アフリカ南東部に「モザンビーク共和国」という国がある。豊富な鉱物資源を有し、発展を遂げようとしている最中ではある同国だが、世界の最貧困国の一つとされ大きな社会課題を抱えている。1975年の独立後から約17年間、内戦が絶えず、国内のインフラ整備を始めとする経済システムが生まれにくい情勢だったためだ。
じつは、そんなモザンビークで事業を行う日本企業が存在する。バイオ燃料の製造・開発事業に従事する日本植物燃料株式会社だ。豊富な資源を活かした研究開発に従事する一方、同社はモザンビークに電子マネーシステムを導入する働きも行っている。
一体、どういうことだろうか。日本からは約12,000kmも離れたアフリカの一国で新しい経済の仕組みを生み出すその意図を本メディアでは尋ねることにした。話し手は、日本植物燃料株式会社・代表取締役の合田真氏だ。
合田真
日本植物燃料株式会社取締役社長。長崎生まれ。高校卒業までを長崎で過ごした結果、原爆や戦争が怖くなる。大学に入学するも、探検部での活動以外に興味を持てず自主退学。その後、自分の手で作りだせるエネルギーに魅力を感じるようになり、2000年、日本植物燃料株式会社を設立、モザンビーク(2012年)とセネガル(2021年)に子会社を設立し、「地産地消型の再生可能エネルギー、食糧生産およびICTを活用した金融サービス」を行っている。
INDEX
・エネルギーを「奪い合う」から「増やす」未来に関心を持った
・バイオ燃料生産事業のはずが、電子マネー導入事業に……
・コミュニティの特性を理解し、丁寧に、かつ広大なインパクトを残す事業に育てたい
・ここがポイント
エネルギーを「奪い合う」から「増やす」未来に関心を持った
日本植物燃料株式会社(以下、日本植物燃料)として合田氏が事業を立ち上げたのは2000年の初頭だった。今でこそ“バイオエタノール”や“バイオディーゼル”などの再生可能エネルギーが広く知られるようになったが、2000年当時、日本国内でのバイオ燃料の認知度は低かっただろう。なぜ合田氏はバイオ燃料に着目したのか。
合田「出身地が長崎県でして、心のどこかにエネルギーに対する興味関心があったんです。幼い頃から原爆という存在を知らずにはいられない環境で育ったからか、『日本が原爆の被害に合った理由とは……』と考えることが多くて。そうして知ったのが、世界の争いは資源を争う国同士の利害によってもたらされることでした」
第二次世界対戦は、石油資源を求めて勃発した戦争であるという側面に着目した合田氏。限りある資源を求めるのではなく、資源を今よりも増やす取り組みはできないのかと考えた。そうして出会ったのが、当時まだ知名度の低かったバイオ燃料、すなわち再生可能エネルギーだ。
合田「再生可能エネルギーは、石油資源などと異なり、動植物の生産資源から生まれるバイオマスで精製するエネルギー。つまり、エネルギーが足りないとなれば、植樹を行うことでその総量を増やすことができる。奪い合いを生み出さない存在であることに強く惹かれました」
創業初期、合田氏がタッグを組んだのはマレーシアでバイオ燃料を生産する企業。日本へのバイオ燃料の輸入を行い、東京都バスへの導入に成功した。じきに、国内への輸入ルートの開拓のみではなく、研究開発や品種改良、原料である植物の育種にも着手するようになった。
合田「2008年頃からフィリピンでヤトロファ(和名:ナンヨウアブラギリ)の栽培を行った後、2011年にはJST・JICAからお声がけをいただきアフリカでの5年に渡って共同研究に従事しました。
その際、コスト面や土壌などを加味し、研究のフィールドとして選ばれたのがモザンビークだったのです。栽培したヤトロファから搾油し、バイオディーゼルを精製。販売するという一連のフローを組みながら実証実験に携わりました。まだ、電気の通っていないモザンビーク南部のとある村で、精製したバイオディーゼルを用いての発電を行う日々でした」
バイオ燃料生産事業のはずが、電子マネー導入事業に……
モザンビークでの実証実験はスムーズに進んだ。モザンビークでは、全土にインフラとしての電気が広まっておらず、そのためにせっかく発電に成功しても家庭への電気導入は行われない。
合田「日本国内で考えると、バイオ燃料はトラックなどのモビリティで利用されるケースが多いため、販売先は自ずとモビリティ関連になります。しかし、モザンビークでは据え置き型の発電機でバイオ燃料を利用します。しかも、発電ができても各家庭で電化製品があるわけでもないですし、送電線などのインフラも整っていないので発電した電気でどうやって事業を行うかは工夫が必要でした」
事業性を考えた結果、発電した電気を用いて食料品の冷蔵・冷凍を行い販売する事業モデルに行き着いた。モザンビーク国内の小売店である「キオスク」で、冷蔵・冷凍品を販売し収益を得る形だ。たとえば、冷えたビールを通常価格より20円ほど高く販売し、その際の差額分を収益として獲得するというものだ。その戦略は無事に実を結び、モザンビーク国内に電力の快適性を届ける一手としての役割を果たした。
事業性を見つけられたものの、いざ事業を開始すると新しい問題が生まれた。現地スタッフに任せていた売上を整理すると、どうも30%ほどがどこかに消えてしまっているのだ。
合田「当時、当たり前ですが『キオスク』内の買い物はキャッシュオンリー。現金のやりとりが行われていましたから、誰かがお金をくすねていたんでしょうね。とても大きな損害が生まれており、事業の継続すら困窮する事態に陥ってしまいました」
事業を行っていたエリア内に存在するキオスクは10店舗ほど。そのうち3店舗で実証実験のために製氷機や冷蔵庫を導入した電気事業を行っていたが、どの店舗でも売上のうち約30%がなくなる事態に発展。
合田「現地スタッフに尋ねると、『村の中にある、電気のない他のキオスクと比べてうちのキオスクは売上が高い。だから妬まれて呪いをかけられたのだ』と答えるんです。そして、『対抗するにはこちらも白呪術師を雇うしかない』とも言うのです。さすがに呪術師で解決を目指すわけにもいかず、頭を捻りました」
社内では監視カメラの取り付けを提案する声が多かったというが、異郷の村で他人に疑いの目を向けるような行いは避けたい。そう考えた合田氏は、訪れたピンチをアイデアで乗り越えた。それが「電子マネーの導入」だった。
合田「現金のやりとりが行われるが故にお金がなくなってしまうのなら、現金のやりとりを無くそうと思ったんですね。そこで店舗には、タブレットや決済端末を導入。利用者には決済用のカードを配布。電子マネーのみの決済システムを維持することで、以前は30%を行ったり来たりしていた売上誤差を、1%未満に抑えることに成功しました。実はこれも不思議な話で、電子マネーにチャージする際には結局現金を受け取ります。しかしその現金はなくならないのです。テクノロジーは現地の人々からすると呪術と同じく”ある種の魔法”なので、どこでお金をくすねられるかがわからないから、お金がなくならないのです」
また、電子マネーシステムの導入によって副次的なインフラ整備の効果も見えた。カードを持つ村の人々が、資産を電子マネーにチャージして預金管理するようになったのだ。
合田「電子マネーのシステムを導入すると、頻繁に買い物をするわけでもないのに、高額のチャージを行う村の人が出始めました。不思議に思い、確認をしていくと電子マネーで資産を管理していたのです。今まで彼らは手持ちの現金を驚きの方法で管理していました。具体的には、穴を掘って隠すという手法です。電気が通っていない国なので、そもそも銀行の支店がないし、ATMもない。お金を預ける場所がないのです。電子マネーを導入したことで現物管理を行うことなく資産を保管できるのがすごく便利だと感じてくれたのでしょう」
銀行という仕組みすらも存在しない地域では、安心安全に自身のお金を管理することもできない。電子マネーの導入によってその管理はもちろん、人々のキャッシュフローを通じた与信管理も行えるのだ。テクノロジーが生活に与えるインパクトの大きさに合田氏は驚きと興奮を覚えたという。
合田「最初はあくまでバイオ燃料の研究開発、実証実験の名の下、モザンビークに足を運んでいました。ところが、そこでの生活を目にするうちにテクノロジーという、“ある種の魔法”の影響力を実感しました。
ですから今後は、電気・水道などのインフラ整備だけではなく、金融や病院などの生活に欠かせない存在をアフリカの土地に根付かせるだけの働きがしたいです。日本でいう、JA(農業協同組合)のような仕組みやパッケージを作ることができたら、アフリカ各国へそのムーブメントを広げていけるのではと考えています」
コミュニティの特性を理解し、丁寧に、かつ広大なインパクトを残す事業に育てたい
合田氏が実践する事業は、今はアフリカの生活水準向上に一役買っているが、いずれは日本の未来をも進展させる可能性があるという。日本の大きな課題とされている高齢化が引き起こす集落や農村の消滅は、日本の銀行・病院などインフラの撤退を推し進めてしまうものだからだ。
合田「10年、20年後の日本では、多くの農村や集落が消滅すると考えられています。生活者の減少に伴ってそれらの地域にある多くの事業も撤退を余儀なくされることでしょう。そういった際、村を再生させるためのノウハウは、今まさにアフリカで実践していることそのものだと思うのです。大規模なインフラやネットワークを構築せず、村の単位で発展を目指すコミュニティーベースの考え方がそれです。
これをリバースエンジニアリングすることで、日本でも新しいインフラを整備し、村に人々が暮らすための力添えができるかもしれない。そうすることで若い方の移住も活性化し、結果として日本全体の生活が豊かになると考えています」
モザンビークという国の、小さな村に属して事業を立ち上げたからこそ見えてきた、こじんまりしたコミュニティの中で信頼を得ることの難しさ、そして面白さ。それを合田氏は感じている。
大きなインパクトを残す事業は、必ずしも多くの人を相手にするばかりではないのだ。小さな協力者の輪を作り、そこで生まれたシステムを活かし、ノウハウを活かして事業を育てていく。
合田「その土地に根付く歴史や風土なんかを丁寧に理解することが必要なんです。モザンビークはもともと内戦が長いこと続いていたために、他人を信頼するという文化があまり醸成されていません。
ところが、我々が今年参入したセネガルは人懐っこい文化が生まれており、助け合いの精神も備わっている。村の人々で協力しあってインフラを整備するという面においては、セネガルのほうがスムーズです」
どちらにしても、日本人という異国の民族だからこそ、その土地に必要なインフラや仕組みを俯瞰して見ることができるのかもしれない。モザンビーク人だけでも、セネガル人だけでも、もちろん日本人だけでも成功することのないコミュニティと第三者視点を活かした事業開発が今の日本植物燃料の基盤を形作っている。
合田「日本には車もあるし電気もある。今の生活に不便を感じる人はそう多くないでしょう。だからこそ、より良くする必然性があまりありません。
ところが、その必然性のある国が世界にはまだまだ多い。だからこそ、その国々に貢献したいという気持ちもありますし、その知識が引いては日本の未来を救うかもしれない。魅力的な事業に携わっているなと思いますね」
ここがポイント
・日本植物燃料株式会社では2000年からバイオ燃料の生産や研究開発に従事している
・バイオ燃料を始めとする再生可能エネルギーの研究開発地としてアフリカ南東部のモザンビーク共和国が注目を集めている
・インフラが整備されていない環境下での実証実験では、インフラの利便性を周知することから始まる
・現地の「キオスク」内での現金管理体制に難しさを感じて電子マネーも導入
・結果、電子マネーを銀行のATMのように活用する村民が急増。金融目線での副次的な成長にも貢献できた
・国や地域の特性などを活かして仕組みを作ることで、その仕組みを展開しながら多くの国々に貢献するビジネスを展開できる
・現在、合田氏がアフリカで行っている仕組みづくりは、いずれ高齢化社会によって引き起こる集落の減少によるインフラの過疎化を救う一手となることも期待されている
企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木詩乃
撮影:幡手龍二