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窒素とリン酸の循環バランスが崩れることで食料や環境の問題が起きている。農作物を取り巻く人と地球の複雑な関係

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「SDGs」や「サスティナブル」という言葉が一般化し、温暖化抑制のために二酸化炭素をはじめとた「温室効果ガスを減らす」、「炭素を固定する」という話がビジネスの領域でも話題に上るケースも増えてきた。
これは見方を変えると、炭素の「循環」の話だと捉えられる。化石燃料や木材として固定されていた炭素が、燃焼により大気中に放出される。放出量が増えすぎ、バランスが崩れてしまったため、今度は大気中の二酸化炭素を再び植物などにより再び固定する努力が求められているのだ。「循環」は何も二酸化炭素に限る話ではない。わかりやすいところでは水、馴染みが少ない部分では窒素やリン酸などあらゆるものの循環が地球環境に影響を及ぼしている。

この「循環」に目を向け、農業システムの視点から地球やその環境を損なわない方法を模索しているのが、今回話を聞いた、北海道大学農業学部で准教授を務める内田義崇先生だ。栄養素の循環の観点から農業の問題点と、その解決策について語ってもらった。


内田義崇
北海道大学 農学研究院 准教授
ニュージーランド・リンカーン大学農業科学部卒業。同大学院博士課程修了(環境生命地球化学)。その後は農業環境変動研究センター(つくば)にてダイズ畑土壌における微生物と温室効果ガスの関係を研究し、2013年に北海道大学大学院農学研究院に採用され環境生命地球化学研究室を立ち上げ、主に北海道内の酪農産業と栄養素循環の関係や、サブサハラアフリカにおける土壌劣化や汚染の影響を調べる研究を行っている。2022年度(第21回)日本農学進歩賞受賞。

INDEX

環境や私たちの健康を支えている「栄養素の循環」
肥料の過剰な使用が引き起こす、地球資源の枯渇と水質汚染
土地にあった作物を必要なだけ。シンプルだけど難しい問題
農家と消費者の意識を変えるために、日本がしなければならないこととは
ここがポイント

環境や私たちの健康を支えている「栄養素の循環」

――まずは内田先生の研究内容について教えてください。

私が研究しているのは窒素やリン酸など栄養素の循環です。たとえば水の循環と聞けば、雨が川や海を経て雲になり、また雨になるサイクルをイメージできる方は多いでしょう。もしも循環のバランスが崩れ、水がどこかで滞留してしまうと、水質が悪化し環境破壊に繋がります。
私たちが生きるのに欠かせない窒素やリン酸などの栄養素も、水と同じように循環しています。これらは人口が今ほど多くなく、化学肥料が発達するまでは滞りなく循環していました。現代はその循環のバランスが崩れており、様々な環境問題として顕在化しているのです。その原因や解決策を考えるのが私たちの研究となります。

――水の循環はイメージできますが、窒素やリン酸の循環は意識したことがないのですがどのように循環しているのでしょうか。

大小様々な循環があります。たとえば窒素は私たちが生きていく上で必要なアミノ酸の基となります。窒素が空気中の約8割を構成していることをご存知の方は多いと思いますが、アミノ酸の基になることや、人間が空気中の窒素からアミノ酸をつくれないことまで知っている方は少ないでしょう。詳細は省きますが、空気中の窒素を地中の細菌がアンモニアとして固定し、植物が吸収、それを動物や私たちが食事を通して摂取し、ふん尿や死骸として排出されるという循環があるのです。この循環のバランスが崩れれば、私たちの食料問題や健康問題として現れます。
もっと大きな循環は地域間で起きています。たとえば北海道の野菜を育てるために必要な肥料は、他の県や外国で作られていますし、できあがった野菜は出荷されて別の県で消費されます。このように窒素の動きに無理が生じると、環境問題に繋がってしまうのです。

――とても複雑な循環をしているのですね。

おっしゃる通り、栄養素の循環は非常に複雑です。大小様々な循環があるため、局所的に切り取って研究をしては本質を見失ってしまいます。食品や農業領域だけでなく様々な領域にも目を向けなければなりませんし、海外も視野に入れながら総合的に研究しなければいけない分野です。

肥料の過剰な使用が引き起こす、地球資源の枯渇と水質汚染

――栄養素の循環が崩れるとは、具体的にどういうことか教えてください。

ここでは大きくバランスを崩しているリン酸を例に説明しましょう。リン酸は作物を育てるのに欠かせない肥料の三大要素の一つで、リン酸はリン鉱石を採掘して加工することで肥料として使われています。かつては人口も少なく、必要なだけの作物を育てていたので問題なく循環していました。しかし、人口が増えたことにより、より多くの作物を育てなければならなくなり、大量のリン酸が必要になっているのです。
しかし、リン鉱石は世界中どこにでもあるわけではありません。中国やモロッコなど特定の地域に偏在しており、その埋蔵量にも限界があります。現在、大量のリン鉱石が採掘されることで、リン酸の循環が大きく崩れているのです。

――リン鉱石の採掘を止めたら、必要な食糧を確保できないのではないでしょうか?

一概にそうは言えません。むしろ、肥料を必要以上に使い過ぎているのが問題なのです。大量に肥料として撒かれたリン酸うち、野菜などの食物として私たちが口にしているのはわずか2割ほどです。残りの8割は食物になることはなく無駄になっています。話題になることも多いフードロスは確かに大きな問題ですが、余分にまかれたリン酸が川などに流れ出てしまうことも大きな問題なのです。リン酸は同じ場所に留まることがないので、大量に畑にまかれて作物の栄養にならなければ地下水に溶け込み、川に流れ出てしまいます。大量のリン酸が川を経て海に流れると、微生物やプランクトンが大量繁殖し、水中の酸素がなくなり魚が死んでしまいます。たまに赤潮がニュースになっていますが、あれももとを辿れば大量の肥料が海に流れ出たのが原因です。つまり、栄養素の循環が崩れてしまったことが、大きな環境破壊に繋がっているのです。

土地にあった作物を必要なだけ。シンプルだけど難しい問題

――これまでの話を踏まえて、適切な循環を作るためにどうすればいいのでしょうか。

必要なだけの作物を作り、必要なだけの肥料を使うことです。とても単純なことですが、意外にそれが難しい。なぜなら農家は作物が一番育つベストな天候を想定して肥料をまくからです。
雨の日と晴れの日が多い年は、作物もよく育ちます。しかしその際、肥料が足りなければ作物は小ぶりになり収穫量が減ってしまいます。せっかく天候がよくても、肥料が少なければ収穫量を最大化できない、ならばと農家は最大限に肥料が吸収されるベストな天候を想定して肥料を撒いてしまうのです。しかし、毎年ベストな天候なわけがありません。せっかく大量の肥料を撒いても、天候が悪くて作物が育たなければ肥料は吸収されません。そうして余剰分のリン酸が川に流れてしまうのです。そのような農家の意識が変わらなければ、バランスのいい循環には戻せません。

――農家の事情を考えると複雑な問題ですね。他にも循環のバランスを戻すために必要なことがあれば聞かせてください。

その土地にあった作物を育てることも重要です。たとえば寒い地域で温暖な地域の作物を育てるには、それだけエネルギーや肥料が必要になります。一方で、寒さに強い作物なら、無駄なエネルギーを使わずに育てられます。シンプルな話に聞こえますが、これも解決するのは容易ではありません。なぜなら農家は売れる作物を育てたいから。その土地の気候に合っていなくても、需要があって利益を見込めるなら、多少無理をしてでも作ってしまいます。

――農家だけではなく、私たち消費者の意識も変わらなければいけないんですね。

そうですね。農家は消費者の需要に合わせて作物を作っているため、消費者の意識を変えることが、先述した問題の解決の糸口になるはずです。しかし、環境のことだけ考えて食事をしても楽しくないですよね。「さつまいもは環境にいいから、毎日さつまいもを食べてね」と言われると、食事の楽しさが半減してしまいます。
食事を楽しみながら、いかに環境のことを考えるか。その両軸をバランスよく考えることが求められていくと思います。

――消費者の意識を変えるためには、何が必要だと思いますか?

大人たちの価値観をいきなり変えるのは難しいと思うので、子供の意識を変える、つまりは教育を変えることが大事だと思っています。「食育」により、食事の楽しさを教えるのと同時に環境への意識も養っていけば、将来的には消費者全体の意識も変わっていくのではないでしょうか。
人間は次世代にいい影響を与えることに喜びを感じる生き物だと思っています。カーボンニュートラルや環境問題は数年では解決できない問題のため、世代を超えて取り組んでいかなければなりません。私たちの時より少しでもいい状態で次の世代にバトンを渡す。それが私たち大人に課せられた責務だと思うんです。

農家と消費者の意識を変えるために、日本がしなければならないこととは

――日本の環境問題への取り組みは、海外に比べて遅れていると言われていますが、どのように捉えていますか?

たしかに日本の取組みは遅れていますが、逆に言えば、取り組みが遅れていても社会が成り立ってきたということでもあります。たとえば食用の家畜を育てることは、大きな環境負荷を伴います。しかし、魚も食べ、牛肉の消費量が欧米程多くない日本では、その負荷に目が向けられづらかったのだと思います。
再び窒素を例にしますが、オランダやデンマークをはじめとした畜産が盛んなEU諸国では見渡す限り家畜の餌を作る牧草地やトウモロコシなどの穀物畑が広がっている地域もあります。そのような地域では、餌となる作物の生育を早めるために外から持ち込まれた化学肥料が撒かれ、さらに家畜から排出されるふん尿も肥料として撒かれていました。大量の窒素が肥料として持ち込まれた上にふん尿も撒かれたことで、土壌の窒素が許容量を超え、地下水に流れ込んだことで大きな環境問題となりました。そんな状況を受け80年代には、家畜のふん尿を撒くことを制限する法律ができたほどです。

――海外は日本よりも先に環境問題が顕在化したからこそ、取り組みも早かったのですね。

そういうことです。日本は国土のほとんどが森林のため、広い農地を作れません。加えて、育てる際の環境負荷の少ない米を主食にしているため、海外に比べれば環境破壊も軽度で済んできました。
しかし、徐々に日本でも食が欧米化し、需要が高まったことで環境負荷の高い作物が育てられるケースが増えています。一刻も早く本格的に環境問題に取り組まなければ、取り返しのつかないことになってしまうでしょう。

――これから日本はどのように変わっていかなければならないのでしょうか。

当然ながら、環境負荷の少ない農業に切り替えていかなければなりません。しかし、環境負荷の少ない農業を行うには、基準をクリアした負荷の少ない飼料や肥料が必要となり、従来よりもコストがかかるため、最初に切り替えた生産者が損をするのは目に見えています。
だからこそ、囚人のジレンマのような状態が生まれ、大事だとわかっているのに誰も始められない。結局は国が補助金制度などを作って、トップダウンで一斉に変えていくことが重要だと思います。そこに先程話した食育などを組み合わせ、農家と消費者が同時に変わっていかなければなりません。

――国の力が必要だということですが、ビジネスがどのように関わっていけばいいかも聞かせてください。

もちろんビジネスの力も重要です。たとえば今では「生産者の顔が見える作物」というアプローチが当たり前ですが、あれも作物の安全性をアピールするための生産者のアイデアから始まりました。今後は生産者の顔だけでなく、生産工程まで見えるような情報開示がなされていけば、より環境に対する意識も高まっていくのではないでしょうか。
ファッションやコスメはD2Cモデルの登場により、商品が生まれた背景や商品づくりのこだわりに注目して買い物する文化が生まれましよね。農業でも同じように、ビジネスの力で作物の背景にあるストーリーが価値になる文化が生まれていくといいと思います。

ここがポイント

・窒素やリン酸などの栄養素も、水と同じように循環している
・大小様々な循環があるため、局所的に切り取って研究をしては本質を見失ってしまう
・肥料として農地に撒かれるリン酸の8割が食物になることなく無駄になっている
・栄養素の循環が崩れてしまったことが、大きな環境破壊に繋がっている
・適切な循環は、必要なだけの作物を育て、必要なだけの肥料を使うこと、その土地にあった作物を育てることで維持できる
・国などがトップダウンで一斉に変えていくことと、農家や消費者が意識を変えることが重要


企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:鈴木光平
撮影:阿部拓朗
取材場所協力:ユートピアアグリカルチャー盤渓農場