シリコンバレー、ボストン、ベルリン、ロンドン、テルアビブ……。スタートアップはどこかの地域に集中して生まれてきます。そうした地域にはスタートアップのエコシステム(生態系)があり、それぞれのプレイヤーが影響力を増幅しあって、起業やイノベーションがどんどんと促進されていきます。
ではスタートアップが生まれやすいエコシステムを特定の地域に作りたいとき、どのような点に注目すれば良いでしょうか。その一つの参考になる考え方として MIT(マサチューセッツ工科大学)のREAP (Regional Entrepreneurship Acceleration Program) というプログラムで提案されているフレームワークがあります。このフレームワークでは、スタートアップエコシステムのステークホルダーとして、(1)起業家、(2)リスクキャピタル、(3)企業、(4)政府、(5)大学の5つが挙げられています。今回はMITがあるボストンを例にとって、この5つの項目を見てみましょう。
まず大学という観点です。ボストンにはMITやハーバード大学など、研究とビジネス教育、起業家教育に力を入れる大学があります。さらにボストンには、ノースイースタン大学やボストン大学など、様々な大学が点在しており、常に新しい若者が流入してきています。高度な教育を受けた学生の中から起業家が次々に輩出され、リスクキャピタルを提供するVCもボストン周辺には大勢集まってきており、世界150都市のスタートアップエコシステムをパフォーマンス、投資額、接続度、市場リーチなどの観点からを評価するレポート[1]では、2020年にはアメリカ国内で3位に位置しています。
優秀な大学の周りには大企業も集まります。主な目的は共同研究や採用です。企業による拠点の設置は雇用を生みます。大学周辺に雇用があれば、学生は大学卒業後もその周囲に生活拠点を持つことができます。大学在学中は起業と縁がなくても、社会人生活を送るうちに起業という選択肢を知り、大学時代の友人(雇用があれば彼ら彼女らも大学の近くに引き続き住めます)と起業する、ということもあるでしょう。更なる学びのためにプロフェッショナルスクールに通うことも容易です。さらに企業が近くにいることで、スタートアップは初期の顧客の獲得が容易になります。
ボストンでは自治体の動きも盛んです。産業クラスター形成を目指した政策などを長年進めており、特に医療やバイオテクノロジーを中心とした企業が集まっていました。2008年にはマサチューセッツ州ライフサイエンス法が施行され、人材育成と雇用拡大を行政が支援しています。それより以前の動きでも、1970年代からボストンでのライフサイエンス振興は大学関係者と市による長年の努力が行われていました[2]。
さらに同市は2010年にNew Urban Mechanicsという取り組みを始めて、市全体として新たな取り組みを積極的に支援したり、地域の重要な課題に取り組もうとしていました。自治体や住民自体が起業家的だった、と言えるでしょう。
EUのまとめた場所に基づくイノベーションエコシステムのレポート[3]でも、ボストンは事例として取り上げられています。そこでは成功の要因として(1)起業家的な環境を養う大学の存在、(2)自治体が起業家的なアプローチをとること、(3)中間アクターが支援するネットワーク、(4)社会経済的な価値を認識する地域の権力者、(5)草の根的な協力を可能にする市民主導のスペースの存在、といった要因が挙げられています。
日本でもこうした地域のエコシステムは東京を中心に盛り上がりつつあるように見えます。
たとえば東京大学を見てみると、本郷キャンパスの周りにはスタートアップが集まりつつあり、アルバイト先や就職先としてスタートアップを選ぶ学生も増えてきました。さらに大手町を含めた丸の内エリアには顧客候補となる企業が集積しています。本郷と大手町の距離はハーバード大学とMITの距離とほぼ同じで、地下鉄丸ノ内線で三駅、所要時間10分ほどです。丸の内周辺には企業が多く雇用も多いため、共同創業者候補となる学生時代の友人もその周辺で勤めている場合もあります。
本郷だけではありません。2021年8月2日に発表された東京医科歯科大学の取り組みは、本郷と丸の内のちょうど中間地点の御茶ノ水で医療・ヘルスケアの領域を盛り上げようとする取り組みです。ボストン周辺を想起させるこの医療・ヘルスケアを盛り上げる動きは、もともとヘルスケア系スタートアップが点在していた御茶ノ水周辺がイノベーションが生まれる地域としての顔を持つことを加速させていくのではないかと思われます。
こうして本郷―御茶ノ水―丸の内のラインで徐々にプレイヤーが集結しつつあるように見えます。
こうした流れが従来の産業クラスター政策と異なるのは、従来は大きな企業や工場を誘致することがメインのトップダウン的だった取り組みが、現在は徐々にスタートアップや市民参加を中心としたボトムアップ型のアプローチと組み合わさりつつある、という点でしょう。
ただしボトムアップのムーブメントは、聞こえは良いもののステークホルダーが多くなるため、運用は非常に難しくなります。物事を進めるときに、多くの人を巻き込み、互いの利害を調整しあわなければならないからです。かといって多くの人たちを巻き込まなければ、それぞれのステークホルダーが単に点在しているだけで、相乗効果は生まれません。
そうした意味でも、ボトムアップのムーブメントを起こしていくために今後東京でも必要になってくるのは、これらの地域にいる人達をつなぐ中間的な存在でしょう。
上に挙げたEUのレポートで指摘されるように、ボストンのMIT周辺ではVenture Caféのような取り組みがあり、様々な関係者がそこで交流することで協業やネットワーキングを促進しています。またイノベーション地区と呼ばれている臨海部には、MassChallengeのような非営利のアクセラレーターが拠点を構え、その地域での関係者のつなぎ役を果たしているように思います。単に近くにいるだけでは意味のある交流は起こりづらいと考えられているため、何かしら交流を起こす仕組みは必要です[4]。
冒頭に挙げた5つのステークホルダーをはじめ、日本のエコシステムにもパズルのピースは揃いつつあるように思います。あとはそれをつなげる仕組みを地域と共に作っていく、そうしたフェーズに入りつつあるのではないでしょうか。
1 Global Startup Ecosystem Ranking 2020
2 How to build a biotech renaissance: MIT in Kendall Square | MIT News | Massachusetts Institute of Technology
3 Place-based innovation ecosystems – Publications Office of the EU (europa.eu)
4 https://dx.doi.org/10.1162%2Frest_a_00676
[ 馬田隆明: 東京大学 産学協創推進本部 本郷テックガレージ / FoundX ディレクター ]