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東大発ベンチャーLily MedTechが5年で乳がん診断装置を完成できた理由。 リスクマネジメント、開発スピード、組織のバランス。

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スタートアップで働くなら誰しもが抱くのは「スピード感を持って事業に取り組みたい」という前のめりな気持ちだろう。少数精鋭、かつ、立ち上がったばかりの組織だからこそ、スピード感を持って事業の成長スピードを加速させたいと切に願うはずだ。

ただ、事業領域によっては承認や公的機関などとのやり取りが発生して思うように事業を進められなかったり、あるいは、チームとしての一体感が生まれず連携がうまく取れなかったりと、壁にぶつかる機会も多いのではないだろうか。それらが事業成長のボトルネックである場合も少なくないだろう。

では、そんなスタートアップが抱えるスピードと組織づくりの両立という課題を乗り越えている企業の長は何を考え行動しているのか。今回は、ライフサイエンス領域で前述の課題に取り組む、株式会社Lily MedTech代表・東志保氏の元を訪ねた。

東志保
電気通信大学で物理学を専攻後、米国アリゾナ州立大学で航空宇宙の修士号獲得。JAXA宇宙科学研究所にて博士後期課程(総合研究大学院大学 宇宙科学専攻)に進学するも父親が急逝し経済的理由から中退。㈱JEOLレゾナンスに入社し、核磁気共鳴装置の開発に従事。自らが母親を高校生の時に癌で亡くしていた経験から、医用超音波の研究者の夫に誘われ2015年に東京大学医学系・工学系研究科の超音波CTプロジェクトに参画。その技術シーズを実用化すべく、2016年に㈱Lily MedTechを創業し、2021年に乳房用リング型超音波画像診断装置 COCOLY(ココリー)として製品リリース。
2019年にJ-startupに選定。
World Economic Forum Young Global Leader 2021に選出。

INDEX

円滑なプロダクト開発は現場でのヒアリングと協力者を集めることから始まる
アジャイルからウォーターフォールへ。組織の変更でのズレを社員をよく見て丁寧に解消する
今後は乳がん検診の認知拡大、治療機器開発まで。女性の健康に寄与する未来を目指して
ここがポイント

円滑なプロダクト開発は現場でのヒアリングと協力者を集めることから始まる

株式会社Lily MedTechは2016年に誕生した東大発のスタートアップだ。主な事業内容は、医療機器の開発。具体的には乳がんの早期発見に寄与する乳房用超音波画像診断装置「COCOLY(ココリー)」の開発を行っている。

乳がんは、女性の9人に1人が患うとされている病だ。特に罹患率が最も高い40代のがん死亡原因の第一位にもなっている。早期発見及び早期治療を行うことで生存率が高いことも知られているが、従来の検査方法として一般的なマンモグラフィーでは乳腺の発達度合いにより乳がんの判別が難しいケースがある。そこで注目されているのが乳腺密度に関係なく診断ができる超音波(エコー)検査なのだ。

これまでの超音波検査は高度な技術を必要とするため限られた専門医の元でのみ受診可能だったが、同社が開発する「COCOLY」では精度のばらつきを抑え、属人的ではない高精度の検診の実現を目指している。

スタートアップとしての新しい医療機器開発への挑戦。アカデミアや医療機関との協力無しには前に進まない高難易度の事業だろう。東氏はどのように事業開発に着手しているのか。

「事業の立ち上げに際しては、まずは私たちの思いや課題感に共感してくれる外部の協力者を探すことからはじめました。弊社が取り組む事業はあくまで医療機器の販売。早期発見はQOL(Quality of Life)を向上させるので個人に利益があるものの、すでに死亡率減少効果が認められた検診方法が確立しており、新薬のように命にすぐに直結するものではないため、課題に対して自分ごと化して共に歩んでくれる協力者を見つけることが何より大切なんです。特に、実際に乳がん検診に携わっている医師を中心に理解を示してもらえるよう働きかけを進めていきました」

医薬品や医療機器などは安全性が保証されなければ実際に医療現場で使われることはない。また、安全性が確認されたとしても、病院ではリスクヘッジの観点から他院の活用実績を見て導入を決めるという流れも一般的だ。

「医療の領域は安全性が最重要なので、イノベーションがもの凄く難しいのです。ITの領域では一般的なことですら、医療領域では革新的であるケースもあります。言ってしまえば必然的に時間を必要とする領域です」

リスクを許容する素地がない領域での市場開拓に際しては、集めた協力者へのヒアリングを徹底的に行い、発生しうるリスクへのアンテナを立て事業計画に落とし込んでいたという。経営者として、東氏が最も注力しているのがリスクマネジメントだ。

「医療機器開発を主事業としていると、つい開発される具体的な技術に目がいきがちですがそこはプロフェッショナルに任せるべき領域。経営者は事業を俯瞰するためにリスクマネジメントへの注力が何より大切です。開発における障害はなにか、導入における障害はなにか、そこを一番に把握し対処していくのが経営者の何より漏れてはならない仕事だと実感しています。そうすることで、いざ医療従事者の協力を仰ぐとなった際にも、事業の話をより深くまで話すことができたり、スムーズに開発に進めるようになるのです」

アジャイルからウォーターフォールへ。組織の変更でのズレを社員をよく見て丁寧に解消する

既述の通り、医療機器開発において最も重要なのは、利便性や外観などではなく安全性の高さだ。どれだけ機能的な機器だとしても患者さんへの安全性を保証できなければ医療現場での活用はなされない。そのため、開発組織も常にスピードと安全性とのバランスを考える必要があった。

「創業初期、2年ほどはアジャイル開発でとにかくスピード感を持って、と思っていました。医療機器開発に従事したことのあるメンバーもなかなか揃わないので、最初は探り探りの状態でのスタートでしたね。初期はひとまず機器としての形を作り上げることに注力していました」

その後、ある程度の形ができてきたタイミングを見計らって仕様を固めてウォーターフォール開発へ移行。同時に、医療機器開発従事経験のある人材を採用し、開発組織の補強も行っていたという。

「初期に採用したメンバーだけでは開発をより高みへ押し進めることが難しい状況だったので、折を見て経験者を採用し、組織規模を大きくしていきました。また、安全性を重視した開発を行うべくウォーターフォール開発に移行するには、提案者と承認者を分ける必要性も出てきます。そういった面から見ても、常に事業のフェーズを見て採用と開発のサイクルをスピーディーに回していきました」

実は東氏、この採用はとにかくトライアンドエラーの繰り返しだったそうだ。組織が小さい分、一人ひとりがチームに与える影響は大きい。その相性を見極めてサポートすることで、能動的に動ける組織づくりを少しずつ実現している最中だ。

「チームのバランスが崩れるときって、誰かが上司やメンバーの言うことを聞いてくれなかったり、勝手に動いてしまったりするような場合だと思うんです。でも、そういう行動って合理的な理由から生まれるものではなくて、単に面倒くさいとか、自信がないとか、漠然とした不安とか、そんなものだったりする。だからこそ、そういった小さく生まれる不安要素を丁寧に解消することが必要なんです。加えて、アジャイルからウォーターフォールに開発方法の切り替えも行ったので、社員一人一人の適正や限界を見ながら、必要に応じてルールを改変しながら解消していきました」

面倒くさいや不安など情理から生まれるずれの解消は、多様なバックボーンをもつメンバーを束ねる上では重要な部分となる。

「人対人の部分なので相性とか向き不向きは出てくる部分はあると思います、ただ、合理的でない部分のズレを解消してくのは女性に得意な人が多い部分かもしれません。常にバランスを見つつチームをまとめていく必要があると思っています」

今後は乳がん検診の認知拡大、治療機器開発まで。女性の健康に寄与する未来を目指して

すでに2021年5月より「COCOLY」の販売を開始し、現在はマーケットフィットの最終段階まで進んでいるという同社。約5年間という決して長くはない時間を有効に活用し、スピーディーに事業を進めてきた。今後は拡販を狙い、一人でも多くの女性の乳がん早期発見を目指している。

「まずは、女性の乳がん検診受診率を上げて、乳がんで苦しむ、命を落とす女性の減少につながればと思っています。また、ゆくゆくは早期発見のみならず、早期治療にも取り組めるよう治療機器の開発にも着手したいです。

乳がんは女性ホルモンの分泌との関連性もあり個人の努力では発生を避けられない病です。それならば、少なくとも早期に発見し治療できるような世の中を作りたいなと思っています」

また、医療機器の開発だけではなく、女性に向けて乳がん検診受診の必要性を広めていくことも東氏は企業として重要な取り組みだと考えている。

「注意喚起を行いすぎると、利益のためにわざと不安を煽るような発信をしているのではと思われてしまうのが未病に関する発信の難しさなので、できるだけライトめに、かつ、事実に則して真面目に発信ができたら良いなとは感じています。幸い『COCOLY』があることで、乳がん検診がより気軽に快適に受診できることを伝える土壌が整いました。今後は、私たち自身の言葉でより多くの方に乳がん検診の存在を伝えることが求められています」

マスメディア、SNS、医療業界内での発信など、あらゆる観点から乳がん検診という存在の認知拡大を目指す。スピードはもちろん、同社の意思に寄り添う協力者の存在が今後もますます重要視されることだろう。

ここがポイント

・株式会社Lily MedTechでは乳房用超音波画像診断装置「COCOLY(ココリー)」を開発している
・外部協力者無しには事業が進まないため、ヒアリングやミッションなどの対話を通した相互の現場・状況理解がなによりも重要
・長期的な目線でのプロダクト開発では、開発時・導入時におけるリスクや障害などを洗い出し、先回りした上で解消していくことが求められる
・開発と採用は同時進行で。提案者と承認者を分けられる体制が整ったタイミングでアジャイル開発からウォーターフォール開発へ移行
・組織内での動きが鈍る懸念がある際は、迅速に社内ルールを見直しメンバーが動きやすい環境を構築する
・今後は診断機器の開発のみならず、治療機器開発、乳がん検診の認知拡大などにも従事していきたい


企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木詩乃
撮影:幡手龍二