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AIが作るのは最大公約数。ヒャダイン氏が語る揺らぎと対話が生む価値|政策現場から見る『官民共創のイノベーション』総集編

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対談シリーズ『官民共創のイノベーション』では、「越境」をキーワードに、未来をつくる9人のフロントランナーに迫ってきました。起業家、クリエイター、上場企業経営者、研究者、投資家。越境の切り口は各者各様でしたが、大切なお話をたくさんお伺いする中で、AIと人間の関係、フィジカル回帰の傾向、対話の価値など、共通項も浮かび上がってきました。

今回、総集編のゲストは、「みんなが感じている違和感に補助線を引いて言語化する」ことを強みとする、音楽クリエイターのヒャダイン氏。過去回(vol.2-vol.10)を振り返りながら、ライブでドーパミンが出る瞬間の設計から、「対話はダンスだ」というコミュニケーション論まで広く伺い、あらためて「境界線」を俯瞰していきます。聞き手は、政策・共創領域で数々のプロジェクトを推進してきた経済産業省の池田陽子です。

ヒャダイン
音楽クリエイター
1980年大阪府生まれ。本名 前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。ももいろクローバーZなど様々なアーティストをはじめNHK Eテレの「いないいないばぁっ!」での体操曲「ピカピカブ〜」や同じくNHK Eテレ「歴史にドキリ!」の音楽などの楽曲提供を行う。自身もタレントとして活動。レギュラーとしてテレビ朝日系列「musicるTV」、テレビ東京系列「カンブリア宮殿」、ABCテレビ「おはよう朝日です」、BS朝日「サウナを愛でたい」、「朝日中高生新聞」、「クロワッサン ヒャダインの台所」、「DIME」など。

池田陽子
経済産業省 競争環境整備室長/経済産業研究所コンサルティングフェロー
長野県出身。2007年東京大学卒業後、経済産業省に入省。専門分野は、創造性とイノベーション、ルール形成、グローバルガバナンス。内閣官房では政府全体のスタートアップ政策を統括。近著に『官民共創のイノベーション 規制のサンドボックスの挑戦とその先』。これまで携わったスタートアップ政策、対GAFAのデジタルプラットフォーム規制、出版の実績を評価され、官僚として唯一、Forbes JAPAN「Women in Tech 30」に選出(なお、本連載において、事実関係に関する記載以外の部分は、コンサルティングフェローの立場による)。

INDEX

はじめに——境界線とは
AIが作るのは「最大公約数」。人間に残された「エラー」と「気まぐれ」の可能性
ライブが証明する、フィジカルの体験価値。「1回きり」が生むドーパミンの正体
推し活の熱狂―増えすぎた選択肢、やっと見つけた「居場所」
対話は「ダンス」だ。境界線を常に問い直すことで開かれるもの

はじめに——境界線とは

池田:1年半前に連載オファーをいただいた時、少々カタめの拙書『官民共創のイノベーション』のメッセージを分かりやすく伝えるにはどうしたらいいかなと思って。それで、ハーバード大学のタッシュマン教授の有名な理論―「越境者(Boundary spanners)」、異なるコミュニティ間の橋渡しを担う人材が、変革の実現に重要な役割を果たすーにヒントを得て、インタビュー企画にしたんです。

ヒャダイン:そうだったんですね。

池田:もう一つ決めていたのが、ゲストは官僚以外の方にすること。「弱いつながりの強さ(Strength of weak ties)」、スタンフォード大学のグラノベッター教授のソーシャルネットワーク理論が好きで。同質的な「強いつながり」でなく、「弱いつながり」こそが、多様で効率的な情報伝播をもたらし、革新を引き起こすと。実際、連載をきっかけに、さまざまな波及や思いがけないバタフライエフェクトが起き、この理論を体感しました。今日は、各回の貴重なお話をきちんと総括しておきたくて、あらためてヒャダインさんのお力をお借りさせてください。

ヒャダイン:よろしくお願いします。

池田:越境と一口に言っても、各回テーマは、海外・地方への展開(空間)、現在と近未来との接続(時間)、テクノロジーと人との関係、キャリア転換など、ご活躍のフィールドに合わせて、本当に多岐にわたりました。そうした中で湧いてきたのが、そもそも境界線って何だろうと。過去回において境界を相対的に見られる傾向は強かったのですが【vol.6vol.10】、中でも、松尾豊先生の「人間が勝手に作った概念にすぎない」「後から便宜的に引いたもの」との弁が印象的で【vol.9】。ヒャダインさんは、そもそも境界線というものを、どのようにとらえていますか。

ヒャダイン:とても面白い問いですよね。松尾先生がおっしゃるとおりで、境界というのは後付けされたものですが、それによって人間が対象を捉えられるようになったり、形作られる部分もあるかなと思います。国境にしても、業界にしても。言語だってそうで、「怒る」という言葉があるから「怒り」という感情が定義される。感情の境界線すら、言葉によって区切られることで初めて形になる部分がある。

池田:そうですね。集団生活を営む上で、認知的に分かりやすくする面はありつつ、それに無意識的にとらわれないよう気をつけたいです。

ヒャダイン:あくまで認知の道具ですよね。あと、分かりやすさが共通言語としてそのまま機能することもあれば、線の引き方が人によって千差万別だったりします。そこで、自分の境界線と相手の境界線のズレに気づくことが、驚きになったり、反省になったりして、人間関係というものが成り立っているのかなと。友人や家族、恋人など誰かと付き合うということは、そういう新たな境界の発見だと思っています。

池田:既存の境界は、所与のものとせず柔軟に向き合いたい。さらにはこんな変革の時代ですので、むしろ新しい線の引き方を世界に向けて提案していく、そんな心意気を大切にできたらと思います。

AIが作るのは「最大公約数」。人間に残された「エラー」と「気まぐれ」の可能性

池田:過去回で一番話題に上ったのは、テクノロジーと人間の関係でした。AIが作った曲の著作権をめぐる議論も進められていますが、音楽クリエイターのお立場で、AIが得意なことと苦手なこととを、どのように見ていますか。

ヒャダイン:AIが得意なのは、ベタなもの、これまでのクリエイターやアーティストが作ってきた「最大公約数」的なものだと思います。それはそれで完成度が高いし、使えるものも出てくる。ただ、100人いたら99人が「え?」と驚くような、奇抜なものや尖ったものはまだ作れていない印象です。音楽でもアートでも、歴史を振り返ると、99人が否定するようなもののうち、1個の「異常個体」が生き残って、異常交配を続けて子孫を作ってきた部分があると思うんです。でも、AIはその異常値を真っ先に淘汰してしまう。

池田:人間の役割が異常値を生み出すこととすると、それが可能なのは、トップクリエイターに限られるのでしょうか。

ヒャダイン:いえ、そんなことはないと思います。気まぐれって、誰にでもあるじゃないですか。コンピューターには出せない異常値の一つが、あの「気まぐれ」だと思うんです。あとは、サボるとか、手を抜くとか。AIは手を抜けないんですよ。真面目な人からすれば褒められたことじゃないかもしれないけど、手を抜いたことで生まれるものって確かにある。納豆のような発酵食品も、きっと誤って放置されて生まれた「エラー」ですよね。

池田:UTEC郷治社長から、投資家のお立場で、「(AIからは)確率的に外れたぶっ飛んだアイデアは出てこない」「そういう判断をAIに委ねても、絶対投資すべきとはならない」と伺ったことを思い出しています【vol.10】。

ヒャダイン:AIにどれだけ「異常なものを作れ」とプロンプトを打っても、最大公約数的なもっともらしさの限界がある。意図のないエラー、気まぐれ、不完全さ——そういう「揺らぎ」はやっぱり人間にしか出せないし、それが価値になる時代になっていくんじゃないでしょうか。ホワイトカラーの仕事はAIに取って代わられる、とよく言われますが、「揺らぎ」がある限り、人間はまだまだ面白いものを作れると思います。

ライブが証明する、フィジカルの体験価値。「1回きり」が生むドーパミンの正体

池田:「フィジカルAI」は、最近のキーワードの一つです。AIを活用して現実世界を認識し、現場のロボットや機械を自律的に制御するという。DCONのAI×ものづくりの着目は、まさにその先駆けですね【vol.5vol.4】。ヒャダインさんは、究極の「現場」ともいえるライブで盛り上がる楽曲制作を得意とされていますが、フィジカルな体験価値について、どのようにお考えですか。

ヒャダイン:ライブって、AI的な発想からすると、非合理的で行く必要がないんですよ。わざわざ大きな会場に豆粒みたいな大きさのアーティストを見に行くのかと。でも、全然そういうことではなくて。ライブの本質は、同じ空間で、その日しかない演奏を、大音量で聞いて、同じものが好きなファンたちと一緒に大声を出したり、会場内で縦横に繋がりを感じたりして、本能的に震える点にあると思います。こういう理屈では説明できないところは、まだAIには出せない部分かなと。よく初音ミク(バーチャルシンガー)やVTuber(バーチャルYouTuber)が引き合いに出されますが、初音ミクの歌う曲は人間が作ってますし、人を感動させる何かが存在している。でも、いずれAIがそれを作るようになって感動する時代も来るのかもしれません。

池田:対談シリーズの中で興味深かったのは、AIだけでなく、大きなトレンドとしての「フィジカル(現場・オフライン・身体感覚)回帰」です。プロダクションIGの和田社長も、アニメ作品が世界中に配信できるようになったからこそ、「ローカルでのオフライン戦略(現地でのイベント開催やグッズ展開)に注力していく」と話されていました【vol.8】。デジタルがいったん充足したことで、現実世界にベクトルが向いてくる、そんな全体感があるのかなと。

ヒャダイン:すごく分かります。音楽も映像も情報も、スマホからほぼ無料でいつでも触れられる。分からないことがあれば1秒で調べられるし、AIでさらに深掘りもできる。タイパ・コスパが過度に気にされる中、デジタル空間でそれが満たされているからこそ、フィジカルでは逆に度外視したものを求めるのかなと。わざわざ電車に乗って数時間かけてライブに行って物販の長蛇の列に並ぶのも、タイパ・コスパはすごく悪いわけで。

池田:そんなライブという現場で、アーティストとファンの掛け合い、「コールアンドレスポンス」を通じて盛り上がる楽曲を多数制作されていますが、どんなことを意識されていますか。

ヒャダイン:ライブでその曲をやるのは、よほどのことがない限り、その日1回きりです。NetflixやYouTubeは何度でも見返せますが、コト消費は1度しか経験できないというレア度がある。アーティストが次の曲を告げた瞬間に、ファンが「キャー」と叫ぶのは、その曲が好きだからというだけじゃなくて、「今日この場でしか聴けない、その瞬間がやってくる」という号令に体が反応しているんだと思うんです。コールアンドレスポンスも、その1回きりのチャンスの中で、お客さんのドーパミンをいかに爆発させるかを常に意識して作っています。テクノロジーが進化しても、人類は人類なので、どこでどうやってドーパミンを出すかという古来からのやり方は一緒です。

池田:1度かぎりの希少性が、体験価値を引き上げていると。ライブで、脳内報酬系の「ドーパミン」が出るのはイメージしやすいですが、心の安定や癒やしのような「セロトニン」「オキシトシン」の要素もあるのでしょうか。

ヒャダイン:ええ。ドーパミンとセロトニンの緩急が、ライブの設計においてはとても重要で。ファンの反応を見ていれば一目瞭然です。ドーパミンは、「行くぞ」という盛り上がりの瞬間に出る。一方でセロトニンやオキシトシンは、「メンバー同士の睦み合い」の場面で出ます。抱き合ったり、泣いている子の肩をたたいたり、何か絆を感じさせる瞬間ですね。そこで、ファンが癒やされ、静かに幸せそうにしているのを見ると、「ああ、ここがセロトニンチャンスなんだな」と分かる。基本的にライブ中に自然と、あるいは演出の中でやってくれますが、曲の中でメンバー同士の仲の良さを表現すればセロトニンチャンスにつながりますね。

池田:おもしろいですね。ライブの体験価値について、希少性以外の視点もありますか?

ヒャダイン:人間の「群れたい」という本能も関係していると思います。昔は、エンタメが限られていたので、みんなが一斉にテレビの前で歌番組のアイドルに釘付けになってドーパミンを出していましたが、今は、エンタメが飽和して、Netflixの話題作も各自好きなタイミングで見ますよね。そういう中で、ライブは、現代において、知らない人たちと一緒に「せーの」で感動できる数少ない場なのだと思います。

池田:テクノロジーやメディアは変化する一方、人間の本能や刺激に対する脳内反応など変わらぬものがあり、その狭間の力学を少し垣間見た気がします。

推し活の熱狂―増えすぎた選択肢、やっと見つけた「居場所」

池田:さらに掘り下げたいのは、推し活が社会現象化している中で、人の「居場所」や「拠り所」というものをどう考えたらいいかということです。朝井リョウさんの話題作『イン・ザ・メガチャーチ』では、まさに推し活をめぐる熱狂の構造が描かれていて、興味深く読みました。帯には、「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」と。

ヒャダイン:あの作品は、本当に今の時代を射抜いていると思います。宗教がない日本で、人は何にすがるのか。推し活って、構造としては宗教と変わらない。心の拠り所があること自体、とても自然なことだと思っています。ただ、なぜ今これほど強くなっているのかというと、選択肢が増えすぎたことで、逆に居場所が見つけにくくなっているからじゃないかと思っていて。

池田:なるほど、逆説的な視点ですね。

ヒャダイン:昔は居場所の選択肢が少なかったから、そもそも迷いが起きにくいし、「ここにいるしかない」と諦めもついた。でも今は、ここじゃない、ここも違う、を繰り返した末に、ようやく見つけた居場所だから、そこへの執着がものすごく強くなる。「いま自分が応援している『ここ』が居場所なんだ」と強固な境界を作り、それが第三者によって奪われることへの抵抗感が大きくなっているんだと思います。

池田:具体的には、どういった場面でそう感じられますか。

ヒャダイン:たとえば、人気のTV情報番組で大幅リニューアルがあったとき、ファンのハレーションの起き方がすごいなと。既存のアイドルグループに新メンバーが加入するときも同じ。それって視聴率のような数字の問題ではなく、「自分の大切な居場所が、なぜ変えられてしまうんだ」という感覚で反応しているんだと思うんです。そこはもう論理じゃなくて、生存本能に近い何かですよね。

池田:ヒャダインさんも、楽曲制作を通じて、そうした「居場所」づくりに携わるお立場ですよね。

ヒャダイン:そうですね。僕がやっていることって、ある意味では、アーティストに対するファンの固執を強くしていく作業とも言えます。ライブでのコールアンドレスポンスも、「ここが自分の居場所だ」という感覚を強めるため、より居心地の良い環境に広げてあげるように設計しますね。

対話は「ダンス」だ。境界線を常に問い直すことで開かれるもの

池田:ヒャダインさんは、イタコのようにアーティストに憑依して楽曲制作をされるスタイルいうことで、自他を超えるコミュニケーションのあり方についてお伺いしたいです。この春からは、経営者との対談番組「カンブリア宮殿」のMCにも就任されました。越境に際しては他者との関係構築が不可避なので、過去回でも、AI時代のコミュ力だったり、徹底的に聞くことから始まる対話の価値だったり、社会受容性を含めた新しいコミュニケーションの形だったりと行き着く部分があって【vol.2vol.7】。ヒャダインさんにとって、対話とはどんなものですか。

ヒャダイン:対話は非常に重要だと常日頃思っています。何かエラーが起きるとき、ディスコミュニケーションが起きるときって、結局、対話から逃げているときが多いと思うんです。直接話すことを避けている。いまや、テキストでのやり取りが当たり前になり、電話をかけることが特別になり、対話から逃げる方法がたくさんあるとも言えますね。

池田:ちょうど今、新しい政策検討を進めていて。初めましての方ばかりなので、リアルでお会いしに行くことを心がけているんですが、対面だからこそのコミュニケーションの力を実感しています。

ヒャダイン:人間臭いことですが、人と人が直接しゃべることで生まれる魔法みたいな部分は少なからず存在しますよね。声色とか、表情とか、間とか、そういうものが込みで初めて伝わるものってある。

池田:「カンブリア宮殿」で錚々たる経営者とお話される際は、どんなことを意識されていますか。

ヒャダイン:経営トップの方々に共通しているのは、バックボーンが違う相手であれ、誰とでも対話できる能力を持っているということです。そして、僕は、相手の「型」を冒頭で感じ取って、それに合わせていくという感覚をすごく意識しています。対話って、「ダンス」や「格闘技」に近いと思っていて。相手がどういうリズムで、どういう動きをする人なのかを素早く読んで、自分はその型に合わせて受けに徹する。それは妥協とか、言いなりというのではなく、相手が踊りやすいように場を作り、「一緒に踊っている」ということなんです。あと、媚びへつらいはすぐ見抜かれるので、自分が本当に良いと思ったことだけを伝えるようにしています。

池田:クリエイターとして曲作りをされる場合はどうでしょうか。

ヒャダイン:曲作りも、MCの時と近いです。格闘技の受けのように、このアーティストならこう考える、こう動くというのを読みながらやるので。アーティストの話し方、語彙、ファッション、髪型、キャリア、ファン層の特性——そういったものを総合的に情報収集しながら答えを出していきます。ファンがどういう演武を見たいのかも冷静に見極める。同時に慢心しないことも、自分の中でかなり意識していますね。他人のことなんて、本当のところは分からないもの。慢心せず、データとして入ってくるものを淡々と分析していくことで、その人から大きく外れることが避けられると考えています。

池田:冷静なデータ分析にもとづいて、ライブという現実世界で、最適なドーパミン爆発を引き起こす楽曲を制作される。なんだか、「フィジカルAI」のようですね。

ヒャダイン:たしかに、そうですね(笑)。そして、自分自身はどのアーティストにも固執していないんです。いろんなアーティストに曲を書く中で、仮に以前よく仕事をしていたところから声がかからなくなったとしても、そちらが幸せそうならそれでいいという感じで。もちろんキャリア初期からそう割り切っていたわけではありませんが、続けていくうちに、特定の誰かにすべてを捧げて固執しなくても、自分には存在理由があるんだという感覚が持てるようになって解放されました。

池田:ファンの固執を設計しながら、作り手自身は固執しない。絶妙なバランス感覚とお見受けします。

ヒャダイン:多分、そこが長く続けてこられた秘訣なのかもしれません。ファンの熱狂や固執を作ることはビジネスとして非常に重要だけど、作り手自身がその熱狂に囚われた瞬間、柔軟性を失う。固執を設計する側に立ちながら、自分はそこから一歩引いたところにいる。その距離感が、クリエイターとして創造し続けるためには必要なんじゃないかと。

過去の自分と今の自分で意見が違っても気にしないというのも、同じことだと思っています。SNSで10年前の発言を掘り出されてダブルスタンダードだと叩かれることがある。でも、時代は変わるし、自分のライフステージも変わる。そうした中で、意見が変わるって、本来ポジティブなことのはずなんですけどね。

池田:変化に適応して柔軟であることは、ルールづくりにも当てはまります。拙書で取り上げた「規制のサンドボックス制度」もそうですし、過去回では「アジャイルガバナンス」、法規制をアップデート前提で再設計していく考え方を紹介しました【vol.3】。

ヒャダイン:そうですよね。AIだって、日進月歩の進化の中で、ここでは使えるけどこれは違うんじゃないかとか、フレキシブルにみんなで議論できるはずで。線を強く引きすぎて分断に陥るのでなく、そういう柔軟さを持てるかどうかが、これからの時代をサバイブしていく上でかなり重要なことだと思います。

だから、スタートアップや新規事業に取り組んでいる人たちも、プランAへの固執を手放して、プランBやプランCを持つことを恐れないでほしい。ネガティブな準備じゃなく、ポジティブな発展という意味で。境界線を流動的に保つための知性とも言えるかもしれません。

池田:境界は、常に問い直されるためにあるのだと。

ヒャダイン:ええ。その中から、自分でも気づいていなかった接続や可能性が見えてきますよね。そこに思いがけない価値の余白があると思っています。

池田:「共創」に必要なマインドセットって、まさにそういうことだと思います。ヒャダインさんだからこその「補助線力」が、この対談シリーズを豊かに総括してくださってうれしいかぎりです。

最後に、読者の方々を含め、1年半にわたる連載を一緒に作り上げてくださったすべての皆さまに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

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