近年、日本における大学発ベンチャーの発展が目覚ましい。これまで「日本の大学は素晴らしい研究シーズを持っているものの、社会実装できない」と言われてきたが、ここ数年は大企業とオープンイノベーションを実現する大学も増えてきた。
そんな状況下で企業との連携を積極的に進めている大学の一つが東京医科歯科大学。2021年にはオープンイノベーションを実践する空間と場として、大企業・スタートアップ・アカデミアが集う「TMDU Innovation Park(TIP)」 を学内に整備した。
今回は同校のオープンイノベーションを進める飯田教授に、産学連携の現状と、これから目指していくビジョンについて話を聞いた。
飯田香緒里
2005年国立大学法人東京医科歯科大学入職、2013年より現職。産学連携活動推進及び知財管理、利益相反マネジメントを含む産学連携コンプライアンスの教育及び研究に従事している。
INDEX
・医学の力を幅広い業界で活かしたい。変わりつつある大学のオープンイノベーション
・社会貢献、研究の社会実装、人材教育。産学連携の大きな意義
・スタートアップの研究を加速させる「TIP」とは
・産学連携に必要なのは、学外・学内の「情報共有」
・ここがポイント
医学の力を幅広い業界で活かしたい。変わりつつある大学のオープンイノベーション
――まずは貴学の産学連携の現状を、これまでと比較して教えてください。
これまでの産学連携では、企業が特定の研究者に対して「得意な分野について教えてください」と声をかけていました。医大である本学の場合、声をかけていただける企業も自然と製薬会社や医療機器メーカーなど医療系の企業が中心でした。
しかし、医学の力はもっと広い分野で活躍できる可能性を持っています。例えば予防医療含むヘルスケア領域など、病気になる前の健康増進を如何に図るか、にも医学研究は役立ちます。医療機器以外の様々なメーカー、例えば住宅や食品を作っている会社と組むことで、より広い切り口で社会に貢献する。本学はそのような方向に舵を切っている最中です。
――幅広い産業と産学連携をするために、どのようなアクションから始めたのでしょうか。
まずは医療系以外の企業に対し、私たちの研究で解決できる問題がないかニーズを集めました。医療系以外では「大学の先生は忙しい」「自分たちが話しても相手にされないのでは」と思っている企業の方も多く、そもそも「相談する」行動に至っていないことが分かっていました。そのため、こちら側から話を聞きに行っています。
同時に、学内での情報収集も始めました。大学の先生たちもアイデアを持っているものの、それを大学内で具現化することは難しいこともあります。例えばアプリを作るとなれば、IT企業やシステム開発を行う会社との付き合いも必要です。
どのような組み先を見つければ先生たちのアイデアを実現できるのか、これまで本学がお付き合いしてきた企業様はもちろん、これまで全く縁のなかった企業様とのネットワークの必要性が高まっています。学内のニーズと、学外の産業界のニーズ集めること。それが今最も力を入れている取り組みです。
――学内のニーズに合う、もしくはニーズを持っている企業がいた場合、どのように産学連携をスタートさせるのですか。
産学連携のスタートはケースバイケース。私たちから企業様にお声がけケースもあれば、企業様から技術を見せに来てくれるケースもあります。ヘルスケア領域に参入したい企業様は多く、自分たちの技術を医療・ヘルスケアへ応用できないかとご相談いただけるケースが増えてきています。例えば「このセンサー技術なら心臓の音を聞くのに使えるのではないか」という提案であれば、本学の専門の医師・研究者にそのセンターに触れて頂き、ブレストしながら、可能性を検討するところからはじめることになります。
逆にゼロベースからアイデアを練るケースは多くありません。なぜなら、大学と企業の間に立って事業を作り込む人が足りていないからです。ただし、2018年に文科省がオープンイノベーション機構事業をはじめ、12大学に企業との共創するための機能を強化する事業を整備ました。私たちもその1校に選ばれ、オープンイノベーション機構を立ち上げました。この組織がうまく機能させることで、これからゼロベースからの産学連携も増えていくかもしれません。
社会貢献、研究の社会実装、人材教育。産学連携の大きな意義
――これまで貴学発でスタートした産学連携の実績を教えて下さい。
NECとの事例について紹介します。整形外科の先生が医療機関での治療が完了した後の再発予防のために、自分の健康状態や身体の特徴に合ったケアや運動のアドバイスを多くの方が求めているのではないかとの発想が起点になっています。これを実現するためには、AIをはじめとする先進ICTのノウハウを必要をしていたので、NECさんにお声がけしました。
現在は肩こりや腰痛は国民病とも言われ、解消するトレーニングプログラムを提供するジムも増えています。しかし、自分に合うサービスを探すことは容易ではなく、健康維持・向上に向けたケアを中断してしまう方も多くいることが課題となっていると言われます。そこで、今回のプロジェクトでは、本学の医学的知見とNECの技術で、専門性や信頼性の高いヘルスケアサービスの提供を目指します。
2021年6月に神楽坂にオープンした「NECカラダケア」では、NECとTMDUとの共同研究で推進する疾患の予防プログラムサービスが提供されており、各種整形外科疾患の治療及び回復リハビリが完了した後の後遺症にお悩みの方などを対象に、理学療法士・作業療法士が身体の状態評価及び施術提供、改善プログラムの提示が行われています。
――大学の先生は社会意義を優先されるために持続的なビジネスになる価格設計が苦手なイメージがあるのですが、事業化についてはどのように調整したのでしょうか。
先生たちの意識も少しずつ変わってきていると思います。大学にとって研究・教育がメインのミッションですが、社会貢献もまた大きなミッションの一つです。
社会貢献をするには製品やサービスを広く普及させなければいけませんし、市場性を考えて動く企業と産学連携することは、とても有意義だと思います。また、産学連携は教育の面でも非常に意義のある取り組みです。
包括連携している企業様とは人材育成も協働していて、私たちは企業の方に医学教育を提供し、医学部の学生には企業でインターン研修を受けることもあります。学生のうちから社会ニーズや産業を学ぶことは、非常に重要です。
最近では医師が起業するケースや、民間企業で産業医として働くケースなど、多様なキャリアパスが考えられるようになりました。大学としても多様なキャリアパスが少しでもイメージできるよう、学生のうちから様々な経験ができる機会を作っています。
スタートアップの研究を加速させる「TIP」とは
――「TMDU Innovation Park(TIP)」では、学内に新しくラボ(研究室)をオープンさせるようですね。どのような研究ができる施設なのでしょうか。
ラボ(研究室)は大きく「ドライラボ」と「ウェットラボ」に分かれていて、ドライラボは、主にPCを使った研究を行う施設。一方でウェットラボでは、病原体の危険度によってBSL-1(バイオセーフティレベル)からBSL-4(*1)に区分されます。今回オープンする研究室では、BSL-3までの生物実験を行う実験や、遺伝子の研究などを行えます。BSL-3では、管理区域の設定や病原体の保管庫など複数の安全基準のクリアが求められ、都内に新規に開設することは容易ではありません。
*各国で病原体の危険性に応じて4段階のリスクグループが定められており、それに応じた取り扱いレベルが求められる。BSL-4にはエボラウイルス・天然痘ウイルスなどが属する。
――貴学の研究室を使うことで、入居企業にどのようなメリットあるのか教えてください。
1つ目のメリットは、本学のラボを使う場合は本学との共同研究を実施することが条件になるのですが、医療系の研究室と非常に近い環境でコミュニケーション、共同研究が実現しますので、効率的・効果的に研究が進められます。また学内にラボを構えることで、本学の他の研究者・医師とも交流することが可能となり、新規事業の探索につながるかもしれません。
2つ目のメリットは、スムーズに研究を始められることです。通常、遺伝子の研究をするとなれば、委員会に申請をして許可をとるなどの手続きを踏まなければなりません。研究内容によっては研究室の立地も限られていて、リスク回避のために都心部から離れた場所に研究室を構える必要もあります。
本学のウェットラボは本学研究者との共同研究を行っていることが条件になりますので、本学の倫理審査委員会を使い手続きもスムーズに進められるのです。
――どのような引き合いがあるか言える範囲で聞かせてください。
本学が現在組織的に連携している企業の業種をご紹介しますと、電気機器メーカー・損害保険会社・大手総合商社・楽器メーカーなど、一見、医療系大学とのコラボレーションが想像つかないような企業様と連携を行っています。
産学連携に必要なのは、学外・学内の「情報共有」
――様々な企業から提案が来ていると思いますが、どのような段階のアイデアなら大学も相談に乗りやすいのでしょうか。
できるだけ早い段階から相談してもらえると良いと思います。ある程度形になってから提案してくださる企業が多いのですが、熟考してきたアイデアも医療現場の視点からはそぐわないこともあります。時間と労力を無駄にしないために、早期のアイデア段階から一緒に検討できることが理想だと思います。
使いたい技術さえ明確になっていれば、それだけで十分です。「こんな技術があるんだけど、医療分野で使い道ないですか」と相談に来てもらえればと思います。そのために、大学側も気軽に相談してもらえる環境を整備しなければいけないですね。
――「忙しい大学教授の時間を奪ってしまうのでは」と気が引ける企業も多いでしょうね。
そうならないよう、有償で大学教授に相談できる制度も用意しています。お金を頂いているので、契約を結ぶことでしっかり守秘義務を負うので安心して相談してもらえます。
「こんな相談がしたいんだけど」と申し込んでもらえれば、相談に乗る先生もこちらで検討するので、気軽に相談してください。もちろん、具体的な先生の指名も可能です。
――他にも産学連携の制度があれば教えて下さい。
これから始まるTIPは、大学の最新の研究動向、参加する企業・スタートアップの技術やニーズ等を共有するコミュニティです。本学の先生がどんな研究をしているのかを知ることができるので、こうした情報発信によって、企業からの多様な共同研究の申し込みが増えればと願っています。
実はこのコミュニティには、学内の情報共有の役割も期待しています。大学は一般的に隣のラボが何の研究をしているのか分からないと言われたりします。
――なぜ同じ大学内なのに連携がうまくいかないのでしょうか。
学内で、最新の研究を共有する場が限られているからではないかと思います。
同じ領域であれば、同じ学会で知る機会は得られると思いますが、異分野の研究室ともなれば接点はありません。そこで、TIPを学内オープンイノベーションを生み出す場にもしていきたいと考えています。
――様々な大学が同じような課題感を抱えていると思うのですが、なぜ貴学ではそれが実現できるのか教えて下さい。
私たちは、医療系に特化した非総合大学ですので、学長をはじめとした執行部の意思決定は早く、新しい取組にも柔軟に検討、対応する姿勢が理由の一つではないかと思います。
特化型の大学ならではの強みだと思います。
まだまだ走り始めたばかりの部分も多くありますが、今回立ち上げる、医療系大学の研究・臨床の現場のすぐ近くに産学のコミュニティを築くというTIPによって、イノベーション創出に資する産学連携プロジェクトが増強し、この仕組みが一つの医療・ヘルスケアエコシステムとして確立できると嬉しいです。
ここがポイント
・東京医科歯科大学が、大企業・スタートアップ・アカデミアが集う「TMDU Innovation Park(TIP)」 を学内に整備
・医療機器以外に住宅や食品などを作っている様々な会社と組むことで、より広い切り口で社会に貢献する方向に舵を切っている
・現在、力を入れている取り組みは、学内のニーズと学外の産業界のニーズ集めること
・大学にとっては社会貢献も大きなミッションの一つで、市場性を考えて動く企業との産学連携は有意義
・「TMDU Innovation Park(TIP)」で新たにオープンするラボではBSL-3までの生物実験や、遺伝子の研究などが行える
・共同研究による研究の効率化や委員会への申請がスムーズになるなどのメリットがある
・イノベーション創出に資する産学連携プロジェクトが増強していきたい
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企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木光平
撮影:戸谷信博