「勝ち切るための選択」──GRAND羅氏が語る、スタートアップ経営と三菱地所グループ入りの舞台裏
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オフィスビルで見る機会が増えているエレベーター内のプロジェクション型メディア。このメディアを手掛けるGRAND社は、かつてない事業スピードで都市空間の広告インフラを塗り替えようとしている。
同社を率いるのは、創業者であり現在は三菱地所グループで事業を牽引する羅悠鴻氏。わずか数年で黒字化を達成しながらも、自力による成長に固執せず、「勝ち切るために」M&Aによる三菱地所グループ入りを決断した起業家だ。
不動産、広告、建築といった多層的な業界を横断しながら事業を前に進める羅氏は、なぜ独立を手放し、グループ入りという選択肢を選んだのか。そして統合後の成長戦略と、スタートアップ経営へのリアルな提言とは。
本記事では、スタートアップと大企業の「対等な共創」のかたちを模索し続ける羅氏の視点から、資本と信頼、そして覚悟の意思決定に迫る。

羅悠鴻
GRAND株式会社 取締役会長
六甲高校、東京大学理学部、東京大学大学院理学系研究科中退。東京大学在学中に、エレベータというニッチ領域に特化したテクノロジーを研究開発する株式会社東京を設立。2024年に三菱地所グループへM&A。
ポイント
・中国・フォーカスメディア共同創業者との対話で突きつけられた数十億円規模の資本力格差が、自力成長から三菱地所グループ入りへと舵を切らせた決定的な転機。
・当初は資金調達の一環として始まった三菱地所との対話が、過半出資を受けるなら100%グループ入りが合理的との判断に至り、M&A成立へと結実した意思決定プロセス。
・グループ入りで「人のお金で勝負できる」状態を獲得し、端末の大量仕入れ・研究開発投資・営業組織を30人規模から80人超へと一気に拡張し成長が加速。
・三菱地所グループの信用力を背景に、恵比寿ガーデンプレイスやあべのハルカスなど大型物件への導入が加速。ナショナルクライアントの出稿を呼び込む好循環の創出。
・イグジットを目的化せず、デットファイナンス中心の資本効率経営で自由度を守る哲学と、評価を役職に紐付けてロイヤルティを個人から会社へ移す組織設計。
INDEX
・中国での出会いから始まった、思いがけない転機
・「資金調達のつもりだった」が、M&Aへと舵を切った理由
・評価のすり合わせ──異なる評価文化を乗り越えて
・グループ入りで広がった可能性──大胆な投資と急成長
・イグジットを前提にしない哲学──「自由度を守る」スタートアップ経営論
中国での出会いから始まった、思いがけない転機
――三菱地所グループ入りは、最初から想定していたのでしょうか?
羅:まったく想定していなかったですね。三菱地所との関係自体は、もともと合弁会社を設立したところから始まっていましたし、いわゆるイグジットを前提に事業をやっていたわけではありません。
正直に言うと、「この会社をどう売るか」みたいな発想自体がほとんどなかったです。自分たちで事業を伸ばして、きちんと勝ち切ることしか考えていませんでした。
――では、意識が変わったきっかけを聞かせてください。
羅:一番大きかったのは、中国に出張していたときの出来事ですね。その際に、フォーカスメディアという中国のエレベーター広告会社の共同創業者の方とお会いしました。
同社はエレベーター広告の元祖で、中国ではほぼ独占的なポジションを取っていて、アジア各国にも進出している世界最大級の会社です。その規模感を目の当たりにしたことが、後々までずっと頭に残りました。
――その場では、どのような話をされたのですか?
羅:まず驚いたのは、向こうが僕のことを知っていたことですね。最初から結構フランクに話しかけてくれました。その流れで、日本市場に対してかなり本気で興味を持っていること、将来的に進出を考えていることを聞かされました。
その時点では雑談に近い感じでしたが、正直、危機感を覚えましたね。彼らは韓国ですでに年間100億円規模の売上を作っていて、日本では200億円くらいはいけるだろう、という前提で話していました。
しかも、初期投資として40〜80億円くらいを一気に入れるつもりだと。うちは当時、累計の資金調達額が5〜6億円程度だったので、もう桁が違う。これは普通にやっていたら勝負にならないな、と感じました。

――圧倒的な資金力の差を感じたのですね。
羅:そうですね。BtoCの世界だと外資が一気に資本を投下して市場を取る事例はありますが、日本のBtoB領域では前例は多くありません。ただし、これだけ資本力に差があると、その前提自体が崩れる可能性があるなと思いました。
向こうは数十億円規模の話をしていて、こちらも最低限それに近い資金を持っていないと、同じ土俵にすら立てないと感じたんです。
――その時点で、どのような戦略を考えていたのでしょうか?
羅:その段階では、まだ「大企業にグループ入りしよう」と明確に考えていたわけではありません。ただ、「このままの規模感で戦うのは無理だ」という認識ははっきりしました。
うちは当時黒字化もしていて、キャッシュフローを回しながら成長する選択肢もありましたが、それではスピードも規模も足りない。そこから初めて、資金に対する考え方や戦い方そのものを根本的に考え直すようになりました。
「資金調達のつもりだった」が、M&Aへと舵を切った理由
――中国での出来事を受けて、次に取られたアクションは何だったのでしょうか?
羅:まず考えたのは、シンプルに資金調達でした。向こうが40億、80億円という単位で話してくる中で、最低限それに近い戦い方をするには、こちらも30億円くらいは調達しないと厳しいだろうと。
そこで、三菱地所に声をかけたのも、M&Aの相談というよりは、「資金調達を考えているので、一度ご挨拶を」というくらいの感覚でした。
――その時点では、M&Aは想定していなかったと。
羅:はい、ほとんど想定していなかったです。こちらとしては、あくまで資金調達の一環で、他のVCさんとも並行して話をしていました。黒字化もしていましたし、絶対に外部資金がなければ死ぬ、という状況ではなかったので、「条件が合えば」というスタンスでした。
正直、M&Aという言葉が現実味を持って出てくるとは思っていなかったですね。
――三菱地所側の反応は、どのようなものだったのでしょうか?
羅:意外だったのは、こちらが想定していたよりも、かなり前向きだったことです。単に少額出資をするというより、「もっと大きく資金を入れて、事業を一気に伸ばした方がいいんじゃないか」というトーンでした。
僕らは当時、役員報酬もオフィスもかなり切り詰めていて、正直ケチケチ経営だったんです。そこに対して、「もっとリスクを取っていい」というメッセージを感じました。

――そこから、なぜM&Aという選択肢が現実的になっていったのでしょうか?
羅:仮に40億円規模の資金を入れてもらうとすると、当時の資本構成だと、どうしても過半を三菱地所が持つことになります。それなら、中途半端に一部株式を譲るよりも、100%グループに入ったほうが、意思決定もシンプルだし、変な制約も少ないんじゃないかと考えるようになりました。結果的に、M&Aという形のほうが合理的だな、と。
――決断にあたって、何を一番重視しましたか?
羅:重視したのは、スピードと自由度ですね。とにかく早く着金すること、それから、事業方針をどこまで尊重してもらえるか。この2点です。コミュニケーションを重ねる中で、口を出しすぎず、基本的には任せるというスタンスが伝わってきたのは大きかったです。それでも役員4人で何度も話しましたし、正直かなり悩みました。
評価のすり合わせ──異なる評価文化を乗り越えて
――スタートアップと大企業の間で、評価のアプローチに違いがあると感じられましたか?
羅:やはり文化の違いはあると思います。三菱地所は不動産事業を中心にしているので、確実性や安定性を重視した投資判断が基本。その点、スタートアップは将来の成長ポテンシャルや柔軟性が前提にあるので、評価において重視する観点が異なるのは当然です。そこをお互いに理解し合いながら、ギャップを埋めていけたのはとても良い経験になりました。
――最終的には、どのような納得点を見つけたのでしょうか?
羅:僕らとしても、企業としての透明性や事業計画の整合性を見直すいい機会になりましたし、三菱地所側もスタートアップ特有の価値やリスクの取り方について真摯に向き合ってくれました。
そのプロセスを通じて、ただの「買収」ではなく、「一緒に未来を描いていくパートナーなんだ」と感じられたのが、非常に心強かったですね。
グループ入りで広がった可能性──大胆な投資と急成長
――グループ入り後、実際にどのような変化がありましたか?
羅:一番大きかったのは、お金の使い方ですね。スタートアップ時代のケチケチ経営から、グループに入ったことで「完全に人のお金で勝負できる」という状態になりました。
それによって、今までできなかった大胆な意思決定が一気に可能になり、事業を伸ばすために必要なところに、迷わず投資できるようになって。それは、ものすごく大きな転換でした。

――具体的には、どのような部分に投資されたのですか?
羅:端末と人件費、この2つが主ですね。まず、エレベーター内に設置する端末は1台あたり数十万円かかるので、大量導入すると数億円単位でお金が出ていきます。広告ビジネスというビジネスモデル上、端末が売上に直結するわけではないので、資金繰りを考えながら端末を仕入れ、それに合わせてエレベーターへの端末設置の営業をしていました。それが一気に仕入れられて在庫切れの心配がなくなったことで、端末設置の営業を止める必要がなくなるんです。
そして人件費。当時は社員数も30人に満たない規模でしたが、そこから一気に営業チームを拡充して、今は80人を超える組織になっています。
――他には、どんなことに投資したのでしょうか?
羅:研究開発にも投資しました。端末のハードウェアに関しても研究開発を進めていて、そこにも億単位の資金を投下しています。以前は「やった方がいいけど、今は無理だよね」と諦めていたような領域にも、ようやく踏み込めるようになりました。
資金が潤沢になったことで、成長のための選択肢が広がり、事業のリスクテイクが一段階上がったという実感があります。
――営業面での変化もありましたか?
羅:それは本当に大きいですね。以前は「スタートアップが運営するいつ終わるか分からないサービス」と思われていたところがあって、複数棟の物件を所有するビルオーナーであっても1物件だけ導入みたいなケースが多かったんです。でも、三菱地所グループに入ったことで、「この会社は潰れない」とか、「サービスも継続するだろう」と見られるようになって、大型物件での導入が一気に進みました。
恵比寿ガーデンプレイスやあべのハルカス、みずほ銀行本社ビルなどにも広がっていて、これは以前では考えられなかったことです。
――それに伴って、広告営業にも影響があったのでしょうか?
羅:はい、実際に導入されたビルで「見たことある」という声が増えたことで、広告主からの信用も高まりました。ナショナルクライアントが出稿しやすくなり、その実績がまた他のビルのオーナーにとっての安心材料になる。
そんないい循環が生まれていて、導入物件の規模や質が上がるほど、広告の単価や継続率にも良い影響が出てきます。
イグジットを前提にしない哲学──「自由度を守る」スタートアップ経営論
――M&Aによってグループ入りした今、あらためてスタートアップの出口についてどうお考えですか?
羅:僕自身は、イグジットを前提に経営を考えたことは一度もありません。基本的には「そのうち誰かから言われるまでは考えなくていい」と思っています。株主や証券会社、買い手候補など、いずれどこかから話が来る。その時に選択肢を持っておけばいい。
だからこそ、IPOやM&Aのどちらに転んでもいいような「自由度の高い経営」を常に意識しています。
――「自由度」とは具体的にどういう意味でしょうか?
羅:一言で言えば、「いつでも身軽に動ける状態」を保つことです。資本効率の良い経営をして、エクイティでの資金調達は必要最小限にとどめる。僕は基本的にデットファイナンスで回せるほうが健全だと思っていて、極論では「資本金1万円で始めて、それ以降はレバレッジでやりきる」くらいが理想です。
エクイティで多額の資金調達をすると、どうしても投資家の期待値が重くのしかかってくるし、自由度が一気に下がるんですよね。

――最近はイグジットを強く意識するスタートアップも多いように思います。
羅:それは本当に感じています。「うちは何年後に何倍で売ります」みたいな前提で始まるスタートアップも増えてきていて、正直「なんで起業したの?」って聞きたくなることもあります。
事業をやるなら、まずはきちんと価値あるプロダクトやサービスを作ることが先だろうと。イグジットはあくまで結果論であって、目的化するのは違うと思います。
――M&A後の組織づくりで難しかった点はありますか?
羅:一番難しかったのは、社員のロイヤルティの向け先を「僕」から「会社」へ移すことでした。今までは僕が全部判断していたし、評価もしていました。でも三菱地所グループ入りしてからは、ちゃんとした人事制度を作らないといけません。
そこで、評価者を個人ではなく役職に紐づける制度に変えました。結果的にこれはすごく良くて、「羅さんがいるから頑張る」から「会社の仕組みの中で頑張る」へ、自然と切り替わってきているのを感じます。
――新たに入った人たちとの融合もスムーズでしたか?
羅:そこは意外とうまくいきました。もともとリファラル採用しかしていなかったんですが、M&A後はエージェントも活用するようになって、組織の雰囲気が多様化したのが良かったのかもしれません。
あと、初期メンバーたちが「お金を使って事業を伸ばす」というフェーズを初めて経験して、それが純粋に楽しかったみたいです。ケチケチやっていた時代を知っているからこそ、今の大胆な展開にポジティブに乗れているというか。今のところ、いいバランスで進んでいると思います。
――最後に、今スタートアップを経営している人たちに伝えたいことがあればお願いします。
羅:とにかく、まずは事業を伸ばすことに集中してほしいです。イグジットや調達戦略ばかり考えるのではなく、「なぜこの事業をやるのか」「どうすればお客様に価値を届けられるのか」に立ち返ってほしい。
自由を守るためにも、資本効率の高い経営をすることが重要です。結果としてイグジットするならそれでいい。でも、それを目的化した瞬間に、動きがブレてしまう。
だからこそ、どんなときも事業の本質を見失わず、自分たちが信じた価値を届け続けてほしいと思います。それが、スタートアップにとって一番の成長戦略であり、生き残る道だと信じています。
企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:鈴木光平
撮影:阿部拓朗