企業に生物多様性への影響度開示が求められる未来。TNFDを支援するシンク・ネイチャーの勝機
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環境情報をはじめとする非財務情報の開示が進まない理由に、技術的な難しさがある。地域社会や自然との共生は多くの企業が取り組んでいるものの、これを定量的に評価することは難しく、開示も遅々として進まない。
こうした課題に取り組むスタートアップがある。シンク・ネイチャーは、沖縄県に拠点を持つ従業員18名の企業だ。3名の大学教員や6名の博士号取得者を含む同社は、ビッグデータ利活用によって生物多様性分析などネイチャー評価を実施している。
今回は、同社取締役社長 COOの舛田陽介氏に、同社のビジネスについてお話を伺う。社会全体の動向や同社の強みだけでなく、同社が抱える課題についても率直にお話しいただいた。
舛田 陽介
株式会社シンク・ネイチャー 取締役社長 COO
オレゴン州立大学公共政策学修士課程修了、横浜国立大学環境情報学府博士課程修了。博士(学術)。三菱UFJリサーチ&コンサルティングにて官公庁や自治体に対して生物多様性関連の調査、計画策定支援などに従事したのち、自身で株式会社マイズソリューションズを設立。その後、PwCサステナビリティ合同会社にて民間企業の生物多様性・TNFD対応サービスを開発・展開。2023年7月より現職。経済と生物多様性保全の両立を目指している。
ポイント
・TNFDとは、自然に着目して、企業が直面する機会やリスクの評価・情報公開によって、市場の資金の流れをより自然に配慮したものに転換することを目的とする取り組み。
・「TN LEAD」では、世界中の約35万種以上の生物の分布データを利用し、科学的に信頼性の高い情報を選別、衛星画像を活用した詳細なインパクト評価やシナリオ分析を行う技術も掛け合わせることで、企業に示唆を提供している。
・気候変化の影響で生物分布や作物の生産性がどのように変わるのかも予想でるので、それぞれの影響度を検証することで、企業活動による影響の寄与度を探れる。
・これまでは組織の規模が小さく、受注量を増やすことができていなかったため、今後は評価レポートの自動出力と、広報にも力を入れていく。
・TNFD開示のような投資・市場からの要求が広がることは、自然に対する影響を無視してはビジネスが成り立たなくなることを意味する。
INDEX
・これからの非財務情報開示のキーワード「TNFD」とは
・ビッグデータの収集・分析が、緻密な環境情報評価の鍵となる
・自社の強みを最大限に活用して、市場を新たに切り拓く
・経済活動と自然保護がトレードオンになる時代が到来する
これからの非財務情報開示のキーワード「TNFD」とは
――貴社は、TNFDに準じた環境情報開示を支援するサービスを提供しています。そもそも、TNFDとは何ですか?
舛田:TNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures:自然関連財務情報開示タスクフォース)は、各企業を取り巻く外部環境の中でも自然に着目して、企業が直面する機会やリスクの評価・情報公開によって、市場の資金の流れをより自然に配慮したものに転換することを目的とする取り組みです。かねてから非財務情報開示のスタンダードとして用いられてきたTCFDは気候に焦点を当てたものでしたが、自然に焦点を当てたものがTNFDです。
ビジネスを行う上で、これまで外部環境として捉えられてきた自然にどのような機会やリスクを見いだせるのかを同定することは非常に重要です。また自然を蔑ろにした経済活動が許容されなくなっている中で、自社が自然環境にどのような影響を与えているのかをきちんと把握することも求められています。自社が自然にどのように依存し、どのような影響を与えているのかを計測した上で、それら紐づくリスクや機会を開示していく枠組みがTNFDとなります。
――舛田さんは、なぜこのビジネスに参画されたのですか?
舛田:ビジネスやマーケットと当社の技術を接続し、広げていくためです。私個人は、学生時代からずっと生物多様性の領域のことをやってきましたが創業者ではありません。大学では、自分が好きな自然をどうやったら守れるかを勉強することから始まり、制度や法律を変えた方がインパクト大きいと思い、政策系のことを研究するようになりました。その流れでシンクタンクに就職し、行政をメインで担当しました。ただ、行政のスピードはそれほど早くないし、どうしても国内に閉じてしまう。
グローバルでのインパクトを考えると、サプライチェーンに目を向ける必要があり、それは行政ではなく企業が行う必要があります。世の中的にもTNFDへの気運が高まっていた一方で、生物多様性領域のことがわかる人間が企業には少なかった。それをどうにかしたいと、PwCに転職し、生物多様性関連のサービスを作ったりしていました。そこでぶち当たった壁が、定量評価でした。データが足りていない上、分析技術も確立されておらず簡単に評価ができなかったのです。同じ頃に当社を立ち上げた久保田先生と出会ったのです。この技術とデータを世の中に広げられたら、今ぶつかっている壁を突破できると感じました。ただ、当時のシンク・ネイチャーは、ビジネスやマーケットへの接続が十分に出来ているとは言い難い状況でした。そこに私が入ることで、シンク・ネイチャーとマーケットを繋げていけば、もっと自然を守れるかもしれないと考え、当社に入社しました。
ビッグデータの収集・分析が、緻密な環境情報評価の鍵となる
――環境情報開示を支援するサービス「TN LEAD」の仕組みを教えてください。
舛田:「TN LEAD」は、様々なデータを組み合わせて事業と自然環境の関係を分析し、優先的な事業エリアの特定、事業活動が自然に与える正負のインパクトの定量評価、シナリオ分析による将来のリスク・機会評価などを包括的に実施するサービスです。
このサービスでは、世界中の約35万種以上の生物の分布データを利用しています。こうしたデータは、生物の観測情報に土地の利用状況や気温・降水量・標高などといった環境情報を重ね合わせたうえで、マシンラーニングによって点の情報を面の情報として加工して作成しています。これによって、たとえばA地点は生物多様性において非常に重要な場所である、B地点の近くには4種の希少種が生息しているなどの情報が可視化できるといった寸法です。また、生物多様性以外の水リスクや作物生産など自然資本に関する様々なデータも整備しています。
当社の強みはビッグデータとそれに基づく分析にあります。データについては世界中の学術論文や国際機関などの公開データベース、その他の調査データも含めて科学的に信頼性の高い情報を選別した上で網羅的に収集・統合しています。そのうえで衛星画像を活用した詳細なインパクト評価やシナリオ分析を行う技術も掛け合わせることで、企業様に有益な示唆を提供しています。
――企業が経済活動を行っている場所の自然やインパクトを数理的に示せるということですね。
舛田:そうですね。当社ではグローバルでは約15kmメッシュのデータを基盤として整えていますが、必要に応じて20mメッシュなどの詳細な分析が可能です。さらに、開発を行ったり自然災害が発生した場合、その地域の自然環境は少なからず影響を受けますが、過去と現在を比較することで、自然への時系列的なインパクト評価も行えます。
――ある地域の環境変化が、人為的なものなのか気候変動などによるものなのかを切り分けることもできるのでしょうか?
舛田:可能です。気候変化の影響で生物分布や作物の生産性がどのように変わるのかも予想できますので、それぞれの影響度を検証することで、企業活動による影響の寄与度を探れます。自然保護に真剣に取り組まれている企業様にとっては、「気候変化によって自然は劣化しているけれども、当社の活動によって劣化のスピードは抑えられています」といった報告が客観的に行えることになります。
自社の強みを最大限に活用して、市場を新たに切り拓く
――貴社は、どのような顧客向けにサービスを展開されているのでしょうか?
舛田:現在は、プライム市場に上場しているような大企業様からご依頼をいただき、受託プロジェクトを行うことが多いです。
たとえばパーム油を調達している場合、グローバルなサプライチェーンでのリスク評価を行いたい企業様も多くいらっしゃいます。これまでの企業活動で生物多様性がどれだけ失われたのかといった分析や、パーム油の原料となるアブラヤシ農園をこのままのペースで広げた場合に生物多様性の喪失はどれだけ進むのかといった分析を行います。その上で、原生林を守るための施策を講じれば生物多様性の損失はどれだけ抑えられるのかといったシナリオの分析も実施できます。また、生物多様性への影響のみでなく、生産量への影響なども分析に含まれます。
――社会全体で自然保護の意識が高まっているので、こうしたサービスの需要は大きそうですね。
舛田:特に2023年あたりから、企業様からの引き合いはかなり増えています。TNFDなどについて意識の高い方々からお選びいただけているものと考えています。
需要の高まりに合わせて、さらにもう一歩踏み込んだサービスも提供したいと考えています。これまではCSRを管掌してきた部署からのご依頼が多かったのですが、気候変動による病虫害の流行で調達リスクを抱える企業様も多くいらっしゃることを把握しています。そうした調達リスクも可視化できるので、よりビジネスに直結した調達の部署や経営層の方々に対するサービス提供も考えています。
そのほか、国内に拠点を持つ中堅企業様に対してもサービスを展開していきたいところです。世界中の自然に関する多様なデータを保有しているので、住所さえいただければリスク査定を短時間で行えます。当社のリソースを有効活用することで、規模にかかわらず様々な企業様にサービスを提供していきたいところです。
――競合の動向についてはいかがでしょうか?
舛田:現在のところ、ビッグデータに基づいて生物多様性をはじめとした自然環境評価を定量的に行う企業はほとんどありません。こうした形態のサービスを展開するには、グローバルなデータ収集は前提として、生物以外のいろいろなデータを組み合わせた上で企業様の状況に応じた多様な分析をする必要があるためです。この点、当社は「データ」と「分析技術」を兼ね備えた稀有な事業者であり、それ故にデータに裏付けられたインテリジェンスを提供できるのだと考えています。
――ありがとうございます。今後のビジネス展開について、スタートアップとしてどのように考えられていますか?
舛田:これまでの反省としては、組織体がまだまだ小さいこともあって受注量を増やすことができていなかったことが挙げられます。広報力についても課題があり、当社のソリューションを市場にきちんと伝えられていませんでした。
こうした課題をふまえて、2つの策を考えています。1つ目が、前述したような評価レポートをオートマチックに出力できるような仕組みづくりです。この点はすでに「GBNAT」というサービスを開始しています。また、不動産、住宅業界に対して、たとえば宅地開発を進める際にどのような木を植えればどんな鳥や蝶々などが来るかといった予測の提供もより簡易にできる仕組みを構築しています。ビッグデータからできることは様々あるので、お客様のニーズをふまえて価値のあるサジェスチョンを提供できるよう開発を進めます。
2点目として、広報に力を入れていきます。専門性の高い領域なので伝わりづらい部分は多いのですが、そこは当社が提供する価値をしっかりとご理解いただけるようにセミナーの実施や記事の執筆などを通じて説明を尽くします。また、国内だけではなく、世界に向けても発信していければと考えています。
経済活動と自然保護がトレードオンになる時代が到来する
――今後、TNFDに基づく情報開示が盛んになっていくものと思われます。その際、世の中はどのように変わっていくのでしょうか?
舛田:今までのビジネスでは、自然に対する影響の多くは無視されていました。TNFD開示のような投資・市場からの要求が広がることは、自然に対する影響を無視してはビジネスが成り立たなくなることを意味するのだと理解しています。今後ビジネスの根本ルールが変わりうると言ってもよいのではないでしょうか。
地域社会との関わり方も大きく変わるはずです。地域社会と自然資本は密接に関連しており、周辺環境との共存を本気で考えれば、地域社会への配慮も真剣に考えざるをえなくなるためです。その配慮の先には、地域における生物多様性の保護だけでなく、持続可能な地域社会づくりがあります。ビジネスというのはその地域の自然資本に少なからず依存するものですから、ビジネス展開を地域ぐるみで考える未来が訪れることでしょう。
――自然環境と経済活動が両立する未来もありうるということですね。
舛田:今の状態を金融で例えれば、本来は自然の恵みである利子だけで生活するべきなのに、元本にも手を付けてしまっていている状態です。元本である自然そのものを食いつぶしてしまっては、私たちが受け取れる利子は減っていく一方ですよね。だからこそ、元本を回復させられるような、ネイチャーポジティブなテコ入れが求められています。2030年までに地球上の陸と海の30%を保全する「30by30」といった野心的な目標がG7やCOP15で採択されるなど、流れが変わっていることを感じています。
――そうした未来の社会において、貴社はどのような貢献ができるのでしょうか?
舛田:効果的な施策の展開には「見える化」が重要です。地球全体の自然についてのビッグデータを保有している当社は、「リスク・機会」の見える化と「施策効果」の見える化の点で企業活動をご支援させていただければと思います。一言で「自然」といっても、実際には多様な存在です。多様な側面を把握したうえで、どのようにすれば共存・改善できるかといった示唆を出すことは、企業単独ではかなり難しいことだと思います。こうした分析を当社がサポートします。
例えば食品サプライチェーンをリードする商社や、バリューチェーンに鉱山開発が組み込まれているメーカーなど、具体的な施策を求めている企業様は多くいらっしゃいます。グローバル企業だけでなく、日本国内に拠点を持つ中堅・中小企業様の需要も高まるでしょう。当社としては、今後も世界中の企業様に価値を提供していく所存です。
企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:宮崎ゆう
撮影:小池大介