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変わり続けるのが、変わらないこと。歴史のまち・神田に学ぶ都市の「不易流行」【東大Week@Marunouchi 2026 DAY1】

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東京大学から多様な専門分野の教員を招き、大手町・丸の内・有楽町エリアで最先端の知に触れる「東大Week@Marunouchi」。2026年は7月28日・29日の2日間で開催された。初日の会場は3×3 Lab Future。テーマに選ばれたのは、本郷と大丸有のちょうど中間に位置するまち、神田だった。

前半は、文化資源学を専門とする松田陽氏(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)による基調講演「変わり続ける神田、受け継がれる神田:歴史資産とまちの記憶」。後半は松田氏がファシリテーターを務め、都市計画を専門とする横張真氏(東京大学総括プロジェクト機構特任教授)、アートを介した社会実装に取り組む伊藤達矢氏(東京藝術大学社会連携センター長/教授)を迎えたクロストーク「神田の未来を語ろう――歴史・アート・居場所のあるまちへ」が行われた。

「神田は歴史のまち」と、多くの人が感じる。だが、その感覚はどこから来るのか。そして大規模再開発が同時多発的に進む今、このまちが手放してはいけないものは何か。専門分野も語り口も異なる3人の議論は、組織が「受け継ぐもの」と「変えるもの」をどう選び取るのかという問いへ接続していく。なお本セッションは、2027年に創立150周年を迎える東京大学の関連イベントである。

イベント登壇者

松田 陽
東京大学大学院人文社会系研究科准教授。東京大学卒業後、ロンドン大学UCLにてPhD取得。ユネスコ文化遺産部コンサルタント等を経て現職。専門は文化資源学。

横張 真
東京大学総括プロジェクト機構特任教授。東京大学大学院新領域創成科学研究科教授、同工学系研究科教授等を経て2024年より現職。日本都市計画学会長、日本造園学会会長、都市緑化機構理事長等を務める。

伊藤 達矢
東京藝術大学社会連携センター長/教授。東京藝術大学大学院芸術学美術教育後期博士課程修了(博士)。 ケア×アートをテーマに社会人と藝大生がともに学ぶ「Diversity on the Arts Project(DOOR)」を立ち上げるなど、多様な教育・文化プログラムの企画立案に携わる。「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点」(COI-NEXT)プロジェクトリーダー。

ポイント

・神田の「歴史性」は、祭礼・老舗・地名・地割りといった無形の要素に支えられている。
・東京大学のルーツは神田にあり、教育や医療という機能を通じて、今日でも東大発祥の記憶が読み取れる。
・守るべきは上物ではなく地割りと路地。再開発に求められる公共貢献も、ハードからソフトへ、敷地内から域外へと転換。
・アートの役割は、弱いつながりを含むソーシャルキャピタルの拡張と、伝統の慣例とは異なる回路をまちに持ち込むこと。
・知性・艶・矜持からなる「粋な遊び」の共有こそが、目利きの市場を成立させる土台。当面はAIに代替されない人間の領域。

INDEX

・「歴史のまち」なのに、歴史的な風景は驚くほど少ない
・神田の歴史性を支える、4つの無形の要因
・東京大学は神田で生まれた。移転後も残る「教育」と「医療」の記憶
・神田をどこから見るか。視点が変わればまちの姿も変わる
・残すべきは建物ではなく地割りと路地。「域外に貢献する再開発」という発想
・アートが増やすのは、まちのソーシャルキャピタル
・都市は市場である。「粋」が支える、AIに代替されない領域

「歴史のまち」なのに、歴史的な風景は驚くほど少ない

基調講演は、三菱地所と東京大学の共同研究の成果報告として始まった。3年目を迎えるこの研究の出発点は、「神田の歴史性」だった。

松田:神田と聞くと、多くの方は歴史的な場所だと感じます。私が着目したのは、その「なんとなく歴史的である」というイメージがどこから来るのかという点でした。ただ、そもそも神田とはどこからどこまでなのかを規定すること自体が簡単ではない。そこで、1878年から1947年まで存在した神田区の範囲を「神田エリア」と名付けて出発しました。

大きく分けると、東側は江戸初期からの町人地、西側は武家屋敷が明治政府に収用されて新たに町ができた場所だ。神田の歴史性は、江戸由来と近代由来の要素がブレンドされて成り立っている。

松田:実際に歩き回ってみると、大通り沿いも路地も、多くの方が思い浮かべる歴史的な風景とはかなり異なります。それもそのはずで、関東大震災で神田エリアの大部分は焼けています。空襲でも少なからぬ場所が焼けました。歴史的な建物が全くないわけではなく、ニコライ堂は国の重要文化財ですし、旧連雀町には震災後に建てられた木造の建物が残っています。ただ、公的な文化財を地図にプロットしてみると、建物群として集中しておらず、高層ビルに囲まれて孤立して残る場所のほうが多い。。

神社は東側に多く、寺は神田エリアに実質1軒しかないという。

神田の歴史性を支える、4つの無形の要因

では、建物が残っていないのに、なぜ神田は歴史的だと感じられるのか。松田氏は暫定的に4つの要因を挙げた。祭礼、老舗、町名、そして地割りである。

松田:神田祭が行われることで、地元の皆様が神田の歴史性を再確認する。そういう仕掛けになっているとも言えます。ただ、神輿の巡行路は神田の外の日本橋エリアにも及び、神田エリアとは一致していません。しかも神田祭だけではなく、三崎稲荷神社、太田姫稲荷神社、柳森神社という重要な神社があり、それぞれの氏子が祭礼を通じて自分たちの場所とのつながりを感じています。

老舗については、100年以上続く企業が業種を変えながら東西に満遍なく散らばる点が特徴だ。そして町名。旧神田区の34の町名のうち、31に「神田」が入っているという。

松田:2018年には三崎町と猿楽町が、区議会の議決を経てわざわざ「神田」という冠称を戻しました。1965年に住居表示を新しくする際も、自分たちの地名から神田が消えることは耐え難いという地元の反対で、岩本町から分かれて神田岩本町が、鍛冶町から分かれて神田鍛冶町ができました。今日でも、神田エリアは半分以上が今なお住居表示*未実施です。都心部でこれが未実施だということは、それだけ神田という名前への思い入れが強いということだと思います。

※住居表示:日常で使う住所をわかりやすく整理するため、建物ごとに規則的な番号を付けて表示する制度

東京大学は神田で生まれた。移転後も残る「教育」と「医療」の記憶

講演後半、話題は東京大学と神田の関係に移る。

松田:1877年に東京大学が創立した時点で、本郷には医学部がありましたが、法・理・文学部は神田錦町にありました。1年前の1876年時点では医学部の前身の東京医学校も神田和泉町にあり、東大の前身は神田の2か所にあった。その意味で、東大は神田から生まれたと言ってもほとんど間違いではないと思います。

松田:法・理・文が本郷へ移ったのは1884年から85年にかけて。しかし土地に刻み込まれた性格は残りました。錦町やその周辺には塾や予備校的な施設が集まり、さらに法律学校をはじめとした私学や学校が加わり、神田西部は文教地区としての色合いを強めていきます。今日でも大学・専門学校・予備校は西側に集中しています。一方、和泉町にあった東京医学校の跡地には東大医学部附属病院の第二医院が置かれ、その後も三井記念病院として病院機能が引き継がれています。フィールドワーク中に、和泉町のあるクリニックの敷地に、フランス積みという積み方の古いレンガが残っているのを見かけましたが、かつてこの場所にあった病院の由来が記されていました。東京医学校は150年も前に本郷に移ったわけですが、ここは医療の場所なのだという記憶が、レンガという形でまだ今日読み取れる。なんとも面白いと思いました。

駿河台に古い病院が集まるのも同じ流れの延長だ。本郷の東大医学部で教える教員が傍らでクリニックを開き、それが病院街を形づくったのだという。

松田:東大が本郷に移ってから縁が切れたわけではなく、教育や医療という機能を通して神田と本郷の関係は続いていた。祭礼や町名とは別に、大学や文教施設という歴史性が近代以降の神田に間違いなく残っていて、その要因のひとつとして東大がある程度は寄与していたのだと感じた次第です。

神田をどこから見るか。視点が変わればまちの姿も変わる

都市計画を専門とする横張氏、アートを介した社会実装に取り組む伊藤氏を加えたクロストークは、「神田と聞いて真っ先に何をイメージするか」という問いから始まった。伊藤氏がスクリーンに映したのは、写真ではなく1枚の油絵だった。

伊藤:これは画家の弟(伊藤将和)が描いた絵で、聖橋の上から見た風景なんです。松田さんは「歴史」という概念から入られましたが、僕は見えたところから入る。神田といえば神田川で、聖橋に立つと、さだまさしさんの『檸檬』という1977年の曲を思い出します。食べかけのレモンを橋から放ると赤い電車がそれとすれ違う、という情景が歌われている。神田を見ると言ったとき、どこから見るかで見え方は変わる。同じ地図のプロットでも、切り口があると景色の立ち上がり方が違ってくると思うんです。

一方、都内で生まれ育ち、高校時代からこのエリアに親しんできた横張氏はこう語る。

横張:神田の代表的なまちとそのイメージを書き出してみたのですが、大変に多岐にわたっていて、空間的に神田らしさとは何かと言われてもピンと来ないというのが率直な感想です。ただ、神田っ子気質と言われるとなんとなく分かる。「粋」「いなせ」といった言葉で象徴される心意気、気前がよくて祭り好き。そして一番大事だと思っているのが「進取の気性(しんしゅのきしょう)」です。不易流行、つまり変えてはいけないものは変えないけれど、時代の要求とともに変えるべきところは積極的に変える。ここが神田の将来を考えるうえでキーになると思っています。

残すべきは建物ではなく地割りと路地。「域外に貢献する再開発」という発想

失ってはいけないものは何か。横張氏はまず自身の研究グループの調査を紹介した。旧神田区内のコインパーキングを学生が街をくまなく自転車で回って調べ上げたところ、およそ550カ所あり、その密度はおそらく日本一だという。空き地を可動式の緑と組み合わせ、レクリエーションの場に変える実験も行ってきた。

横張:学士会館や古書店といった建築物ももちろん大事ですが、それ以上に、それらが醸し出す界隈性、ランドスケープを失っちゃいけないと思っています。店舗が多少入れ替わっても界隈性が変わらないこと。構造的に言えば、例えば街路の幅と両側の建築の高さの縦横比が変わらないことです。そこで注目しているのが地割りで、駿河台や錦町を見ると、江戸・明治・現在で上物は変わっているのに地割りはあまり変わっていない。

保全の対象は建物ではなく、「事」としての歴史文化をもたらす界隈性と、それを支える地割りや路地だという整理だ。議論は、群雄割拠する大規模再開発をどう使うかに向かう。

横張:建設費が高騰し工期も長くなり、増えたコストを賃料に上乗せするやり方はもう限界に近い。加えて、求められる公共貢献の中身も変わりました。従来は道路や上下水道、公園といった基盤インフラでしたが、神田エリアの都市基盤はほぼ整っている。今求められているのは教育福祉、コミュニティ形成、そして歴史や文化です。これらは受益者が特定しにくく、ハードではなく事、ソフトの側にある。となると、敷地の中に公開空地をつくれば済む話ではなくなり、区域の外に対して貢献してくださいということが必要な時代になっていると考えられます。

横張氏は、スクラップアンドビルド区域と、地割りや路地を保全する「レトロフィット再開発区域」を一体で設定する構想を示した。高層ビルを建てる区域は、竣工直後の状態を長く保ちたい、時間を止めたい開発だ。対してレトロフィット区域は、変わることを前提に設計する開発となる。

横張:都市計画では否定的に扱われてきた「暫定」や「可変」をキーワードにすべき場所だと思っています。余白という言葉も最近よく問われますが、あるデベロッパーの方は「余白と言われると、つい地図に余白という区画を描いてしまう」とおっしゃった。そうではなく、余白とは私の解釈ではいろいろな色に変わるところです。3年後、5年後と、その時々の状況や主体に応じて色が塗り替えられる。長い時間軸で見ればそれが余白だった、というものだと思うんですね。

アートが増やすのは、まちのソーシャルキャピタル

伊藤氏が話を引き取ったのは、有形と無形をめぐる論点だった。

伊藤:震災や空襲で住み続けることが難しくなっても、人々は何とか継承しながらここに居続けている。では何を継承したのか。有形のものにとどまらず、無形のものを継承し続けなければ、神田が歴史的であり続けることはできなかったはずなんです。アートも文化も根っこは同じで、有形の形が大事なのではなく、そこに宿る無形の価値を、きちんと有形のものに宿しながら次の時代を迎えられるかが重要だと思います。

パブリックアートと関係づくりのアートのどちらを採るかという問いには、後者と答えた。作品は鑑賞者がいて初めて機能する以上、アートとは「心を動かすための技術」だからだという。

伊藤:事としての作品が育んでいるのは、大きく捉えるとソーシャルキャピタルだと思います。強い絆だけでなく、ウィークタイズと言われる弱いつながり、自分の話を聞いてくれる他者がいるといった関係性のチャンネルが増えていく。祭礼にも同じ機能はあるのですが、岐阜県高山市で祭りと健康について調査したところ、祭りに参加する人のウェルビーイングは高いのに、祭りの運営側は下がっていた。伝統には決め事があり、関われる範囲に限定性があるからです。新しく住み始めた人もいる中で、慣例とは違う回路をまちに持ち込めるところに、事づくりのアートの意味があると思っています。

伊藤氏はさらに、WHOによる健康の定義が身体的・精神的・社会的の3要素からなることに触れ、後者2つは医療や福祉だけでは保てないと指摘する。英国の「社会的処方」※も参照しながら、現在は13の自治体とともに、文化を介した健康観の変革に取り組んでいるという。

※社会的処方:薬の代わりに地域活動や人とのつながりを紹介し、社会的孤立を癒やして健康や生活の質を高める取り組み

伊藤:ここで重要なのは、文化や芸術は外から持ち込むものではないということです。野草の中から薬草を探すようなことが、文化を活用することなんだと思うんですね。だからこそ、自分たちのソーシャルキャピタルを自分たちの資源として使えるまちかどうかが効いてくる。神田はかなり成熟したまちで、そこにある資源を自分たちのものだと思って活用している人の割合が非常に高いように見えます。

都市は市場である。「粋」が支える、AIに代替されない領域

質疑では、都市史研究者の鈴木理生氏から聞いたという「都市は市場である」という言葉を引いた問いが投げかけられた。神田とその周辺には、青物市場、日本橋魚河岸、古書市といった市場の系譜がある。やり取りされるのは物だが、そこで働くのは目利きであり、価値を見出す力であり、神田のナラティブではないか――という問いだ。

伊藤:中小企業の活性化に関する委員会に出た際に、売上10億円規模の企業は100億円になるための通過点なのか、それとも地方の造り酒屋のように、その規模だからこその魅力があるのか、という議論がありました。支援の指標を考えるとき、収益の伸びだけでなく、時間を味方にすることや、答えにたどり着くまでの手順、経営者が本業以外で地域と手を結んでいることも価値になるはずです。アートに寄せて言えば、一人では始めないことを始めてしまう、話すはずのなかった人と話してしまう。意図していない方向に連れ出されることの中に、とんでもないダイヤモンドが埋まっている可能性がある。どこに価値があったのかを読んでいくことが大事なのだと思います。

横張氏は、市場性の背景にあるものとして再び「粋」を挙げた。

横張:粋とは、私なりに噛み砕くと、智と、艶と、矜持だと思うんですね。矜持はプライドではありません。プライドは基準が外にあって他人と比べる話ですが、矜持は自分の中に尺度があって、お天道様の下で恥ずかしくないかという世界です。この3要素を持ちながら自律的に行動することが、遊びだと思うんです。粋な遊びが社会として共有され、互いに尊重される中で初めて市場が形成される。一人だけそういう人がいても損をするだけで、市場にはならない。古書店などはそういうものだと思うんですね。その文化をどう維持するかが市場性を保つうえでのポイントであり、そこは当面AIには難しい。人間の領域として残るとしたら、そのあたりかなと思っています。

松田:専門もバックグラウンドも違う3人を、あえて掛け合わせて混ぜてみようというのがこのクロストークでした。神田は、常に変わっているけれど変わらないものがある、そんな場所です。どの視点から見るかにこだわって、新しい見え方を楽しむ。その意味で、意義のある会になったのではないかと思っています。


取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.