「地震犠牲者ゼロ」東大発の耐震塗料技術で世界に挑む|政策現場から見る『官民共創のイノベーション』vol.6
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「人の命を救える技術があるのに、挑戦しない理由があるだろうか」。
そう語るのは、Aster代表取締役の鈴木正臣氏。東京大学発のスタートアップとして、防災分野でグローバルな展開を進める同社の原点には、イタリアで見た被災地の惨状があったと言います。家業として長年続く中小企業の社長を務めながら、世界を相手に社会課題解決にフルスイングで挑むスタートアップを起業した鈴木氏のキャリアは、まさに「越境」の連続です。
本連載では、“越境”をキーワードに、固定的な制度や社会通念を越えて、最前線で未来をつくる方々に焦点を当ててきました。今回は、制度が未整備な国で、時には人種や社会階層の壁とも向き合いながら、人命を守る技術の普及を目指す鈴木氏にインタビューを実施。起業の原点からスタートアップと中小企業の違い、日本の常識が通用しない場所で実装を進める際のリアルな困難と手応えまで、率直に語っていただきました。
インタビュアーは、経済産業省で官民共創やスタートアップ政策を手がけてきた池田陽子。理念や正しさだけでは世界は動かない——そんな現実の中で、鈴木氏が見出してきた「動かす力」に迫っていきます。
鈴木正臣
株式会社Aster 代表取締役CEO
Aster代表取締役CEO。防災先進県の静岡県沼津市出身で幼少よりものづくりに親しみ、航空宇宙工学を学んだ知見を建築分野へ応用。外壁に塗るだけで耐震補強が可能となる「耐震塗料」を東京大学との協賛研究で開発し、2019年にAsterを創業。「塗る耐震」で企業ミッションである「地震犠牲者ゼロ」の実現を目指す。建物の安全性とCO₂削減を両立する技術として注目され、2022年には日経新聞主催ビジネスコンテスト全国大会で優勝。現在は官民連携を通じて「フェーズフリー防災」を推進し、国内外で地域防災と企業競争力を両立させる新たなモデルづくりに挑戦している。
池田陽子
経済産業省 競争環境整備室長/経済産業研究所コンサルティングフェロー
2007年に東京大学卒業後、経済産業省に入省。専門分野は、イノベーション政策、ルール形成、グローバルガバナンス。内閣官房では政府全体のスタートアップ政策を統括。近著に『官民共創のイノベーション 規制のサンドボックスの挑戦とその先』。これまで携わってきたスタートアップ政策、対GAFAのデジタルプラットフォーム規制、出版等の功績を評価され、2024年、Forbes JAPAN「Women in Tech」に選出。なお、本連載において、事実関係に関する記載以外の部分は、経済産業研究所コンサルティングフェローの立場による。
INDEX
・アトツギから起業へ、イタリアの被災地でみた光景が原動力に
・スタートアップだから1万年解決されていない社会課題に挑める
・“Born Global” 世界の地震犠牲者ゼロを目指して
・日本の常識が通用しない場所で、本音と建前を知って実装を模索
・ 使命を持った仲間たちとともに切り拓く日々
アトツギから起業へ、イタリアの被災地でみた光景が原動力に
池田:鈴木さんは、米国で航空宇宙工学を専攻された後、2014年にご実家の中小企業を2代目として継がれ、「アトツギアワード」も受賞されています。そこからスタートアップという別の世界へ踏み出された経緯を教えてください。
鈴木:実家は、静岡県沼津市で改修工事専門の建設会社を経営していて、父親が病に倒れたとき引き継ぎました。いわゆる家業ですが、今のAsterの耐震補強塗料とも無関係ではなく、素材や技術の応用としては地続きにある分野です。だから本来であれば、そのまま中小企業の一新規事業としてやる選択肢もあったと思います。
池田:そこをあえてスタートアップという形で起業されたのはなぜだったのでしょうか?
鈴木:直接のきっかけは、東京大学生産技術研究所の目黒研究室と共同協賛研究を進めていた2016年、イタリア中部で起きた地震の現場に震災後5日目で行ったことです。知識として、世界では過去100年間を平均すると毎年2万人が地震で亡くなっているということは知っていましたが、街ごと壊滅してその地域だけで300人が亡くなり、お子さんを探し回るお母さんが歩いている、余震で建物が崩れていくところにレスキュー隊が飛び込んでいる、そんな状況を目の当たりにしたのです。
赤ちゃんのおもちゃが瓦礫の中に落ちていたのを見たとき、そこで命が失われたことを知らされました。開発に取り組んでいる耐震塗料を使った耐震補強をすれば、人命を救っていけることが分かっている中、“フルスイング”という選択肢しかありませんでした。私の座右の銘は“メメント・モリ”(死を想え)で、自分が死ぬときに本気でやりきったと思えないような人生は嫌だったのです。

池田:中小企業の新規事業の形では、課題解決に“フルスイング”ができないと。
鈴木:そうです。中小企業の経営では、着実に積み上げていくことが大切にされていて、バントで一塁ずつ確実に進むのがセオリー。しかし、それでは大きな社会課題の解決には到底至れません。だからこそ、まったく別の組織、別の論理で動くスタートアップという手段を選びました。
家業で開発したコンクリートメンテナンス用の塗料技術を耐震補強用に改良して、東大の地震研究者である山本憲二郎氏(現COO)と5年以上をかけて、レンガや石に塗る繊維強化塗料(Aster Power Coating)を開発しました。そこに、インド人のシャンタヌ・メノン氏(現CTO)がインド工科大学で学んだ構造解析と掛け合わせる形で、2019年、3人でAsterを共同創業したのです。こうして高められてきた技術力は、日本自然災害学会優秀賞を受賞するなど評価されています。
スタートアップだから1万年解決されていない社会課題に挑める
池田:ご経験を踏まえ、中小企業とスタートアップの違いをもう少し詳しく教えてください。
鈴木:まさに根本から違うんですよね。中小企業はこれまでの実績重視で、銀行に融資をお願いすると「決算書を3期分出してください」と言われる。つまり、過去の積み重ねの延長でしか未来を描けません。一方で、私が向き合っているのは「世界の地震犠牲者をゼロに」という、これまで1万年解決されてこなかった問題。通常のやり方では突破できません。こういう非連続な領域は、スタートアップのアプローチでしか問題を解決できないと考えました。
池田:実際にシリコンバレーに行って、スタートアップ育成プログラムに参加された影響も大きかったんですよね。
鈴木:はい。現地で出会った投資家たちは、完全に未来志向でした。「その技術で世界を変えられるのか?」「市場はあるのか?」と問われるんです。それがとても刺さりましたし、健全だと思いました。シリコンバレーの思想は、中小企業的な考え方とは真逆でしたが、「こっちが正しい」「このモデルなら本当に世界を変えられる」と確信しました。
池田:現在はスタートアップ経営に注力されていますが、中小企業とスタートアップの両方を経営されていらっしゃった時期もおありだったと。「考え方が真逆」とのことでしたが、難なく両立することはできたのでしょうか。
鈴木:ええ。たしかに、中小企業とスタートアップでは経営スタイルが異なりますが、どちらも会社経営であることに変わりはありません。私がよく念頭に置いているのは、仏教の「空」(くう)という考え方です。
池田:色即是空の「空」ですか?
鈴木:はい。たとえば、犬や猫という分類の上に哺乳類、さらに脊椎動物……と包含していく上位概念があるように、仏教哲学ではその最上位にある「空」が全てを包含する(固定した実体がない、の意)といわれます。ある次元においては中小企業とスタートアップはたしかに別物ですが、次元を上げていくと、どこかで包含すると考えられます。猫と犬が違うという人は、犬科と猫科という生物学でいう“科”の次元で認識している。だけど哺乳類という上位概念で認識すれば同じ。
池田:つまり、一見相容れないように見える中小企業とスタートアップも、一つの体系として理解することができると。
鈴木:そうです。私は、物事をできるだけ大きなシステムとして理解して、インプットしたらこうなる、というフラットな見方を大切にしています。犬と猫の次元で認識してインプットしたアウトプットと、哺乳類としてインプットしたアウトプットは全く異なります。善悪や正義の判断基準が異なるからです。さらにこれを本当に両立させるためには、理屈でなく身体感覚での体得が欠かせません。たとえば熱いものを触った時に、「火傷するから手を離そう」といちいち考えませんよね。反射的に体が動くと思いますが、それと同じくらい自然に動くほど身にしみこませなければなりません。知っている事と出来る事の隔たりは大きい。中小企業でもスタートアップでも、資金繰りで眠れない夜を経験してきたからこそ、身体感覚で会得しているものがあるのだと思います。

“Born Global” 世界の地震犠牲者ゼロを目指して
池田:「Born Global」を掲げ、今年からは東南アジアでいよいよ本格展開とのことですが、なぜ当初からグローバルを強く意識されてきたのでしょうか?
鈴木:世界の人口の6割がレンガや石を積み上げた組積造(そせきぞう)の建物に住んでいます。震度3~4でも崩壊する場合があるため、地震による犠牲者の8割以上が組積造の建物由来といわれ、それらすべてが我々の救いたい市場だからです。Asterは組積造が地震で倒壊することを防ぐ特殊な塗料、塗布方法や解析技術を開発し、海外展開を進めてきました。国内の投資家からは「志は分かるが、まずは日本で始めてもらえないか」と言われることもありましたが、そうした発想に立っておらず、日本以外に全振りしてきたのです。
ASEANにおける地震リスクの中でも、私たちが注力してきたフィリピンは特に深刻な被害が想定されています。首都マニラ直下を走る断層による巨大地震、いわゆる “The Big One” が発生した場合、人口約1,400万人を抱えるマニラ首都圏では、最大で全建物の約40%が倒壊または損傷を受けると報告されています。高層ビルも立っていますが、日本と比べると、建材の質がとても低いのです。パンチしたら穴が空くようなコンクリート・ブロックで、100メートル級のビルの壁が建設されていることもあります。
池田:そうした中で、Asterの耐震塗料「Power Coating」の強みについて、あらためてお聞かせてください。
鈴木:構造物の表面に塗るだけで、壁の剥落や崩壊を防ぐというものです。建物が揺れても、倒壊を防ぎ、人命を守る。新たに大規模な耐震補強をしなくても、既存の建物に後付けで使えるし、施工もシンプルです。それでいて、低コストかつ短期間で施工できます。
池田:そうした強みは海外でも理解されやすいように思われますが、市場開拓にあたってどのような困難に直面されてきたのでしょうか。
鈴木:実際には各国の法規制や商慣習の違い、政治的な腐敗もあって、話はそう簡単ではありません。例を挙げると、必要な強度のある素材を使って建物を造ると利益が減ってしまうため、そもそも基準の7分の1しかセメントを入れていないコンクリート・ブロックが使われることも珍しくないのです。現地の大手メーカーには「人命よりも、利益が出ればそれでいい」と間接的に言い切られたこともあります。もはや日本人の常識は通用しません。
そうした商慣習がまかり通っていると、いくら私たちの素材が低コストであっても、それは適正な素材と比べてのことにすぎないわけです。空(くう)の概念がトップにあることは意識しつつも、こういった慣習や規制といった、国ごとの“システム”にアプローチしていくことが同時に必要になります。
池田:こうした中で、フィリピンではどのように事業を進めてこられたのでしょうか。
鈴木:2021年に国際協力機構(JICA)を通じてフィリピンの公共事業道路省(DPWH)と連携し、2023年からは現地の公立学校校舎で実証を始めました。現在、本格的に学校で採用されるための認証審査中です。レイテ島にある、ある不動産ディベロッパーの分譲住宅では全戸にPower Coatingが標準採用され、耐震性のある住宅が建設され続けています。また首都圏にある大型ショッピング・モールの耐震補強や、大型の新築プロジェクトでの採用に向けた議論も進んでいます。
池田:フィリピン以外での展開状況も教えてください。
鈴木:現在、台湾やインドネシアへの供給に加え、バンコク、ミャンマー、インド、イタリア、トルコといった各国での市場調査も本格的に開始しています。
台湾では、耐震補強工事を主力とする承鴻興(チェンホンシン)社や、複数の商社が代理店として積極的に営業活動を進めています。すでに基隆市の公共工事でPower Coatingが採用され、台北市内の民間工事でも実績が着実に増えつつあります。
インドネシアでは、バンドン工科大学出身で東京大学にて地震工学の博士号を取得したインドネシア人スタッフが中心となり展開しています。民間の建材展示会では大きな反響を得ており、公共工事の領域でも住宅局の高官を巻き込み、設計仕様への採用に向けた動きが加速しています。さらに、インドネシアの小学校を対象とした耐震補強クラウドファンディングも日本で実施し、必要な資金を確保したため、来年にはこれらのプロジェクトも本格的に進みます。
インドでは、ムンバイ市の公的住宅管理機関MHADAが抱える老朽化建物の自然倒壊が大きな社会問題となっています。市内には築100年を超える危険建物が16,000棟も存在し、居住者が立ち退かないため建替えも改修も進まないという課題があります。この問題に対し、Power Coatingは“塗るだけで補強ができる”という特性から非常に前向きな評価を受けています。また、大手財閥との協業によるCO₂削減プロジェクトも進行中で、必要なコンクリート・セメント使用量を減らすことでグリーン認証の取得を目指しています。認証が得られれば、インド国内での大きな普及が期待できます。さらに、インド工科大学ボンベイ校の学生寮でも施工実績を重ねています。
トルコは2023年の大地震で56,000人もの犠牲者が出たことから、耐震補強ニーズが急速に高まっています。当社も現地に代理店を設けて活動していますが、遠隔地であることもあり、担当者が現地入りする機会が限られるため、進捗がやや鈍い点が課題です。
イタリアについては、これまでも複数回の調査を重ねてきましたが、最近では組積造構造の耐震工学で世界的に著名な大学教授との提携が進み、本格展開に向けて動きが活発化しています。
また、2025年のミャンマー地震の発生を受けて復興が始まっており、現地の技術者の間でも耐震塗料が注目を集めています。JICAの支援制度も活用し、来年から本格的に復興プロジェクトに参画していく予定です。なお、このミャンマー地震では震源から約1,000km離れたタイ・バンコクの高層コンドミニアム約1万棟が大きな被害を受けており、当社はこの広域復興対策にも関与しています。
池田:想像を越えるご尽力の賜物とお見受けします。ちなみに、日本での事業展開はまったく考えられていないのですか。
鈴木:いえ、考えています。実は試験的にホームページで商品を小売り販売したところ、国内の新規ユーザーだけで4000名がアクセスして、200名が即購入ボタンを押しました。日本は建築基準法の下で耐震基準は高いのですが、既存住宅に住みながら、予算不足などの理由で耐震補強を行えず、耐震性に不安を抱えている潜在顧客が膨大に存在することが分かりました。そうした方々に対しても、耐震塗料を中核とする「塗る耐震」であれば現実的な解決策となり得ることが明らかになったのです。
日本の常識が通用しない場所で、本音と建前を知って実装を模索
池田:「国ごとにシステムが違う」とのお話がありましたが、フィリピンのような環境で事業を進められる難しさを、さらに具体的にお伺いさせてください。
鈴木:想像よりもずっと大変です。ブロックの品質基準を守っていない建材メーカーが大手を振って営業しているのに、政府は取り締まらない。なぜかと聞くと、「取り締まるチームが存在しない」と。日本の建築専門家が支援してフィリピンで建材品質に関する法律を制定しても運用されていない実態から、現地の監督官庁に問い合わせても、電話に出なくなる始末です。これは個々の努力で変えられる話じゃないと。
池田:制度が未整備な環境で、どのように糸口を見つけて、道を切り開いてこられたのでしょうか。

鈴木:私たちが意識してきたのは、価値観の転換を迫るのではなく、現地の本音と建前を知った上で、既存の価値観の中で実装可能な道を探すことです。現在、グローバル展開の拡充に人手が足りていないので、伊藤忠商事のグループ会社と連携しています。大企業とのアライアンスを通じて、現地のルールで戦いながら、どうやって技術の普及を進め、人命を守ることができるか考えています。
たとえば、フィリピンやインドネシアの高級物件では、引渡し前から壁が割れていることがよくあります。最近は買い手側の意識が向上してそこにクレームがつくようになったので、「私たちのコーティング材料を使うと壁に亀裂が入らずに、顧客からのクレームが減り、補修費用も削減できますよ」と言った方が売りやすいこともあります。
少し飛躍するように聞こえるかもしれませんが、制度が整っていなくて地震が起きる場所と言えば、月でも地震が起きます。グローバルという概念を飛び越え、宇宙空間における展開や、もし宇宙人が顧客で来たらどうするか、社内では月面での技術展開を真面目に議論しています。
池田:壮大なスケールですね。制度が未整備である以外に、どのような壁に直面されますか。
鈴木:東南アジアのような新興国で活動していると、人種や言語の違いが壁になる場面も少なからずあります。フィリピンでは、本当に大事な言葉は英語ではなくてタガログ語です。フィリピン人を動かすには、フィリピン人がフィリピンのためにタガログ語で熱く語った時に、本気で動きます。
数年前、ある化学原料の調達が極めて難しくなった時期がありました。華僑ネットワークが供給を事実上掌握しており、取引商社から聞いた話では、信頼する中国人を通じて中国語で頭を下げ、ようやく必要量を確保できたと聞きました。
池田:リアルなエピソードが続きますね。人種や言語以外の壁もあるのでしょうか。
鈴木:その国ならではの社会階層の問題に直面することもあります。2016年、地震後のネパールを復興支援で訪れた際には、「あなたが提携しようとしている相手と組めば、カースト制度のあるこの国では事業が展開できずに終わる」と率直に忠告されたこともありました。
池田:そうした数々の局面で、いつもどのようなことを意識して対応されてこられたのですか。
鈴木:私は”スーパーフラット“な社会が理想だと思っているし、そうありたいとも思っています。しかし、実際には、私たちの耐震塗料技術がどれだけすばらしくても、その正しさを武器にするだけでは人は動いてくれません。だから、私たちは、その国の“ルール”を理解した上で、何をインプットすれば命を守れるアウトプットが出せるかを考え、行動し続けてきました。
他に注目しているのは、たとえば、日本政策投資銀行(DBJ)では「防災格付け」という金融商品を開発しています。簡単にいうと、防災対策ができていたら金利を下げるという世界初の融資制度です。こういったインセンティブ設計の仕組みを、官民でバイアスを取り払って考えてみることも重要だと思います。

使命を持った仲間たちとともに切り拓く日々
池田:世界そして宇宙も視野に、1万年解決されていない人類の課題に取り組まれるスケール感と、それを支えるご覚悟が伝わってきます。日々の資金繰りといった現実的な制約とはどのように折り合いをつけられていらっしゃるのでしょうか。
鈴木:それはもう毎日のように葛藤しています。たとえば、2021年に特許庁の「知財アクセラレーションプログラム(IPAS)」に参加してから、知財活用に積極的に取り組んできました。しかし、現実問題として、海外特許を取得するだけでも1か国150〜200万円かかります。以前、PCT国際出願の期限が迫ったときに「資金がまだ集まっていない、でも今出さなきゃ特許が取れない」という状況があって。そこで経営陣全員で給料ゼロを決めて、2000万円を特許に全振りしました。
池田:相当なご決断でしたね。
鈴木:正直きつかったです。でも「株を取られたら自分たちの地震犠牲者ゼロの理念が守れない」という思いがあって。資本主義の論理では“貧乏人は口を出すな”がルールですが、それでは僕らの使命は果たせません。バリュエーションを上げて資金調達しなきゃいけない、でも急いだら理念が揺らぐ。こうした“矛盾”を抱えながら進むしかないんです。

池田:前線で挑まれている鈴木さんだからこそ、お一言ずつに重みを感じます。そのような“矛盾”を抱えられながら事業継続する際、何が大切とお感じになられていますか。
鈴木:やはり大切なのは、使命を持った仲間です。僕が一度、体調を崩して「明日自分が死んだら会社が止まってしまうかも」と思ったとき、共同創業者たちが言ったんです。「鈴木さんが亡くなったら、僕らもっと頑張りますよ。だからワクワクします」って(笑)。普通は「それは困る」って言うところじゃないですか。彼らは本気で、“この会社を続けること”ではなく、“本当に世の中を変えること”をモチベーションに働いてくれているんです。
結局、会社ってお金がなくなって潰れるんじゃないんです。潰れるのは、トップが「もう無理」と諦めた時。逆に言えば、諦めさえしなければ道は開かれると信じています。だから、私が大事にしているのは、どうやって使命を持ち続けられるか。そして、そのエネルギーを周囲にどう伝播させていくかなんです。社内はもちろん、組織の壁を取っ払って仲間にしていくことも重要です。世界の各分野のトップをチームに引き込んで、越境という概念がなくなるくらい総力戦に持っていきたい。
池田:鈴木さんが、仏教哲学の空(くう)という概念に行き着かれる理由が少し分かったような気がします。
鈴木:顧問弁護士の一人とは、特許取得のための資金繰りが苦しい時期に出会いました。大手リーガルファームに所属し、“The Best Lawyers in Japan” にも選出される凄腕弁護士です。
厳しい資金状況を率直にお伝えしたところ、「この難題に真正面から挑み、より高みを目指そうとしているチームだからこそ関わりたい」と言ってくださり、現在はプロボノ(無償で専門性を提供し社会貢献を行う支援)として力を貸していただいています。
この関係性は、合理性や損得勘定だけでは決して築けるものではありません。スタートアップは、資金調達と成長を同時に進める構造上、資金が潤沢な時期と厳しい時期が循環するのが常です。そして資金以上に、掲げる目標が大きいほど、多くの障壁が次々に現れます。その度に、事業主体である私たち自身が問われます。
――困難を乗り越えるのか、それとも諦めるのか。
『順境良し、逆境さらに良し』という松下幸之助の言葉がありますが、私自身を振り返れば、真に成長した時期は順境ではなく、先が見えない苦境の中で腹を括り、乗り越えようとした時。逆境こそ、人を大きく成長させる機会であると心底実感しています。
こうした緊張感のある環境で挑戦を続ける中、前向きに伴走してくれる専門家やパートナーが世界中から集まりつつあります。その存在が、事業を継続し、前へ進めるための大きな推進力となっています。もちろん、困難ばかりではなく、時折訪れる成功体験は砂漠の中のオアシスのようにチームにとって大きな励みとなります。
使命の実現に向けて共に歩む仲間がいる限り、私たちの希望が途切れることはありません。
池田:本日はたいへん貴重なお話をありがとうございました。