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“タグボート”として日本郵政の変化の意志にコミットする。JPデジタルが考える、全国2万4000局の郵便局を巻き込むDXのかたち

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誰しもが一度は使ったことがある郵便局。
郵便・銀行・保険サービスを通して日本の社会生活を支え続けてきた日本郵政グループが、今DXに挑もうとしている。その舵取り役を担っているのが、ダイソンの日本法人社長や楽天の上級執行役員などを歴任してきた、JPデジタルCEO・飯田恭久氏だ。

日本屈指の巨大グループでどのようにDXを進めていこうと考えているのか。また、DXによってどんな社会を実現したいと考えているのか。飯田氏に話を伺った。

飯田恭久
株式会社JPデジタル 代表取締役CEO(兼 日本郵政株式会社 執行役・グループCDO 兼 日本郵便株式会社 執行役員)。
米国留学後、世界No.1のグローバル企業のジレット社、ウォルト・ディズニー社にて、日米を跨いでマーケティングに従事。ダイソン社の代表取締役社長として、日本におけるダイソンのブランディングを確立。楽天グループ株式会社の上級執行役員に就任。楽天USAの社長として、米国を拠点に(米国の)インターネット業界での事業拡大に成功。

INDEX

マイナスをゼロに、ゼロからプラスに。2つの切り口でのDXでお客さまが使いやすい郵便局へ
小さなタグボートとして、日本郵政の強い意志とコミットメントを機能させる
失敗しても良い風土でメンバー一人ひとりに変化を
おじいさんが文字が書けるのを確認し健康を把握する関係性も郵便局の役割。どんな地域でも誰も取り残さないDXを。
ここがポイント

マイナスをゼロに、ゼロからプラスに。2つの切り口でのDXでお客さまが使いやすい郵便局へ

――日本郵政グループがDXに取り組もうとする背景について教えてください。

日本郵政グループが行う郵便業務も銀行業務も、どんな人でも使えるユニバーサルサービスです。約150年もの間、ある意味、この国の“インフラ”として人々の生活を支えてきました。そのサービスの質はものすごく高く、誤配達の少なさからもわかる通り、正確性に関しては世界でも例を見ないほど高度なレベルにまで磨きあげられています。強固なディシプリンをつくり、しっかり守っていく……そんな方針によって、これまでの日本郵政のクオリティは守られてきたと言ってもいいでしょう。
しかし、一方で生活者を取り巻く環境が変わっていく中、自らも変化しなければ価値が届きにくくなっているのも事実です。特にテクノロジーの進展によって、人々が知りうる情報の量や伝達スピードは劇的に変わりました。そんなデジタル環境を前提にしてビジネスをデザインし、お客さまに対する体験価値を高めていく必要があったのです。

――実際にJPデジタルでは、どのようにDXを進めようとしているのでしょうか?

2つの切り口から考えています。ひとつは、マイナスをゼロにする切り口。もうひとつは、ゼロからプラスをつくる切り口です。前者では、手続きのスマート化などによって不便・不満を解消していくことを、後者では、「ものを贈る」「お金を守る」「健康のサポートをする」といった人生や生活の相談をできることを目指しています。
たとえば、マイナスをゼロにする切り口だと、ものを贈る際、自宅でラベルを印刷し、決済も済ませ、ポストに投函できるようにする。ゼロをプラスにする切り口では、お客さまの情報をもとにふるさと納税などの節税情報や子育て・介護に関する関連サービスの提案などを行うことで人生や生活に寄り添っていく。そんなイメージです。

――身近な暮らしをより良くする展開が増えそうですね。

その通り。大きな組織だからこそ、ドラスティックな変革を期待される方もいるかもしれませんが、必要なのは小さい積み重ねです。
私たちが目指しているのは、月面に郵便局をつくるようなことではありません。
それよりも、毎日利用されるお客さまから「便利で使いやすくなったね」「このサービス、良くなったよ」と言ってもらえることの方が何倍も尊いと思っています。小さな改善を積み重ねていく方が、最終的に提供できる価値は大きくなるはずなのです。

小さなタグボートとして、日本郵政の強い意志とコミットメントを機能させる

――スタートアップ企業と異なり、日本郵政グループは歴史もあり、規模も大きな企業。DXを推進するのは一筋縄ではいかないのではないでしょうか。

そうですね。歴史もある大きな企業だと、変革を起こすのにものすごく大きなエネルギーが必要です。しかし、それで「仕方ないよね」と諦めていては前に進まない。まずは小さなきっかけをつくることが重要だと思いました。そのために組織のど真ん中からではなく、「JPデジタル」という独立した組織をつくり、外側から気づきを与えていくことにしたのです。
JPデジタルのキーワードは、「変革をリードするタグボード」。タグボードとは、大きな貨物船を先導していく小型船のこと。大きな船を丸ごとコントロールしようすると、なかなか思うような航路に乗ったり、安全に船を着岸させることは難しいけれど、タグボートを使うことでそれが可能になる。そんな想いを込めて、このキーワードを設定しました。

――国内でも指折りの巨大な“船”を率いる“タグボート”が、機能を発揮するためにはどのような要素が重要になると考えていますか?

“船”のトップの強い意志とコミットメントが何よりも大切だと考えています。どれだけ優秀なタグボートがあったとしても、結局船が導かれていかなければ意味はありませんから。幸いなことに日本郵政の経営トップは、JPデジタルについて行くと腹を括ってくれました。このことが日本郵政グループのDXを進められる、最大の要因と言っても過言ではないでしょう。

失敗しても良い風土でメンバー一人ひとりに変化を

――JPデジタルは、長い歴史の中で「正確さ」や「安全さ」を守ってきた日本郵政グループとは異なる文脈の組織なのではないかと思います。チームを率いる飯田さんは、どのようにJPデジタル自体の“舵取り”を行おうと考えているのでしょうか。

おっしゃるとおり、日本郵政グループの郵便・銀行事業は、「正確さ」や「安全さ」が何よりも重要。間違いは許されませんし、その風土は守り続けていくべきだと思います。しかし、JPデジタルでは、あえてメンバーに「失敗を恐れず、果敢に挑戦してほしい」と伝えています。
何よりもこれまでの文脈にない新しい取り組みなのだから、トライアンドエラーを繰り返さないと、「何をやったら良いのか、何をやったら良くないのか」がわからない。失敗をもとにどうしたら上手くいくのか考えながら進めていく方が、価値をつくりやすくなるのです。
また、JPデジタルで重視しているのが、加点主義での人材育成。メンバーには、得意な部分を最大限伸ばす意識で取り組んでもらっています。
DXの本質は、デジタルではなくトランスフォーメーション、つまり変革。その変革は、組織というひとつの面が変わるのではなく、メンバー一人ひとりの変化という点の集積によってもたらされます。
組織の力が最大化するのは、一人ひとりのスキルが最大限に発揮され、それらが上手くかみ合ったとき。そのためには、苦手なことに足を引っ張られていてはもったいないです。誰しもがオールラウンドにできる必要なんてありませんから。

――社員の方は、どうやってそこまで大きなマインドチェンジをしていったのでしょうか。

まず、発足初日にトップにいる私が「加点主義で行く」と言い切ったこと。それが心理的安全性につながりますから。
そして、さらに「そもそもソフトウェアをつくる仕事をする上では、アジャイルで動かないと前に進まない。DAY 1から完璧なものなど提供はできない。小さなPDCAを短いサイクルで回し続けることでアップグレードしていくんだ」というメッセージも併せて伝えていきました。
あと、“潮流”をつくることも重要。潮の流れに乗れば、大きな船も動きやすくなります。そのためには、「自分たちは進んでいるんだ」という機運をつくっていくこと。社内に対しても、社外に対しても、何かひとつ小さなことができたと耳にしたら「こんなことができたんだぞ」と伝えていく。それがいくつも生まれていくと、追い風になって、いつの間にか大きな力になっているのです。

おじいさんが文字が書けるのを確認し健康を把握する関係性も郵便局の役割。どんな地域でも誰も取り残さないDXを。

――日本郵政グループのDXを進めた先に、どのような世界が待っているのでしょうか?

昔も、今も変わらない、日本郵政グループの本質的価値があります。それは、安心感。「郵便物を預けたら確実に届けてくれる」「お金を預けたら守ってくれる」……人々の生活に寄り添い、支えてきた安心感は、事業をはじめた約150年前から変わることはありませんし、150年後も変わらないでしょう。
そんな安心感を基盤にしつつ、より便利な世界を実現できたらと考えています。まずは郵便や銀行サービスにまつわる手続きを簡便にするところから。毎回いちいち紙に記入したりハンコを押したりする作業をデジタル化する。先ほどもお伝えしたようなマイナスをゼロにするアプローチですね。そして、その先にゼロをプラスにするサービスを提供する郵便局の姿があります。買いたいもの・贈りたいものが見つかったり、ライフステージに合わせた人生プランニングができたり、お金の相談ができたり、もしくは少子高齢化社会に対応するような健康づくりへのアプローチもできるでしょう
そうやってさまざまな角度からお客さまの体験価値を創り上げていくことを目指しています。

――ただ、日本郵政のサービスは、あまねく人々が利用するユニバーサルサービスです。デジタル化が進むことによって、高齢者など取り残されてしまう人は出てきてしまわないのでしょうか。

そこも重要な観点だと思います。必ずしも全ての郵便局で画一的なサービスを提供する必要はありません。完全無人の郵便局があってもいいけれど、人がいないといけない郵便局もあります。たとえば働く世代が多い東京・大手町の郵便局は、昼休みになると窓口に行列ができますよね。そこは1日も早くデジタライゼーションを進めて、効率化を図るべきだと思います。しかし、高齢化が進んでいる地方の郵便局はそうはいかない。
全国の局長を対象にした研修で、私がDXの見通しを説明したとき北海道のとある郵便局長から尋ねられたことがありました。「うちの局にはいつも通ってくれる高齢のおじいさんがいらっしゃいます。私たちはその方が来てくれるたび、まだ字が書けるのかどうか確かめているんです。もしもデジタル化が進んで字を書く必要がなくなってしまったら、その人の老化の進行度合いを見逃してしまうのではないかと懸念しています」と。その指摘はとても重要だと思いました。その局には、1日十数人しか利用しないけれど、その人たちにとってよりどころになっているのはたしか。そこでは、「書く」という手段は残しておくべきでしょう。ただ、紙でなくてもタブレットに書いてもらえばいいかもしれない。地域の実情やニーズに合わせて適切なデジタライゼーションを進めるべきだというのが私の立場です。

一般的には商業ベースで考えると、100人のうち1人が「この商品が欲しい」と言っても、無理して商品を揃える必要はないでしょう。でも、郵便局は“インフラ”だから、そうはいかない。取り残される人が出てはいけないのです。そこがユニバーサルサービスを設計する難しさであり、何よりも醍醐味だと思います。

ここがポイント

・生活者を取り巻く環境が変わっていく中、日本郵政グループ自体も変化しなければ価値が届きにくくなっている
・手続きのスマート化などによって不便・不満を解消していくこと、人生や生活の相談をできることの2つの切り口を考えている
・ドラスティックな変革ではなく、小さな改善を積み重ねていく方が、最終的に提供できる価値は大きくなるはず
・「JPデジタル」という独立した組織をつくることで、タグボートのように大きなグループを先導していく
・“タグボート”が、機能を発揮するには“船”のトップの強い意志とコミットメントが何よりも大切
・JPデジタルでは加点主義での人材育成を重視している
・郵便局はユニバーサルサービスであるからこそ、地域の実情やニーズに合わせて適切なデジタライゼーションを進めるべき


企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:小林拓水
撮影:小池大介