SDGsをはじめ、世界的に環境問題に対する取り組みが行われているが、その中でも特に改革が求められているのが「エネルギー業界」ではないだろうか。私達の生活に欠かせない電力は、それを生み出す工程で地球環境に大きな負荷をかけ、時には私たち自身への大きなリスクも孕んでいる。東日本大震災による原子力発電所の事故は、まさにそのリスクを象徴する出来事だと言ってもいいだろう。
今回話を伺ったクリーンプラネット株式会社の代表取締役社長・吉野英樹氏は、そのような現状に危機感を覚え、世界視点でエネルギー革命への必要性を信じて、もっとも安全でクリーンな発電方法の実用化に奔走する一人だ。学生時代に英会話スクール「GABA」を創業、売却まで経験した実業家が、なぜエネルギー業界にチャレンジしたのか。地球の未来を変えるクリーンなエネルギーとはいかなるものなのか、東北大学の特任教授でもある岩村康弘氏の話と併せてお届けする。
INDEX
・新興国、カナダ、東日本大震災―GABAの創業者が環境問題に取り組むまでのきっかけ
・吉野氏が可能性を感じた次世代型発電「量子水素エネルギー」
・経営者の仕事はビジョンを発信し、研究環境を整えること
・ビジョンの実現のために欠かせない「ミッション」の見つけ方
吉野英樹
クリーンプラネット株式会社 代表取締役社長
横須賀市出身。開成高校卒業後、東京大学法学部卒業。
大学時代に、日本の競争優位を、語学力と夢の大きさから再構築するために、株式会社GABAを起業。同社代表取締役社長として2004年に、日本の教育市場で1位を獲得。その後、渡欧し、ロンドン・ビジネス・スクール大学院にてMasters in Finance修了。
東日本大震災を目の当たりにし、投資家生活を引退。ふたたび、日本の競争優位をエネルギーから再興すべく、世界の科学者に働きかけ、株式会社クリーンプラネットを起業。
東北大学リサーチフェロー。二女一男の父。
岩村康弘
東北大学 電子光理学研究センター 凝縮系核反応共同研究部門 特任教授
福岡市生まれ。1985年東京大学工学部原子力工学科卒、1990年東京大学工学系大学院原子力工学専攻博士課程終了、工学博士。1990年三菱重工業㈱ 基盤技術研究所。以来、プラズマ利用技術、中性子を利用した爆発物検知技術、凝縮系核科学に関する研究、研究企画・管理業務に従事。2004年3月国際凝縮系核科学会(ISCMNS)よりGiuliano Preparata Medal受賞。現在、水素とナノスケール金属によって発生する量子水素エネルギーの研究開発に取り組んでいる。
新興国、カナダ、東日本大震災―GABAの創業者が環境問題に取り組むまでのきっかけ
学生時代に英会話GABAを創業した吉野氏。英会話産業の実業家が環境問題に興味を持つようになった経緯についてこう語ってくれた。
吉野「もともとGABAを創業しようと思った理由は、ポテンシャルの高いはずの日本人が、英語が話せないことでグローバルな場で表現できないのがもったいないと思ったからです。もっと積極的に英語で情報の発信や吸収ができるようになれば、日本人はもっと世界で活躍できるはずだと思っていました。
GABA は6年ほど経営してある程度に軌道に乗せることができたので、次のステージに進められる人たちにバトンタッチしました。私自身はもっと世界を見て勉強したいという思いから、ロンドンの大学院に入学しました。そこでは様々な人と交流でき、その中で私が特に興味を惹かれたが『エマージング・マーケット(新興国市場)』です」
新興国に関心を惹かれた吉野氏は実際にインドやブラジルなどに足を運んだ。そこで目にしたのは大量の人と排気ガスだ。
吉野「とにかく人の数が多くて圧倒されましたね。ラッシュアワーには人が大河のようになっているんです。それと同時に気になったのが排気ガス。『こんな勢いで空気が汚染されて、地球は大丈夫なのかな』と心配になるほどでした。
その後、家族で移り住んだカナダのバンクーバーは、環境意識がとても高い地域で、新興国で見た景色が鮮明に蘇りました。子どもたちが通う学校も環境問題に関してしっかり教育しており、私自身も『限りある資源を大切に使わなければならない』という想いが強くなっていったのです。
それからは環境問題に関するプロジェクトにも参加するようになり、環境投資家として活動するようになりました。学生時代は投資をするだけで満足していたのですが、大学院を卒業すると物足りなさを感じるようになったのです。もともと自分で事業をしていたこともあり、自分自身で事業を興したい気持ちが日に日に強くなっていきました」
自分のやるべきことは何か、自分の人生のエネルギーを何に注ぐか、世界中をリサーチしながら、次の一手を模索している中で起きたのが2011年3月の東日本大震災だ。吉野氏はすぐさま家族を連れて日本に戻ってきた。現地に駆けつけ、計画停電で辺り一帯が真っ暗な中、人々の心も沈んでいるのを見て、吉野氏の中に湧き上がるものがあったと言う。
吉野「原子力発電所の事故は、最悪の場合、東日本の人々を全員西日本に移住させなければいけないほど危険なものでした。ギリギリで最悪の事態は免れたものの、被災地の凄惨な状況を見て『こんな危険なものに将来のエネルギーを任せておくわけにいかない』という想いが強くなったのです」
津波の被害を受けた仙台市若林区荒浜
吉野氏が可能性を感じた次世代型発電「量子水素エネルギー」
東日本大震災を機に、有害物質やCO2を出さず、爆発する恐れもない発電方法を躍起になって探し始めた吉野氏。様々な学者に会いに行くと、数名の世界的な学者たちから韓国の学会に行くことを勧められた。
吉野「2012年に韓国で行われた学会には、10カ国以上からたくさんの学者が集まっていました。そこで出会ったのが東北大学で教授をしていた岩村です。彼が研究している『量子水素エネルギー』に人類の歴史をくつがえす可能性を感じ、日本に帰ってすぐにクリーンプラネットを設立しました」
「量子水素エネルギー」は、水素を燃料としながら、ガソリンの1,000倍以上という莫大なエネルギー密度をもたらす次世代のクリーンエネルギー技術だ。30年以上研究を続け、世界でもエキスパートとして知られる岩村氏により詳しく話を伺った。
岩村「量子水素エネルギーは水素と金属を反応させて発電させる方法です。その現象自体は1989年に発表されましたが、理論が解明できないために再現性がなく、長らく懐疑的とされてきました。簡単な設備で安価に、そして安全に膨大なエネルギーを生み出せる夢のような話に、学者たちが納得できないのも無理はありません。
しかし、理論は構築されていなくても、私達は再現性をもって現象を起こす方法を確立できました。まだ実用的とは言えませんが、条件さえそろえば同じ量のエネルギーを安定的に生み出すところまできているのです。これから実用化に向けて研究が進み注目が集まれば、若くて優秀な研究者たちが理論も解明してくれることでしょう」
これまで学者たちの間でも眉唾ものとされてきた量子水素エネルギーは、研究テーマとしては魅力的ではなかったそうだ。しかし、その存在が証明され実用化が進めば、自然と研究する学者も増えるはずだと岩村氏は言う。では、実用化に向けて必要なこととは一体なんなのだろうか。
岩村「今は一定の条件下では現象を再現できますが、実用化するとなれば様々な状況下でも再現できるようにコントロールできなければなりません。暑い場所や寒い場所でも利用できなければいけませんし、必要によっては装置をコンパクトにしなければいけない場合もあります。
いずれにしても基本の研究はほとんど終わり、あとは現象をコントロールするだけです。実用化まではあと一歩といったところですね」
経営者の仕事はビジョンを発信し、研究環境を整えること
クリーンプラネットは岩村氏を始めとした科学者たちに支えられているスタートアップだ。科学者ではない吉野氏の、経営者としての仕事はなんなのだろうか。
吉野「この分野は兎にも角にも技術ファーストの世界です。技術がなければ何も始まりませんし、優れた技術があればそれぞれの分野のエキスパートが集まってきます。法律やデバイスのエキスパートを集めるにしても、ともかく一流の技術でなければいけません。
そのために研究者たちが研究に没頭できる環境を作るのが経営者の仕事です。最初は不安な時期もありましたが、論文を読みあさったり、海外の研究所を巡ったりして、研究以外のことで何がサポートできるか常に考えていきました」
研究する環境を整え、優秀な人材を集めるためには会社のビジョンを発信することも大事だと言う。ビジョンを発信する上で気をつけていることがあると吉野氏は続ける。
吉野「ビジョンを発信するにしても、無闇矢鱈に発信すればいいわけではありません。たとえマスメディア総合ニュースに取り上げられても、ただ情報を流されるだけで誰にも刺さりません。ビジョンを伝えるには同じ波長を持つ人に伝えていくのが重要です。同じような方向のビジョンを持っている人なら、ビジョンを発信し続けることで事業が進んでいくはずですから。
一緒に働くメンバーにも、ビジョンを伝えるのは同じです。目指すべきゴールと仕事の目的さえ共有されていれば、プロは想像以上の働きを見せてくれます。それは今の仕事もGABAの時も変わりません。経営者ができるのは方向性を示して、環境を整えることだけですから」
ビジョンの実現のために欠かせない「ミッション」の見つけ方
実用化が目前に迫っている量子水素エネルギー。これまで一番辛かった時期はいつだったのかを尋ねてみた。
吉野「つい最近まで本当に大変でしたね。岩村が言っていた通り、量子水素エネルギーはついこの間まで、科学者たちにさえ嘘だと思われていたような技術です。自分たちだけは信じて疑わずやってきましたが、忍耐は必要でしたね。それでもやってこられたのは、この安全なエネルギーを作り上げたいという信念があったからだと思います」
自分のミッションを信じてここまで走り続けてきた吉野氏。しかし、自分のミッションを見つけて、かつ走り出せる人間はそう多くないだろう。自分のミッションを見つけ、行動に移すためには何が必要なのだろうか。
吉野「今でこそ私はミッションに向けて走り続けているように見られますが、実はGABAを売却してからはやりたいことを探しても見つからず悩んでいた時期もありました。自分は一体、なんのために生きているのだろう、と。その時期はひたすら視野を広げるために様々なことを学び、世界を自分の足で見て回りましたね。結果的にそうやって学んだことが、自分のミッションを見つけるのにとても役立ったと思います。
もうひとつ重要なのは、自分の直感を信じて、とにかく行動することです。自分が本当にやりたいことでなければ、壁にぶつかった時や、批判的な声を聞いた時に止まってしまうでしょう。しかし、自分が本当にやりたいことであれば、辛くても周りに何を言われても執着してしまうものです。人生は、そういうものに出会えるまで、トライし続けなくてはいけないと信じています」
最後に量子水素エネルギーを実用化した先に、どのような未来を見ているのか語ってもらった。
吉野「量子水素エネルギーが実用化できたら、今の発電所を全て代替できる発電技術になるはずです。この技術のいいところは水素さえあれば、どこでも発電できるところ。いずれは世界中の人がいる全てのエリアに電気を届けられるようになります。将来的な夢は、一家に一台、量子水素エネルギーによる発電装置を設置し、それぞれの家庭で電力を賄えるようにしたいですね。
それは人類の歴史において、まさに『火の発見』に匹敵するようなインパクトがある進化です。場所を選ばずクリーンなエネルギーを作り出せれば、経済発展、戦争、危険といったさまざまな束縛から人類を開放することができる。最高の科学力の結集で、夢は近づいてきています。一にも早く、この人類の非連続的進化を促せるようなイノベーションを実用化したいですね」
ここがポイント
・GABA のバトンを渡し、移り住んだバンクーバーで『限りある資源を大切に使わなければならない』という想いが強くなっていった
・自分のやるべきことは何か、次の一手を模索している中で起きたのが2011年3月の東日本大震災だった
・『量子水素エネルギー』に人類の歴史をくつがえす可能性を感じクリーンプラネットを設立
・量子水素エネルギーは基本の研究はほとんど終わり、実用化まではあと一歩
・研究者たちが研究に没頭できる環境を作ること、会社のビジョンを発信することが技術スタートアップの経営者の仕事
・自分のミッションを見つけるには、視野を広げるために様々なことを学ぶこと、直感を信じて行動することが重要
企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木光平
撮影:河合信幸