「アート」という言葉にどのようなイメージを持っているだろうか。難解だったり、限られた人のみが理解を深めている芸術分野などと感じている人も少なくないのではないだろうか。
2021年3月8日、三菱地所を始めとして4社による出資で立ち上がった組織がある。株式会社MAGUS(マグアス)だ。アート分野のメディア事業、アートをビジネス分野に活用するコンサルティング事業などを中心に、日本のアート市場を拡大することを目指している。
とっつきづらいイメージのある現代アートだが、「アートとスタートアップは似ている」とMAGUSへの資本参画に於いて担当であった、三菱地所 協創マーケティング室の沖野氏は語る。
その真意、そして三菱地所はまちづくりの観点からどのようにアートを見つめるのかを伺った。
INDEX
・「人柄第一」アートとスタートアップの意外な共通点
・日本のアート市場を成熟させるために
・アートで考える、芯のあるまちづくり
・ここがポイント
沖野 周一
三菱地所株式会社 営業企画部 協創マーケティング室 主事
2008年に三菱地所に入社。大規模複合再開発事業、オフィスビルの開発事業、住宅事業を行う三菱地所レジデンスへの出向を経て、2019年から協創マーケティング室へ。「新たなーサービス」・「新たなターゲット」の観点から三菱地所グループの既存事業のバリューアップ及び新たな価値創造を目的として、様々な外部プレイヤーとの協業等を模索。
「人柄第一」アートとスタートアップの意外な共通点
MAGUSへの資本参画を担当し、現代アートへの造詣も深い沖野氏だが、MAGUSに関わる前は現代アートは少し遠いものだったそうだ。
沖野「私自身、学生の頃の美術などで絵を描くことなどは好きでしたが、現代アートって何もわからない状態だと、『これなに?』というものも多くありましたね」
ところが、関心を持って足を踏み込んでみるとさまざまな気付きが得られた。特に興味深いと感じたのはアートとスタートアップが持つ共通点だったという。
沖野「現代アートの世界に踏み込んでアート業界の人と話したりする中で、ギャラリストやキュレーターと話す機会に恵まれました。その際に、思い切って『ギャラリストの立場でアーティストの卵を見極めるポイントはなんですか?』と尋ねたんですね。返ってきた答えは『人柄です』というものでした。
作品がどうというよりも、アーティストがなぜこういった表現をしたのか、何を思って作品を作っているのかという“人間の思考”をギャラリストたちは見ていたんです。そのときに思いました。VCが人やチームを見て出資するスタートアップを決めるように、アートも作者を見て成長を願う産業なのだと。
もう一つ面白い共通点があって、アーティストの作品には時代背景などのコンテクストが存在します。時代の先を行き過ぎると理解されないし、遅れると陳腐になる。これもスタートアップが自分たちのプロダクトをリリースするときの状況と似ていますよね」
沖野氏は以降、積極的にアーティストやギャラリストとコンタクトを取り、話を聞きに行った。同じ時代を生きているからこそ、現代アーティストと我々は生のコミュニケーションを取ることができる。意志のあるアーティスト、ギャラリストの母数を増やし、産業としての発展に尽くすことが現在のアート業界にはなによりも必要なのだ。
沖野「身近な人から『アーティストとして食べていく』と聞くと『大丈夫かな?』と思いますよね。そこには、エコシステムの未成熟さが理由としてあるんです。これもスタートアップエコシステムで置き換えてみるとわかりやすい。一昔前はスタートアップの数もVCや投資家の数も今ほどは多くありませんでした。『スタートアップで働く』と語る若者がいれば『そんな会社で大丈夫?』と不安視されるような世の中でしたよね。ところが、今スタートアップで働くことに反対する人なんてほとんど存在しない。それはスタートアップの母数が増え流入資金が増加したことに伴い、成功するスタートアップが増え、身近に感じる人が増えたからです。アート業界も、いずれ同じような道筋を辿ると考えています」
では、アートを身近に感じるためのムーブメントはどうしたら生み出せるのか。沖野氏は、その回答として「ミーハー心を活用してはどうか」と語る。
沖野「日本人は、基本的にミーハーな性質の人が多いように思います。流行に敏感だったりするのはもちろん、たとえば“有名企業の創業者が注目しているブランド”と箔が付くと途端に人気が出たり、インスタライブなどで写った商品が売り切れるなどは珍しくない流れです。そう考えると、すでに影響力を持っている人々がアートに注目して発信することで徐々に広まるものだと思うんです」
そうしてアートに触れる人が増えることで、アートが共通言語になる。最近ではギャラリーで、自身が購入したアートをシェアするコミュニティが立ち上がるなど、アートを起点としたコミュニケーションすら生まれているのだ。
大手企業の中では経営層に対してアートセミナーを実施している企業もあるという。人への共感が重要な現代アートの世界は、ビジネス観点で見ても学ぶべき視点であるためだ。
沖野「アートのコンテクストを知るセミナーだったり、社内にアートを身近に感じてもらうための教育プログラムなども整えています。スポーツや芸能の話題と同じ様に、アートが人々の共通言語になることがまず必要です」
日本のアート市場を成熟させるために
「アートを共通言語に」と話す沖野氏は、日本のアート市場はまだまだ未成熟で、それを成熟させていくのがMUGASの使命でもあると続けた。
沖野「日本には海外からも来場するほど規模が大きく名画を所蔵する美術館が全国各地に存在します。著名な画家や作品が凱旋する企画展が開催されるとなれば、たちまち行列が生まれ、多くの人々が訪れる。ところが“アートの売買”に注目すると話は変わるのです。
日本は諸外国と比較するとアートの取引額が顕著に少ない国。美術館を訪れる国民の数は海外各国と比較すると高い割合を例年キープしていますが、売買となると関心を持っている人が少数なのです。
日本のGDPを考えると、購入できる財力がないわけではありません。国力としては強いのに、アートが生活の一部として馴染んでいないことが問題なのだと思います。企画展のようなイベントであれば非日常として訪れる人が多いものの、それらを所有しようと考えている日本人が少ないというわけです」
日本でアートの売買が行われにくいために、日本生まれのアーティストは拠点を海外に置くことも珍しくない。では、なぜアート売買の市場は成長しないのか。一つは、情報が流通していないことが問題だという。
沖野「アート市場が成熟している海外にあって、日本にはないものが“批評”だと考えています。アートに触れる機会や文化は日本にもありますが、批評の観点でアートを捉えて発信している人や媒体は非常に少ない。そのため、購入に至るための情報が誰にも届いていないのだと思います」
MAGUSが展開する事業では、アートを購買するための情報発信を行う。特に現代アートを中心に、各界の著名人によるアート批評をコンテンツとして配信する想定だ。
沖野「世界的に活躍しているハイブランドやメーカーなどは、企業のイメージアップとしてアートを取り入れているケースが増えています。現代アートをフィーチャーすることで企業の製品価値が向上するなどのように、アートとビジネスが結びつく世界を作ることがMAGUSの使命です」
アートで考える、芯のあるまちづくり
これまでまちづくりを中心にビジネスを行なってきた三菱地所としては、まちづくりにアートの文脈を取り込むことも検討中だ。今後は、MAGUSも連携し、アートを活かした特色あるまちづくりをも目指している。
沖野「三菱地所の本丸ともいえる丸の内に近接する“有楽町”。ここは、銀座にも程近く、昔から文化の街として発展してきた歴史があります。今後はそんな背景も活かしながら、文化・芸術の街として有楽町を発展させる取り組みができたらと思っています」
三菱地所が長きに渡って街づくりに携わる中で感じたまちづくりに必要な姿勢は「芯を持つこと」だったという。そのスタンスもアートとの共通点の一つだ。
沖野「100人が100人とも良いよねという街ではなく、少数でも街を愛してくれること。それがまちづくりには必要なんです。歴史も特徴も異なる街を開発していくのだからこそ、それぞれの街には特色が必要ですから。
そう考えたとき、いかに“芯”を持ってまちづくりを行えるのかという観点は非常に重要です。既存の街にはない新しい観点、意思を持った街を生むこと。それが三菱地所の存在意義なのです」
アートを軸にした経済圏の発展、文化の創出、街の活性化などMAGUSが担う役割は多岐に渡っており、またそれらは未来を変えるだけの大きな可能性を秘めている。
沖野「最終的にはtoCの有料会員プラットフォームを作り、アートを共通項とした人々が集まる経済圏を創造したいです。アーティストが国内で活動する選択肢を捨てるのではなく、日本か世界かとその舞台を選べるだけの市場が必要です。
国としての文化の発展について関心や必要性は実感しています。先日、とある行政の方々とお話させて頂きましたが、文化の醸成に対する強い意思を感じました。ところが、どうしたら発展するのかを知っている人がいない。MAGUSはそういったアーティスト、消費者、企業、行政などの橋渡しを行いながら、アートの可能性を広く模索していきます」
ここがポイント
・MAGUSは、4社の出資によって、2021年3月8日に誕生したアートビジネスを行う企業
・アートの市場形成のヒントはスタートアップの成長の軌跡にある
・企業や著名人などを軸にアートを身近に感じてもらうためのアクションがより一層必要
・三菱地所としては、アートを用いたまちづくりの可能性も感じている
・アートにもビジネスにも特色とされる「芯」が求められる
企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木詩乃
撮影:戸谷信博