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視覚障がい者がトイレに困らない暮らしを。参天製薬と竹中工務店が共創する障がい者にもやさしい空間づくり。目指すのは「インクルーシブなまちづくり」

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近年では多くの大企業が積極的に取り組み始めたオープンイノベーション。スタートアップとの連携に留まらず、大企業同士の共創事例も珍しくない。

今回紹介する参天製薬✕竹中工務店の取り組みもそんな大企業同士の共創事例の一つだ。主に点眼薬などの開発・製造で知られる参天製薬は、目のスペシャリティーカンパニーとして、見える見えないに関わらず誰もが当たり前にいきいきと暮らせる社会の実現を目指し、様々な活動をしている。その取り組みの成果を、竹中工務店とともに建物づくりや空間づくり、ひいてはまちづくりに活かそうというのが狙いだ。

しかし、全くの異業種の大企業同士が共同でプロジェクトを進める上では、様々な壁にぶつかるのは想像に難くない。今回は同プロジェクトを牽引してきた参天製薬の朝田氏と、竹中工務店の渡辺氏にプロジェクトの裏側について話を聞いた。


朝田 雄介
非鉄金属メーカー、IT企業にてヘルスケア関連の新規事業の立ち上げプロジェクトを多数経験したのち、2020年に参天製薬に入社し、新規事業創出を担当。脳の研究者でもあり、大学で客員講師も務めている。


渡辺玲奈
看護師/助産師として大学病院で勤務しながら、大学で建築学を学び、博士号を取得。看護学科の教員として看護教育と病院建築計画研究を経験したのち、竹中工務店に入社。医療福祉・教育本部にて、病院建築の企画、設計支援をしつつ、企業間の共創も担当。現在も大学で客員研究員を務め、看護と病院建築の両視点から研究を進めている。

INDEX

オープンイノベーションを推進する2人のミッションとは
トイレに行くのに事前調査もしている!目の不自由な方たちが抱える悩みとは
「相手の業界を知らないのが逆にいい」全くの異業界と組むメリット
ここがポイント

オープンイノベーションを推進する2人のミッションとは

――まずは朝田さんのミッションについて教えてください。

朝田:私はコーポレートストラテジーという経営企画の部署に所属していまして、新規事業の創出が私のミッションです。参天製薬では現在3つの経営戦略の軸があり、そのひとつとして「インクルージョン[1]」に主に取り組んでいます

参天製薬は、弱視の方や全盲の方の社会参画を支える取り組みをしており、外部の企業も巻き込んで新規事業にしようと進めているところです。

――新規事業創出の明確なゴールなどはあるのでしょうか?

朝田:新規事業を生み出す活動ですので、大企業によくある検討してから検証するという動き方ではなく、スタートアップのように検証してから検討するという、想定されるオプションを一つひとつ試し、プロジェクトが成功するメカニズムを探りながらアクションしています。正直、国内の視覚に障がいのある方たちだけをターゲットにしても、さほど大きな市場にはなりません。そのため、視覚障がいのある方に向けた商品やサービスを、何らかの形で晴眼者にも使ってもらえるようにするのが一つの目標です。

たとえば、視力を失いつつある家族と手紙のやりとりを続けるために発明されたタイプライター[2]は、現在はその形を残しつつキーボードとして全世界の人が使うようになりました。最終的には、そのような商品・サービスにしていければと思っています。

――渡辺さんのミッションについても聞かせてください。

渡辺:私は竹中工務店の医療福祉・教育本部という部門に所属しており、普段は病院建築の企画、設計支援の役割を担っています。Inspired.Lab[3]にも在籍していますが、オープンイノベーションの推進だけがミッションではなく、既存事業である建設の仕事やそれに関わる技術開発が主なミッションです。

私がオープンイノベーションを担当している理由は、自分たちだけで将来の病院について考えているのでは既存の枠にとらわれてしまうと思うからです。より良い病院を作っていくために、まったく違う分野の企業の方がヘルスケアや医療についてどのように考えているのかを知り、次の時代の医療施設のあり方を考えたいのです。いろいろな考え方を取り入れるために他の企業と方々とコラボレーションを進めたいと考えています。

――渡辺さんはずっと病院の建築に携わってきたのでしょうか。

渡辺:いえ。私は新卒で看護師となり、その時に「なんで病院はこういう計画なんだろう?病院ってもっと看護師視点で働きやすい環境にできないのかな」と考えたのがきっかけで、大学で病院建築について学びはじめました。その後、看護学科の中で看護と建築の両眼で研究を進めていました。学生には看護師が環境を考える大切さや意義を伝えてきたつもりです。そうしているうちに、実際に理想の病院を作ってみたいと思い竹中工務店に入社しました。

それから約8年に渡って病院づくりに携わっています。

トイレに行くのに事前調査もしている!目の不自由な方たちが抱える悩みとは

――今回のプロジェクトはどちらの呼びかけから始まったのでしょうか。

朝田:最初に話を持ちかけたのは私たちです。参天製薬として、今後は医薬品の製造だけでなく、社会課題を解決する取り組みをしていきたいと考えています。それも、将来的にグローバルに広げ、社会に実装することまで考えているので、そのためにもインフラ領域と繋がりたいと思っていたのです。

目の不自由な方たちが使いやすい街や建物を作っていくために、同じInspired.Labに入居している竹中工務店さんに相談しました。もちろん、私たちは建築については全くの素人なので、最初の提案では「目の不自由な人達はこんなことに困っていて、こんな形で解決するのはどうですか」と漠然としたものでした。

――その提案を聞いて、竹中工務店としてはどんな印象だったのでしょうか?

渡辺:私たちはもともと「インクルーシブデザイン[4]」が重要だと思っていたので、前向きに提案をお聞きしました。特に医療施設には目の不自由な方が利用することも多いので、まずは、病院をテーマにすると取り組みやすいのではないかと思いました。

社内で視覚障がい者のための施設計画やインクルーシブデザインに興味のある人たちにも相談したところ、参天製薬さんの提案に興味を持ってもらったので、共創を進めることにしました。

――例えば目の不自由な方たちがどんなことに困っているのか聞かせてください。

朝田:分かりやすいのはトイレ問題です。目が見える方なら、地図を見て最短距離でトイレに行けますよね。しかし、目の不自由な方の中には、壁沿いでしか歩けない方もいらっしゃるため、数メートル先のトイレに行くために数十メートルも遠回りしてしまうこともあって。歩き回り、どうにかギリギリ間に合ったという話は珍しくありません。

また、トイレに入った後も、設備によってウォシュレットの使い方が違い、毎回手で触って確認しながら使わなければなりません。本人たちは社会的に振る舞いたいと思っていても、そのような設計上の都合で難しい時もあるのです。トイレを行くだけでも大変ですから、外出するのが億劫になることも想像しやすいですよね。

――そのような問題は昔からあったと思いますが、今でも解決されずにいるんですね。

渡辺:設計者やメーカーのみなさんも様々な工夫をしていると思います。たとえば駅などではトイレの位置を音声で知らせてくれますよね。規格もできていて、東京五輪の時には、そのような規格に沿ってトイレが作られていました。

しかし、全てのトイレがその規格通りに作られているわけではありません。医療施設などでは視覚障がい者だけでなく、他の疾患を持った方や高齢者の方など、その病院に通われる患者さんの特性に合わせてカスタマイズ仕様になっていることもありますし、それらの機能が認知されていないこともあって。誰もが使いやすいトイレの解決方法はなかなかないというのが現状です。視覚障がい者の方は事前にトイレの場所を調べてから出かけるということもお聞きして、建築にできることはまだあるなと思いました。

――そのような課題に対し、具体的にどのような取り組みをしているのでしょうか?

渡辺:まだ目に見える成果にはなっていませんが、参天製薬さんのこれまでの知見をもとに、両社でフィールドワークを行いました。さらにフィールドワークに関するワークショップを開催し、フィールドワークからの得た学びのブラッシュアップを図っています。私たちにとっては初めての取り組みなので、視覚障がい者の方とのディスカッションにより、これまでにないヒントがたくさんありました。
例えば、視覚に頼りがちな自分達(晴眼者)とは異なり、音の反響や素材の質感のわずかな変化を頼りに空間を認識し、歩きながら頭の中で地図を作っていくような視覚障がい者の空間認識にとても驚きました。建築空間の中でよいと思って計画している見通しのよさや照明計画などの空間づくりが、わずかな変化を頼りにしている視覚障がい者の障がいになっていることを実感しました

最終的にはそこで得た知見をこれから作る建築に活かすのはもちろん、既存の建物に対しても活用していければと思っています。その取り組みが直接利益に繋がるかは分かりませんが、より使いやすい建築を作ることで、建築主ひいてはそこを利用するユーザーの満足が得られ、それが積み上がっていくことで、他社との差別化になると考えています。

「相手の業界を知らないのが逆にいい」全くの異業界と組むメリット

――製薬業界と建設業界では慣習も全く違うと思います。一緒にプロジェクトを進める上で苦労したことなどがあれば教えてください。

朝田:おっしゃる通り、私たちは建設業界のことを何も知りません。しかし、それが逆によかったと思います。全く知らないからこそ、何でも聞けますし、教えてもらえることも新鮮で。

渡辺:それは私たちも一緒ですね。たとえばインクルージョンという言葉一つをとっても、私自身、社内での共通理解が難しいと思っていて、「朝田さん、社内でインクルージョンについてどのように説明しているんですか」と聞いたり。業界ごとに解釈は違うと思いますが、それを持ち帰って建設業界に置き換えて説明したり、ディスカッションしていました。

――今回の取り組みはすぐに収益につながるものではないように思うのですが、取り組みのゴールはどのように設定したのですか?

朝田:参天製薬としては確かにすぐに収益には繋がりません。ただ、これまではラボなどで行いがちな研究開発を始めからより事業に近い場所で、竹中工務店さんにも協力をいただきながら実施しているイメージです。参天製薬が掲げるバリューの一つである”いつも必ず「人」を中心に”を体現する取り組みになっています。

渡辺:私は病院建築の企画や提案をする部門に所属しているため、応用可能性は高いと思っています。まだ、取り組みを開始したところで、なんらかの解が導き出せている段階ではありませんが、今いただいているヒントは医療施設だけでなく、さまざまな施設に展開できると考えていますし、単体の建築にとどまらず、まち全体としてこのヒントや視点を取り入れていくことが重要だと考えています。

まずは、実際の建物としてアウトプットすることが最初の目標かな、と考えています。

――最後に今後のオープンイノベーション戦略についても聞かせてください。

朝田:参天製薬ではパートナー団体と組んでVISI-ONEプロジェクトを推進しており、今年初めてアクセラレータープログラムを主催しました。10/14にはデモデイも実施しました。様々なスタートアップの方々の視覚障がい者の課題を解決したり、新しい体験を届ける新しい事業づくりを支援しています。目の不自由な方に限らず、様々な人に届けられるサービスにつながればと考えています。

そうすることで、今回の取り組みに関しても、他の企業さんも巻き込みながら幅広い価値を届けられればと思っています。

渡辺:竹中工務店では、オープンイノベーションを推進するために、「COT-Lab®」という拠点を開設しています。大手町のInspired.Lab内の他に新橋の堀ビルやグランフロント大阪、さらにはシンガポールにも設けており、そこで様々な企業とのコラボレーションの機会を探っています。各拠点に私のようなオープンイノベーションの担当がいるので、幅広く共創相手を探していきたいですね。

ここがポイント

・新規事業創出を、スタートアップのように検証してから検討するスタイルで進めている
・視覚障がいのある方に向けた商品やサービスを、何らかの形で晴眼者にも使ってもらえるようにするのが一つの目標
・きっかけは参天製薬で、社会に実装することまで考えた際、インフラ領域と繋がりたいと思ったから
・以前からあるトイレの問題ですら、各社取り組んでいるが、誰もが使いやすいトイレの解決方法がなかなかないのが現状
・両社の慣習が違うからこそ教え合うことができてうまく行った。今後も両社ともにオープンイノベーションを推進する

[1]「多様な人々が互いに個性を認め合い、一体となって働く」という概念
[2] https://en.wikipedia.org/wiki/Pellegrino_Turri
[3] 三菱地所が手掛けるイノベーション・スペース
[4] 多様な人たちが使いやすいデザインやそれをつくり上げるプロセス


企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:鈴木光平
撮影:小池大介