田畑の活用状況を調べるために、数十名の自治体職員が数ヶ月かけて目視で行うこともある農地パトロール。2021年、岐阜県下呂市が衛星データを用いてその効率化を図った事例 は新聞にも取り上げられた。それでは、その衛星データの利活用を主導したのが2018年設立のスタートアップであることはご存じだろうか。
そのスタートアップとは、衛星を活用した農業ソリューションの提供を行うサグリ株式会社である。2018年の設立から紆余曲折を経て、今では日本の農業に欠かせないプレーヤーになりつつある。特に同社が提供する耕作放棄地の見える化ソリューション「アクタバ」は、人口減少に悩む農業分野の救世主となるに違いない。
今回、サグリに創業期から関わっている同社COOの益⽥周氏を取材した。益田氏は、なぜ安定した大企業を飛び出してスタートアップにジョインしたのか。大企業とスタートアップというかけ離れた環境で、従前の経験はどの程度通用するのか。そして同氏が牽引するサグリは、日本の農業をどのように変えるのだろうか。詳しくお話を伺った。
益⽥ 周
サグリ株式会社 取締役COO
伊藤忠商事に入社後、10 年以上に渡って不動産や産業・建設機械、ヘルスケアのビジネスにおける管理業務に従事。イギリス駐在、様々なビジネスの経理や財務、経営企画、M&A を経験。その後、外資系製薬において、R&D部門の経営企画の業務に従事。グローバルなビジネスに関わる中で、日本発のグローバル企業を築き上げることに挑戦したいと考え、サグリのアドバイザーとして関わり始め、2020 年からサグリにジョイン。
INDEX
・農業の課題に、テクノロジーの力で挑む
・道を拓く奇策などない――サグリが持つ突破力とは
・大企業出身者、スタートアップのCOOになる
・日本発のテクノロジーで海外の課題に取り組む
・ここがポイント
農業の課題に、テクノロジーの力で挑む
——まずは、貴社のビジネスについてお話しいただけますか。
益⽥:当社では、衛星データを用いて耕作放棄地を可視化するアクタバ、作付け調査を効率化するデタバなどのサービスを運営しています。こちらの2つは自治体向けのサービスで、従来は現場まで車で向かって紙の地図に書き込んでいた職員の作業負担を軽減します。
また農家向けの農地見える化サービスSagriも 展開しているほか、農地のマッチングにも寄与したいと考えてサービス開発を進めています。特に農地のマッチングについては、どの農地を誰が貸したいかを把握すらできていない自治体も多いです。衛星データを適切に使うことで、耕作放棄地を増やすことなく余った農地を有効活用できると考えています。
——農業の課題の中でも耕作放棄地対策を重点的に取り組まれているのですね。
益⽥:おっしゃる通りです。ここ20年で農業従事者数が大幅に減少したことで、耕作放棄地が激増しています。農地は10年くらい放置されてしまうと耕作再開のためにはブルドーザーで土木工事をしないといけなくなり、土地の価値がマイナスになってしまうこともあるのです。耕作放棄地は早急に改善しなければなりません。
政府・自治体はこれまで農地パトロールを行い、耕作放棄地を目視で確認してきました。しかし限られた人員で数万筆(「筆」は田畑を数える単位)をカバーしなければならず、十分にパトロールできていない自治体も多くあります。結果として、耕作放棄地の再生に取り組むどころか、正確な数すら把握できていないのが現状です。その部分にアプローチしたいと考え、ビジネスを展開しています。
道を拓く奇策などない――サグリが持つ突破力とは
——貴社のコア・コンピタンスは衛星テクノロジーの部分ですよね。なぜ農業分野に目を付けられたのですか。
益⽥:創業者の坪井はかつて、「株式会社うちゅう」という宇宙の素晴らしさを子どもたちに伝える教育事業に携わっていました。その事業の一環でアフリカに行った際に「将来何になりたいか」と現地の子どもに尋ねたところ、「家が農家なので農業を継ぐしかない」と言われて坪井は衝撃を受けます。壁にぶち当たり、教育の限界を感じました。
まずは農業の課題に取り組むべきだと思い立ち、宇宙に関する知見を活かして何か貢献できないかと考えました。そこでサグリを立ち上げ、「衛星データ×農業」に取り組むことになります。既存の技術を活かしてビジネスを行おうというよりは、目の前の課題に突き動かされて今の事業につながった形ですね。
——当時、衛星の利活用はあまり進んでいなかったことと思います。新規参入者として飛び込んだことで、苦労したことはありましたか。
益⽥:大変なことばかりでしたよ。特に大きな問題として立ちはだかったのが法規制です。耕作放棄地を探し出す農地パトロールは目視で行うこととされていて、衛星の利活用が許されるのかが分からなかったんです。
それでも、農地パトロールが自治体職員に大きな負担となっていたことは事実です。アクタバを使えばその点で貢献できる確信もありました。そこで、ヨーロッパでは衛星を活用した現地調査がすでに行われていたことをふまえて投資家の方々から資金を集め、自治体の方々を説得して回りました。結果として40以上の市町村と実証を行うことができました。
——法制度的な壁が立ちはだかる中で、スタートアップが自治体を動かすのは並大抵のことではなさそうです。成功の秘訣などあれば、教えてください。
益⽥:そこに秘訣や近道などは存在しません。1市町村ずつ愚直にアプローチしていくだけです。ひたすら電話をかけたり、人に紹介していただいて会い続けることを重ねました。担当者に会えるまで、そして当社のサービスを信頼していただけるまで同じ話を繰り返したのです。1,700以上ある自治体のうち、北海道を除く全国の自治体が農業人口の不足に悩んでいます。ファーストペンギンとしてチャレンジしてくれる自治体がいるはずだと信じて、ひたむきに探し続けました。
強いて言うならば、諦めることなく動き続けたことが、素晴らしいご縁に巡り会えた理由だと思っています。いろいろなスタートアップ支援プログラムや、衛星データ活用プログラムに参画させていただきました。特に茨城県によるプロジェクトでは、衛星を活用した耕作放棄地への取り組みについて県庁の方にも教えていただきながら進めていきました。振り返ると、宇宙ビジネスを進めようとされている茨城県の方々に助けていただいたことは、大きなターニングポイントだったと感じています。
幸運にも、実証実験に参加してくださる市町村と出会うことができ、一緒にアジャイル に開発を進めました。当社の考えがズレている点は修正しつつ完成度を高めて、衛星データの解析方法をアップデートしていきます。多くの自治体様との取り組みの中で実績を1つひとつ積み重ねた結果、岐阜県下呂市での導入につながりました。
——アクタバが日の目を見たのは偶然ではなかったのですね。
益⽥:はい、当社ではそのように認識しています。実証に実証を重ねて自治体と共に成功事例を作り、その上で一緒に声を上げていただいたからこそ、変革が進みました。
これまで、耕作放棄地の問題は誰しも認識していたものの、取り組みづらい課題でした。勢いのあるスタートアップだからこそ、この課題に取り組めたのかもしれませんね。経済産業省もスタートアップを盛り上げてくれている中で、今はスタートアップにとって追い風が吹いているタイミングだと思います。
大企業出身者、スタートアップのCOOになる
——益田さんはサグリにジョインされるまで、大手企業で10年以上働いていたと伺っています。
益⽥:はい、2007年に伊藤忠商事に入社して、11年間ほど働いていました。2019年にBeyond Next Venturesが主催するプログラムでサグリ代表の坪井と出会って、2020年にCOOとしてサグリに入社します。当時のサグリはインド市場を見据えたビジネスを行っていました。
——当初は海外市場を主眼に置いていたのですね。
益⽥:実は私も、海外ビジネスに携わりたいと思って入社しました。というのも、前職でロンドンに駐在していて日本企業が海外進出に苦戦しているのを間近で見ていたので、その課題に取り組みたいと考えていたからです。
サグリは当初、インドの農村へのマイクロファイナンス事業を展開すべく尽力していました。しかしコロナ禍の影響もあって資金調達が行き詰まります。そこで改めて国内から取り組もうと今の分野に注力することになりました。当時は、サグリが潰れないように必死でしたね。
——スタートアップらしい急展開ですよね。大企業との違いを感じる場面はありましたか。
益⽥:たくさんありましたよ(笑)
大企業とスタートアップは別世界です。一時は銀行口座の残高も20万円くらいになったり、会社を続けるどころか私たちが生きていけるかも分からない状態になったこともあります。大企業だと、そんな状態にリアルに直面することはありませんよね。
——それは大変でしたね…。適応するのに苦労した点はありましたか。
益⽥:入社当初は、「保守的に考えすぎる」とよく言われました。大企業出身者あるあるだと思うのですが、慎重に進めすぎて可能性を潰してしまうというか。
たとえば当社のサービスは特定の方向には圧倒的な強みを持っていますが、大企業のように全方位的な完成度が高いわけではありません。導入実績も少ないので、お客様にサービスの説明をする場面では、お客様と一緒にサービスをブラッシュアップさせていく未来視点での提案が求められます。使っていただくことで精度が上がるのがスタートアップのサービスだと思うのですが、そこまで考えが至らなかったんですよね。
——逆に、商社時代の経験・スキルが役立つことはありましたか。
益⽥:直接的に活かせるスキルは、正直なところありませんでした。バックオフィス系のキャリアが長かったこともありますが、大企業とスタートアップでは規模感やビジネスのフェーズがかけ離れています。ハードスキルをそのまま役立てるのは難しいかもしれません。
ただ、ソフトスキルで言えば色々とありますよ。たとえばマネジメント力については、代表の坪井が学生起業家だったこともあり、その部分は私が補っています。あるいは、たとえば省庁の方々や大企業の方々とのコミュニケーションの取り方やビジネスの進め方については、これまでの経験があるからこそできる部分だと思います。
私はサグリでCOOを務めていますが、COOとは突き詰めれば究極のジェネラリストだと思うんです。他のCxOの人たちが出来ないことを全て引き受けるのがCOOの役目です。Chief Other Officerと冗談で言うこともありますが、他のメンバーを後方からカバーできる幅広いスキルセットが必要なことは確かです。1つの専門に固執せずバランス感覚を持って、CEOの描くビジョン実現に向けて尽力しています。
日本発のテクノロジーで海外の課題に取り組む
——今後の展開について教えてもらえますか。
益⽥:いま当社が注目しているポイントとして、「半農半X」という働き方があります。農家さんたちが農業を続けられないから耕作放棄地が生まれているわけですが、一方では農地が空いているのであればぜひ使いたいというニーズも多くあります。IT企業で勤めながら田畑を耕したいといった「半農半X」を志す人を取り込むことが、日本の農業の生き残りにつながるのではないでしょうか。
当社が取り組んできた耕作放棄地の「見える化」は一歩目です。その先として、「半農半X」を受け入れるコミュニティ側にとっての違和感とも向き合いつつ、マッチングを進めていきたいと考えています。農地は日当たりが良くて恵まれた場所に設定されているので、有効に活用して農業を盛り上げていきたいですよね。
——農地の仲介も見据えて事業を展開されているのですね。
益⽥:はい。そのほかにも、データ駆動型農業の実現にも貢献したいと考えています。農家さんをテクノロジーで補助するスマート農業に留まらず、農家さんの手を煩わせることなく農業が自動化することを目指します。ドローンや自動農機などはイメージしやすいですよね。農業人口が減少する中で、リモート農業の可能性を探っていく必要もあります。
その点、データ駆動型農業を実現するためには、たとえば「いつ肥料を撒いたのか」などのデータ管理が必要ですし、土地の区画整理も進めていかなければなりません。自分の土地と他人の土地を区別できないとドローンを飛ばして肥料を撒くことも難しいですから。華々しいテクノロジーを支える基盤の部分で、衛星データに強みを持つ当社が貢献できる部分は多くあります。
——日本の農業にはたくさんの可能性が詰まっていることを実感できました。
益⽥:さらに先には、海外展開も見据えています。アジアの中で、日本の農業分野のDXは一歩リードしています。たとえばタイの農業協同組合省 *は日本の農林水産省の取り組みを参考にしていたりしますよね。まずは日本での農業DXを進め、そのモデルを海外に持っていく。将来的には地元企業とのコラボを通して、アジアの農業DXを進めていきたいと考えています。
ここがポイント
・耕作放棄地を目視で見回っていた農地パトロール
・衛星を利活用することで自治体担当者の負担が軽減
・自治体への営業に近道はない。ひたすら動き続けることで道は拓ける
・耕作放棄地に「半農半X」の新参者を呼び込める可能性
・日本で成功事例を重ねてアジア進出も視野に
*出典:https://www.maff.go.jp/j/kokusai/pdf/asia/smartagri_thailand.html
企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:宮崎ゆう
撮影:阿部拓朗