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食の未来を担う「フードテック」の現在地。第一人者、宮城大学石川教授が語る異業界からの参入も進む注目の領域とは

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近年、世界人口の増加や新興国の経済発展による生活水準向上により、急激な成長を遂げる「食」の業界。成長と合わせて解決すべき課題も見えてきている。中国やインドを筆頭に欧米以外の地域において経済が発展する現代において急激な人口増加に対して牛豚鶏などの動物性の食肉(タンパク質)の供給が足りなくなる「プロテインクライシス」などがそれだ。そして、その課題解決の糸口として注目されているのが「フードテック」だ。「フードテック」はロボット活用による省力化や、3Dプリンターによる調理の側面から語られることも多いが、プロテインクライシスという大きな社会課題の解決にも寄与するだろう。

大豆を使った代替肉は最近はスーパーなどでも見かけるようになり、肉自体を作り出す培養肉の研究も進んでいる。日本ではまだまだ日陰的な存在ではあるものの、未来の食卓を担う重要な研究の成果と言える。

そのようなフードテックの第一人者が、宮城大学で分子調理学を研究している石川伸一教授。食品の新しい可能性を開拓し、様々な企業と共同研究をしながらフードテックの最先端を走っている。

今回は石川教授に日本におけるフードテックの現状と、注目の技術領域について話を聞いた。

石川伸一
1973年生まれ。東北大学大学院農学研究科修了。北里大学助手・講師、カナダ・ゲルフ大学客員研究員(日本学術振興会海外特別研究員)などを経て、現在宮城大学食産業学群教授。博士(農学)。 専門は分子調理学。著書に『分子調理の日本食(オライリー・ジャパン)』『「食べること」の進化史(光文社) 』『料理と科学のおいしい出会い(化学同人)』などがある。食を「アート×サイエンス×デザイン×エンジニアリング」とクロスさせて研究している。

INDEX

被災経験をきっかけに変わった食に対する価値観
注目のフードテック領域は「新食材」「調理ロボティクス」
「タンパク質クライシスの解決策」日本と世界の違い
急激な進化を遂げる調理ロボティクスが直面する課題
盛り上がるフードテック業界。異業界から参入する狙い目とは
ここがポイント

被災経験をきっかけに変わった食に対する価値観

――まずは食の研究に興味を持ったきっかけを教えてください。

私の生まれは福島県の田舎で、周りに田んぼと山しかないような環境だったので、興味を抱く対象が「食」しかなかったんです。そして、多くの子供がそうであるように、私もSFが好きだったので、自然と未来の食について考えるようになっていました。

大学は農学部に進み、特に没頭したのが卵の研究。卵は栄養豊富なことは知られていますが、その栄養には具体的にどのような健康機能があるのかを調べる研究です。卵以外にも食材の健康機能を研究していたのですが、東日本大震災で被災したのを機に、健康機能を研究するだけでは不十分であることを痛感したのです。

――健康機能の研究だけでは何がいけなかったのでしょうか?

自分自身、被災した時に求めたのは「おいしさ」だったんですね。実際に被災地のドラッグストアを覗いてみても、一般的な食品は無くなっていても健康食品は棚に残っていました。

その経験から「自分が研究してきたことは無駄だったんじゃないか」「非常時にこそ役立つ研究をしたい」と思うようになり、おいしさの研究をするようになったのです。当時はまだおいしさに関するメカニズムを分子レベルで科学する分野がなかったので「分子調理学」と名付け、新たに研究をスタートさせました。

――それまでも調理の研究はあったと思いますが、従来の研究とどのように違うのか教えてください。

それまでは「どうすればおいしくなるか」は研究していても「なぜおいしくなるか」については十分に研究されていなかったんです。例えば、加熱するとおいしくなることはわかっていても、加熱することで分子レベルで食品にどんな構造的な変化が起き、それを食べている人はどう感じているのかなどがよくわかっていなかったんですね。

分子調理学では、おいしくなるメカニズムを詳しく研究することで、より適した調理方法を探したり、他の調理に応用することができます。最近では企業と共同研究をすることで、みなさんが手にしている商品の開発に携わることもあります。

――食品メーカーとはどのような研究をするのでしょうか?

例えば食品メーカーでも、作る人によって味の差が出ることがあります。ベテランと同じ材料を使って同じやり方で作っているのに、なぜか同じ味にならない。レストランでもシェフの経験などによって、結果として料理に違いが出てきます。なぜその差が生まれるのか調べることで、熟練者の味を再現しやすくする研究などをしています。

注目のフードテック領域は「新食材」「調理ロボティクス」

――石川教授はフードテックに関する著書も上梓[1]していますよね。日本におけるフードテックの現状も聞かせてください。

日本でフードテックが本格的に盛り上がりを見せたのは2017年のことです。それ以前は、新しい調理器具など「スマートキッチン」の文脈からカリフォルニアで盛り上がり始めていましたが、日本ではアカデミアの人たち含めてまだそれほど注目はしていませんでした。

きっかけになったのは2017年に開催された「Smart Kitchen Summit JAPAN」というイベント。私も参加し、そこで様々な業界の方々と知り合いました。それを機に食以外の業界からフードテックに参入する企業も増えたと思います。

最初は小さなイベントだったものの、回を重ねるごとに規模が大きくなっていき、よりフードテックの名を世間に広めたのが2020年に上梓された「フードテック革命」です。この本を読んでフードテックに参入した企業も多いのではないでしょうか。

*1・・・「食」の未来で何が起きているのか  「フードテック」のすごい世界(青春新書INTELLIGENCE 635)

――今やフードテック領域も様々な分野に細分化していますが、その中でも石川教授が注目している分野を教えてください。

いろいろな領域区分があると思いますが、私は大きくは「新しい食材の生産」、「IT・ロボティクスによる効率化」、「流通・サプライチェーン」に分類できると考えています。
その中で特に注目しているのは「新しい食材」と「調理ロボティクス」です。新しい食材については大豆からできた代替肉や培養肉、昆虫食などが当てはまります。代替肉はスーパーなどで目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。

それらのテクノロジーが解決しようとしているのは「プロテイン(タンパク質)クライシス」つまり将来起きるとされる世界的なタンパク質不足です。将来に備えて、食べられている牛や豚などの肉に代わる、新しいタンパク質源の開発が求められているのです。

――日本にいると、なかなかお肉が食べられない未来が想像できないのですが、本当にそのような事態が起きるのでしょうか。

お肉が全く手に入らなくなることはないと思いますが、価格が高騰して手に入りにくくはなるのは確かだと思います。特に日本は中国の経済成長によって、遠くない未来に肉が手に入りにくくなるとも言われています。中国で中産階級の人が増え豊かになることで、牛肉を食べるようになり、需要が高まるからです。

日本は肉の約半分を輸入に頼っていますが、中国で需要が高まれば肉が手に入りにくくなりますし、仮に手に入っても価格が跳ね上がるでしょう。肉の値段が高騰した場合に備える意味でも、日本では新しいタンパク質源の確保は欠かせません。

「タンパク質クライシスの解決策」日本と世界の違い

――日本ではどのようなタンパク質源が有望なのでしょうか。

日本はもともと大豆を食べる習慣があるので、大豆による代替肉を受け入れる土壌があると思います。雁の肉の味に似せて作った「がんもどき」など、古くから大豆で肉を代替してきた文化があるので、大豆の代替肉が普及する可能性は十分に考えられます。培養肉については、国内に限定すると、今年、東京大学と日清食品ホールディングスの研究グループが初めての試食に漕ぎ着けたという段階であり、法的な問題などをクリアすれば大きく広がる可能性があるでしょう。

海外では代替肉よりも、肉の供給を増やすために投資している国もあるので、その国の食生活や文化によっても対策は全く違いますね。これまでも品種改良などによって、効率的に肉の供給を増やす研究がされてきましたが、その流れがより加速していくと思います。

――肉の供給が増やせるのであれば、タンパク質不足も解決できると思えるのですが。

問題はそう単純ではありません。例えば、食べるために動物に関しては、これまで動物愛護の面から批判する声もありますし、牛のゲップには温室効果ガスが含まれるとして環境の側面から反対する方もいます。

他の食材で肉を代替するにしても、これまでの肉の供給を増やすにしても、様々な課題を乗り越えなければいけないのです。

――日本が乗り越えなければいけない壁も教えてください。

まずは味と値段です。技術が日々進歩しているとは言え、代替肉は人によって肉よりも味が劣ると感じる方も少なくありません。味と値段が変わらないのであれば、多くの方が本物の肉を買い求めるでしょう。

もう一つの問題は消費者の意識です。スマホや車であれば、新しくて性能の良い商品は歓迎されますが、食品は必ずしもそうではありません。どんなにおいしくて安全だと言われても新しい食は「本当に口を入れても大丈夫?」と不安になる部分はありますよね。

特に遺伝子組換え食品やゲノム編集食品という言葉自体にネガティブなイメージを感じる人が多いうちは、どんなに素晴らしい製品ができても普及はおそらく難しいでしょう。テクノロジーを進化させると同時に、新しい食の価値を正しく伝えるためのPR活動も乗り越えるべき壁を超えるツールになると思います。

急激な進化を遂げる調理ロボティクスが直面する課題

――調理ロボティクスについても話を聞かせてください。

3Dフードプリンターのようなロボティクス技術が発達することで、それぞれの人に適した料理が作れるようになるのではないかと思っています。人によって必要な栄養素は違いますが、今は一人ひとりに合わせて調理するのは難しいですよね。

例えば、一人ひとりに合わせた栄養の調整が必要な介護施設や病院では、給食のような全員に同じものを調理する場合と比較して多くの手間もコストもかかります。その課題も3Dプリンターがあれば解決できるでしょう。特に山形大学の古川英光先生の研究室では世界最先端の研究をしており、その技術を利用すればそう遠くない未来に調理の常識が変わるかもしれません

――一般家庭でもロボットが調理する時代も来るのでしょうか?

一般家庭で調理ロボットが普及するのは、もう少し先の未来だと思っています。どんなにロボットがおいしい料理を作れても、手料理が食べたいと思う人は少なくありません。調理の手間は省きたいのと同時に、自分で手を加えたいというニーズもあるでしょう。

そのため、調理ロボティクスの今後の課題は、手間を省きながらいかに人の手と融合していくかだと思います。

盛り上がるフードテック業界。異業界から参入する狙い目とは

――今や様々な企業がフードテックに参入していますが、これからフードテック領域に参入するとしたら、狙い目の分野を教えてください

食というのは様々な切り口があるので、どの業界の企業が参入してもチャンスはあると思います。印刷会社が3Dフードプリンターを作ったり、IT企業が食の流通を変えるサービスを作ったり。

今はフードテックの黎明期とも言えるフェーズなので、これから更に異業界から参入してくる企業は増えていくはずです。それぞれの分野で強みを持った様々なプレーヤーが参入することで、食の領域がより一層盛り上がっていくは個人的にとても楽しみです。

――最後に、石川教授がこれから作っていきたい世界観についても教えてください。

食のデータを記録して、保存できるようにしていきたいと思っています。音を録音するように、食を「録食」できないかと
温暖化の影響で農作物の生息域が変化しています。これが進んでいくと、地域で昔から採れる食材で作られていた伝統料理が、食材が採れなくなり作れなくなってしまうということもありえます。伝統料理をなくさないためにもデータとしての保存が必要なのです。

食事は食べればなくなってしまうので、その食事をCTスキャンなどさまざまな測定機器でデータ化して保存しておくのです。そして、そのデータをダウンロードさえすれば3Dプリンターで再現できるようになればいいなと思っています。

失われつつある伝統料理を保存できたり、有名なシェフの料理を数十年後に再現したり、子供の頃に食べたおふくろの味を再現できたり。そうすることで、食の可能性や価値について考えたいと思っています。

ここがポイント

・フードテックは、2017年に開催された「Smart Kitchen Summit JAPAN」というイベントをきっかけに、食以外の業界から参入する企業も増え、盛り上がりはじめた
・フードテックは「新しい食材の生産」、「IT・ロボティクスによる効率化」、「流通・サプライチェーン」の3分野がある
・「新しい食材の生産」で解決しようとしてるのが、「プロテイン(タンパク質)クライシス」
・培養肉については、国内に限定すると、今年、東京大学と日清食品ホールディングスの研究グループが初めての試食に漕ぎ着けたという段階
・「IT・ロボティクスによる効率化」は山形大学の古川英光先生の研究室で世界最先端の研究をしている
・食というのは様々な切り口があるので、どの業界の企業が参入してもチャンスがあると言える


企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木光平
撮影:阿部拓朗