を調達できるのが現状です。アメリカではひとつの課題に対して、3社以上がSaaS企業ビジネスを提供し、競争は熾烈を極めています。対して日本では、競合がいても1社。なので、調達のハードルの低さは段違いです」

日本はこれからSaaSビジネスを行うのに、恵まれた環境にあることは間違いないようだ。

SaaSビジネスに重要なのは人の共感を得る力

これからのスタートアップは、海外や大手企業など全く環境の違う相手とも手を取り合っていかなければならない。そのように境界を越える時に必要なことについて、前田氏はこう語る。

前田「大切なのは『人の共感を得られること』です。具体的にいえば、相手のことを考えて行動するということ。自分たちのやり方を押し通しては、信頼を勝ち取っていくことは難しいのです。SaaSビジネスはデータの世界。しかし、最後はやはり人と人のあり方がものを言います。私の存在意義もそこにあります。データだけで投資ができるならVCはいりません。データが大事な世界だからこそ、ソフトな面が求められているのです」

デジタルな世界だからこそ、アナログな人間味が必要。どんなに技術が進化し、ビジネスモデルが変わっても、経営者に求められる素養は変わらないようだ。

前田「成功しているスタートアップの経営者を見ると、共通して素直で謙虚です。だからこそ相手に興味を持てますし、細かいことに気がつけます。そういう方は成長も速いです。どんなに成功しても『自分たちは出来上がっている人間じゃない』と分かっているので、会うたびに成長しているのが分かります。戦略も大切ですが、素直さや謙虚さを大事にできる経営者が増えてほしいです」

これから日本でもビジネスの大きな潮流になっていくであろうSaaSビジネス。最先端の技術を使ったビジネスであるが故に、共感や信頼など、商売で最も大事なことに原点回帰するのは面白い。ビジネスが進化すればするほど、技術が発達すればするほど、それを扱う人間性が浮き彫りになっていくのかもしれない。

ここがポイント

・イノベーションが起こせるのは、多様性があって、共通のミッションを持っているチーム。
・SaaSサービスで成長を目指すには、「産業にどれだけ変革を起こせるか」を考える。
・オープンイノベーションを成功させために、成功の定義を共有し、同等のコミットメントをする。
・少人数でも売上を保つには、業務を効率化するしかなく、そのために欠かせいないSaaSは追い風を受ける。
・スタートアップや大手企業の「境界」を越えるには、人の共感を得られることが大切。


企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木光平
撮影:小池大介