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2019年は「多様性との向き合い方を考えさせられた」。 英治出版編集長が振り返る今年を象徴する本5選

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“Publishing for change”すなわち、「出版事業を通して変革を支援する」ことを会社のキーフレーズに掲げる英治出版。代表取締役含め、社員ほぼ全員が異業種からの転職者であり、出版業界未経験者である。しかしながら、『イシューからはじめよ(2010)』『異文化理解力(2015)』『ティール組織(2018)』など、日本におけるビジネス書の金字塔ともいえるベストセラー書籍を数多く世に送り出してきた、異色の出版社でもある。

同社で編集長を務める高野氏の言葉を借りれば、「わざわざ書籍にする意味をよく考え」ることが、そうした良書を生み出す秘訣と言える。新刊の企画会議で、共通の認識としてプロデューサー間で(同社では編集者、営業といった肩書きはなく、みんな一律にプロデューサーとする)確認するのだそう。ネットの記事で代替できるような時事性の強い本ではなく、読者にとって何回読み返しても学びが広がるような、簡単に陳腐化しないものを出版する。「絶版にしない」ことを基本方針とする英治出版の信念を踏まえても、読者にとって新たな世界への扉を開く、良質な肥やしとなる良書が生み出される。

そうした志向は、高野氏の個人的な選書の基準にも相通ずる部分があると言う。そんな活字や世間の情報に選球眼のある高野氏に、2019年を象徴する本を5冊挙げていただいた。年末年始、ゆるりと体を休めながらも、良質な栄養を脳にインプットするのはいかがだろうか。

INDEX

2019年は「多様性との向き合い方を考えさせられた」年
『インテグラル理論――多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル』
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
『西洋の自死――移民・アイデンティティ・イスラム』
『いまこそ経済成長を取り戻せ――崩壊の瀬戸際で経済学に何ができるか』
『こども六法』

高野達成
英治出版株式会社 取締役編集長。大分県出身。九州大学法学部卒業後、日本銀行を経て2005年に英治出版へ転職。経営企画、ビジネス書や社会書の企画・編集に従事。編集担当書は『国をつくるという仕事』『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『学習する組織』など。

2019年は「多様性への向き合い方を考えさせられた」年

推薦書とともに2019年を振り返り、「多様性の価値や可能性を改めて感じるとともに、世界にある分断の根深さや異なるものを統合することの難しさも意識させられた」年だったとする高野氏。たとえば外国出身者の多いラグビー日本代表の活躍は、多様性の力を象徴する出来事だった。一方で、欧州の政治混乱、イスラム過激派テロ、香港危機、日韓対立など、さまざまな溝が浮かび上がった年でもある。

マスメディアでは安易に白黒つけたり批判するだけの姿勢が目立つが、現実の難しさを見つめ、望む未来をねばり強く創っていく姿勢が必要だと語る。世界の複雑さが増しているからこそ、「わかりやすい答え」に走らず、「より誠実で、事実に基づいた情報や、現実を見つめることが求められている。2020年は、そうした態度がより広がっていくのではないか」と続ける。

『インテグラル理論――多様で複雑な世界を読み解く新次元の成長モデル』

ケン・ウィルバー著、加藤洋平監訳、門林奨訳、日本能率協会マネジメントセンター

高野人間の社会、組織、世界を包括的に、バランスよく考えるための枠組みを示している本です。意識の発達段階を色で表したモデルが特徴的で、昨年弊社で出版した、次世代の組織を論じた『ティール組織』や近年注目されている成人発達理論の土台にもなっています。『多面的な見方』が必要だとよく言いますが、それを可能にするのがインテグラル理論です。物事を考えるときに複数の視点から見る、そのための汎用的なフレームワークを示しているのです。一見するとバラバラな事象に共通項を見出したり、同じようなものの中に差異を見出したり、ある好ましい考え方の一方には負の側面もあることを示したりと、バランスのとれた見方、多様性と統一性の両方を尊重する考え方を示し、ビジネス、政治、教育など、さまざまな分野でのその有効性を説いています。一度2002年に邦訳が出て、絶版となっていましたが、17年後の今年新訳で復刊され、非常に話題になりました。時代が追いついたというべきでしょうか。今まさに求められている考え方だと思います」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

ブレイディみかこ著、新潮社

高野「『多様性が力になる』は事実。一方で、多様性がもたらす現実の難しさを見て考えるべきことの必要性も感じます。著者はアイルランド人の夫をもつ、英国在住の日本人。貧しい労働者階級の子たちが通う中学校に通うことになった中学生の息子さんが、貧富の差や人種差別、いじめなどと向き合う様子や、多文化が入り混じる社会の中でいろんな問題に折り合いをつけていこうとする姿がエッセイ風に描かれています。人種差別の話があちこちに出てきますが、貧しい人への差別もあり、階級の違いもある。移民の中にもいろいろな人種がいるし出身国も違う。さまざまな『違い』が絡み合う現実の中で、良い人間関係やコミュニティを作っていくことの大変さを思わされます。一方で、貧しい友人に物をあげるとき、相手を貶めてしまうのを恐れて立ちすくむ大人とは対照的に、子どもは『友達だから』の一言で自他の違いを越えられたりもする。印象的なエピソードが満載です。多様性の孕む複雑さや難しさにどう向き合うか、多くの気づきがある良書です」

『西洋の自死――移民・アイデンティティ・イスラム』

ダグラス・マレー著、町田敦夫訳、東洋経済新報社

高野こちらが多様性の中で生きることの現実を庶民のミクロな視点から描いた本だとすると、本作は西洋社会が多文化共生の中でどんな課題に直面しているかをよりマクロに捉え、非常に詳しく綴った一冊です。イスラム系移民の流入によって欧州各国で社会不安が広がり、さまざまな軋轢が生じています。難民受入自体は善良な動機によるものでも、異なる文化や価値観を持つ人々が共に暮らすのは大変なこと。この本で印象的なのは、政治家による安易な楽観やメディアが流布する表面的な正しさ、ポリティカルコレクトネスによって事態が悪化してきたことです。移民により地元住民が被る女性差別などの深刻な問題に、レイシストと批判されることを恐れるメディアや政治家は見て見ぬふりをする。不満を持つ人々の間には極右勢力への支持が広がり、対立が深まっていく。『多様性を受け入れる』という理想が現実の直視を妨げ、問題が深刻化する悪循環を俯瞰的に説明しています。寛容な社会に不寛容な文化が入ってきたとき、どう対処するのかという問いを突き付けられます。日本でも似た状況が起こり得ると感じました。改正入管法も施行され、ますます多様化が進む中、世界の状況を踏まえて自国の未来を考える上で有益な本だと思います。」
(編集部注)2018年末出版のため、今年の本として採用

『今こそ経済成長を取り戻せ――崩壊の瀬戸際で経済学に何ができるか』

ダンビサ・モヨ著、若林茂樹訳、白水社

高野「タイトルは経済書の印象ですが、内容はむしろ政治の本です。先進国の経済成長率の低迷は民主主義の劣化がもたらしており、経済成長のためには政治を変える必要がある、と説いているのです。民主主義の劣化とは、端的にいえば短期志向の政治です。ポピュリズムによって本質的課題の解決が先送りされ、バラマキ型の福祉政策や保護主義的な政策がとられ、それが経済に悪影響を及ぼす状況が各国で起きているといいます。この本の特長は、そうした課題を解決するための具体策を提示するところです。政治家に長期的政策へのコミットを促す仕組みのほか、投票の義務化や、投票システムの改革などを提言しています。おもしろいのは加重平均の投票制度。本書内では有権者にテストを課して知識レベルに応じて票に重みづけをする案が示されていますが、たとえば、子どものいる人の票は2票分にして未来への志向が反映されやすくする、といった案も考えられます。票の格差は大問題になるので実現のハードルは高いものの、検討に値するアイデアがたくさんあると感じます。ポイントは、経済成長の基盤は健全な民主主義だということ。民主主義をより良質なものにする必要があるということは、ビジネスパーソンも持つべき視点だと思い選びました」

『こども六法』

山崎総一郎著、弘文堂

高野こどもにもわかる言葉で、刑法、刑事訴訟法、民法、民事訴訟法、憲法、少年法、いじめ防止対策推進法を解説した本です。通常の六法と違って、こどもに関連の深い法律を選んでいます。もともと、いじめや虐待に悩むこどもたちのために、法律で身を守ってほしい、人権について知ってほしいといった思いから作られた本だそうです。今年もいじめや虐待のニュースを多く耳にしました。法だけですべてが解決するものではありませんが、法律を知ることは大きな力になるはずです。そしてこの本は、こども向けの体裁ですが、大人こそ読むべき本とも言えます。普通の法律書は大人でも読みにくいですよね。だから大人もこの本を読んでおくとよいと思います。大人にはこどもを守る義務がありますから。法律は複雑で多様な社会を一つにまとめるツールでもあります。主要な法律の根底にある思想や価値観を学び、皆で共有しておくことは、社会の基盤を強くすることになるのでは

あなたにとってこの1年はどんな年だっただろうか。高野氏の推薦文が琴線に触れるようであれば、ぜひ、年末年始に来る新年に向けて一冊手にとってみては。

企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:小泉悠莉亜
撮影:安東佳介