TO TOP

未来世代によりよい社会を。個々の選択をモデル化し気候変動問題に取り組む一橋大学の環境経済学者

NEW

読了時間:約 11 分

This article can be read in 11 minutes

迫り来る気候変動に対して、さまざまな角度からの取り組みが進んでいる。個々人の利益を超えて協力し合わなくては、地球規模の問題には取り組めない。ところが利害の対立により、気候変動問題への対応は後手に回ってしまっているのが現状だ。

こうした課題に取り組むのが環境経済学である。今回インタビューした一橋大学の横尾英史准教授は、個人・組織・社会の選択の研究を通して気候変動問題への取り組みを牽引している。ビジネス・政策の領域を横断した議論によって、気候変動問題への対応で日本をリードする研究者だ。

横尾先生に、気候変動について話を伺った。地球市民全員がうっすら負担を強いられるネットゼロの取り組み、そうした時代の潮流の中でのビジネスパーソンの戦い方について、環境経済学的観点から語ってもらった。

横尾 英史
一橋大学大学院経済学研究科 准教授
専門は環境経済学。経済学の理論と手法を応用して、環境政策に関する人々の選択や市場の動向を研究。
京都大学にて博士(経済学)を取得。環境経済・政策学会常務理事、経済産業研究所リサーチアソシエイト等を兼務。2024年4月よりスウェーデン・ヨーテボリ大学経済学部に1年の期限付き契約で客員研究員として滞在中。

INDEX

環境経済学は、人間の選択を研究している
気候変動問題を、環境経済学的に分析する
子どもたちによりよい社会を残すための施策とは
気候変動にビジネスで取り組む
ここがポイント

環境経済学は、人間の選択を研究している

——はじめに、環境経済学とは何をする学問なのか教えて下さい。

横尾:私は環境経済学の研究と授業の傍ら、一橋大学で「経済学入門」という授業も担当しています。大学1年生を対象とした授業で、高校を卒業したばかりの学生が受講します。そこでは、経済学とは何かという話から始めます。

そもそも、環境経済学の基礎となっている経済学とは何か。学生に問うと、だいたいお金の話になるわけです。しかしそれは、経済学で扱うテーマの一部に過ぎません。私は、「経済学とは選択を研究する学問だ」という風に教えています。

——恥ずかしながら私も、経済学といえばお金を扱う学問という風に考えていました。

横尾:それも間違いではありません。ただ、選択を研究する学問と捉えると、経済学のあり方をよりよく表せます。もう少し付け足すと、個人・組織・社会の選択について、数学を応用して研究する学問であると教えています。

そして、様々な環境問題に対して、先ほど説明したような経済学で取り組むのが環境経済学です。数学を応用した経済学の、さらに応用分野が環境経済学という捉え方でよいでしょう。

——素朴な疑問なのですが、環境経済学はニッチな学問のように感じます。横尾先生はなぜ環境経済学者を目指されたのでしょうか?

横尾:中学の理科の先生が、地球温暖化について話してくれたことが始まりでした。当時は途上国の飢餓や貧困に興味があったんですが、地球温暖化によって農業ができなくなったら状況はますます悪化してしまうのではないかと考えて、環境問題に深い興味を持ったのです。

その問題意識を持って、高校に進学しました。そこで今後の進路について悩んでいたとき、担任の先生に進学雑誌を渡されたんです。そこには、環境学の専門家として京都大学の植田和弘先生が載っていました。そして、高校の図書館で植田先生が書かれた『環境経済学への招待』(丸善出版)を読んで、これに取り組みたいと決意します。

——そうした経緯で経済学部に進学されたのですね。ただ不勉強で申し訳ないのですが、経済学といえば箱庭の学問というか、「それって本当に現実で起こりうるの?」といった前提で議論を進めているような気がします。だから環境経済学と言われてしまうと、想像がなかなか上手くつかないというか……。

横尾:おっしゃることも分かります。たとえば経済学入門で使用する教科書も、最初に出てくるのは極めて極端な例だったりします。自分のことしか考えない人が2択を迫られて、その瞬間の満足度を最大化する選択をする。あまりにも単純化し過ぎているという批判はもっともですし、そうしたモデルは私たちから見ても非現実的だと思います。

それでも経済学者のやっていることに意味があるとしたら、余計なことを削ぎ落として単純なモデルを描くことでエッセンスを表現している点だと思うのです。もし経済学が本当に発展しているのだとすれば、本質的なところを出発点として議論を積み重ねてきたことで人間の選択を上手く表現できているはずです。たとえば経済学のテーマの1つに仕事選びがあるのですが、仕事なんて実際にやってみないとわからないことばかりです。給料すらよくわからないし、会社に入ってからどれだけ楽しいかなどは全然わからないのに、学部3年生で仕事の選択をしなければならない。こうした現実をうまく分析・予測するために経済学者が何をやっているかというと、理論モデルの改変をずっとやっているわけなんです。デフォルメされた単純モデルと現実が乖離しないように、そのアップデートを100年くらい続けています。そして時々、すごくうまく表現されていることがあるといった寸法です。

私の専門である環境経済学も、まさにそういった流れの中にあります。たとえば家庭で1ヶ月にどれくらいの電力を消費するかといった選択や、太陽光パネルを屋根に載せるかどうかといった選択を、明らかにしていく。もちろん理論を使ってある程度うまく説明できる面もあれば、全然うまく説明できないこともあります。それをアップデートすることが、環境経済学者の仕事です。

気候変動問題を、環境経済学的に分析する

——環境経済学者から見て、気候変動はどのように映るのでしょうか?

横尾:気候変動の一大テーマに、タイムスパンの問題があります。他の環境問題に比べて、長期的に考えなければならないのが気候変動の特徴です。

たとえば、大気汚染や、生ゴミに起因する感染症などは、多くの人の健康に直結する緊急の問題です。そうした緊急ニーズが多くあり、しかも人々がギリギリのラインで生活しているような途上国において、気候変動を気にする余裕は多くありません。

気候変動は、50年、100年といった長期スパンの問題です。たとえば私が今CO2を排出したとしても、そのせいで明日すぐに地球が温かくなるわけではありません。

——長期スパンで考えるのが気候変動の問題であるというのは、本当に難しいですよね。

横尾:先ほどは途上国を例に出しましたが、先進国も数十年単位のタイムスパンで考慮できている国ばかりではありません。日本はどうかというと、かつて京都議定書が採択された1997年のタイミングでは世界的に見ても先進的な取り組みが行われていました。もっとも、ここ4年くらいの足元でいえば、特に先進的な取り組みやスコープがあるとは言えないでしょう。

しかも気候変動問題はさらに厄介で、その悪影響の度合いが人によって異なるどころか、場合によっては恩恵を受ける人・地域も出てくる可能性があります

——気候変動で得をする人がいるということでしょうか?

横尾:たとえば、北海道はこれから非常に良い稲作地域になる可能性があるのは有名な話です。また高品質なブドウを作れるようになってきていて、フランスのワイナリーも鼻息荒くして視察に訪れているようです。そのほか国単位の話でいえば、ロシアでもっと農業ができるようになるという話もありますね。結局、気候変動が大きなコストとなる国・地域や、むしろベネフィットになる国・地域があって、現状の問題を非常にややこしくしているところがあります。

——なるほど。国や地域で影響が異なると。それでは、たとえばネットゼロのスコープである2050年の日本はどうなっているのでしょうか?

横尾:暗い話になってしまうのですが、かなりピンチです。気候変動の社会全体で見た悪影響はとても大きいので問題を放置するわけにはいかないのですが、一方でCO2の排出を事実上ゼロにするネットゼロに向けた道もすごく険しいです。「大ピンチずかん」という、絵本のベストセラーがあって、さまざまなピンチの場面をピンチ度合いと一緒に掲載した本があります。それに例えて言うなら、遠足でお弁当を忘れたくらいのダメージを受ける[1]ことになります。

——それはかなりのピンチですね(笑)。

横尾:本当に、ネットゼロというのはそれくらい大変な道のりなんです。みんなにとってイライラするし、不愉快なことの連続です。たとえばCO2を排出する人や企業の金銭的な負担を増やすカーボンプライシングという仕組みがありますが、そうした仕組みを導入すると電気代が高くなるかもしれません。経済学的に表現すれば、ネットゼロを目指すことは個人や個々の組織によっては大きなコストになる人が出てきます

あるいは最近の話題だと、太陽光パネルが景観の邪魔になっているという議論がありますね。これも気候変動対策で発生するコストの1つです。そのほか、原発もソリューションの1つかもしれませんが、日本の歴史も鑑みると簡単には頼れない状況です。しかも原発についていえば放射性廃棄物の問題もあって、最終処分場を仮にきちんと決められたとしても、人々の心理的な不安はやはり残ります。あるいは海上で風力発電を行う準備をしていますが、建設には多額の投資が必要ですし、その分電気代が高くなってしまうかもしれない。これもまたコストの1つです。

結局、どの道のりも険しいのです。ネットゼロの実現を目指すと、イライラもするし不安にもつながる。こうした現実は、どうしても認めざるを得ません。だからといって化石燃料に依存してCO2を排出しつづけるわけにもいかない。先ほどの遠足の比喩をもう一度用いるなら、お弁当を忘れた遠足を選ぶのか、遠足にすら行けないのか。どちらも茨の道なのかもしれません。それでもネットゼロに向けた旗振り役を務めたいと私は思うのですが。

——ネットゼロを目指しても目指さなくても、どちらにしても茨の道なのですね。その中でもネットゼロを目指すときに、日本の企業はどのように動けば良いのでしょうか?

横尾:明るい話もないわけではありません。新しい社会を作るということは、新しい市場を作るということでもあります。ネットゼロに向かうためには出したCO2を回収することも重要です。たとえばCO2を回収して地中に埋めておくとか、回収したCO2を資源として活用するとか、そうしたニーズが生まれてくる可能性は大いにあります。これはビジネスのオポチュニティとして捉えられるのではないでしょうか。

——確かにネットゼロはビジネスチャンスでもあると思います。一方で、アメリカや中国のように大規模な投資をすでに行っている国に勝てるかというと、その点では不安はありませんか?

横尾:個人的な見解になってしまうのですが、投資額などから考えると、日本という国としてそうした国々に全面的に勝つことは難しいと思っています。

現実的な日本企業の戦い方としては、いわゆる局地戦に近いものを想像しています。たとえば日本は自動車をたくさん輸出している国ですから、それを生かしてモビリティ領域で勝ち抜くチャンスがあるかもしれません。

——ゴールドラッシュの中でジーンズを売るような感覚でしょうか?

横尾:良い比喩ですね! 金の採掘は他の国に任せてしまっても、ツルハシの持ち手の部分は日本製品で覇権を取るといったイメージが近いでしょう。モビリティ領域を例に挙げれば、たとえばEVの製造販売で覇権を握ることだけが勝ち筋ではありません。EVには小型の蓄電池を搭載することになるでしょうし、水素燃料やアンモニア燃料や多様な蓄電技術が普及するかもしれません。触媒や浸透膜にビジネスチャンスを見出せる可能性もあります。モビリティ領域だけでもいろいろなビジネスチャンスがあることがわかります。

[1]出典「大ピンチずかん2」(小学館)

子どもたちによりよい社会を残すための施策とは

——国や地域ごとに影響が異なるため、一筋縄ではいかないことを伺いました。もう1つ、横尾先生が一大テーマとして挙げていたタイムスパンの問題についてもお話しいただけますか?

横尾:気候変動の問題で難しいのは、ダメージを真正面から受けるのがこれから生まれる将来世代だということです。誤解を恐れずにいえば、今の70代の人はCO2の「出し逃げ」が可能でしょう。40代・50代の人々は完全に逃げ切れるかは微妙ですが、個人のコストベネフィットだけで見ればネットゼロに取り組まずに安価な化石燃料をガンガン使った方が得な人もいるかもしれません。

一方で、これから生まれてくる将来世代はそうはいきません。将来世代には大きな影響が確実にもたらされると私は予想しています。実は今の日本ですら変化が始まりつつあって、農林水産省の研究所と共同で日本のワイナリーに調査を行った際、ブドウの収穫期などの実感から「20年前と比べて気候が変わっている」と答えた人の割合はなんと8割に及びました。農業というのは毎日、自然と向き合うものであり、気候の変化に非常に敏感な営みです。データから気温自体が上昇していることは明らかですので、気温の上昇傾向が今後も続くことは確信に近い形で予想しています。

こうした気候変動は、文化や経済も含めて様々な側面から私たちに悪影響を及ぼします。たとえば、夏の高校野球全国大会を甲子園で開催することは、すでに現実的ではなくなりつつあると考えています。スキー場に雪が降らないといった問題も耳にしますよね。こうした文化的な変化・喪失は、実は経済的なコストにもつながってきます。あるいは、沖ノ鳥島が海面上昇によって沈むと膨大な排他的経済水域を失うことになり、日本の国益・国防にも甚大な影響を及ぼします。

ただ、こうした影響が直撃するのが将来世代であるという点が、気候変動の厄介なところなんです。経済学ではコストとベネフィットを自覚した市場取引の「外」にそれらがはみ出すことを「外部性」があると呼びます。そして、世代を跨いだ外部性のことを、「世代間外部性」といいます。これが顕著に現れる点が通常の公害と大きく異なるところです。

——世代間外部性の存在は、他の環境問題に比べて厄介な点ですよね。それもふまえて、気候変動に対してどのような対策が考えられるのかを教えてください。

横尾:西條辰義先生という経済学者が考案したのですが、将来世代の気持ちになって思考実験をしてみることは有効な施策です。たとえば2060年の16歳になった気持ちで、年に1時間でも良いので考える習慣を付けてほしいと色々なところで申し上げています。

その思考実験の中では、ガソリン車に乗っていた時代をすごく古いもののように感じる可能性はありますよね。あるいは、天気予報を見るような感覚で「電気予報」をチェックする時代がくるかもしれません。明日は天気が悪いらしいから今のうちに自動車を充電しておこうとか、明日は風が強いから風力の発電量が多そうだなとか。

——将来世代の気持ちになって思考実験をするというのはすごく面白いですね。

横尾:先ほど、経済学というのは選択を研究する学問といいました。いわゆるナッジのような要領で、自分の孫を想像してもらったり、あるいは将来の世代に向けて手紙を書いたりすることで、より良い選択をしてもらえるのではないかという仮説を立てています

こういったことは、一橋大学の授業でも話します。私の子供がもし2044年に子供を産んだら、2060年には16歳になっている計算です。16歳といえば、私が環境経済学を知った年で、人生の中で一番生意気だった頃でもあるんですね。その孫にとって、私の職業がどのように映るかを考えるんです。「おじいちゃんは環境経済学者として『もっといい社会を作る』とかいつも言ってるのに、今の日本は全然ダメじゃん」と言われたらどうしよう、などと妄想するんです。こういった思考実験を通して世代間外部性の問題に取り組むべきというのが、環境経済学者としての1つのご提案です。

気候変動にビジネスで取り組む

——横尾先生のお話を伺っていると、なかなか困難な時代になることは避けられないのかもしれないと思いました。こうした時代をどのように乗りこなせばよいのか、ビジネスパーソンに対して改めてTipsをいただけますか?

横尾:2050年の社会から逆算してビジネスオポチュニティを探してみてほしいということは、繰り返しになりますが改めて強調しておきます。

いま、中国やアメリカといった大国もネットゼロに取り組んでいますね。この潮流が進むと、2050年にガソリン車がそこら中を走っているということはないでしょう。先ほどはEVを例としてあげましたが、そのほかにも様々な移動手段の可能性が考えられます。

また、排出されたCO2を回収するビジネスもあるかもしれません。こうしたCO2を集める装置や、それを運ぶための車や船、あるいはそれを埋める技術や、一連の流れをモニタリングする企業も必要になるかもしれません。これまで静脈産業といえば固体や液体を運ぶものでしたが、排気ガス回収産業のような分野が誕生する可能性はあります。

——確かに、ビジネスの観点からチャンスはたくさん転がっているように思えてきました。

横尾:ただ、環境や経済の分野については、ビジネスだけでは解決できない問題も多々あります。そこで、政策の動向にもご注目いただければと考えています。

いま、欧米や中国では政策が著しく変動しています。経済学の専門分野の1つに、政策を加味した市場設計があります。たとえば電力であれば、相対取引でももちろん市場は形成されるのですが、やはり政策としてルールを作って市場を取り決めないと面倒なことにつながりかねません。

こうした分野にも、環境経済学者として貢献したいと考えています。全員がセルフィッシュに行動するよりも、自分のベネフィットを少し減らして外部性となったコストを緩和する方が望ましいといった領域です。しかもそこには世代間外部性の問題も絡み合ってきます。ビジネスパーソンの皆様も、ぜひ政策の動向にもアンテナを高く張っていただければと思います。

ここがポイント

・経済学は「個人・組織・社会の選択について数学を応用して研究する学問」で、様々な環境問題に対して経済学で取り組むのが環境経済学
・気候変動の社会全体で見た悪影響は大きく放置できない反面、ネットゼロを目指すことは個人や個々の組織によっては大きなコストになる人がでてくる
・新しい社会を作るということは、新しい市場を作るということで、ビジネスのオポチュニティが生まれる可能性はある
・環境問題は、世代を跨いだ外部性が顕著に現れる点が通常の公害と大きく異なるところ
・気候変動に対しての対策として将来世代の気持ちになって思考実験をしてみることは有効な施策となる


企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:宮崎ゆう
撮影:阿部拓朗