日本の経営者から“事業利益が重要で投資利益は重要視していない”という発言を聞くことがある。また、日本の事業会社はM&Aが非常に少ないこともしばしば指摘される。言い方を変えれば、日本企業の経営者はスタートアップやVCファンドへの投資や買収など、資本を使って投資によって組織を成長させることの責任を問われていない傾向があると言える。
この傾向は、日本企業の経営者が投資を重要な経営の選択肢と見なさない姿勢を反映しているかもしれず、その一因は会計制度にあると考えられる。
INDEX
・簿価会計を採用する日本の会計制度
・時価会計を採用するアメリカ
・グローバル競争の中で成長を実現していくならば時価会計へ
簿価会計を採用する日本の会計制度
日本の会計制度は簿価会計基準を採用している。そのため、事業投資は有形資産の購入と同様に扱われ、原則として明確な減損理由がなければ、リアルタイムに評価は行わず、最終的な結果が出て初めて、その結果に基づいた評価・調整が行われる。
例えば、有形資産を企業が購入した場合、事故等の明確な減損理由と予測可能な期間に基づいた一律の減価償却を除いては、処分の段階になるまで途中での評価は行わない。3−5年の比較的短期間で経営体制が変わることが多い日本の経営環境で、かつ、このような評価体系の中では仮に事業投資を行ったとしても、多くの場合は経営陣が結果に対する評価を受けることはない。その上、スタートアップへの投資やVCファンドへの投資、もしくはM&Aの最終的な結果が出てくるまでに10年近くかかることも少なくない。つまり、よほどの短期的な失敗の最終結果が出ない限り、10年近くは簿価で評価が棚上げされるため、多くの経営者は在任中、投資の失敗を問われたり、評価されたりすることがないと言える。これが日本の経営者が長期的な事業投資の成功に関心が低い理由の一つではないだろうか。自分の在任期間に成果を上げても失敗しても関係ないのであれば、経営陣のプライオリティが上がらないのはある意味当然だ。
時価会計を採用するアメリカ
他方、アメリカの会計制度は原則、時価会計をとっている。
アメリカのGAAPに基づいた会計制度においては、投資アセットを時価で評価し計上することが原則で、その評価ガイドラインも存在する。共通の基準でその時点での事業価値が算定される会計原則は、企業の経営陣がより成長に寄与する投資活動を進めることに繋がる。また、投資が全体の企業価値にも反映され、タイムリーに経営陣の行った投資活動の結果が評価の対象になる。このような会計原則により、テック企業を中心に「積極的なイノベーション分野への投資を行い、より高い企業成長率を目指す」こととなる。これにより、経営陣はできるだけ成長に貢献する事業投資を積極に行うことで評価され、逆に投資の失敗は厳しい目で見られる。
企業成長への貢献を促進し、良い投資ができ、企業経営をサポートできる経営陣は高く評価される。彼らには、将来さまざまな機会が与えられ、その実績は株価にも反映される。逆に、そのような投資に関して良い判断ができない経営陣は、交代を求められることにもなる。これが、投資を含めたあらゆるリソースを使って成長を推進することの一つの原動力なっているとも言えるだろう。
簿価会計の下においては、CVC投資やVCファンドへの投資、買収した企業に対する評価は原則として簿価で維持する棚卸資産となる。棚卸資産は、評価減はあっても評価が「上がる」理由はない。そうなると、経営陣は素晴らしい会社やファンドに投資をして、そのような事業が急成長をしたとしても、その投資判断に対する評価は当該経営陣には全く行われない。これは、投資活動を促進しないばかりか、短期的な視野で不適切な売却や途中撤退につながる可能性すらある。また、投資の失敗や成功により、投資判断に関わった経営陣がその責を問われることや功績を評価されることがないため、経済合理性に基づいた判断が行われず、政治的な安易な判断をし、そのツケを投資判断に無関係な10年後の次世代経営陣が払うことになることも考えられる。このような評価の仕組みでは、VCファンドやCVCへの投資の結果は経営陣にとっても重要事項になることはなく、短期的な視点での、打ち上げ花火的な発表目的の成果に無頓着なプロジェクトが増産される。それは当社の共同創業者のフィルがよく言っている、イノベーションのフリだけをする「イノベーション劇場」の原因になりかねない。
グローバル競争の中で成長を実現していくならば時価会計基準を用いるべき
昨今、さまざまな形でスタートアップやVCファンドへの投資に注目が集まり、スタートアップのエコシステムの中でのM&A等の重要性が認識され始めている。しかしながら、その重要な担い手の大企業の経営陣がその成果が問われない会計システムは、政治的な判断により、成功の見込みが薄い案件を推進するリスクがある。この違いが全ての原因とは言わないし、企業の文化や慣習もあるし、時価会計と簿価会計にはそれぞれさまざまなメリットとデメリットもある。ただ、グローバル競争の中でより大きな成長を実現していくことを目指すのであれば、会計に反映されるかどうかは別として、投資に関する評価やそれにまつわる経営判断はアメリカのGAAPのような世界標準の時価会計基準の評価を導入すべきではないだろうか。言い換えると、日本にいる私たち投資家は、会計への反映は一旦脇に置き、投資の価値を評価するために、少なくともGAAPに基づく時価会計基準を用いてVCファンドや投資先スタートアップの価値を判断すべきだ。その上で、投資や経営判断の良し悪しを毎年評価し、比較することが重要だろう。
[中村幸一郎:Sozo Venturesファウンダー/マネージング ディレクター]
早稲⽥⼤学法学部在学中にヤフージャパンの創業・⽴ち上げに孫泰蔵⽒とともに関わる。三菱商事では、通信キャリアや投資の事業に従事し、インキュベーションファンドの事業などを担当した。早⼤法学⼠、シカゴ⼤学MBAをそれぞれ修了。⽶国のベンチャーキャピタリスト育成機関であるカウフマンフェローズ(Kauffman Fellows Program)を2012年に修了。同年にSozo Venturesを創業した。ベンチャーキャピタリストのグローバルランキングであるMidas List 100の2021年版に日本人として72位で初めてランクイン、2022年度版のランクでは63位までランクを上げた。シカゴ大学起業家教育センター( Polsky Center for Entrepreneurship and Innovation)のアドバイザー(Council Member)を2022年より務める。