養豚と聞いて、どのようなイメージを思い浮かべるだろうか。いま、世界の農業生産額は488兆円。そのうちの40兆円は豚肉生産額だ。実は、トウモロコシやコメを差し置いて、世界最大の一次産業は養豚業だと言われている。
ところが、養豚業においてデータ管理はほとんど行われていないとEco-Pork神林隆氏は話す。データ化されていない大きな理由の1つには養豚管理プロセスの煩雑さがある。これに対して、神林氏や同社メンバーはHRテックで培った知見を武器に、養豚業にDXをもたらそうとしている。養豚DXを起点として食料問題を解決し、次世代に食肉文化をつなぐことが同社のビジョンだ。
養豚業をはじめとした農業は、環境に大きな負荷を掛けているのが現実。だからこそ同社は、環境負荷軽減に向けて養豚DXを推し進めようとしている。どのような困難があったのか、スタートアップである同社は困難をどのように克服したのか、異業種からのスタートアップとしての参入にどのような強みがあるのかなど、神林氏にお話を伺う。
神林隆
株式会社Eco-Pork 創業者兼代表取締役
ミシガン大学経営学(Master of Business Administration)修士課程を成績優秀者として修了。外資系コンサルティングファームにてテレコム領域の経営戦略・新規ビジネスモデル企画などに従事。その後、統計解析・人工知能を活用した新規ソリューション開発を責任者として主導。テクノロジーを活用し、養豚を出発点とした持続可能な循環型食肉文化を構築するため、平成29年11月29日(ニク・イイニクの日)にEco-Porkを創業。
ポイント
・平均的な養豚場では2200頭もの子豚を効率的に育てる「群」としての管理、母豚を一頭一頭を丁寧に管理する「個」としての管理の両方が求められる。
・養豚業は世界最大の一次産業なので、コメやトウモロコシよりも生産額は大きく、牛肉の4倍ほど。グローバルでの市場規模は40兆円になる。
・エコポークの主力プロダクト「Porker」は、生産管理の考え方を養豚業に導入したもので、データを収集・連携させてPDCAサイクルを回せるようにし、生産管理のデータを集めて最適化問題を解くこともできる。
・養豚自働化により、餌効率の30%向上、投薬量の80%低減、豚肉生産量の50%増加を期待している。
・上場企業が統合報告書を開示するように、スタートアップにとっても他社との共創を願うのであればインパクトレポートを開示するのは当たり前の責務だと考えている。
INDEX
・HRテックと養豚業の意外なシナジー
・最大の一次産業である養豚がもたらす功罪
・独自ソリューションで、投薬量80%低減・豚肉生産量50%増加を目指す
・中小企業こそ、インパクトレポートを作るべき
HRテックと養豚業の意外なシナジー
——神林さんは養豚DX事業を展開されています。養豚にはいつ頃から関わっているのですか?
神林:実は、創業するまでは養豚とは縁のない人生を送っていました。
前職はコンサルタントとして、AIを用いたHRソリューションを開発していました。感覚や経験で行われていた人事の世界にデータ利活用の考え方を入れて、社員の生産性を向上させる仕事です。たとえばAppleやGoogleがフリーミールなどの充実した福利厚生施策を打ち出したのは、心理的安全性を確保すれば社員の生産性が高まるという統計結果があるからだと考えています。同じように日本でも人事分野を科学したいと考えて、HR領域でソリューションを作り出していました。
HRテックは、企業で定められたKPIを達成すべく、社員のデータを収集・分析することで価値のある結果を導き出します。たとえば「29歳の男性で、残業時間が月80時間を超えていて、給与が業界平均よりも低い場合、退職率はn%である」といったデータを取得。これに対してどのような施策を打てば退職率を低下させられるのかといったアルゴリズムを作り出していました。
ただ、その時代の人事部が掲げていたKPIは採用と退職の2つで、私たちの仕事が生産性向上に寄与している感覚が薄かったのです。新しいテクノロジーは、人類を良い方向に向かわせるために活用すべきだと考えています。しかし社畜を作り出すような方向性では誰もハッピーにならない。それであれば、今まで培ってきたテクノロジーを異なる領域で活かすことで人類の未来のためになるのではないかと考えて、畜産分野に目をつけました。
——HRテックと養豚の間には、かなり距離を感じてしまいます。なぜ養豚業なのでしょうか?
神林:それまで携わっていたHRテックと養豚業の親和性が高かったことが理由の1つです。
人事領域のソリューションは、群と個体の考え方で設計されています。たとえば大企業の社長がHRテックを使う目的は、個々の社員のパフォーマンスを把握することではないですよね。多くの場合、部署の単位で管理した上で生産性向上に向けた施策を考えることになるかと思います。一方で、当たり前のことですが、HRテックは各個人にも焦点を当てて考察します。部署の情報と個人の情報を紐付けた上で問題を解いていく考え方は、まさに群と個体に分けているものです。
こうした考え方が養豚業と親和性があったからこそ、HRテックで蓄積された経験を養豚に持ち込むことができたのです。
——養豚について詳しく知らないのですが、HRテックで培われた群と個体での管理手法を応用しやすい領域なのでしょうか?
神林:そうなんです。そもそも養豚とは、わずか1kgで生まれた豚を、180日間で120kgにまでボディービルする作業です。平均的な養豚場では2200頭もの子豚を効率的に育て上げなければならず、「群」としての管理が求められます。
その一方で母豚については、一頭一頭を丁寧に管理しなければなりません。そうでなければ、虚弱な子豚が生まれたり他の子豚に悪影響を及ぼしたりと、後々になって色々な問題が発生してしまいます。「個」としての管理も求められるわけです。
こうした個体最適問題と群最適問題を紐づけて解くことで、養豚を効率的に管理できます。それぞれの工程でデータを取得し、子豚の状況を鑑みて母豚の選び方や育て方にフィードバックします。
——確かに、そう聞くとHRテックと親和性がありそうですね。
神林:たとえば牛や鶏と比較すると分かりやすいのですが、牛の場合には10頭程度を大切に育てられている農家さんも多い。1頭あたり100万円以上で取引されることからも個としての管理が重要なので、個体最適に向けてデータを利活用しています。一方で鶏の場合には、飼育している個体数が桁違いに大きいので、1000羽単位のロットとしてまとめた上で群として管理する形となります。個としての管理は求められず、群最適の問題を専ら解くことになります。
これに対して、豚の場合は上述の通り群と個体での管理が必要です。もっとも、言葉にすると簡単なのですが、詳細なデータを取得して加工した上で、個体最適と群最適の問題を解くことは容易ではありません。養豚DXが起きなかった背景の1つにはこうした課題があると考えています。ここにHRテックの考え方や手法を持ち込むことで、養豚業界にDXをもたらそうというのが当社の主張です。
最大の一次産業である養豚がもたらす功罪
——養豚DXの将来性はどれくらい大きなものなのでしょうか?
神林:あまり知られていませんが、養豚業は世界最大の一次産業なのです。コメやトウモロコシよりも生産額は大きく、牛肉の4倍ほどです。グローバルでの市場規模は40兆円と言われています。
こうした市場の大きさに加えて、競合が少なかったことも参入した理由の1つでした。これまで養豚のデータ管理分野ではプレイヤーがほとんどいませんでした。畜産分野の中では、たとえば牛の場合にはデータ管理が比較的進んでいます。2000年代前半に狂牛病が発生してからは牛にICタグが取り付けられるなど、データ管理の土壌が整っていたためです。豚の場合にはそうした義務化がなされていないこともあり、データ管理が中々進みませんでした。
——養豚DXはブルーオーシャンなのですね。貴社が養豚に賭ける想いについてもお話しいただけますか?
神林:養豚は世界最大の一次産業だからこそ、環境への影響も小さなものではありません。
たとえばGHG(温室効果ガス)も大量に排出します。農業は運輸業と同じくらいのGHGを排出。牛から排出されるメタンガスも話題になりがちですが、豚も同様に大量のGHGを排出していて、その量はバイクの2倍ほどだと言われています。
そのほか、耐性菌も問題の1つです。豚や牛などの畜産では抗菌剤をこれまで多用してきました。それによって耐性菌が作り出されてしまうと指摘されています。2050年に、人類の死亡原因が100年ぶりに癌から病気に戻ると言われています。その原因となるのが耐性菌の存在なのです。
これらの問題を調べれば調べるほど、養豚に携わらない理由がなくなっていきます。ライフワークとして、人生を賭けて取り組みたいと思うようになりました。
——養豚の先にある未来を見据えて事業を展開されているということでしょうか?
神林:はい、その通りです。
Eco-Porkを創業したときはAIブームでした。この勢いでテクノロジーが進めばどういった未来が待っているのだろうかと、かつての同僚と一緒に考えてみたのです。そのときに出た結論は、古代ローマのようになるのではないかといったものでした。1人ひとりに世話焼き係がついて、平和な時代が訪れるのではないかと。そのときにメインストリームとなるのは、文化を楽しもうとする機運でしょう。かつて古代ローマでお風呂や葡萄酒、豚肉などが楽しまれたように、生活に余裕が生まれれば自然や文化をさらに楽しもうとするはずです。
ところが、せっかく余裕が生まれたのに、生活のベースとなる地球がボロボロになっていたら、人類にとっても不幸なことではないでしょうか。多くの選択肢が奪われた状態だと、余裕だけがあっても幸せにはなれない。だったら、来るべき未来に向けてテクノロジーを活用する会社が1つくらいあっても良い。そうした考え方のもと、今の事業を展開しています。
——養豚に関わるきっかけは、環境問題だったのですね?
神林:はい、その通りです。大学時代にはAIESECという国際交流団体に入り、環境問題に取り組むプロジェクトを立ち上げました。それと同時期に環境シンクタンクでのインターンシップも始めて、インターンとして4年間働きました。振り返ってみると、これから環境問題を解決するための活動をライフワークにしていく決意があったものと思います。
就職後は安定した道を歩んでいたのですが、40歳の時に転機が訪れます。子供がちょうど生まれたタイミングで、「人生このままで良いのだろうか」と強く思うようになりました。これまで培ってきた知見を、世の中をもっと良くするために使いたいという思いが湧き上がってきたのです。そのタイミングで、私とチームを組んで環境問題に取り組みたいと言ってくれた仲間も集まりました。元々の志があって、それを実現させられるテクノロジーもあって、しかもチームもあるとなったら創業しないわけにはいかないと考えて、40歳のときに創業した形です。
独自ソリューションで、投薬量80%低減・豚肉生産量50%増加を目指す
——ここまで、養豚DXの意義深さやビジネスとしての勝ち筋があることも理解できました。それでは具体的にどのようなプロダクトを打ち出しているのかをお伺いできますか?
神林:当社の主力プロダクトである経営管理支援システムPorkerは、生産管理の考え方を養豚業に導入したものです。データを収集・連携させて農家さんがPDCAサイクルを回せるようにした上で、生産管理のデータを集めて最適化問題を解くこともできる。農家さんの利活用および最適化問題の解決という2段構えのうち、2段階目のフェーズでも取り組みが進んでいます。
具体的には、まずは給餌機のタンク情報や温湿度データに加え、背中の脂肪といった豚の個体情報などを取得します。プロダクトラインナップとしては、豚の状況を把握するための豚カメラや畜舎のコントローラーを揃えています。
取得したデータを繋げた上でフィードバックします。これによって、管理負担を軽減させつつ生産性の向上につなげます。イメージとしては、年間18億頭も生まれてくる子豚にAIのトレーナーをつけるような形です。たとえば研究用の農場で給餌量の低減や生産量の向上を実現させられるのは、サラブレットを育成するような形でトレーナーが付くからです。これをAIで行えるようにするのが私たちのソリューションですね。
——実際に、どれくらいの効果があるものなのでしょうか?
神林:養豚自働化により、餌効率の30%向上、投薬量の80%低減、豚肉生産量の50%増加を期待しています。これらを2027年までに実現させたいと考えています。創業が2017年なので、10年計画を描いている形ですね。
そのほかにも、GHG削減にも寄与する所存です。豚からは多量のGHGが排出されていると伝えましたが、その原因には糞尿があります。豚の餌にはアミノ酸が含まれていますが吸収されなかったアミノ酸は糞尿として排出されます。排出されたアミノ酸は酸素と結合してCO2の256倍もの温室効果を持つ亜酸化窒素になります。
だから餌効率を上昇させることは環境保護にもつながるのです。豚の体重帯によって必要な餌の組成は変わってきて、子豚のころには内臓や骨を作るためのアミノ酸が求められてきます。成長すれば、美味しく食べられるように身体を整える必要があり、それに応じて餌の組成も変えなければなりません。これらをふまえた最適な給餌により、農家さんの生産性向上だけでなく環境保護も同時に実現させることを狙っています。
——Porkerなどのプロダクトやソリューションをはじめたきっかけは何だったのでしょうか?
神林:実は、養豚管理の方法論の基礎研究は早くから進んでいて、実験室レベルであれば毎回測定して適正な給餌を実践することも可能でした。しかし社会実装の事例がないというのが課題だったのです。
そうした基礎技術を商用化したのが当社の特長です。8月に新たに承認されるソリューションを含めて、従来の方法論や既存プロダクトを活用しつつ施策を進めます。引き続き、データに基づく生産管理を行い、さらに最適化問題を解くことで、人(People)にも豚(Pig)にも地球(Planet)にも優しい3Pを実現させたいと考えています。
中小企業こそ、インパクトレポートを作るべき
——貴社はインパクトレポートを公開されています。こちらはどのような位置付けなのでしょうか?
神林:インパクトレポートは武器の1つです。非財務情報も含めた実績を示すことで「これをやり切ります」と宣言。目指す未来を社会に広く提示しています。
「新しい資本主義」という言葉が定義されて以降、経済的価値と社会的価値の2面から資本主義が認識されるようになりました。当社としても、経済的価値と社会的価値の両立は重要だと理解しており、会社としての意思決定も2軸で行わなければならないと考えています。投資家などに財務諸表を開示する機会はありますが、その際に非財務情報も積極的に公開していくことで、環境負荷軽減をやり切るという宣言にもなります。
——投資家をはじめとした他社との協業を念頭に置かれた施策なのですね。
神林:はい、その通りです。世の中を変えるきっかけづくりがスタートアップの得意分野である一方で、それを社会全体を巻き込んだムーブメントに変えたり世の中の人々を信じさせたりする力を持っているのは大企業です。志を同じくしてくださる大企業が現れたことで、世の中が大きく進むことを期待しています。
スタートアップにとって大切なのは“共創”であり、私たちが果たすべき役割は触媒だと考えています。社会実装の最初の一歩を私たちが踏み出した上で、大きな力を持っている大企業との共創を目指すべきではないでしょうか。
逆に、共創を謳っているのにインパクトレポートを開示しないのは違うと思います。上場企業が統合報告書を開示するように、スタートアップにとっても他社との共創を願うのであればインパクトレポートを開示するのは当たり前の責務ではないでしょうか。
——なお、インパクトレポートを拝見すると、タンパク質をめぐる状況は必ずしも明るいものではないことが読み取れました。
神林:レポートでも述べた通り、2027年にはタンパク質危機が到来すると言われています。タンパク質の需要量は年率2.5%伸びている一方で、供給量の増加率は2%程度です。その中でも豚肉の伸び率は0.4%にとどまっています。
——将来、豚肉が食べられなくなるかもしれないのですか?
神林:少なくとも需要と供給のバランスは崩れるでしょう。たとえば生産地でしか食べられなくなったり、豚肉を食べることが悪いことだと言われてしまうかもしれません。
そのように選択肢が減ってしまうことは、人類にとって幸せなことではないはずです。豚肉を食べる文化も食べない文化も、お互いに尊重し合えるような社会が共通解だと考えています。
インパクトレポートより抜粋
——目標を2027年に設定している理由はありますか?
神林:タンパク質危機が訪れるタイミングで、人類がどの方向に向かうべきかが問われると考えているからです。足元を見ると、代替肉や培養肉の開発も進んでいますよね。当社も国から研究費をいただいて研究を実施したのですが、代替肉や培養肉を選択せざるをえない時がくるのかもしれないと予想しています。
だからこそ、取り組みを早急に進めるべきと考えて、2027年に向けて具体的な数値目標を打ち出しました。タンパク質危機を乗り越えつつ、畜産の環境負荷を低減する。それに向けた具体的な計画を定めたわけです。
子どもの頃から食べてきた豚肉を食べるという選択肢がなくなってしまうことは悲しいし、それは文化の衰退でもあります。将来世代に「おじいちゃんやおばあちゃんは豚肉を食べてたって本当?」と言われるようなことは避けたい。みんなが胸を張って文化的な活動を楽しみつづけられるよう、食肉文化を私たちが次世代につなぐ決意をしました。
企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:宮崎ゆう
撮影:幡手龍二