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勝つ人生から、みんなで支え合っていく人生へ──小林味愛氏が対話から見出した「地域と都市」の間で生きる意味|政策現場から見る『官民共創のイノベーション』vol.7

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「誰か一人にでも役立っている実感がほしい」。そんな思いを胸に、東京から、桃の産地として名高い福島県国見町へと拠点を移し、農業の生産現場に身を置いてきた小林味愛氏。2017年に創業した「陽と人(ひとびと)」では、農産物の販売や商品開発、地域と都市をつなぐ関係構築までを一貫して担い、地域社会に根ざしたビジネスを展開しています。

こうしたあり方は、短期で指数関数的な成長を目指すユニコーン企業(評価額10億ドル以上の未上場スタートアップ)に対して、長期目線で持続的な繁栄を重視するゼブラ企業(経済性と地域社会への貢献を両立する新たな企業)と呼ばれ、政策領域としても注目されています。

経済産業省やコンサルティング会社での経験を経て、なぜ彼女は縁もゆかりもない福島に飛び込んで起業したのか。競争を勝ち抜いて上場を目指すスタートアップでも、非営利のNPOでもない、ゼブラなあり方とは。

シリーズ『官民共創のイノベーション』vol.7では、株式会社陽と人代表取締役の小林味愛氏にお話を伺いました。インタビュアーは、政策・共創領域で数々のプロジェクトを推進してきた経済産業省の池田陽子です。東京と地方、経済合理性と感情、5年かかるといわれる果樹栽培の時間軸。そうしたはざまで、小林氏が日々対話を重ねながら見出した“豊かさ”とは何か。丁寧に紐解いていきます。

小林味愛
株式会社陽と人代表取締役/株式会社ゼブラアンドカンパニー社外取締役/「未来を選択する会議」共同代表
東京都出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、衆議院調査局入局、経済産業省出向、株式会社日本総合研究所を経て、福島県国見町に株式会社陽と人設立。
福島県の規格外農産物の流通など福島の地域資源を活かして地域と都市を繋ぐ様々な事業を展開。あんぽ柿の製造工程で廃棄される柿の皮を活用したフェムケアブランド『明日 わたしは柿の木にのぼる』は、第9回環境省グッドライフアワード特別賞など数多くの賞を受賞。商品の販売に留まらず、経済産業省フェムテック実証事業など、女性の健康課題に関する研修など医療の専門家と連携しながら様々な普及啓発活動も行う。
内閣官房、復興庁、内閣府など政府の委員も複数務める。子育てをしながら福島と東京の2拠点。

池田陽子
経済産業省 競争環境整備室長/経済産業研究所コンサルティングフェロー
長野県出身。2007年東京大学卒業後、経済産業省に入省。専門分野は、イノベーション政策、ルール形成、グローバルガバナンス。内閣官房では政府全体のスタートアップ政策を統括。近著に『官民共創のイノベーション 規制のサンドボックスの挑戦とその先』。これまで携わったスタートアップ政策、対GAFAのデジタルプラットフォーム規制、出版の功績を評価され、Forbes JAPAN「Women in Tech」に選出(なお、本連載において、事実関係に関する記載以外の部分は、コンサルティングフェローの立場による)。

INDEX

原点は、経産省で「ローカル・グローバル経済圏」政策と出会ったこと
コンサルに転職──福島復興案件にのめり込むうちに感じた違和感
福島に移住──“本当の困りごと”を知りたくて、草むしりから始めた信頼構築
「陽と人」が目指すのは、“関わるすべての人を仲間にできる社会”
人口減少時代を切り開く鍵は、「対話」がもたらす

原点は、経産省で「ローカル・グローバル経済圏」政策と出会ったこと

池田:私自身、長野県で生まれ育ち、ゼブラ企業にとても関心を持っています。小林さんは、本連載のテーマである「越境」を体現されていらっしゃるキャリアパスなので、順に伺っていきたいと思います。

小林:2010年、キャリアの最初は衆議院事務局から始まりました。政治学科出身で、政治の“裏舞台”に興味があったのが理由でした。衆議院事務局は採用人数が非常に少ないのですが、その分若いうちから役所や大使館への出向機会、留学機会に恵まれているんです。色々な場所に影響を与えられるのがいいなと思って。

池田:それで3年目に経済産業省に出向されたのですね。

小林:そうなんです。実は希望は外務省に出していたのですが(笑)。しかも配属先は産業組織課という会社法改正の担当部署。民法改正やコーポレートガバナンス・コードの検討が重なる「コポガバ改革元年」のような時期にあたってしまい、私は法学の素地が全くなかったので、最初は苦労しました。

池田:今ちょうどお隣の課なのでイメージはとても湧きますが、専門用語も多いですし、いきなりだと大変ですよね。

小林:はい、会社法や民法の改正に関わることになったんですが、まったく意味がわからなくて。同僚からは「本を読めば分かるでしょ」と言われるような環境でしたが、私は本当に理解できなかったので、働きながら通信教育で司法試験講座を受けて、基礎から学び直しました。

池田:そこから努力できることがすごいですね。次第に面白さも見えてきましたか?

小林:はい。次に、産業競争力強化法という新しい法律を立案する担当になって。2013年に成立しましたが、まさに立法の現場で、法律と同時に政省令も並行して作るという、非常に密度の高い時間でした。その中で当時、経済産業政策局の審議官だった西山圭太さんと出会ったことが、今に至る原点になりました。

池田:「異能の経産官僚」「天才」と呼ばれて名高い方ですよね。どのような出会いだったのでしょうか?

小林:西山さんは、当時まだ誰も大きな声で言っていなかった「人口減少が意味する構造的変化」について先見的な問題提起をしていたんです。「このままでは、地方のサービスが維持できなくなる」「今の競争政策の概念を地方経済にそのまま当てはめると整合性がとれなくなってしまう時代が来る」とすでに言語化されていたものの、当時の私には意味が全然分かりませんでした。

池田:私も西山さんから多くを学ばせていただきましたが、ビジョナルな方で、時代の方がだいぶ後からついてくることになるんですよね。分からない中で、どのように理解を深めていかれたんですか?

小林:正直に「分かりません」と聞きに行きました。何度も西山さんのところに通っているうちに、「じゃあ一緒に考えてみようか」となり、ローカル経済圏[1]とグローバル経済圏[2]を分けて捉える、という政策検討に携わるようになりました。

[1]ローカル経済圏・・・域内(市内、県内)に売る経済圏
[2]グローバル経済圏・・・域外(県外、都市部、海外)に売る経済圏

池田:今でこそ、L型、G型と普通にいわれますが、そうやって“ローカル経済圏”の視点が芽生えていったんですね。

小林:はい。医療、介護、教育、買い物など、地域住民の生活を支えるサービスは、その地域の中で完結するものです。人口減少によって市場が縮小すると新規参入が難しくなるので、自然と独占状態になってしまいます。そこでサービスの質や持続性をどう担保するかが問題になるのです。

一方で、観光業や農業など地域の資源を外に売って稼ぐ分野は“グローバル経済圏”として区別されるべきだと。その二つを経済政策として分ける必要性を、西山さんと一緒に考えていく中で強く感じました。

池田:“ローカル・グローバル経済圏”政策に触れた原点を伺えて光栄です。

小林:ただ、当時は抽象的な議論が中心で、「実際に地域で何が起きているのか」が見えていませんでした。私は東京生まれで地方の現場感がなく、“具体と抽象の行き来”がうまくできなかったんです。それが限界だと感じて、全国各地の現場に出られる環境を求めて、日本総研に転職しました。

コンサルに転職──福島復興案件にのめり込むうちに感じた違和感

池田:日本総研に移られてからのことを教えてください。

小林:ローカル経済圏への興味に加え、社会人1年目に経験した東日本大震災の影響もあって、福島復興への想いが強かったんです。だから日本総研でも、自ら手を挙げて福島案件ばかり担当していました。

池田:実際にどのような仕事をされていたんでしょうか?

小林:多岐にわたるプロジェクトに関わりました。たとえば、浜通りでは原発事故の影響で営農再開が進んでいなかったので、「これからどんな作物を作れば産業として成り立つのか」といった市場調査や計画づくりをしていました。

会津では、日本酒離れが進む中で、若い人たちにどうやって伝統産業としての日本酒に関心を持ってもらえるかというプロジェクトにも関わっていましたね。

中通りの方で高校がない地域では、若者がどんどん流出していく中、「子どもたちのニーズが見えない」と悩む自治体職員のために、若者が集える場づくりの支援もしていました。本当に、草の根レベルの仕事をたくさんやらせてもらいました。

池田:そこから起業に至るまでにはどんな心境の変化があったのでしょうか?

小林:一番大きかったのは、「こういうビジネスモデルって、本当に誰かの役に立っているんだろうか?」という違和感が湧いてきたことです。私は元官僚で、そもそもBtoG(Business to Government:企業が地方自治体などの行政機関を相手にサービスを提供するビジネスモデル)という発想に疎かったんです。でも、コンサルとして活動していくうちに、復興予算が、驚くほど高額な案件として東京の企業に流れていく現実を目の当たりにしました。

池田:現場に入り込んだからこそ逆に見えてきてしまったと。

小林:はい。本来は福島の復興のために使われるべきお金なのに、実際には、“魂がこもっていない計画書”を作るだけのような案件も少なくなく、矛盾を感じるようになりました。予算執行上、実働期間は半年程度にならざるをえず、そんな短期間で地域に本当にコミットできるんだろうかと。自分は本気で福島の役に立ちたいと思っていたのに、どこか“自己満足”に思えて、気持ちがついていかなくなってしまったんです。

池田:率直にありがとうございます。

小林:もうひとつ衝撃的だったのが、“お金の重さ”についての気づきでした。当時の私は20代後半で、上場企業役員並みの多額の報酬をいただいていたんです。だけど、地域経済を元気にしようというのに、地方のお給料は全く上がっていかない。この構造に強烈な違和感を持ちました。

私はそれまで「お金=数字」としか捉えていなかったんです。でもその時に、お金には「色がある」、つまり、中身に納得していない状態でお金をいただくことは“生きづらい”と気づきました。すべてに愛がなくなっていって、自分を見失ってしまった時期でした。それでもう、「こんな思いで働くくらいなら、福島の誰か一人にでも“ありがとう”と言ってもらえる仕事をやろう」と。それで、縁もゆかりもなかった福島に、単身移住を決めました。

福島に移住──“本当の困りごと”を知りたくて、草むしりから始めた信頼構築

池田:福島に移住されてから起業に至るまでのストーリーを教えてください。

小林:本当に何も決めずに、とりあえず「現場に飛び込んでみた」というのが正直なところです。東京でスタートアップを起業すると、やりたいビジネスアイデアがあって、成長のロジックモデルを組み立てて、エグジットプランを描くのが主流じゃないですか。でも、公務員時代、コンサル時代と、何百という計画策定に携わってきた私は、計画というものは「魂がなければ意味がない」と思い至っていました。

池田:そのとおりですね。

小林:だから私は、自分の意思はさておき、この地域の人たちが「何をしてほしいのか」を知ることから始めようと思いました。でも、“本当の困りごと”って、役所やコンサルがよくやるようなアンケートとかヒアリングだけでは絶対に見えてこない。どうしても問いの設計に聞き手の主観が入ってしまっていて、答えられない、あるいは“答えたくない”空気すら感じていたのです。

池田:本来コミュニケーションは、相手に応じた手法を選ぶところから始まりますよね。

小林:はい。だから私は、草むしりをしたり、畑の手伝いをしたり、ただ一緒に時間を過ごすところから始めました。とにかくまず信頼関係を築かないと、本音は見えてこないと思ったんです。最初は本当に何も教えてくれませんでしたけど、1年経つ頃には「あいつは意外と折れねえな」って噂になって(笑)。ようやく少しずつ、本音で話してもらえるようになりました。

池田:小林さんだからこその誠実で地道な向き合い方、素敵です。

小林:地域の中には、法的には“売買契約”でも、感覚としては“信託契約”に近い関係性がたくさんあるんです。たとえば、桃農家の方が「俺の大事に育てた桃をお前に託す」と言ってくださる。東京だと「高く買ってくれる人に売る」ですが、この“託す”という感覚が分かっていないと、地方ではビジネスは成り立たないんです。いくらお金があっても、信頼がなければ何も始まらない。

池田:信頼関係を築かれる中で、どのように事業の方向性は固まっていったのですか?

小林:私は“人生は探求だ”と思っていて。まずは、目の前の人が何に困っているのかを「純粋に知りたい」を起点に、いろんな人の話を聞くうちに、私が貢献できるのはグローバル経済圏だと。「人口減少・高齢化が進むこの小さな町で外貨を稼げる仕組みが作れたら、地域の人も喜んでくれるし、日本にとっても希望になるのでは」と思うようになり、2017年に「陽と人」を創業しました。

池田:人生は探究というお考えにとても共感しますし、ここで経産省での経験とつながっていったんですね。

小林:はい。そして私は、農業も流通も知らなかった元公務員です。だからこそ、私ができるなら誰でもできるという「模倣可能性のあるビジネスモデル」にこそ価値があると思いました。ビジネス的に「勝つ」という感覚はありません。誰とも戦わず、誰でも真似できるものを作って、経済として成り立てばいいという考えです。

池田:なるほど。競争ではなく、共存と持続性の論理ということですね。

「陽と人」が目指すのは、“関わるすべての人を仲間にできる社会”

池田:ゼブラ企業が追求する“社会的インパクト”や、資本主義との接続について、さらに知りたいです。

小林:はい。

池田:興味深いのは、小林さんが「参与観察」をされていることです。文化人類学などの研究手法ですが、私もサイバーダイン社のケーススタディ論文を書いた時に使ったり、好きなアプローチなんです。コミュニティに直接入り込んで、日々行動を共にしながら観察し、相手のOS(オペレーティングシステム)を理解していくという。

小林:そうですね。本当に毎日が発見の連続です。たとえば商品開発でも、「ゼリー」を作りたいと工場に相談しても、「ゼリーは作ったことがないので無理」と返される。でも、実はその工場で「ピューレ」を作ったことはあり、設備もある。だから、「ピューレを瓶に詰めることはできますか?」と聞いてみると「それならできる」と。ゼリーを作るとは言っていないけれど、結果的に、瓶詰めのピューレこと、ゼリーができているんです(笑)。お互いのOSが違っても翻訳ができればいい。そういう“言い換え”や“すり合わせ”が現場では本当に大切です。

池田:尊いエピソードですね。神は細部に宿るといいますが、“社会的インパクト”つまり社会の変化って、そうした「小さな」事象の積み重ねからこそ生まれると思っています。

一方、地方創生の文脈で、都会からの移住者がなかなか定着しなかったり、地元民との軋轢が生じるケースもあると聞きますが、どう見られていますか?

小林:正直、合わなければ出ていけばいいというのが私のスタンスです(笑)。でも、お互い様でもあるんですよね。福島県内でも、浜通り、中通り、会津ではまったく文化も気質も違うし、地域ごとの“肌感”は行ってみないとわからない。

私も会津で最初はよそ者と警戒されました。でも、地元に伝わる「会津の三泣き」(※)という言葉があるくらいで、最後には「帰りたくない」と泣くようになるんです。(※)①よそ者への厳しさで泣き、②慣れると人情の深さに泣き、③去る時には別れがつらくて泣く

池田:関係構築にあたって、あらためて何が一番大切だったと感じられますか。

小林:やはり、私が彼らに興味を持って話を聞き続けることで、彼らも私に興味を持ち、考え方が変わっていったように思います。その結果、たとえば最初は「女のくせに」と言われていたのが、今では「男も女も関係ない。死ぬ前にこういう感覚を持てて良かった。」と言ってくれるおじいちゃんがいる。外ものに対して偏見があった人が、「味愛ちゃんのことが大丈夫なら、外国人も大丈夫だ。」と言って、外国の住民にも偏見なく接するようになった。外部から入ってきた人間に対する寛容さが、少しずつだけど確かに育ってきているんです。

池田:そうした変化こそ、まさに“社会的インパクト”ですね。

小林:そうなんです。本当の意味での社会変革って、数値化しづらい“空気”や“気持ちの変化”の中にあると思っていて、こういうプロセスの繰り返しこそが大切だと思っています。

でも、資金調達の場面では、財務価値以外の、そうした“社会的インパクト”を説明するためにロジックモデルや数値に落とし込まなければいけない。そこがジレンマですね。

池田:今のゲームのルールである資本主義との接続点で、どうバランスを取るかが問われるところですね。

小林:はい。だからこそ、基盤となる“契約”がすごく大事で、契約書は一言一句細かくチェックしています。大企業やVCによる出資契約から事業者間の売買契約まで、契約書を開いてみたら一方的な条項がゴロゴロあることはめずらしくありません。でも、契約って企業の人格そのものだと思うんです。だから私はすごく気になるし、ゼブラ企業に必要な対等でフラットな契約モデルがもっと社会に広がってほしいと切に願います。

池田:資本関係や取引関係、そして地域に根ざす“空気”まで、信頼にもとづく対等な仲間作りの姿勢が貫かれていますね。

小林:そう言っていただけると嬉しいです。結局、私たちが目指しているのは「関わるすべての人を仲間にできる社会」です。

人口減少時代を切り開く鍵は、「対話」がもたらす

池田:転職や起業、福島移住などさまざまな越境を重ねながら、今振り返って、ご自身の価値観に変化はありましたか?

小林:生産者の方々と本音で話せるようになるまで1年かかったのはお話したとおりですが、その過程でたくさんの問いを投げかけられたんです。「味愛ちゃんは、なんでそんなに頑張ってるんだ?」って。それまで自分の中で疑問にすら思ったことのない問いでした。

池田:小林さんの側にも、対話を通じて気づきがもたらされていたのだと。

小林:はい。私、いわゆる典型的な“勝ち組”の世界にいました。受験や就活など「正解」を勝ち取ってきた人生で、戦って成果を上げることが当たり前だと思っていました。でも、福島ではそういう価値観が通用せず、ただただ不思議に思われてしまった。そのとき初めて、「自分の人生を自分で決めていなかったかもしれない」「社会で正解とされることを選択していただけかもしれない」と気づきました。

池田:張り詰めていた糸が緩んでいった感じがしますね。

小林:まさにそうです。経産省時代の同僚にも「顔が変わったね」と言われました。昔は「鉄の女」なんて呼ばれるほどで、人を追い詰めてでも結果を出すタイプだった(笑)。でも今は、相手が遅れても仕方ないし、人にはそれぞれリズムがある、と自然と思えるようになりました。

池田:そうした感覚の変化は、事業にも影響を与えていますか。特にゼブラ企業の成長スピードについての考え方を伺いたいです。

小林:大きく影響しています。ビジネスって、つい「どうやって成長させるか」「どこで差別化するか」って話になりがちなんですけど、私が大切にしているのは「誰と一緒にやるか」「その人が幸せになれるか」ということなんです。

池田:「勝つ」ことではなく、「続けられること」が重視されていると感じます。

小林:はい、農業の世界ではなおさらです。果樹は苗を植えてから収穫まで最低でも3年、普通は5年かかります。生育は天候に左右されるし、焦ったところで果実は実りません。こういう果樹栽培に流れる時間やお天気任せのリズム感の中で、「急成長」「スケール」といった言葉は、むしろゆがみを生み出すリスクになってしまう。だから、いかに地域のリズムを崩さずに持続可能な形で外貨を稼ぐかという方法を模索しています。

池田:都会のビジネスの論理やスピード感と接点を持たなければいけない場面もありますよね?

小林:そこが私たちの大きな役割なんです。生産者と消費者の間には、情報の非対称性がある。私たちはそのギャップを埋める存在です。たとえば、なぜこの価格になるのか、なぜこの時期に出荷が難しいのか、といった背景をきちんと伝える。それによって市場が適正に形成され、信頼も生まれます。

人口減少という構造的問題に直面し、農業生産者が減少する中で、需要が供給を上回れば、生産現場の価格決定権や交渉力は高まっていきます。だからこそ、私たちがビジネスの体制を整えておくことは合理的ですし、持続可能で適正規模の経済をどう実装するか問い続けています。

池田:両者の“翻訳者”であり“橋渡し”ですね。

小林:そうですね。社員にもよく伝えているのですが、私が一緒に草むしりから始めたように、自分の視点や常識を一旦置いて、まずは相手のOSを理解することがとにかく大事です。相手がどんな文化を持ち、どんな歴史を経て、なぜ今の形になっているのか。そういうことに興味を持って、徹底的に聞くことです。そこから信頼が生まれ、初めて対話が成立します。

池田:それを、地方の生活感覚を知らない都市部の人たちに伝えることはできると思いますか?

小林:もし興味があるなら、ぜひ実際に“その場”に身を置いてみてほしいです。ただ旅館に泊まるのではなく、農作業を一緒にしたり、地域の人と時間を共にする。そうすると、「ロジック」や「効率」だけでは測れない価値が自然と見えてくるはずです。社会的インパクトや持続可能性って、机上の論理ではなく、まず身体で「実感」するものだと思っています。

池田:昨年10月には、「未来を選択する会議」(議長:三村明夫・日本製鉄名誉会長)の共同議長に就任されましたね。

小林:本格的な人口減少時代をどう生きていくか、そのハンドルを自分の手に取り戻そうと、民間主導で「対話」の場を立ち上げました。福島で実践してきたとおり、正解探しでなく、“声にならない声”を聴き、世代や立場を超えた対話を通じて、持続可能で活力ある社会づくりをめざします。

池田:私も、今一度、目の前のおひとりおひとりと大切に向き合いたい気持ちになりました。今日はありがとうございました。

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