モノ的に豊かになった日本で、次なる本質的課題は何であろうか。充実した人生を送るには、健康であることが欠かせない。我々は、もっと元気に楽しく長生きできるのであろうか。テクノロジーがそれを可能にするかもしれない。今回は、喫緊の課題である医療の問題、さらには生物学的限界を超える人類進化の可能性について考えてみたい。
INDEX
・日本は近い将来、死因トップが老衰という時代を迎える
・AIを医療のあらゆる分野に応用
・人間拡張で生物学的限界を超える
日本は近い将来、死因トップが老衰という時代を迎える
厚生労働省の発表によれば、2020年の日本の死亡数は137万人で、2016年から5年間130万人台が続いている[1]。しかし、その中身には、注目すべき変化がある。2020年の死因1位は、悪性新生物(いわゆる、がん)で37.8万人、2位は心疾患で20.6万人、3位が老衰で13.2万人、4位が脳血管疾患で10.3万人、5位が肺炎で7.8万人となっている。
悪性新生物(がん)は、1981年に死因1位となってから右肩上がりに増え続けており、全死亡者の27.6%を占めている。毎年、新たにがんと診断される人は、100万人を超えており、目下大きな課題となっている。一方、2位の心疾患の増加はやや安定してきて、4位の脳血管疾患、5位の肺炎は減少傾向にある。がんについては、早期発見や新たな抗がん剤の開発、がんゲノム医療など、政府も医療機関も力を入れている。製薬会社も、新薬の開発に大きな投資をしている状況だ。今後10〜20年で、がん対策は大きく進展すると期待できるのではないだろうか。
注目したいのは、死因3位の老衰だ。5年前には5位だったが、肺炎、脳血管疾患を抜いて3位に急上昇し、2020年には全死亡数の9.6%となっている。このまま行けば、いずれ死因の1位になるのではないだろうか。厚生労働省の死亡診断書記入マニュアルでは、老衰死の定義を「高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死」としている[2]。加齢よって身体機能が低下して死に至るケースで、特段大きな病気という訳ではないといった感じだろう。
死因が病気でなくなる未来が来るとすると、次の課題は、さまざまな身体機能をいかにして健全にキープするかということになる。認知機能の低下を防ぐというのは、その中でも重要なテーマの1つだ。先端テクノロジーは「健康」「長寿」に向かい、今後投資分野としても拡大して行くのではないだろうか。
AIを医療のあらゆる分野に応用
日本の国民医療費は、年間40兆円を超えており、医療費削減は喫緊の課題である。テクノロジーを駆使して、医療の質を上げると同時にコストを削減する必要がある。1つの突破口が、AIの医療分野への応用である。医療分野で蓄積されているデータを活用して、AI・データサイエンスによって、医療サービスを向上させるのだ。
実際、AIは上の図にあるように、医療・ヘルスケアのあらゆる分野に応用されつつある。ポイントは、質の高いデータを収集し、AIを応用して、病気になるのを未然に防いだり、がんなどの重要な疾患を早期に発見して重症化を防ぐことだ。AIの特徴として、使えば使うほどデータが蓄積されて技術が進化するという面がある。医療機関にAI導入を後押しする政策を期待したい。
また、創薬分野でもAIへの期待は大きい。すでにさまざまな化合物が発見され、薬としても活用される現在、新薬の候補となる化合物を探すのは、より難しくなっている。過去のデータや膨大な論文、化合物のライブラリ・データベースから候補を選び出すことがAIなら効率化できる。探索の次の段階での検証、非臨床の実験でも、膨大な試験の分析をAIが支援できる。AIを応用した創薬プロセスのDXが今後進むと思われる。
さらに、患者のデータを分析して適切な行動を促して疾患の改善を支援するソフトウェアは、デジタル・メディスンと呼ばれ、新たなアプローチとして注目されている。AIを応用した医療ソフトウェアは、薬事承認されることで医療機器や医薬品になっていく。
人間拡張で生物学的限界を超える
ギネス記録によると、人類の最高年齢は122歳ということだ[3]。しかも20年以上更新されていない(2021年8月時点)。どうやら120歳くらいが、今のところの人類の生物学的な限界ということなのかもしれない。では、我々は、この健康で長生きして120歳という限界を超えられるのか。まさにテクノロジーの次なるターゲットだ。
大袈裟に言えば、「不老不死」をめざすテクノロジー、その手前で「長寿テック」という話になる。長寿を実現するには、人間のハードウェアとしての身体能力とソフトウェアとしての思考能力をいかにしてキープするかということになる。それでは、どんな技術が進んでいるか、少し見てみよう。
身体の補修・拡張
身体を構成する臓器や骨、血管や筋肉など、我々は無数のパーツからできている。再生医療が進めば、機能障害や機能不全となった臓器や組織を再生できる期待がある。重大な遺伝的な疾患のゲノム解析が進めば、ゲノムレベルで問題を解決できる場合もある。
また、医学とエンジニアリング、材料工学が組み合わさって、人工臓器の開発が進んでいる。人工心臓、人工血管、人工骨や人工関節、人工皮膚、人工内耳や人工網膜などが機能を補ってくれる。肉体とメカが融合して、外部のデバイスと通信してコンピュータ制御という構成になれば、サイボーグ的な発展になっていく。バイオや医学と工学・情報科学が結びついて、イノベーションを起こしつつある。
フィジカルな拡張
外側から身体の機能をアシストする方法も有力だ。身体内部へアプローチするとなると侵襲的な医療処置が必要になり、簡単ではない。外側からであれば、工学的な手法をいろいろと試しやすい。メガネが視力を補うように、聴力を補う補聴器、運動能力を補う歩行アシストツールや車椅子、義足や義手など、これまでもさまざまな製品が開発されてきた。
これらの製品は、現状は障害を補うものが多いが、健常者の通常の能力を増幅させる機能を提供することも考えられる。パワーアップ・ツールだ。疲労が少なく早く長時間歩けるツールとか、筋力を全般的にアップして重い荷物を運んだり、支えたりできるパワードスーツなど、いろいろありそうだ。
思考の拡張
脳の機能は、我々が人間らしく生活するには欠かせない。思考判断、記憶、計算、予測といったことを、我々は通常なんなくこなしているが、その脳の情報処理のメカニズムの詳細は、まだ解明されていない。意識を生み出す仕組みや構造は、まさにホットな研究テーマだ。まずは、脳の情報処理の信号を外部に取り出して分析したり、外部のデバイスと連結して信号を脳に伝える研究が始まっている。脳インプラントや人工神経接続といった領域だ。
脳の神経ネットワークの機能が低下した場合、外部のデバイスがアシストして機能を補ってくれるかもしれない。記憶をバックアップしたり、思考を刺激したりすることも期待できるかもしれない。
将来的には、人間のハードウェア(身体)とソフトウェア(思考)を切り離すような話も出てきそうだ。簡単なところでは、アバター的アプローチがある。離れた身体(アバター)をあたかも自分の身体の一部のようにコントロールして、作業をこなす。行くのが大変な場所に瞬間移動できる体験は、ある意味、人生を豊かにしてくれる。限られた時間で体験できることが増える。
思考・意識を身体から切り離す話は、なかなか挑戦的なテーマだ。SF映画ではお馴染みのストーリーであるが、身体がメカに置き換わって、思考・意識がソフトウェアとしてコンピュータ上で再現されるパターンである。これには、思考とはそもそも物理世界での身体経験にもとづくものだから、身体と一体でないと機能しないという意見もある。ここまで行かなくても、脳の情報処理機能の低下を補う手法が確立できれば、画期的だ。
いずれにしても、我々は、これまでよりも長生きできるようになる可能性が高い。人生100年計画ぐらいで、専門を学び直したり、まったく違う分野に挑戦したり、住むところを変えたりしても十分時間がある。50年後は、今とまったく違う社会になっているだろう。そんな未来で何をしていたいか、思いをめぐらしてみてはどうだろうか。
コラム「未来創造マインド」の連載全10回は、今回が最終回になります。半年間に渡り、読んでいただいた皆さま、ありがとうございます。「未来を自ら創る」というマインドこそ、新規事業や起業の第一歩ということで、社会変化をさまざまな角度から切り込んで、未来につながるテーマを取り上げて来ました。皆さんのヒントに少しでもなれば幸いです。
1.厚生労働省は、毎年6月に「人口動態統計月報年計(概数)の概況」を発表して、日本の人口動態の年次推移をまとめている。
2.令和3年度版「死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル」厚生労働省 令和3年2月22日発行
3.ギネスブックに史上最も長く生きた人物として記録されているのは、1997年に122歳で死去したイタリア人女性のジャンヌ・カルマンさんとなっている。(この記録への疑義の記事もあるが、現状記録はそのまま)
[ 鎌田富久: TomyK代表 / 株式会社ACCESS共同創業者 / 起業家・投資家 ]
東京大学大学院理学系研究科情報科学博士課程修了。理学博士。在学中にソフトウェアのベンチャー企業ACCESS社を設立。世界初の携帯電話向けウェブブラウザを開発するなどモバイルインターネットの技術革新を牽引。2001年に東証マザーズに上場し(現在、東証一部)、グローバルに事業を展開。2011年に退任。その後、スタートアップを支援するTomyKを設立し、ロボット、AI、人間拡張、宇宙、ゲノム、医療などのテクノロジー・スタートアップを多数立ち上げ中。著書「テクノロジー・スタートアップが未来を創る-テック起業家をめざせ」(東京大学出版会)にて、起業マインドを説く。