※本稿はTMIP Articleに掲載した記事を転載したものです。
AIを用いたデータ分析は、企業活動をトランスフォーメーションする……近年、そうした議論や実践が重ねられてきました。しかし、「社内のデータを有効活用し、AIによる変革を実現できている」と自信を持って口にできる企業が、一体どれだけあるでしょうか。
いま、少なくない数の企業が「AIの活用方法がわからない」と悩んでいます。その背景をたどると、データを蓄積はできていても、「データが整理されていない」「データの管理者がバラバラ」といった課題が浮かび上がります。
そうした課題の解決に寄与する取り組みの一つが、TMIPがスポンサーを務める「CDLE(※)ハッカソン」です。AI人材の育成を通して日本の産業力の向上を目指す団体、日本ディープラーニング協会(以下、JDLA)が主催するこのハッカソンでは、企業が事業運営によって得たデータを提供し、参加者がそのデータを活用した新規事業をプロトタイピングしています。
同イベントを運営する中で浮かび上がってきたのは、「社内での適切なデータの整理・管理が進まない理由の一つは、データを活用して何かを生み出した成功体験が少ないからではないか」という仮説。そしてハッカソンは、データを提供する企業に“小さな成功体験”をもたらし、AI活用を推進するモチベーションを生み出すポテンシャルを持つということが見えてきました。
本記事では、CDLEハッカソンの軌跡を追いながら、データ活用によるイノベーション創出に取り組む際のポイントを探ります。
(※)CDLE(Community of Deep Learning Evangelists、シードル)……G検定・E資格合格者のコミュニティ。継続的な学び合い・交流により、日本の産業界におけるディープラーニングの社会実装を推進することを目的に活動
一般社団法人日本ディープラーニング協会 事務局 CDLE/DCONマネージャー 海野紗瑶(うんの・さよ)
ディープラーニングを中心とする技術による日本の産業競争力の向上を目的とする協会活動において、G検定・E資格合格者が集う日本最大級のAI人材コミュニティ CDLE(Community of Deep Learning Evangelists)および高専生によるものづくり×ディープラーニング作品を「企業評価額」で競うコンテスト「DCON」および出場者コミュニティの運営を担当。幅広い世代の日本のAI人材育成の推進に従事。
TMIP事務局(デロイト トーマツ コンサルティング)髙橋和巳(たかはし・かずみ)
デロイトトーマツコンサルティングStrategyユニットにて、イノベーション戦略立案支援、新規事業創出支援、サステナビリティ戦略立案支援に従事。TMIPには事務局を支援する形で第4期より参画。
TMIP事務局(三菱地所)山崎浩平(やまざき・こうへい)
コンサルティング会社での新規事業創出支援、AgriTechスタートアップでの事業開発などを経て、2021年より現職にて大丸有エリアのイノベーション・エコシステム形成に向けてTMIPの運営を担当。特にスタートアップと連携した丸の内エリアにおける先端技術の実証実験を中心に企画を推進。
INDEX
・データは蓄積されているのに、AI活用が進まない理由
・ハッカソンの意義は“小さな成功体験”が得られること
・使い道のわからないデータでも、AIスタートアップがメンターとして伴走
・怖がらずに、まずは一歩踏み出すところから
データは蓄積されているのに、AI活用が進まない理由
「大企業のデータ活用には、3つの高いハードルがある」──オープンイノベーションの戦略立案支援に携わる、TMIP事務局の髙橋和巳さんは現状の課題をそう指摘します。
髙橋「まず、社内のデータが整理されておらず、各組織の中にバラバラに存在していること。そのため、自社のどこにどのようなデータが存在するのか、全体像を誰も把握していないことも少なくありません。
続いて、データを活用したくても、他部署のデータを引き出すためには社内から理解を得たり、調整したりする必要があること。『そのデータは営業部が管轄しているので使えません』といったことが、往々にして起こります。
そして、もし使えそうな良いデータを見つけたとしても、それをどのように活用すべきかイメージできないこと。結果、せっかくのデータを持て余してしまう、といったこともよく起こります」
TMIP事務局(デロイト トーマツ コンサルティング)髙橋和巳
CDLEハッカソンを主催したJDLAの海野さんはこの指摘に頷きながら、社内システムのデータ基盤の観点からも、AI活用が進まない理由を語ります。
海野「多くの日本の大企業では、企業内でのデータ基盤が整備されておらず、部門ごとのデータがシームレスにつながっていません。
例えば、経理部門と生産部門が別々のシステムを使用しているため、それぞれデータベースの仕様が全く異なり、データを組み合わせて使える状態にできないといったことが起こります。せっかくデータは存在しているのに、企業に変革を起こすような使い方ができないことがよくあるんです」
一般社団法人日本ディープラーニング協会 事務局 CDLE/DCONマネージャー 海野紗瑶
髙橋も、TMIPの会員企業に「一緒にハッカソンをやりませんか?」と企画を提案する中で、データ活用にまつわる企業の課題をよりリアルに感じるようになったと言います。
髙橋「新規事業開発部門やDX部門に所属する人たちはみなさん、AIを活用したハッカソンについて、『いいですね、やりましょう!』とポジティブな反応を示してくれます。でも、社内との調整が始まると、少しずつ難しい状況になってくる。例えば、ハッカソンで使いたいデータが小売部門にある場合、『顧客情報が少しでも関連するデータは出せません』とお断りされることが多いのです。
もちろんハッカソンで使用するデータは事前確認し、問題がある箇所にはマスキングするなど、プライバシーやセキュリティには万全な対策を施しています。しかし、そうした説明をしても、データを使うこと自体の理解を得ることが難しい印象がありますね」
ハッカソンの意義は“小さな成功体験”が得られること
企業のAI活用を阻む、「社内事情でデータを使えない」という問題。自社のデータをオープンイノベーションの場に提供するCDLEハッカソンは、こうした状況を打開する突破口となる可能性があります。
このハッカソンは、大企業を中心に約70以上の会員を持つTMIPが、優秀なAI人材のネットワークと育成を手がけるJDLAの取り組みに賛同したことにより始まりました。JDLAが運営する資格であるG検定・E資格(※1)の保有者がスキルアップを目指すとともに、データを提供したTMIP参加企業の新規事業創出へとつなげることを目的に開催されています。
同イベントを運営する中で、社内での適切なデータの整理・管理が進まない理由が見えてきました──「データを活用して何かを生み出した成功体験が少ないからではないか」。だからこそ、こうしたハッカソンの存在意義があると海野さんは語ります。
海野「社内のデータや関係者を整理して『使えるデータ』にしていくプロジェクトは、ものすごく時間も労力もかかります。だからこそ、ハッカソンなどのイベントを通じて『データをうまく使えると、どんなことができるのか』をより現実的にイメージし、その効果を実感して感動するという小さな成功体験が、日本企業のAI活用を推進する糸口になると思うんです」
2021年に開催された「CDLEハッカソン2021」では、三菱地所とデンソーが開発に使うデータを提供。TMIP事務局の山崎はその際、「さまざまな企業がデータをオープンに提供し、試行錯誤できる環境が整うことが、イノベーションの推進に良い影響を及ぼす」と実感したそうです。
山崎「例えばデンソーさんには、ハッカソンという新しい文化に触れられたことに、想像以上に価値を感じて喜んでいただけました。これは、『ハッカソン、面白そうですね!』『データを出せるよう社内に掛け合ってみます!』と、オープンマインドにデータの準備をしてくれたからだと思うんです。
もちろん、『万が一のことがあっては困るので』と、データの提供に消極的になってしまう気持ちはよく理解できます。でも、やってみると思ってたより怖くないし、何よりとても楽しい。三菱地所としても、大丸有(大手町・丸の内・有楽町)エリアでのイノベーション・エコシステム形成を目指す上で参考となる多様でユニークなアイデアが得られて、非常に有意義でした」
TMIP事務局(三菱地所)山崎浩平
ハッカソン当日も、審査員が決める優秀賞とは別に急遽「デンソー賞」という特別賞が生まれるなど、想像以上の盛り上がりを見せたそうです。
海野「ここでデンソーさんが得たような感動体験だけでなく、AI活用が実現した際のインパクトを想像できるようになること……つまり、『もしかしたら本当に事業が生まれるかもしれない』という可能性を実感することが、労力も時間もかかって大変なデータ整備プロジェクトを推進する人を増やす火種になるのではないでしょうか。実際に手を動かしてデータを使ってみる場としてのハッカソンが、データを整備する“動機”を生んでくれると思うんです」
※1 G検定・E資格・・・JDLAが運営する資格。G検定は「ディープラーニングの基礎知識を有し、適切な活用方針を決定して、事業活用する能力や知識を有していること」、E資格は「ディープラーニングの理論を理解し、適切な手法を選択して実装する能力や知識を有していること」を証明する(JDLA公式サイトより引用)
使い道のわからないデータでも、AIスタートアップがメンターとして伴走
CDLEハッカソンは、G検定・E資格保有者のスキルアップはもちろん、データを提供した企業の新規事業創出につなげることも目的とした催しです。AIを用いた新規事業創出に悩むTMIP会員企業と、大量のデータを必要とするAI開発の経験を積みたいCDLEの参加者たちをマッチングすることで、ハッカソンは実現しました。
JDLAの会員企業には、技術力が高いAIスタートアップが多いと言います。データを活用できる優秀なAI人材が引っ張りだこになっている昨今において、ハッカソンを通じてスタートアップの優秀な人材にメンターとして付いてもらい、短期集中でデータ活用を用いた課題解決に力を貸してもらえる場は貴重でしょう。
山崎「CDLEハッカソンでは、各チームに熱量の高いAIスタートアップの人がメンターでつきます。各大企業が関心を持っているテーマをお題として提示すれば、AIスタートアップと大企業の連携のきっかけにもなると思います」
「CDLEハッカソン2021」では、「大企業の事業データを素材に『都市の課題解決』に挑む」をテーマに設定。三菱地所からは丸の内カードや会員向けメールマガジンのテキスト、公式Twitterのテキストデータなどが提示されました。結果、丸の内カードのデータを使ってゲームを作ってみたり、丸の内にいる人同士で出会いをアレンジしてみたり……G検定・E資格保有者が多様なアイデアを生み出し、「データでこんな事ができるのか」と三菱地所側には新鮮な驚きがあったと言います。
また、「こんなデータを持っているけれど、使い道はよくわからなくて」と見せられたデータが、実は大きな価値があったというケースも少なくないと海野さんは付け加えます。
海野「各AIスタートアップには得意領域があるんです。例えば、JDLAの正会員で、CDLEハッカソン2021のメンター協力いただいた企業に、『衛星データ』を活用した技術に強みを持つRedge-iというAIスタートアップがあります。このコア技術は、生活の利便性向上につながるビジネスから、世界規模の災害対策や被害の解析といった環境モニタリングなど、幅広く活用されています。参加企業の裾野をもっと広げて、データの多様性を高めていくことで、G検定・E資格合格者にとって学びの場になるだけでなく、新しいイノベーションが起こるかもしれません」
今後目指すのは、ハッカソンの中で生まれた良いアイデアが、実際に事業化されていくこと。「良いものを作れば、自分が出したアイデアが本当に事業として形になるかもしれない」という可能性が、G検定・E資格保有者にとって最高の教育になるのではないかと海野さんは言います。
例えばAI人材としてTMIPの会員企業に就職したり、事業化した後に業務委託で関わり続けたり……ハッカソンから、実際に事業にかかわるところまでシームレスにつなげていくことが目標です。
山崎「TMIPの会員になるような大企業にとって、データ人材の育成・発掘は大きな課題であることが多いんです。だから、優秀なエンジニアと出会える機会は価値があります。事業開発のアイデアにもつながりますし、JDLAにいるデータ人材やAIスタートアップとの出会いにつながりうる。そこから実際に事業が生まれたら、嬉しい限りですね」
怖がらずに、まずは一歩踏み出すところから
AI活用に課題を抱える企業に、まずはデータをオープンに提供してもらうことで、活用の道筋をひらいてゆくCDLEハッカソン。
他方、その参加へと一歩踏み出せない企業には、共通して「怖さ」があるといいます。
山崎「『(データを提供して)何かあったらどうするんですか?』とよく言われるんです。だけど繰り返しになりますが、怖いことは起こらないので、安心してください。CDLEハッカソンで使うデータは一般公開されるわけではないですし、本当に機微な情報には予めマスキングすることもできます。なによりJDLAのみなさんはデータリテラシーが本当に高いんです。だから怖がらずに、まずは相談してみてほしいと思っています」
とはいえ、データ整理や他部署との調整などのハードルが高く、ハッカソンへの参加を断念せざるを得ない企業がいるのも事実です。そこで、TMIPでは今年度より、よりハードルを下げた「アイデアソン」の開催を予定しているそうです。
山崎「アイデアソンは、データを出さなくても企業が参加できる仕組みです。企業が抱える『課題』をデータの代わりに提示していただき、AIに知見のある参加者たちで議論する。この方法であれば、データを整理したり、他部署からデータの使用許可をもらったりする手間をかけずに、『AIを使ってどのような課題解決ができるのか』を体験できます」
アイデアソンは現在、2023年度の開催に向けて準備中。「まずは企業が実際に困っている課題を知るだけでも、G検定・E資格保有者にとってはリアリティのある検討の場になる」と、海野さんも前向きです。
プログラミングスキルに長けた人が中心メンバーとなり、事業化を目指してプロトタイプをつくるハッカソン。企業が課題を持ち寄り、AIによる解決方法を議論するアイデアソン。今後はこの二つを組み合わせることで、TMIP会員企業とG検定・E資格保有者のCDLEコミュニティの人たちが触れ合う機会をさらに幅広く持てる仕組みを構築していきます。
「TMIPはあくまでプラットフォームであり、課題がある人は困ったら気軽にきてほしい」と髙橋は語ります。「課題はわからないけれど興味がある」という人でも、まずはやりたいことや自分たちが持つアセットをTMIPに話してみることで、次のアクションが生まれるかもしれません。
髙橋「AIやデータ活用を社内だけで進めることは難しいかもしれませんが、だとすればなおさら、協業して一緒に課題に取り組む相手が必要なはずです。『待ってるからおいで』と構えているのではなく、まずは最初の一歩を踏み出してほしいと思っています」
最後に海野さんは、「データを活用する際には理想像を描くことが大事」と語って締めくくりました。
海野「AI活用と、その前段のデータ整理は本当に大変です。周囲への説得、社内からのネガティブチェックなどが大変で、モチベーションが維持しきれず、プロジェクトが止まることもよくあります。
でも、データを正しく活用すれば、自分たちの事業が効率化したり、省コストになったりします。顧客体験の向上にも大きく寄与するでしょう。ネガティブな面にばかり目を向けるよりも前に、イノベーションが起こることでどんな価値が生まれるのかを想像してほしいです。理想像を思い描き、まずは小さな成功体験を積むところから、データ活用を始めてみてほしいと思っています」
引き続きTMIPは2022年度のCDLEハッカソンにも協賛いたします。
G検定/E検定の資格保有者の方は奮ってご参加ください。
CDLEハッカソン2022概要:https://www.jdla.org/cdle-hackathon/