TO TOP

「20代女性大企業勤め」という属性ではない「あなた」を知っている街へ 三菱地所MELONが目指す共通認証IDサービスの未来

読了時間:約 8 分

This article can be read in 8 minutes

2020年10月、丸の内エリアで展開された共通認証 IDサービス「Machi Pass」。登録者は、街で展開される複数のオンラインサービスやオフラインの体験をひとつのIDで利用できるようになったほか、オフラインでの行動データにもとづいて、より一人ひとりに最適化された体験の提供を受けることが可能になった。

この「Machi Pass」が目指すのは、街での体験をよりシームレスで豊かなものにしていくこと。街の中にあるさまざまな事業者や店舗と連携することによって、街を訪れる人と街の関係者が、オンライン・オフラインでオープンにつながっていく……三菱地所が構想する、そのエコシステムは「Mitsubishi Estate Local Open Network」(MELON)と名付けられた。

すでに丸の内やみなとみらいで実証実験が進み、街と人の関係を深化させていこうとしているMELON。なぜWebサービスを展開するIT企業ではなく、まちづくりを行うデベロッパーが共通認証ID事業に取り組むのか、その意義はどこにあるのか。三菱地所の春日慶一氏に話を聞いた。

春日慶一
三菱地所DX推進部 データ&UXデザインユニット主事
2007年三菱地所入社。入社以来分譲住宅、商業施設、ホテルの用地取得から建物企画、販売戦略まで不動産開発の現場で国内及び中国・アジア中心に携わる。中国からの帰任後は物流、空港事業含む主にB2CまたはB2B2C型不動産に関する戦略策定や工事発注、不動産証券化やアセットマネジメントに加え、スタートアップへの出資も担当し、2019年新設のDX推進部にて、リアルとデジタルが融合した人間中心のまちづくりに挑戦中。アメフト部出身3児の父。

INDEX

オフラインプラットフォーマーとして生み出す、新たな価値
街での体験を、もっと豊かで、シームレスに
大切なのは、ユーザー目線・現場目線・事業目線の並立
ここがポイント

オフラインプラットフォーマーとして生み出す、新たな価値

――まず共通認証ID事業に取り組もうと考えた背景について教えてください。

春日:ひとつの理由は、人口減少が本格化し、住宅や商業施設などで実需そのものの成長率が鈍化していくことが分かっていたから。もうひとつは、ライフスタイルの変化。OMO(Online Merges with Offline)と呼ばれるように、今はオンラインとオフラインの垣根がなくなっています。例えば、生活者は「水を買いたい」と思ったとき、目の前の自販機で買う人もいれば、コンビニで買う人もいる。もしくはAmazonで注文する人も。要は、どのチャネルで買うかは、生活者にとってそれほど重要なことではないんですよね。だからこそ、「この商品は絶対商業施設で買いたい」という生活者も少ないと思っていて。テナント側も、本音では自分たちのオンラインサイトで商品を購入してもらった方がコスト面でありがたいかもしれない。そう考えたとき「商業施設など建物単体での価値をいかに高めていくか」という考え方には限界があると感じています。そこで、商業やオフィス、住宅、空港、ホテル、物流など三菱地所がもつ多様なアセットを横串にした新しい事業のかたちをつくる必要があると考えました。

――Webサービスを提供するIT企業が共通認証ID事業に取り組む意義は容易に想像できると思うのですが、まちづくりを行うデベロッパーの三菱地所が共通認証ID事業に取り組む意義はどのようなところにあるのでしょうか?

春日:MELONでは、ユーザーを自社サービスに囲い込むことを目的とはしていません。いかにひとつのエリア内でのサービスをスムーズに連携させるか、そして、いかにオンラインとオフラインの体験をスマートに結びつけるか、という二点に注力しています。鍵になるのは、バラバラになっているサービスを、ひとつのIDで使える状態にしておく、という点。
さまざまなサービス提供者の方たちと話していても、オンラインでのユーザー登録までは上手くいっても、オフラインでサービスを提供する場合にハードルを感じている方が多くて。しかも、面で広く展開するとなると一段と難易度も上がるんです。わかりやすく言うと、Googleのサービスで、オーナーが登録すれば自らの店舗をマップ上にピンを立てて表示できる機能があるんですけれど、無料にも関わらずその機能を活用できている事業者って必ずしも多くないんですよね。じゃあ、その機能を使ってもらうためにGoogleが事業者を一軒一軒回っていくかというと、そこまでパワーはかけられない。そこで、丸の内というエリアで日々事業者の方とコミュニケーションを取っている私たちと協働すれば、より効率的にサービスを展開できるかもしれませんよね。しかも、施設によっては、業務端末などのハードやソフトウェアも私たちから提供していることもある。エリア単位で、オフライン・オンライン双方の接点を持っていることが、不動産デベロッパーというオフラインプラットフォーマーとしての私たちの価値なんです。

――とはいえ、同じ共通認証IDでも、IT企業が取り組む方が技術面では勝るのではないかと感じます。その中でデベロッパーが取り組む優位性を、どこに見出しているのでしょうか?

春日:私たちは、IT企業を競合としては見ていません。むしろ協力しながら、共存していく関係だと考えています。三菱地所はオフライン側の接点をしっかり担保して、データを整備し、サービスとして開放する。いわゆるオープンAPIの発想です。そうすることで、オンラインサービスの提供者が「このエリアで新しいことを仕掛けたい」と考えたときに、よりよい環境を提供できたらいいと考えています。「接続しやすい街」をつくることが、MELONのひとつの考え方でもあります。

街での体験を、もっと豊かで、シームレスに

――サービス提供者への価値を伺ってきましたが、エリアに訪れるユーザーに対しては、どのような価値を提供しようと考えているのでしょうか?

春日:「このエリアに訪れると、何か面白い人や体験、サービスに出会える」という世界観をつくりたいと考えています。ひとつのIDで各種サービスを連携させることで、これまでは実現できなかったサービスの組み合わせを提供できるようになります。例えば、出張などでモビリティを予約したら目的地で作業できるスペースを同時に予約できたり、オンライン診療を予約したらプライバシーが確保されたボックス型のスペースの空き状況がわかったり。

あと、年齢や性別、属性といったデモグラフィックなデータではなく、徹底的に行動データを収集することでレコメンドの精度も高まると思っています。例えば、丸の内に訪れる就業者は約28万人。これを、より柔軟な働き方に応えながら、多様な100万人が日々集い、交流するまちにしていこうと計画しています。しかし彼・彼女らを「大企業の就業者」という属性で括ってしまえば、最先端のビジネス情報しかレコメンドされないかもしれません。だけど、それは一面的な情報で、就業者と言っても帰り道に小腹が空いてパンを買ったり、家族のために花を買ったりする消費者でもあるんです。ECのようなオンライン上だと、どのページを寄り道したかや、何をついで買いしたかといった、個人の詳細な行動データを分析することはよくあります。でも、リアルなオンライン上では、寄り道やついで買いの行動データってなかなか取得できないんですよね。そんなデータを収集することで、例えば「帰り道にある、お気に入りのパン屋でタイムセールがある」といったようなユーザーにとって最適なレコメンドができるようになると思っています。また、購買体験にとどまらず、今同じまちにいる会いたい人がオンラインで見つかったり、新たに紹介されることによって、所属やプロフィールに縛られない、本当に会うべき個人同士の結びつきと化学変化がまちで無数に生まれていくことも期待しています。オフラインの街がデジタルという概念を備えることで、土地・空間がもっと価値を高めていくことにつながるんじゃないかと。

――それだけ多様な自分の行動データが取られるとなると、プライバシーの観点で不安に感じる人も出てくるのではないかと思うのですが、その点はいかがでしょうか?

春日:まず同意を得ることは大前提です。その上で、必要なのが、「ひとつの街」というリアルな場所で信頼感を担保すること。例えば、「この街は自分の地元だから、だいたいみんな顔を知っている」という状況は自然じゃないですか。その世界観をサービス上でも再現することができたらいいなと考えています。
今は、自分の生体情報などの個人情報が、さまざまなオンラインサービスに登録されて、どこでどのように使用されているのかわからなくなることに対する不安があると思うんですよね。そこで、「私のことは、あの街の人たちしか知らない」、さらに「忘れてもらいたければ、一度に忘れてもらえる」という状態を街が担保することができればいい。顔なじみが生まれて、さまざまなサービスを快適に使用できるけれど、その自分の素性は街の中で完結している。そんなイメージです。

大切なのは、ユーザー目線・現場目線・事業目線の並立

――そのような世界観を構想し、実現していく上で、どのようなことを意識してきたのでしょうか?

春日:3つの目線を1つも欠かさないことは、意識していましたね。すなわち、ユーザー目線、現場目線、事業目線です。
起点になるのは、ユーザー目線。これがないとそもそも使われるサービスにはなりません。大切なのは、「ユーザーは何を課題に感じていて、何を解決したら喜んでもらえるのか」といったペインやゲインを考えること。「求められていないけれど、データが取れそうなのでつくりました」という施策は、何も生み出しませんから。
その次に重要なのは、現場目線。「ユーザーは喜ぶ、データも取れるので本社は喜ぶ、だけど現場がやりたくない」という状況だと、そのサービスは動き出しません。仮に動き出したとしても、中途半端なクオリティで終わってしまいます。社内でのプレゼンス向上だったり、スタッフのプロ意識に応えることだったり、「現場を勝たせる」施策を設計することも価値ある成果を生み出すために欠かせない視点です。
そして、最も難しいのが事業目線。DXの観点で考えたとき、「ユーザーが喜ぶ、現場も喜ぶ」といった視点だけでは、ビジネスを転換させる大きな力学は生み出しません。利益につながって、継続性を担保して、拡大していく力になっていけるか、という視点は見過ごしてはいけないポイントです。
私たちの場合は、まちづくりというビジネスモデルの特性もあり、単に「人が訪れて、商品が売れたか」といった観点だけではない指標をつくりたかったんです。たとえ、商品を買わなくても、店舗を訪れることで興味関心が湧いたかもしれない、イベントに参加することで街への愛着が増したかもしれない。そんな行動データを積み重ねていって、一人ひとりへの解像度を高めていく。そうすることで、その情報自体が価値を持ち、サービスとして提供できるようになりますから。

――ユーザー目線と現場目線から施策を打つことは、すぐに実践しやすいと思うのですが、事業目線も踏まえるとなると、ハードルが上がるように感じています。事業目線を踏まえた施策を考える上で、どのようなことがポイントになると考えていますか?

春日:三菱地所のような大企業のケースで言うと、細分化されてしまったそれぞれの部門をいかにつなぐか、が重要になっていると思います。よくあるケースが、細分化された部署が、事業環境にフィットしなくなってきたままそれぞれ独自のKPIを持ってしまっているケース。例えば、イベントや講演などへのスペースの貸し出し事業を考えると「ひとつのエリア内でそれぞれの部署が、どこからどこまでのスペースを管轄しているか」といった情報は共有されにくい現状があります。そうなると、とある部署の管轄ではスペースが空いているにも関わらず、とある部署の管轄ではスペースが埋まってしまっていたためユーザーが予約できなかった、という機会損失が生まれる可能性が高まります。もし、部署の垣根を越えて、エリア内全てのスペースの空き状況が一覧化できたら、そのような問題も解決することでしょう。ただし、部門間をつなぐといっても、「情報連絡会をしよう」という発想ではなく、「デジタル化しましょう」と発想で行動できるかどうかが重要です。データ統合から入ることで、組織内の壁や駆け引きによる消耗をうまく避けながら各事業がシームレスになっていくし、多様な角度からデータをどんどん蓄積することで資産となっていきます。
局地戦ではスタートアップと分が悪い大企業は、総力戦で考える。そのために、形式的な横連携ではなく、データを統合するという視点がレバレッジを効かせる武器になっていくと思います。

ここがポイント

・「Machi Pass」が目指すのは、街での体験をよりシームレスで豊かなものにしていくこと
・オンラインとオフラインの垣根がなくなった今、どのチャネルで買うかは、生活者にとってそれほど重要ではない
・オフライン・オンライン双方の接点を持っていることが、不動産デベロッパーというオフラインプラットフォーマーとしての価値
・ひとつのIDで各種サービスを連携し、行動データを収集することでレコメンドの精度も高まる
・オフラインの街がデジタルという概念を備えることで、土地・空間がもっと価値を高めていくことにつながる
・重要なのは、ユーザー目線、現場目線、事業目線の3つの視点
・形式的な横連携ではなく、データを統合するという視点がレバレッジを効かせることが大企業の武器になっていく


企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:小林拓水
撮影:戸谷信博