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サル、国際秩序、匂い。三つの講演が照らし出した「人間らしさ」の輪郭【東大Week@Marunouchi 2026 DAY2 】前編

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東京大学の教員陣が最先端の研究を大手町・丸の内・有楽町エリアで語る「東大Week@Marunouchi」。2026年は7月28日・29日の2日間で開催された。2日目となる7月29日は3会場に分かれ、各会場2部構成の講演が行われた。

本記事では、DMO東京丸の内会場の2講演――霊長類研究から人間らしさの起源に迫る香田啓貴氏、国際政治の視点から日本の選択肢を論じる川井大介氏――に加え、3×3 Lab Future会場で嗅覚の可能性を語った竹内春樹氏の講演をレポートする。進化、国際秩序、感覚。一見バラバラな三つのテーマは、「人間は自分で思っているほど自分を理解していない」という一点で交差していた。

ポイント

・ヒトとサルを分けるのは「学ぶ力」。3歳児は無駄な動作まで模倣する一方、サルは課題の習得に約1年。模倣を介さない「伝達」は、ヒトにもサルにも共通する仕組み。
・伝えるだけで、名前や配置に規則性が生まれる伝言ゲーム型の実験。言葉を使えるかどうかで石器製作の精度が跳ね上がる、ヒトの学びの効率。
・国際秩序を支える力・ルール・正当性の3要素。米国内の公平感の崩壊、中国の台頭、経済と安全保障の境目の消失という、戦後秩序を揺るがした構造変化。
・全面追従でも脱アメリカでもない、同盟内での自律性と不可欠性の確保。秩序から利益を受ける側から、秩序を支える側への転換。
・意識に上らない匂いが、行動や睡眠、脳の発達に作用する可能性。認知症との関係にも迫る、「なくても困らない」とされてきた嗅覚の未知の価値。

INDEX

・サルからヒトへ進化した道筋の話:人間らしさの霊長類的起源
・トランプ時代の国際秩序と日本の戦略的選択
・匂いの価値とその可能性

サルからヒトへ進化した道筋の話:人間らしさの霊長類的起源

東京大学大学院総合文化研究科准教授の香田啓貴氏は、京都大学時代から25年にわたり、ニホンザルやテナガザルの音声コミュニケーションを研究してきた。ただ、関心の中心にあるのは一貫してヒトだ。芸術も社会も言葉も音楽もヒトにしかない。ならばヒトに最も近いサルとの差分を見れば、ヒトがなぜこれほど特異な動物になったのかが分かるはずだ、という発想である。

香田:ヒトだけですよ、北極にも南極にも、宇宙まで環境を広げて生活しているのは。サルは基本的に熱帯に住む動物です。なぜヒトだけがここまで高度な適応を果たしたのか。今日は一つキーワードとして、「学ぶ」という力をテーマに考えていきたいと思います。

3歳児は、無駄な動作まで真似る

香田氏がまず示したのは、開け方の手順が複雑な箱から中身を取り出す実演を、3歳児に見せた実験映像だ。子どもは一度見ただけで手順を再現する。ただし、本来必要のない動作まで丁寧に真似る。過剰模倣(オーバーイミテーション)と呼ばれる現象である。

対照的なのが、香田氏自身が行ったニホンザルの訓練だ。画面に赤が出たら鳴き声を出す、という課題を覚えさせるのに要した時間は約1年。複数頭で訓練を始め、途中で脱落した個体もいた。

香田:サルはめちゃくちゃ頭が良いんですよ。なんだけれども、ひとつひとつのプロセスを見ると、学び方にはヒトとサルでいくつも違いがある。ヒトは、色々なことがあっという間に解決できるし、他人からすぐに学べて真似ができる。それがサルには難しい。その差はどこから来るのかという話です。

真似がなくても、行動は伝わる

もっとも、サルの集団にも文化らしきものはある。宮崎県・幸島のニホンザルが芋を海水で洗う行動は、一頭が始めたものが集団全体へ広がったとされる。発見当時は模倣と解釈されたが、実験ではサルの模倣能力は極めて低いことが分かっている。ではどう伝わったのか。

香田:鍵になるのが、模倣を経由しない「伝達」です。誰かが触っているものに注意が向き、思わず自分も触ってみる。試行錯誤のなかで結果的に同じ行動が身につく。心理学でいう刺激強調・局所性強調※ですね。あくびが伝わる現象も模倣ではなく、伝染として区別されています。

※刺激強調・局所性強調:他の個体が触れている物や、いる場所に注意が引き寄せられることで、結果的に同じ行動を学習する現象

香田氏はさらに、南米のワタボウシタマリンというサルの事例を挙げた。ペアで暮らすうちに鳴き声のパターンが互いに似てくる、同居方言と呼ばれる現象だ。自身が観察したテナガザルの母子でも、母親が歌うと子も歌い出し、声がぴたりと重なったそうだ。

香田:何度も言いますよ。サルは声はうまく操れない、真似もできない。それなのに似てくるんです。模倣抜きに自動的に伝わる仕組みが、ヒトも含めて存在するというイメージを持ってください。

「伝える」だけで、構造が生まれる

講演後半で紹介されたのは、伝言ゲーム型の実験だ。記号・色・動きの組み合わせ27種類にランダムな名前を割り当て、被験者に記憶させる。ほとんど覚えられないが、それでも必ず何かを回答させ、その誤答を次の被験者への出題に使い、世代を重ねていく。

すると、当初はランダムだった名前の体系が次第にまとまり、規則性を持ちはじめる。同じ設計をサルで行った研究もある。4×4の格子に赤いマスを4つ提示して位置を答えさせ、誤答を次世代へ渡す。10世代を経ると、バラバラだった配置がテトリスのブロックのような形へ収束した。

香田:伝えるだけで構造が生まれるんです。何か言葉が生まれた感じがしませんか。真似じゃない、ただ伝えるという力を入れるだけで、記号や言葉のようなものが生まれる。

では、ヒトとサルを最終的に分けたものは何か。香田氏が示したのは、旧石器の製作を学習させる実験である。観察のみ、目配せは可、ジェスチャーは可、言葉を使ってよい――条件を段階的に変えると、言語を使える時点で製作物の精度が跳ね上がった。

香田:「伝わる」ことで何かが生まれるプロセス自体は、ヒトもサルも一緒です。ただヒトには、教える、すぐ真似する、言葉にしてシンボルを伝えるという力がくっついている。学びの効率が異常に違うものとして設計されている。それによって我々はわずかな期間で文化や文明や芸術を生み出した、というのが到達点です。

トランプ時代の国際秩序と日本の戦略的選択

第2部に登壇したのは、東京大学先端科学技術研究センターの川井大介氏。専門は経済安全保障と国際政治で、日米で複数の要職を兼務する。登壇直前に第1部を聞き、内容を組み直したという。

川井:霊長類の進化と現代の国際政治は、一見かなり離れたテーマに思われます。しかし両者には共通の問いがある。人間はどこまで他者と協力できるのか。協力はなぜ成立し、なぜ壊れるのかです。

導入に選ばれたのはスマートフォンだ。設計は米国、半導体製造は台湾や韓国、製造装置や素材の一部は日本、組み立ては中国や東南アジア、資源はアフリカや南米。互いに顔も知らない人々が一定のルールの下で協力し、一つの完成品ができあがる。

川井:これは人類史上最も驚くべき規模の協力と言えると思います。ただ他方で、人間は協力するだけの存在でもない。自分の集団と他者の集団を分け、資源をめぐって競い合う。国家もまた、協力と競争を繰り返しているのが現状です。

国際秩序を成り立たせる三つの要素

国内社会には政府があり、警察があり、裁判所がある。しかし国際社会には各国政府の上に立つ世界政府のようなものは存在しない。国際政治学ではこれをアナーキー(無政府状態)と呼ぶ。それでも航空機は国境を越え、船舶は航行し、外国企業との契約は成立している。各国が長い時間をかけて協力のためのルールと制度を積み上げてきたからだ。川井氏はその全体を国際秩序と定義し、成立には三つの要素が要るとした。

第一に力。ルールを破った国にコストを払わせる能力で、軍事力に限らず経済制裁、市場アクセス、金融、通貨、技術、情報も含まれる。第二にルール。何をしてよく何をしてはいけないかが定まることで、各国は相手の行動をある程度予測できる。第三に正当性、言い換えれば納得感である。

川井:国際秩序が保たれた状態とは、完全に公平ではないかもしれないけれど、この仕組みを壊すより維持するほうがマシだよね、利益があるよねと参加国が考える状態です。力だけで作られた秩序は抑圧になりやすく長続きしません。ルールだけでは空文化し、正当性だけでは無力になる。この三つが組み合わさる必要があります。

戦後の自由主義的国際秩序も、理念だけで成立したわけではない。中心にはアメリカの軍事力・経済力・金融力があり、同盟国は安全保障や市場、基軸通貨の提供を受ける代わりにリーダーシップを受け入れた。一種の交換であり、日本はその最大の受益国の一つだったという。

なぜ戦後秩序は揺らいだのか

川井氏は、揺らぎの要因をトランプ大統領個人に還元することを明確に退け、三つの構造変化を挙げた。

一つ目は、アメリカ国内の公平感の崩壊だ。グローバル化は世界全体では富を生んだが、配分は米国内で均等ではなかった。金融やITが伸びる一方、製造業の衰退した地域では工場閉鎖と雇用喪失が進む。秩序が外に対して正当性を保つには、まず国内で支持されなければならない。その支持が細ったのだ。

二つ目は中国の台頭だ。経済的に豊かになれば既存秩序に統合されるという前提が、中国の場合は成り立たなかった。

川井:中国の台頭では、経済的な相互依存が深まれば政治的な対立は弱まるという前提が崩れました。むしろ経済関係が相手を動かす手段になったんですね。中国は重要鉱物であるレアアースの9割以上を握っていますし、14億人の市場へのアクセスを止めると言われれば、言うことを聞かざるを得なくなる。

三つ目が、経済と安全保障の境目の消失だ。半導体はスマートフォンにもミサイルやレーダーにも使われ、用途で線を引くことはできない。結果として世界経済で重視される価値は効率性から強靭性へと移り、国際秩序も相互依存から「依存関係の管理」へ変わりはじめた。トランプ外交はこの変化の原因というより、アメリカ国内で戦後秩序を支える合意が失われた結果として位置づけられるという。

全面追従でも脱アメリカでもない、五つの選択

会場に向けて、川井氏は挙手を求めた。アメリカに全面的に従うべきか、アメリカから自立すべきか。結果は割れた。

川井:これ3年前だったらあり得ないんですよ。3〜4年前なら「全面的に従うべき」が圧倒的に多い。それくらい皆さんの思考が変わってきた証拠です。ちなみに回答はズルくて、この二つはどちらも現実的ではないと思います。

日米同盟は安全保障政策の基軸であり、日本単独で周辺環境に対応するのは難しい。一方で、アメリカに依存していればすべて安心という時代でもない。目指すべきは、同盟を基軸にしつつアメリカが揺れても自国が機能する状態をつくることだという。示された選択肢は五つ。

第一に、同盟内での自律性を高めること。戦略的自律性とはアメリカから距離を置くことではなく、何が重要かを自分で判断し、実行する能力を持つことだと川井氏は定義する。第二に、自律性と不可欠性を同時に作ること。止められても生き残れる強さと、日本を外すと相手も困るという立場の双方が要る。第三に、アメリカを中心とするハブ・アンド・スポークスから、課題ごとに組む多層的なネットワークへ移行すること。第四に、中国との関係は断絶でも接近でもなく、依存を薄めて管理すること。第五に、グローバル・サウスには要求だけでなく具体的なオファーを伴う関与へ切り替えることだ。

川井:日本は国際秩序の受益者でした。GDPで世界トップ5に入る国が、これからは秩序から利益を受ける側から支える側に変わっていく必要があるんだろうなと。人間は協力する生き物ですが、無条件に協力するわけではない。だからこそ、対立を超えて協力する枠組みを構築するために一緒に考えていく必要があると思います。

匂いの価値とその可能性

3×3 Lab Future会場に登壇したのは、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授の竹内春樹氏。嗅覚の神経科学を25年にわたり研究してきた。講演は、学生からよく受けるという質問の紹介から始まった。数ある研究テーマのなかで、なぜ嗅覚なのか、と。

竹内:最近、複数の生成AIに「五感のうち一つを失うとしたら、どれを選ぶか」と尋ねてみました。すると、いずれも「嗅覚」を挙げました。これが人間社会における一般的な回答なんですね。

こうした捉え方には長い歴史がある。西洋の思想史においても、嗅覚は視覚や聴覚に比べて低く位置づけられてきた。アリストテレス、カント、ダーウィン、フロイトはいずれも、人間において嗅覚は価値を失いつつあると論じてきたという。現代社会を見ても、美術館やコンサートホールのように視覚や聴覚を中心に据えた文化施設は数多くある一方、匂いを主題とする文化的・芸術的な場はまだ限られている。

一方、遺伝子の世界から見ると、嗅覚の存在感は小さくない。ヒトには約400種類の機能的な嗅覚受容体遺伝子があり、これは感覚受容に関わる遺伝子群のなかでも非常に大きなファミリーの一つである。

竹内:進化の過程では、必要性が低下した感覚機能に関わる遺伝子は失われたり、機能を失ったりしていきます。例えば水中生活に適応した鯨類では、陸上哺乳類に比べて機能的な嗅覚受容体遺伝子が大きく減っています。それに対してヒトでは、現在も数百種類が残っている。この事実を考えると、嗅覚には私たちが日常的に意識している以上の役割があるのではないか、と考えたくなります。

意識に上らない入力が、行動を変えている

竹内氏はここから、嗅覚が「感じられないレベル」で働いている証拠を挙げていく。

例えば、人の涙に含まれる化学成分を用いた研究では、男性被験者の内分泌応答や行動指標に変化がみられたと報告されている。興味深いのは、被験者自身が対照条件との匂いの違いを明確には認識できなかった点である。

また、香気成分を用いた認知課題の研究では、濃度によって課題成績への影響が異なる可能性が報告されている。本人が明確に匂いとして意識しない程度の刺激であっても、認知機能に影響しうることを示唆する結果だ。

睡眠中の嗅覚刺激についても研究が進んでいる。睡眠を大きく妨げない程度の匂い刺激によって、脳波や睡眠の質に変化が生じる可能性が報告されているという。

竹内:嗅覚刺激の面白いところは、眠っている間にも比較的自然な形で入力できることです。もちろん、どんな匂いでも睡眠を良くするわけではありませんし、条件によって結果は変わります。ただ、本人が強く意識しなくても脳や身体に作用しうるという点は、嗅覚という感覚の大きな特徴だと思います。

さらに発達期のマウスでは、嗅覚入力が嗅覚系にとどまらず、他の感覚領域の神経活動にも影響し、その後の感覚機能の形成に関与する可能性があるという。

竹内:私たちは通常、「匂いを感じた」「好きだ」「嫌いだ」という意識的な体験を嗅覚だと思っています。しかし、脳に入っている化学情報のすべてを意識が捉えているわけではありません。自分が意識していない入力によって行動や生理、あるいは脳の発達まで影響を受けている可能性がある。意識できるものだけで感覚の価値を判断すると、重要な部分を見落としてしまうのではないでしょうか。

短期の判断が、長期の価値を見誤らせる

もう一つの論点が時間軸だ。新型コロナウイルス感染症を契機に、嗅覚障害は広く知られるようになった。嗅覚を長期間失うことと、気分や生活の質の低下との関連も報告されている。また、中高年以降の嗅覚機能低下が、将来の健康状態と関連することを示す疫学研究も存在する。

竹内:数日間匂いが分からなくても、生活そのものはできます。だから「嗅覚はなくても困らない」と感じやすい。しかし、数カ月、数年という時間軸で考えたときには、食事の楽しさや安全性、社会生活、さらには健康との関係も見えてきます。短期間の経験だけで、その感覚の価値全体を判断することは難しいと思います。

竹内氏が現在取り組むのは、アルツハイマー病と嗅覚の関係だ。認知症は長期にわたって進行し、発症前に嗅覚機能の低下が高い確率で先行することが知られている。興味深いのは、国内の認知症患者数が2010年時点の予測を大きく下回っている事実だ。2022年に600万人を超えると見込まれていたのが、実際は443万人。食事や運動など日常生活の改善が寄与していると考えられているという。

竹内:薬による治療はもちろん重要ですが、それだけでなく、日常生活のなかで脳にどのような感覚入力を与え、どのように身体を動かすかという視点も大切だと思っています。嗅覚も、そうした生活環境を構成する一つの要素として、認知機能の維持や健康に関わる可能性があるのではないかと考えています。

嗅覚検査は健康診断の項目にない。視覚と聴覚はあるのに、である。竹内氏はソニーが開発した嗅覚検査デバイスを紹介し、手軽にデータを蓄積できれば早期予測に使えるはずだと語った。並行して進めるマウスモデルの研究では、特定の匂いが脳内のアミロイドβを減少させる現象が確認されており、メカニズムの解明が近いという。
講演は、研究戦略の話で締めくくられた。

竹内:研究資源に限りがあるなかで、海外の大規模な研究をそのまま後追いするだけでは、日本から独自性のある成果を生み出すのは難しいと思っています。だからこそ、現時点では何の役に立つか分からないテーマや、重要性が十分に認識されていない分野にも目を向ける必要がある。嗅覚のように、「なくても困らないのではないか」と思われている感覚だからこそ、まだ見つかっていないものが多く残されているかもしれません。僕自身、別に匂いが好きなわけじゃないんです。ただ冷静に遠くから見ると、ここにはまだ大きな未知があると思って研究をしています。

三つの講演は、別々の入り口から同じ場所に着地した。ヒトは意識せずに学び、意識せずに影響を受け、自分が何に依存しているかを正確には把握していない。だからこそ、伝える仕組みを設計し、協力の条件を言語化し、見落としてきた感覚を測ることに意味があるのだろう。


文・編集:BRIGHTLOGG,INC.