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経済、政治、商学にデータサイエンスを織り込む。社会科学の先駆者一橋大学が70年ぶりに設立する新学部「ソーシャル・データサイエンス学部」の意義と影響

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一橋大学が実に70年ぶりに新学部を創設する。その名も「ソーシャル・データサイエンス学部」と言う。商学部、経済学部、法学部、社会学部と文系学部に特化した本学において理系的特色が見える「データサイエンス」を掲げることから、新たな取り組みであることが見て取れる。

知っている方も多いだろうが、一橋大学は、世界的経営者であり「マネジメント」の概念を世に生み出したピーター・ドラッガーをして、「(創設者の一人である)渋沢の遺産は東京にある有名な一橋大学である[1]」と言わしめた教育機関である。

この一言は、本学の「人づくり」すなわち能力開発を通じた人的教育を評価しての言葉であり、それを踏まえれば、この新しい学部を通じて輩出される人材が獲得する「ソーシャル・データサイエンス」的志向が次世代の人づくりに欠かせないことがわかるだろう。ではこの学問は何を学ぶものなのか。その有用性とは。データサイエンスではなく、”ソーシャル”・データサイエンスとはなにか。

データサイエンス人材が求められるようになって久しい。その流れを汲んで生まれた本学の新設学部はどのような影響力を今後社会に及ぼしうるのか。教授であり、社会との接点で実証研究を積極的に行っている、檜山敦氏(以下檜山)と城田慎一郎氏(以下城田)に話を聞いた。

[1] 『断絶の時代─来たるべき知識社会の構想』ダイヤモンド社より一部補足の上抜粋


檜山敦
一橋大学ソーシャル・データサイエンス教育研究推進センター教授。2006年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。人間拡張工学、複合現実感、ヒューマンインタフェース、ロボティクスが専門。身体スキルをデータ化し、追体験可能にする技能伝承システムや、超高齢社会をICTで拡張するジェロンテクノロジーの研究、社会実装に取り組んでいる。「ひとりの一生、100年」と捉え、自律流動型社会参加システム「GBER」を研究。東京大学大学院情報理工学系研究科特任助教、同大学先端科学技術研究センター講師、特任准教授 (-2022.3)、理化学研究所革新知能統合研究センター身体知伝達技術チームリーダー(2017-2020)を経て、2022年4月より現職。東京大学先端科学技術研究センター特任教授を兼務。Laval Virtual Trophy、IFIP Accessibility Awardなど受賞。著書に『超高齢社会2.0 クラウド時代の働き方革命』(平凡社新書)。


城田慎一郎
2022年4月より一橋大学ソーシャル・データサイエンス教育研究推進センター准教授(2023年4月より一橋大学ソーシャル・データサイエンス学部准教授)。専門は空間/時空間統計学、ベイズ統計学。応用分野は、環境科学、社会科学など。2017年5月に米デューク大学統計学部にて統計学博士号を取得(PhD Statistics)。その後、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校生物統計学部にポスドク、理化学研究所革新知能統合研究(AIP)センターにて特別研究員、明治大学商学部専任講師を経て、現在に至る。

INDEX

2015年前後から始まる「データサイエンス」ブームを進化させる
ソーシャルデータサイエンスは「なに」を「どう」学ぶのか
ソーシャル・データサイエンスの向かう先とは
ここがポイント

2015年前後から始まる「データサイエンス」ブームを進化させる

――「ビッグデータ」「データ分析」などのキーワードについて、ビジネス畑におられる方々にとってそう物珍しいものではなくなった一方で、その内実や効果的な活用、目的を持った運用の実現にはほど遠い現状がまだあるかと思われます。そうした中で今、一橋大学が「ソーシャル・データサイエンス」学部を新設することの意義や創設背景、そして学部名に冠された「ソーシャル・データサイエンス」の定義についてまずは伺えればと思います。

檜山:みなさんご存知の通り、2015年前後よりAIブームが起こりました。それに伴いデータサイエンス教育の必要性が問われはじめ、その流れの中で一橋大学をはじめ複数の大学で関連学部が生まれています(筆者注:2023年4月には同学のほか、順天堂大学、京都女子大学、北里大学など国立私立を問わず関連学部が誕生)。

大学ごとの学部名やカリキュラムも多様で十把一絡げということとはならず、その中で、わたしたちの掲げる「ソーシャル・データサイエンス(以下SDS)」についてご説明すると、これはソーシャルサイエンスとデータサイエンスを融合させた新語であり、内容もこれら2つの学問を融合させたものです。

データサイエンスとは、その多くがビッグデータを活用し分析することで新たな発見を獲得し、それらを使い社会やビジネスに提言、還元する技術のひとつです。ただ、これはツールに他なりません。このツールを通じて得た結果を、どのように社会実装させるのか。そこで、ソーシャルサイエンス(人間社会における活動を主対象とする科学のこと。経済学や政治学、商学など。)をデータ活用の対象とし、現実社会における社会接続を目指すものが、SDSなのです。

――ではSDSとは「ソーシャルサイエンスによって社会的意味のある問いを立て、その問いに対してデータサイエンスを駆使し分析し、再びソーシャルサイエンスによって実装する学問」と言い換えることもできそうです。

檜山:そうですね。

誤解を招かぬよう強調したいのが、わたしたちは「技術者」を養成しようとしているのではありません。さまざまな分野における意思決定層として、データサイエンスに対する理解をもち、自らの武器として実際的に活用できる人材を輩出することを目指しているのです。

今まで一橋大学では国や企業の経営をはじめとする舵取り人材を多く輩出してきました。しかしデータサイエンス的な視点をもたなかったために、意思決定の正誤が判断できなかったり、その実効性がどうなのかが不明瞭だったりしたこともあるでしょう。けれどもSDSを学ぶことで、そうした課題が解消されていくのではないか、と個人的には希望をもっている次第です。

ソーシャルデータサイエンスは「なに」を「どう」学ぶのか

――大枠について掴めてきました。では、実際的な学びはどういったものになるのでしょうか。おふたりの研究分野をベースにお聞かせください。

檜山:私は情報技術分野におけるバーチャルリアリティや人間拡張工学といった、人やなんらかのシステムに対して働きかけたり、逆に、世の中の動きや人の活動をセンシングしたりするような要素を含む領域を主としています。データサイエンスの出口と入り口に当たる部分を押さえているとも言えます。

要は、データを獲得するためのセンシングするシステムを作り、それによってデータを獲得する。獲得したデータを分析し、結果を人や社会に還すときにどんな技術が必要となり、どんな介入が求められるのかを研究する。ソーシャルサイエンスとデータサイエンスをつなぐインタフェースとして工学系のアプローチを行います。

これらの手順により、今までに高齢者の生活支援や社会参加支援の技術研究を行ってきました。

――人間拡張工学、高齢者の支援、SDSの三者の結びつきがよりイメージしやすい実例はありますか。

檜山:たとえば現在の研究のひとつに、バーチャルリアリティの体験を通じたリハビリがあります。従来はやらされている感が強かったリハビリから、楽しい体験を通じて結果として身体機能の維持向上につなげていく研究成果が出てきていて、まさに介入実験のデータを集めています。体を動かして体験することが前提のシステムですから、必然的に体験中の身体運動や認知行動の値がデータとして集められます。

これらのデータを分析していくことで、今までは体験前後の結果評価にとどまっていたものに対し、その過程まで評価し、体験プログラムの最適設計やパーソナライズにつなげられることとなります。

――ありがとうございます。城田先生はいかがでしょうか。

城田:私の専門分野は統計学でして、その中でも空間統計、ベイズ統計のふたつを中心としています。前者は位置情報をはじめとする空間情報を伴うデータにおける空間的な相関性を対象とした統計学のひとつで、後者は統計学における基礎的な分野のひとつです。「頻度論」に対して議論されることが多いですが、新しいデータを取り込みながら柔軟な統計モデルを組み立て、推定することを得意とします。このふたつは非常に相性がいいために、相互を掛け合わせた研究を行っています。

――これはどういったものに活用されるのでしょうか。

城田:今まさに民間企業と共同研究しているものに、衛星画像から森林減少に伴う二酸化炭素吸収量の予測手法開発があります。従来のモデルですと、簡単な仕組みのためにノイズを多く含んでしまっていたところを、先述の統計を掛け合わせて用いることで、より精緻な数値をとれるようになりました。

空間データというものは面白く、さまざまなデータを複合することでよりパワーを発揮するような分野でもあります。衛星画像を例にあげれば、それを国勢調査や地理的なデータと組み合わせることによって、地価分析や不動産分析までも精緻に行うことができます。衛星画像で石油タンクをモニタリングすることよって石油の需要を算出することもできるんですよ!それをもとに投資判断や景気判断を行うこともできるでしょう。

これらの研究は今後、私としても意識的に進めていきたいものですね。

ソーシャル・データサイエンスの向かう先とは

――実に幅広い分野でその可能性が見出されるSDSについて、あらためてお二人の思う現状と今後の見込みについて教えていただけますか。

城田:今時点では「とりあえず蓄積されたデータが手元にあるから、これを使ってなにかしらの結果を導いてほしい」といったデータありきのデータサイエンスの割合が大きいです。もちろん、初期フェーズはそれでもよいですが、本来は目的のためにデータを採るべきで、逆に言えば、採るべきデータを採ることができさえすれば正確な分析がより容易になります。

冒頭に、本学部で学んだ学生の行先について檜山教授からお話がありましたが、組織の意思決定を行う経営人材にSDS的志向があれば、目的に合わせたデータ活用や社会接続するプロセスの設計ができるようになるかと思われます。

そうした人材は、今すぐにでも求められているのではないでしょうか。みなさんの肌感として、一般市民レベルで見ても、合理的な意思決定が果たしてできているのか、惰性で物事が決まっているのではないかと思う場面があるのではないでしょうか。そうしたことに危機感を感じていて、いますぐにSDS的志向を持つ人材が組織に配置されなくてはならないと、切に思いますね。

――そういう場面は想像に難くないですね。世界のみならず、日本社会においても喫緊の必要人材だとすれば、他の大学ではなく一橋大学でこの学問を修めることの意義はどこにあると思いますか。

檜山:データサイエンスを売りにした大学発ベンチャーには、実社会の特定分野のサービスを提供するというよりも、基礎研究や技術をベースにサービス提供企業への技術コンサルティングを行うものが多いのではないかと思います。

一方で、一橋大学はCaptain of Industryとして、社会に直接的にサービスを展開する経営人材を輩出してきていることから、SDSでは技術をベースに社会課題に挑むサービスそのものを生み出し、事業化させる可能性が生まれてくるのではと期待しています。また官公庁との結びつきも多く、そこにあるデータを独自の視点で活用方法を考えていくことも一橋大学でSDSを学ぶ面白さにあたるかもしれません。

――従来であれば、基礎技術を有する起業家と一般企業とが協業しなくてはならなかったところ、SDS学部内でだけでもサービス展開が実現しうる可能性があると。

檜山:そうです。強調となりますが、私たちが目指す人材育成は技術者の養成ではありません。SDS志向の経営人材を輩出し、彼ら彼女らが横につながり、社会全体の仕組みを大きく変えていくことなんです。もしそうなったらと思うと、非常にわくわくします。

ここがポイント

・一橋大学が70年ぶりに新学部「ソーシャル・データサイエンス学部」を創設
・「ソーシャル・データサイエンス」はソーシャルサイエンスとデータサイエンスを融合させた新語で、内容もこれら2つの学問を融合させたもの
・さまざまな分野における意思決定層として、データサイエンスに対する理解をもち、自らの武器として実際的に活用できる人材を輩出することを目指している
・ソーシャル・データサイエンスの実例には、結果評価にとどまっていたリハビリを、過程まで評価し、体験プログラムの最適設計やパーソナライズにつなげられる研究がある
・衛星画像を例にあげれば、国勢調査や地理的なデータと組み合わせることによって、地価分析や不動産分析までも精緻に行うこともできる
・組織の意思決定を行う経営人材にSDS的志向があれば、目的に合わせたデータ活用や社会接続するプロセスの設計ができるようになる


企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:小泉悠莉亜
撮影:阿部拓朗