「いいものなのに、なぜ誰も知らないのか」農業のアップデートにつながる“グルタチオン”の可能性に賭けるWAKU
NEW読了時間:約 8 分
This article can be read in 8 minutes
ここ数年、スーパーの野菜コーナーで首をかしげることが増えた。トマトが高い、ネギが高い。その背景にあるのは、単なる物価上昇だけではない。猛暑をはじめとする気候変動が、作物の収量に影響を与えている。
この連鎖を断ち切る手段として、農業スタートアップのWAKUが着目したのが「グルタチオン」。化粧品の美白パックに使われているほど身近な成分でありながら、農業領域ではほぼ無名の成分のままだ。
ENEOSの新規事業プログラムでこの成分と出会った3人は、大企業を飛び出した。だが、会社を辞めて2ヶ月で最初の事業は消える。岡山の古民家でルームシェアをしながら、それでもこの成分に賭け続けている3人の話を、COOの片野田大輝氏に伺った。

片野田大輝
株式会社WAKU 取締役COO
一橋大学卒業後、JXTGエネルギー株式会社(現ENEOS株式会社)入社。同社にて高機能化学品の海外マーケティング・営業及び上海支社での拠点管理業務を経験。2022年7月、CEOの姫野と共に株式会社WAKUを創業。上海での駐在経験があり、中国語が堪能。学生時代はラグビー部に所属。
ポイント
・化粧品などで身近な成分「グルタチオン」を農業資材へ転用し、猛暑下でも作物の収量を確保するという新たなアプローチ。
・普及を阻んできたのは技術や効果ではなく価格構造のミスマッチという洞察と、製造プロセス見直しによる低コスト化。
・基準が未整備なバイオスティミュラント市場において、使用タイミングまで伴走しLTV最大化を狙う「売りっぱなしにしない」営業体制。
・ENEOSの新規事業プログラムから独立し、退職2ヶ月で初期事業を失いながら資材開発へ転換した再起の軌跡。
・国内普及と並行した欧州展開、ペットサプリや重金属汚染の浄化まで見据えるグルタチオンの応用可能性。
INDEX
・なぜ、いまグルタチオンなのか
・「売りっぱなしにしない」メーカーの戦略
・大企業を辞めて2ヶ月で、事業が吹っ飛んだ
・食料問題という、でかい問いへ
なぜ、いまグルタチオンなのか
――まず、グルタチオンとはどのような成分なのか聞かせてください。
片野田:アミノ酸が結合した化合物で、人間の体内にも植物にも自然に存在しています。ドラッグストアで美白パックに「グルタチオン入り」と書いてあるのを見たことがある方も多いと思いますが、化粧品や美容品によく使われている成分です。体内では抗酸化作用を持ち、活性酸素を除去する役割を果たしています。
――植物にとっても、同じような働きをするということでしょうか。
片野田:そうです。植物も暑さや乾燥でストレスを受けると、活性酸素が発生して細胞にダメージを与えます。ニュースでよく見かける「野菜が高くなった」という問題も、根本をたどると気候変動による猛暑で作物が育ちにくくなっていることが原因のひとつです。グルタチオンを外から与えることで、そのストレスを和らげて生育をサポートできます。
試験圃場では収穫量が増加したという結果が出ています。味がよくなるといった質の向上ではなく、夏場なかなか育ちづらくなっていたものが、ちゃんと夏場を乗り越えて育てられるようになる。その結果として収量が確保できる、ということですね。

――化粧品でも使われているほど広く知られた成分なのに、農業ではほとんど普及しなかったのはなぜなのでしょうか。
片野田:グルタチオンを使った農業資材を販売している会社は、実は我々以外にも存在しています。ただ、農業の現場でグルタチオンの存在を知っているのは、体感で1%ぐらいでほとんど認知されていないのが現状です。
原因はおそらく価格のミスマッチだと考えています。グルタチオンはもともと医薬品や美容品向けに開発されてきた成分なので、価格帯が高い。農業に携わる生産者の方々はコストにとてもシビアですから、そのまま農業資材に転用しようとすると、どうしてもROIが合わなくなってしまう。技術や効果の問題ではなく、価格構造のミスマッチが普及を妨げていたのだと思っています。
――だからこそ、安く提供することがWAKUの出発点になっているのですね。
片野田:そうですね。本当にいいものなのに広まっていないなら、安く出せれば普及するはずだという考えが根本にあります。もともとENEOS社内でグルタチオンの農業活用を検討したこともあったのですが、大企業というフィールドでは実現できませんでした。それなら自分たちでやるしかないよね、というのが会社を立ち上げた出発点です。
「売りっぱなしにしない」メーカーの戦略
――グルタチオンを農業資材として広めていくうえで、どのような課題がありましたか。
片野田:実は、農業資材の中に「バイオスティミュラント」と呼ばれるカテゴリーがあって、我々の製品もそこに属しています。肥料の品質の確保等に関する法律や農薬取締法の対象外になるもの、平たく言うと農作物にとってのサプリのようなものが全部そう呼ばれているのですが、日本ではまだ明確な定義や基準が定められていないんです。
何が起きているかというと、どんな企業でも「これはバイオスティミュラントです」と言えば参入できてしまうので、品質にばらつきのある製品が溢れてしまっている。使ってみたけど効果がなかった、という経験をされている生産者の方がとても多いんです。
――そういった市場環境の中で、WAKUはどう戦っていくのでしょうか。
片野田:大きく2つのアプローチを取っています。1つ目は製造コストの削減です。グルタチオンを農業資材に加工していく製造プロセスを見直すことで、これまでより安く作れる方法を見つけました。
2つ目は、効果的なタイミングで使ってもらうための営業体制の構築です。グルタチオンは、与えるタイミングが合わないとコストパフォーマンスよく使えない成分なんですね。ただ渡すだけでは「高いお金を出したのに全然効かない」で終わってしまう。それだけは避けたいと思っていました。

――具体的にはどのような体制をとっているのでしょう。
片野田:我々のビジネスモデルは、メーカーである我々と生産者の間に農業資材系の会社が1〜2社入る形なのですが、そこと連携しながら「このタイミングで、こうやって使うからこれだけの効果が出る」ということをしっかり伝えていく活動をしています。
目指しているのはLTV(顧客生涯価値)の最大化です。効果がなかったものを翌年も使う生産者はいません。逆にちゃんと効果が出れば、来年も使ってもらえる。農業界では最初に小さなテストをして、そこで効果が出て初めて大きな面積での導入につながります。だからこそ、最初の試験をしっかりフォローすることが何より重要なんです。
――いわゆる「売りっぱなし」にしないということですね。
片野田:そうですね。業界でよくある売り方は、大量にサンプルを配って一定数に効果が出ればいい、というものだと思います。我々はそうではなくて、渡した分にはちゃんと効果を出して、次の大きな売上につなげていきたい。高価なものだからこそ、そこは手を抜けないと思っています。
――どんな作物に特に効果があるのでしょうか。
片野田:基本的にはどんな作物にも使えるのですが、特にいい結果が出ているのはネギやミニトマト、あとはキャベツやブロッコリーなどです。お米は市場規模が大きいのですが、面積あたりの収益が高くないので資材を使う回数も限られてしまう。
それよりも、ハウスで育てるミニトマトやピーマンのような果菜類の方が、面積あたりの収益が高いぶん投資対効果を出しやすいんです。意外なところでは、ゴルフ場の芝にも注目していただいています。夏場に芝が枯れてしまうことは、特に名門クラブにとっては評判に直結する大きな問題なので、需要があるんです。
大企業を辞めて2ヶ月で、事業が吹っ飛んだ
――片野田さんはもともとENEOSにいらっしゃいましたよね。WAKUを立ち上げるまでの経緯を教えてください。
片野田:私自身はENEOSで営業や管理、マーケティングといった仕事をしていて、農業とはまったく縁がありませんでした。きっかけは、社内の新規事業創出プログラムです。代表の姫野と毎年一緒に参加していて、そこでアボカドを大量生産する事業を考えていたときに、グルタチオンの研究者との縁をつないでくれた三橋(現CTO)と出会いました。アボカドは実がなるまでに時間がかかる果物なので、「早く育てられないか」と考えていたところに「グルタチオンが使えるかもしれない」という話になったんです。
――社内での検討はうまくいかなかったのでしょうか。
片野田:実際にアボカドの生産者に試してもらったら、苗の成長が目に見えて早くなっていて。「これはすごい」と思ったんですけど、グルタチオンを植物工場に応用しようとすると工場側の設計まで変えなければいけません。「そこまでして導入する必要があるか」という社内の議論になって、結局頓挫してしまいました。ただ、三橋はずっとこの成分を世の中に広めたいという思いを持っていて。代表の姫野が「自分たちでやろう」と言い出したのが始まりです。

――片野田さん自身はどうでしたか。
片野田:最初はとにかく反対していました(笑)。怖いし、嫌だと。そこで、最初はみんな会社を辞めずに副業として半年ちょっとやってみたんです。そうしたら、思ったより前に進む感覚があって。いろいろな人と話すなかで「ここを押せばこう動くかもしれない」というものが少しずつ見えてきた。副業でここまで進むなら、フルコミットしたら何か起きるだろうと思って、2023年3月にみんなで一斉に会社を辞めました。
――退職後はどうなったのでしょう。
片野田:最初に考えていた事業は、グルタチオンで林業の苗をたくさん作って、カーボン吸収につなげるというものでした。ところが、林業をやるには組合に入らないといけないのに加入できず、種が手に入らないから事業ができないということになって。会社を辞めて2ヶ月で、最初の事業が完全に吹っ飛びました。
――それは相当きつかったのではないですか。
片野田:岡山県に移って、三橋と古民家を借りて、引き戸一枚を隔てたルームシェアをしながらやっていたんですけど、三橋は全然落ち込んでいなかったですね。私も「ダメなら仕方ない、じゃあ次」という気持ちに切り替えて、それならグルタチオンを使った資材を自分たちで作ってしまおうという発想に変わっていきました。
――気持ちの切り替えが早いですね。
片野田:みんな根っからポジティブなんだと思います。ただ、「やっとトンネルを抜けた」と思ったら違うトンネルだった、みたいなことを200回くらい繰り返していて、今もまだ暗闇の中にいる感覚はあります。それでも前に進み続けられるのは、やっぱりこの成分に本当に価値があると信じているからだと思いますね。
食料問題という、でかい問いへ
――事業が軌道に乗り始めたのはいつごろでしょうか。
片野田:製品として正式に上市できたのが今年(2026年)の3月なので、まだ4ヶ月ほどです。試験自体は一昨年から1年以上続けてきていて、昨年の結果を見て「今年から買います」と言ってくださるリピーターも出てきています。ただ、まだまだ拡大フェーズですね。今はとにかくアクセルを踏まなければいけないタイミングだと思っています。開発がボトルネックだったフェーズを越えて、ここからは普及に力を入れていく段階なので、人材がいちばん必要な時期でもあります。
――今後の展開を教えてください。
片野田:国内での普及と並行して、次のステップは海外です。最初は欧州を考えています。日本でつくっている以上、どうしてもコストが高くなってしまうので、そのコストを吸収できる市場から攻めたい。欧州は大規模なハウスでパプリカやトマトを栽培しているケースが多く、そういった高付加価値の作物であればコストパフォーマンスが出せるはずだという仮説があります。
農業資材以外にも、グルタチオンを使ったペットサプリや、将来的にはグルタチオン自体の製造にまで踏み込んでいきたいと考えています。また、グルタチオン周りの研究から生まれた技術として、ウクライナなどでの重金属汚染の浄化にも応用できる可能性が出てきていて、そういった社会課題への展開にも取り組んでいます。
――WAKUが最終的に目指している世界観を教えてください。
片野田:日本では農業生産人口が減り続けていて、管理しきれない耕作放棄地が増えています。そうなると食料生産もどんどん減っていく。そこに対して、1枚の畑から取れる食料を最大化することができれば、それはイコール食料の増産になると思っています。
グローバルで見ても、人口がまだまだ増えていく中でどうやって食料を確保するかは切実な問題です。こういった資材を使って収量を上げることで、食料を安定して供給できる世界がWAKUの目指すところです。
――最後に、WAKUに関心を持った方へのメッセージをお願いします。
片野田:今が一番人を必要としているフェーズなので、少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ声をかけてください。私自身も、昔は少し興味があっても連絡しないタイプだったんですけど(笑)。今では社内で「小石を投げることが大事」とよく言っています。小石を投げると波紋が広がって、そこから何かが始まる。一歩踏み出してみることで、思っていなかった景色が広がるかもしれません。
企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:鈴木光平
撮影:阿部拓朗