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イノベーションと新しい学校教育 | ベンチャーキャピタリストの視点 vol.9

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日本で興味深い風潮として「××大学に子供を合格させた〇〇ママの教育法」のような、一流大学に入学した子供を持つ親が、教育分野の専門家然として子供の教育について語るものがある。子供が一流大学に入学できたことは素晴らしいことではあるが、大学入学を教育の成功と断定するのはいささか時期尚早すぎる。何より、大学入試に成功することに対して親がどのくらい影響力があるのかは定かではない。特にアメリカにおいては、高等教育を中心にこの5〜6年で大きな変化が起きており、私も含めた多くの親世代がその変化に対して理解をしていないように思う。そのような教育の変化に、親や学校制度よりも早く、少なくとも一部の子供世代が巧みに対応してきている現状があるように思う。

INDEX

現在起こりつつある大学教育の変化
アメリカの高校教育の試験的な取り組み
日本とアメリカの高校の違い
新しい教育の試み

現在起こりつつある大学教育の変化

シカゴ大学のビジネススクールの起業家教育センターのアドバイザー会議に参加した際、非常に興味深い話題が出た。医学、経済、法律、教育など、さまざまな専門教育の大学院生に対してジョイントディグリー(共同学位)としてビジネスや起業家教育を提供するというものだ。
特に教育に関わる大学院生になぜ起業家教育をする必要があるのか聞いてみたところ、経済学や心理学、医療分野とデータサイエンスやAIのような異分野の融合した新しい分野に対応するため、大学のカリキュラムが大きく変化しつつあるからと返ってきた。加えて、その変化に対応して高校やそれ以前の教育自体が今後大きく変わっていく必要があり、対応できる人材の育成が急務になっているという。
実際、シカゴ大学では経済学部の全学生にプログラミングを必修にし、心理学など幅広い副専攻を選択できるようになっており、教育内容がこの5〜6年で大きく変わってきている。考えてみれば、経済学のさまざまなデータ取得や分析にプログラミングは必要になりつつあるし、行動経済学のような人間の心理を付加した経済分析など、これまでなかった複数の交差点のような、研究分野は新しく増え続けている。実際、副専攻の中でも起業家教育は最も人気があるとのことだ。

専門が細分化している大学に対して、全体に対し一律の教育を行う高校や中学などはこのような動きには対応しにくいように思う。そこで大学の研究や教育の変化に対して、学生はどう考えているのか何名かの大学生に話を聞いてみたところ、回答は非常に興味深いものだった。
意識が高い学生は、入学前からこのような大学の新しい動きをある程度は感知しており、オンラインコースなどで知識を得る人も多いという。高校には他の職業の経験がある先生が一定割合いる。そのため、学校のカリキュラムが対応をしていなくても、報道などをきっかけに授業の中で、環境に関する新しい規制の動きや生成系AIなど、新しい内容に触れるきっかけを創ってくれる例も出てきているようだ。ただ、学校組織としてはこのような大学の変化に対して、アメリカの高校はごく一部の先端的なボーディングスクールを除いては対応できておらず、一部の学生からは大学側が期待している準備内容と高校教育のミスマッチが感じられるというコメントもあった。
おそらく、アメリカでは社会の変化に対して大学がまずは反応をし始めており、高校以前の教育に関してはそこからかなり遅れているということだろう。このような動きに日本の大学や高校教育がどのような対応をしていくのかは非常に興味深い。

アメリカの高校教育の試験的な取り組み

カリフォルニアの公立高校の一部では、プロジェクトベースでの新しい教育の試験導入が進められている。既にある程度広まっているものを挙げると、STEM教育と呼ばれる新しい総合的なサイエンス教育のプログラムが一部のカリキュラムに追加され試験的に行われている。例えば、特定の科学的な検証を複数年に渡って行い、研究成果を発表するプロジェクトベースの授業を応募ベースで実施したり、ロボットコンテストを目指すことを一例にしたプログラミング教育等を行うような特別カリキュラムを提供している。このようなサイエンスプロジェクトの教育は、生徒が自分が研究したいテーマの特別クラスに応募し、合格すると少人数で必要な授業や実験を行う環境と専門教育のバックグラウンドを有する先生がアドバイザーとしてアサインされる。その成果を評価する場として、研究成果を定期的に発表する機会やコンテストのような機会が与えられる。研究分野は最近話題の環境分野などであることも多いために、発表の際は大学や企業に所属するその分野の専門家との交流機会にも恵まれる。非常に興味深いのは、このようなSTEM教育の選択クラスを受講すると通常の生物や化学のクラスの受講が免除されるため、通常のカリキュラムとして想定されている内容を全く学習せずにこのようなプロジェクトベースの教育を受けることになることだ。この点については、網羅性を重視し、一律な教育で育ってきた日本育ちの私にとっては本当に大丈夫かと思ってしまう部分でもある。

また、このような試験的な教育以外でも、通常の政治経済の授業においても、金融業界やメディアでの業務経験がある先生がニュースを題材にして、リーマンショックで何が起こったのか、IPOはどういう仕組みなのか、テック業界のレイオフはなぜ起こるのか、シリコンバレーバンクの破綻はなぜ起こったのかなどの、現在進行形で起こっていることの説明がなされることもあるようだ。他にも、生物の先生が新しい環境保護の取り組みや、そのような仕組みを支える新しい技術についてもニュースをベースに説明したりも行われている。ただ、このような授業の内容は、先生個人の経験や能力(アメリカの高校には他の職業を経て学校で授業を受け持つ先生も多くいる)に依存しており、組織として新しい分野の教育を創っていくには時間が必要なようだ。組織として新しい分野の教育を推進するために先生を支援していく仕組みと捉えると、冒頭で説明したジョイントディグリーの仕組みを作り、未来の先生に他の専門性をつけさせていくやり方は興味深い取り組みと言えそうだ。

日本とアメリカの高校の違い

日本とアメリカの状況に大きな違いがあるのは学校の拘束時間と役割の低さだ。アメリカの高校は午後2時や3時には授業が終わるため、学校の拘束時間が限定的と言える。意識が高い学生は学校が終わった後課外活動としてオンラインスクールやサマースクールで大学の講座を取るなど、自分の興味がある分野に触れる学生も多い。このような課外活動は必ずしもアメリカの高校生の専売特許ではなく、オンラインスクールを見ているとアジアやヨーロッパ、南米の学生も多数参加しているようだ。そのような学生にはアメリカの大学への進学も視野に入れている人も多いと聞く。試しにいくつかのオンラインスクールの受講生を覗いてみると確かにフィリピンやシンガポール、メキシコ、ドイツやイギリス、オランダからの参加者が見受けられた。しかし、私が見た範囲では日本からの参加者は確認できなかった。確かに自分の興味がある分野にしっかり触れている高校生は、特にその分野が大学側が関心を持っている領域と重なると、大学選択や選考に関わる小論文に興味が反映されることも多いだろう。高校生の時点でこういうリソースに触れたグループとそうでないグループでは、大学入学の時点で飛躍的な差がついていると考えると恐ろしい気もする。

大学の入学に関しては、ともすると親の浅はかな数世代前の情報のせいで、テスト一発ではないアメリカでは、学校の成績や課外活動、スポーツでの表彰など、経歴として書けることが多いのが重要だと思いがちだ。しかし、今年から大学に進学した私の長女と高校2年生になる次女にそういう話をすると、ため息をつかれて「お父さんは何にもわかっていない」と呆れられた。自分が関心のある分野の課外活動に時間を使ってその内容を掘り下げて自分がやりたいことを考えたり、大学でどのような教育が行われているかを調べたり、話を聞いたりすることは大学進学の準備には「当たり前」のことで多かれ少なかれみんなやっていることで、その内容で出願時などに大学に提出する小論文の内容も大きく変わってくる。このようなことをわざわざ親に説明しないのは理解が浅すぎてわかってもらえないからとのことだった。これが現状だとすると、冒頭の「良い大学に入るには?」という問いは、親に子供を良い大学に入れるにはどうすべきか聞くよりも、日本以外では子供に何をやってどう考えてきたかを聞いた方が何倍も役に立つように思う。

新しい教育の試み

生成系AIのベンチャーが日本でも話題になっているが、生成系AIが大きな社会変革を先導している分野の一つに教育分野が挙げられる。具体的な例として、生成系AIの技術を使って、教育コンテンツやテスト、最適化されたカリキュラムを自動生成していくという会社が次々に出始めている。具体的な例を挙げると、SATという日本の大学入学共通テストと似たテスト(大学受験に必要となる高校生が受けるテスト)で、過去の問題を生成系AIで分析させ、習熟度をチェックするテストを自動生成し、そのテストの結果を元に個別最適化した学習コンテンツと到達度テストを生成系AIで自動生成するものがある。このような一定の到達目標があり、個々人が習熟内容や度合いに差があるような教育コンテンツに関しては生成系AIによる学習がより効率的である場合が多いように思う。そうなると、学校の目的は適切なコンテンツをキュレーションし、生徒をモチベートしていくコーチングやメンター的な方向にシフトするという考えも出始めている。

弊社の共同創業者のフィルがスタンフォードの工学部で受け持っている講義に出ている大学院生が進めている教育プロジェクトについて聞く機会があった。それは、その学生とスタンフォード大学のd.schoolとの共同プロジェクトで「スタジオ方式」と呼ばれるスタイルで行われる。これは、知識に関する勉強は個別最適化された内容をオンライン教材などを使ってそれぞれが行い、学んだ内容を元にディスカッションや発表は小さなグループで行い、先生はコーチングを中心に行うという新しい教育スタイルだ。新しい分野の教育を行う実験を特定地域の公立学校と進めることを想定している。
まずは課外授業というかたちで試験的な取り組みを進め、成果を検証する方向のようだ。このプロジェクトの興味深い点はスタンフォード大学というトップ大学に合格したばかりの学生が主導して、意識が高い学生が個人でやっていたことを組織化していこうという動きである点だ。ある意味、最新の状況を体験したばかりの人間がそのフレッシュな経験を生かしてすぐにプロジェクトを主導するというもので、このようなプロジェクトに学生が進むのが西海岸の自由な文化を体現しているように思えて頼もしく感じる。新しい方向性が、予算をかけることができ多様性のある教育を行う仕組みがある大学から、少しずつ大規模教育の高校・中学へと降りてくる様子は大変興味深い。

このような新しい方式の授業について、日本の大学関係者や官庁の人と話す機会があった。その際に、開口一番に出てきた疑問が、「この新しい教育は今の高校の授業のどの授業のカテゴリーに属するのですか?」、「どの単位として認められるのですか?」「成果はどうやって確認されているのか?」「リスクはないのか?」という点だった。疑問の理由は、日本の場合、それぞれの教科に単位と必要な免許をもった担当の先生がアサインされており、どの教科に当たるか、またどの単位として認められるかが整理されないと予算や担当の配分の議論が開始すらできないからだという。このような考えだと新しい教育をタイムリーに導入していくハードルはとても高いように思う。少なくとも日本の大学や、その先の高校に新しい教育の仕組みが入っていくにはとてつもなく時間がかかるように感じた。救いとしては、オンラインスクールをはじめとする学校外のリソースは日本からも利用が可能であり、そういったリソースに関心を持っていく若い世代はどんどん出てくるだろう。そういう新しいリソースを使う層はどんどん海外の新しい大学などに教育を求めるようになっていくかもしれない。

[中村幸一郎:Sozo Venturesファウンダー/マネージング ディレクター]
早稲⽥⼤学法学部在学中にヤフージャパンの創業・⽴ち上げに孫泰蔵⽒とともに関わる。三菱商事では、通信キャリアや投資の事業に従事し、インキュベーションファンドの事業などを担当した。早⼤法学⼠、シカゴ⼤学MBAをそれぞれ修了。⽶国のベンチャーキャピタリスト育成機関であるカウフマンフェローズ(Kauffman Fellows Program)を2012年に修了。同年にSozo Venturesを創業した。ベンチャーキャピタリストのグローバルランキングであるMidas List 100の2021年版に日本人として72位で初めてランクイン、2022年度版のランクでは63位までランクを上げた。シカゴ大学起業家教育センター( Polsky Center for Entrepreneurship and Innovation)のアドバイザー(Council Member)を2022年より務める。

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