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30年間がん診断を行ってきた医師が見込んだ。 「がん細胞の見落とし」をなくす3D細胞解析AIとハードウェアを開発するCYBO

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一時はスタートアップが手掛ける事業と言えばソフトウェアを主軸にしたものがほとんどだった。収益性やスケーラビリティが高く、ある種の型により再現性が高かったからだ。しかし、未だに残されている社会課題の解決はソフトウェアだけでは難しくなってきている。そんな状況もあり、現在は技術革新に立脚したディープテックスタートアップにも注目が集まっている。ただ、ハードウェアなどは、ソフトウェアと比べて開発に時間も資金もかかる上、気軽に作り直しがきかずハードルが高いのも事実だ。スタートアップがハードウェア開発を行い、ビジネスを成功させるには、何が必要なのだろうか。その答えを探るべく話を聞いたのは、細胞解析AIとその解析をするために必要な3次元自動顕微鏡を開発している株式会社CYBOの代表新田尚氏。AIとハードウェア、どちらか一方だけでもスタートアップには荷が重いプロダクトを開発し、新たな価値を生み出している。

今回は新田氏に加え、事業のきっかけとなった医師であり、プロダクトマネージャーも務める杉山裕子氏にも話を伺った。


新田尚
Founder/代表取締役社長
細胞計測分野の技術開発及び事業化における20年の経験に基づいてCYBOを率いる。学生時代に生命の基本単位である細胞の計測を極めようと思い立ち、在学中よりベンチャー企業で勤務して細胞活性を計測する装置の開発に没頭。のちに大企業に転職してフローサイトメトリー事業の立ち上げに従事したのち、内閣府の研究開発プログラムへの参画を経てCYBOを設立。

杉山裕子
細胞診 プロダクトマネージャー
医師 / 博士(医学) / 細胞診専門医
30年にわたり、公益財団法人がん研究会有明病院で細胞診専門医として勤務。

INDEX

「がんの見落としをなくしたい」細胞解析AIのきっかけになった想い
AIの普及のために欠かせない「病院のデジタル化」
リソースの少ないスタートアップだからこそ必要な「現場の理解」
ここがポイント

「がんの見落としをなくしたい」細胞解析AIのきっかけになった想い

――まずは細胞解析AIを開発することになった経緯を聞かせてください。

杉山:端的に言えば、私が新田さんに依頼したことがきっかけの一つです。私は30年間、公益財団法人がん研究会有明病院で細胞診専門医として婦人科系のがんの診断や治療に携わってきました。多くの方がご存知のように、近年20~30代の若い女性が子宮頸がんになるケースが増えており、大きな問題になっていますよね。

若い女性に子宮頸がん検診に来てもらうよう、様々な取り組みをしているのですが、もう一つ大きな問題があります。それが「がん細胞の見落とし」です。せっかく検診に来てもらっても、がん細胞を見落としては意味がありません。

素早く正確にがん細胞を発見するのにはAIが有効だと思ったのです。

――数ある画像診断AI企業の中から、なぜ新田さんに依頼したのでしょうか。

杉山:たしかに医療用の画像診断AIは数ありますが、それらは全て2D画像を診断するものです。しかし、細胞診では3D画像を利用するため、既存の画像診断AIは細胞診に不向きでした。

どうにか3Dで診断できないか様々な論文を探したのですが、世界中どこを探しても見当たらなくて。そんな時に、ようやく見つけたのが、新田さんが2018年に発表した高速イメージングを活用した細胞分類技術です。「これだ!」と思った私は、面識もない新田さんのもとに向かい、一緒に細胞診AIの開発を作りたいと直談判しました

――なぜこれまで3Dの診断AIは開発されなかったのか教えてください。

新田:採算がとれなかったからだと思います。2Dの画像診断AIだって、開発するのは簡単なものではありません。更に3D画像用のAIを作るとなれば、時間とお金もさらにかかるため、その開発に踏み出せる企業がいなかったのだと思います。

しかし、CYBOはテクノロジーの会社です。本当に世の中に求められるものをテクノロジーで実現できるなら、コスト度外視で開発してみたいと思いました。それが結果的に今の事業に繋がっています。

AIの普及のために欠かせない「病院のデジタル化」

――AI技術だけでも画期的だと思うのですが、なぜハードウェアの開発も手掛けているのか教えてください。

新田AIだけを開発しても意味がないからです。AIを活用するには、そもそも細胞のデータが必要となりますが、既存の顕微鏡では解析に必要なデータがとれませんでした。

日本の病院の顕微鏡はデジタル化が進んでおらず、いくらAIを開発しても導入のしようがありません。さらに3Dデジタル化となると言わずもがなです。そのため、まずは病院にデジタルプラットフォームを広め、AI解析に必要なデジタル顕微鏡を開発して、AIを使えるだけの環境を整える必要があったのです。

しかも、日本の多くの病院は新しい技術を導入する余裕がありません。そのため、地方の病院でも気軽に導入できるよう、低コストのシステムを作らなければいけませんでした。

――細胞診のために病院全体を変革しようとしていますが、細胞診にはどのようなメリットがあるのでしょうか。

杉山:様々なメリットがありますが、医師の観点から言わせてもらうと、最大のメリットは患者さんの負担が少ないことです。検査の方法には様々な種類があるのですが、その中には身体の負担をかけるものとそうでないものがあります。

たとえば乳がんの検査でも、乳腺そのものを切り取るのと、細胞だけを取るのでは負担は大きく違います。昔は今ほど技術が発達していなかったので、組織を切り取らなければ診断もできなかったのですが、徐々に細胞診の技術が上がることで、本当に少ない細胞で様々なことが分かるようになってきました。

CYBOの技術が確立して、細胞診が広がればより患者さんに優しい医療を実現できる。そのビジョンが見えたからこそ、私もジョインさせてもらったのです。

――最終的にはどのような事業構造になるのかも教えてください。

新田:私たちが開発したハードとプラットフォーム上に、様々なサービスが展開されていくのが理想です。

私は以前ソニーにいたので、よくPlayStationを例に説明するのですが、PlayStationはハードを買えば、そのプラットフォーム上で様々なタイトルを遊べますよね。同じように、私たちのプラットフォームに様々な企業が開発したアプリが提供され、病院は必要に応じてそれらのアプリを使えるようになるのです。

また、プラットフォームを介して、医師同士や患者とのコミュニケーションをスムーズにすることで、よりスムーズな医療の発展に貢献できればと思っています。

――プラットフォームが広がることで、医療はどう変わるのでしょうか?

新田:たとえば希少疾患などにもソリューションが提供しやすくなります。希少疾患は患者の数が少ないため、これまでは市場として成立せず、医療機器や解析ソフトと言ったソリューションを開発することができませんでした。

しかし、プラットフォームが整備されていれば、アプリを作るだけで済むので、ユーザーの少ない希少疾患であっても採算がとれるようになります。これまで治療法がなかった希少疾患の多くが市場として成立することで、ビジネスでいうロングテールモデルを、医療の現場で実現できるようになるのです。

リソースの少ないスタートアップだからこそ必要な「現場の理解」

――壮大なビジョンを実現するために、リソースの少ないスタートアップは何から始めればいいのか教えてください。

新田:お客さんが求めているものを理解して、本当に求められているものを開発することです。テクノロジー企業にありがちですが、最新技術を使ってものすごいプロダクトを作ってもお客さんに求められなければ意味がありません

そのためには、お客さんの話をしっかりと聞く必要があります。私たちはAIもハードウェアもソフトウェアも作っているため、闇雲に事業領域を広げていると思われがちですが、それらは全て細胞解析に特化したもの。現場に求められているものだけを作っているので、しっかり市場に受け入れられてきました。

杉山:新田さんは本当に現場の問題点を徹底的に調べあげています。私も様々な大企業さんに医療現場の問題点を訴えましたが「市場が小さいから」と取り合ってくれる人はいませんでした。
新田さんだけが唯一、私の話を聞いて検査会社などを自ら訪れて問題点を深掘りしていってくれたんです。

それは他の企業の方にはない姿勢でしたね。

――ハードウェアを開発することになったのも、現場のニーズを深掘りしたからなのですね。

新田:そうですね。AIの精度を高めるには大量のデータが必要ですが、従来の顕微鏡では満足できるデータがとれなくて。現在、細胞診標本のデータが取れるスキャナ装置は存在しますが、画像のクオリティや使い勝手、コストがネックであまり普及していないんですね。

現場からも多くの不満の声が上がっていましたし、私たちのAIを十分に活用するためには顕微鏡から作る必要があると考えたんです。

――ハードウェアを作ることには抵抗はなかったのでしょうか。

新田現在はものづくりの技術もコモディティ化しているので、あまり抵抗は感じませんでした。例えばメカ部品を試作する際、かつては専門的な技術や設備が必要でしたが、今では3Dプリンターで簡単に作れますし、ネットでCAD図面をアップロードしたら切削や板金などの加工をしてもらえる便利なサービスも登場しました。

逆にいえば、私たちはコモディティ化されていない領域に特化できるようになったのです。具体的には「3Dの細胞画像をいかにキレイに見せるか」「いかに現場のニーズをプロダクトに落とし込むか」という専門知識が必要な領域です。リソースの少ないスタートアップだからこそ、自分たちが注力すべきことと、そうでないことを明確に分けて考える必要があると思います。

――医療機器を作るとなると、すごく高度な技術が必要な気もするのですが、実際はどうなのか教えてください。

新田:いえ、むしろ医療機器の技術は他の業界と比べると最先端というわけではありません。たしかに医療機器は人命に影響を及ぼすため、高い技術力が必要です。しかし、その技術力というのは不良品を作らないための技術。必ずしも最先端の技術を使っているとは限りません。

たとえばスマホなどは半年ごとに新モデルが発表され、その都度新しい技術が使われていますよね。それに比べて新しい医療機器が発表されるのは7年に一回ほど。世の中で当たり前の技術であっても、医療の世界に応用するだけで革新的と言われることもあるのです。

その中で特許をとるチャンスもけっこうあるので、しっかりと知財戦略を練れば大きなビジネスチャンスもたくさんあります。


――最後に、スタートアップへのメッセージをお願いします。

新田:スタートアップこそ、自分の事業の重要性をステークホルダーに伝える努力を怠らないでください。私たちも、投資家の方々にビジネスの可能性を感じてもらうのに、とても苦労しました。

細胞診というのはニッチな領域ですので、その価値を理解してくれる投資家さんは決して多くありません。それでも、私自身は絶対に社会に必要なことだと信じていたので頑張ってこられましたし、数十人の投資家に断られても根気よく続けていくことで、私たちの事業に共感してくださる投資家に巡り合うことができました。

私たちにとって顧客にあたる病院の医師たちが、日々多忙ななか時間を割いて私に代わって投資家に製品の価値や将来性を説明してくれたときは、とても救われた気持ちでした。起業家の方は、周りの理解がすぐには得られなかったとしても、諦めずに自分たちが成そうとしていることの可能性を信じ、必要性を様々な方法で伝える努力をしてください。

ここがポイント

・細胞診では3D画像を利用するため、既存の画像診断AIは細胞診に不向きだった
・既存の顕微鏡では解析に必要なデータがとれないため、AIだけを開発しても意味がない
・細胞診のメリットは患者の負担が少ないこと
・プラットフォームが整備されていれば、ロングテールモデルを、医療の現場で実現できるようになる
・リソースの少ないスタートアップだからこそ、自分たちが注力すべきことと、そうでないことを明確に分けて考える必要がある


企画:阿座上洋平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:鈴木光平
撮影:阿部拓朗