新年に石川県能登地域で発生した地震、羽田空港で発生した航空機事故と、心が痛む災害や事故で2024年は始まった。被災や事故に遭われた皆様へ、心からのお見舞いを申し上げる。
昨年は2022年から続く、コロナ、ウクライナ問題、イスラエルとハマスとの紛争などの地政学的なリスクに伴うインフレ、利上げなどの問題が勃発した年だった。2024年は米国の大統領選挙の年でもあり、AIと選挙の年とも言われている。今回は、2024年がどのような年になるかをベンチャーキャピタルの視点から予測したいと思う。そもそもベンチャーキャピタルは特定の産業分野の専門家ではないため、ガートナーのような形で技術発達のトレンドを語ることは難しい。一方で、投資やビジネス活動のお金の流れや経済活動の実情を踏まえて、過去の類似パターンからトレンドを把握していくことに強みを持っている。Sozo Venturesはベンチャーキャピタルの中でも、特にこのようなお金の流れに関するデータを集めて、過去に成功したプレーヤーの動きからトレンドを把握することに力を入れている。このような観点からいくつか考察を紹介したい。
INDEX
・スタートアップ業界の経済状況や共通のトレンド
・デジタル化分野のトレンド
・ジェネレーティブAIについて
・ヘルスケアウェルネス分野について
・環境分野について
スタートアップ業界の経済状況や共通のトレンド
スタートアップ業界の投資状況については、実際の投資金額や投資件数から見ると、2024年は2021年前後と比べると多少減速するものの、2023年と同様で2018〜2020年前後の水準で落ち着く状況になると思われる。
ただし、ウクライナ情勢、イスラエル情勢、利上げ、インフレ状況などの経済的なマイナス要素が大きいことは事実だ。ただこのような経済の下降局面は定期的に訪れ、言い方を変えれば常に何らかのマイナス要素は世界中で勃発している。今回も過去の経済下方局面で起こったことと同様に、投資先の選別はより強く進んでいくだろう。つまり、少数のスタートアップに投資が集中する傾向がより強まっていくということだ。
Exitマーケットについては、アームやインスタカートの上場、Splunk、OpenAIへの買収のように巨額投資のExitは加速していき、IPO、M&A共に回復傾向を迎えることを期待している。おそらく2024年の後半を中心に少しずつ成熟した会社がExitの方向に進んでいくことだろう。ただし、経済状況から考えてスタートアップ投資と同様に、より厳しく数字を見られる選別的なマーケット状況となることは想像に難くない。
以上をまとめると、2024年はスタートアップの投資、Exit環境においては回復傾向に入りつつあるものの、厳しい選別の年になると言えるのではないか。
デジタル化分野のトレンド
デジタル分野のトレンドとしては、アドテク、Eコマース、2015年前後からはじまった金融分野を皮切りに、製造業、ロジスティクスの流れを経てデジタル化の波はヘルスケアウェルネス分野に波及し、環境分野にも達しようとしている。
各分野の成長には一定の流れが見て取れる。まずはそれぞれの分野で新しいビジネスが出始める時期を経て、有望なビジネスが確立し始め、投資観点での収穫期となる。その後、勝ち組企業がある程度確定する成熟期を迎える。この区分では、金融分野〜製造業/ロジスティク分野は成熟期を迎えつつあり、ヘルスケアウェルネス分野はそろそろ収穫期に差し掛かり、環境分野はビジネスの出始めの時期にあると言えるだろう。
また、過去の傾向から大まかなプレイヤーの出現傾向を説明すると、最初に出てくるのはその分野のさまざまな情報を集約し、大きく産業構造を変えるようなデータプラットフォームだ。次に出てくるのが、そのようなデータプラットフォームを補完する周辺技術のプレイヤー。最後に、データプラットフォームをインフラとして新しい産業分野が生まれ、このプロセスが繰り返される。新しく生まれたインフラは、これまで不可能であった顧客へのアクセスやサービス形態、収益構造を可能にすることも多い。既存の産業プレイヤーはいち早く新しいインフラが引き起こす地殻変動への対応が求められ、どのようなスタンスでポジションを確保するかの決断を迫られる。どのタイミングで決断を行うかが大きなビジネス機会とリスクを作り出す。
さらにデータプラットフォームの勃興過程を分解してみると、初期は単純にデジタル化を実現するビジネスモデルが出てきて、その後、必要なセキュリティー、コンプライアンス、コストメリットや収益性を備えた改善モデルが出てくるというパターンをそれぞれの産業分野が繰り返してきた。多くの場合、プラットフォーマーの第一世代が最終的に勝ち残ることは稀で、第二世代以降の改善版が大きなビジネスを確立する。このような例を米国では一匹目のネズミが罠にかかり、二匹目のネズミがチーズを取ると表現する。
さらにプラットフォームはインフラレイヤーから進化していき、そのインフラレイヤーに乗っかるアプリケーション分野を作り出す。具体的な例でいうと、AOLのようなISPやシスコのようなネットワーク機器を提供するインターネットのインフラ企業のプラットフォームの上に、Eコマースや広告サービス、情報ネットワークサービスというアプリケーションサービスが作り出されてきた。それらのビジネスの大きさは、インフラ的なビジネスよりもその上に乗るアプリケーションサービスのビジネスモデルの方が大きく、売上や収益を長期的に獲得することも多い。インターネットサービスの例でも、AOLやシスコは素晴らしい一大産業を作り上げたが、そのインフラの上でビジネスを展開するアマゾンやFacebook、Googleははるかに大きい産業を立ち上げた。
2024年を考えると、収穫期から成熟期を迎えつつある製造業、ロジスティクス分野に関しては、日本でも2024年問題と呼ばれるような労働力の不足と非効率性の解消が急務となっている。これらの分野に関しては引き続き、新しいプラットフォーマーによるビジネスが求められていくだろう。また、そのプラットフォームの周辺に新しいファイナンスや保険といった金融サービスなどがより注目を集めていく。
その次の成長分野とも言えるヘルスケアウェルネスの分野においては、データプラットフォーマーが一つの大きな注目分野であり続けることに異論を唱える人は少ないだろう。ただし、さまざまな分野で起こったような単純なデジタルプラットフォームから、改善モデルの競争が中心になっていくだろう。具体的な改善点を例示すると、医者や患者の負担が軽減されない単純なリモート診療の次の世代として、AIを使ってより効率的で透明性がある医師の診療サービスが求められるようになっていく。
環境分野においても同様に、データプラットフォーマーの注目度は高い。現在注目されているカーボンクレジットなどのデータプラットフォーマーも、今後は改善が求められる段階に進んでいく。この点については、ヨーロッパで起こっているカーボンクレジットの有効性の検証や議論などのコンプライアンスの機能は、日本においても必須になっていくだろう。
ジェネレーティブAIについて
ジェネレーティブAIは2024年もホットな領域であるのは間違いない。2024年は米国大統領選挙、台湾総統選挙などが控えており、AIがより大きな役割を選挙で良い意味でも悪い意味でも果たす年になるだろう。今後はインフラレイヤーの戦いは、少数の有力なスタートアップ(と言うには大きすぎる資本の企業)を含めた規模の戦いへと収束していき、主戦場はアプリケーションレイヤーのサービスになっていくのではないか。選挙での活用を例にすると、フェイクニュースを発見したり、取り締まったりする技術もより幅広く使われるようになっていくだろう。日本ではオープンAIのような特定企業や、サムアルトマンのような経営者を神格化しすぎる傾向にあるが、この分野はまだまだ大きな変革が起こる領域であり、リスクやセキュリティー、権利関係などのさまざまな議論がなされるであろう。オープンAIも盤石な企業ではなく、二匹目のネズミが出てくる可能性は十分にある。
ジェネレーティブAIのアプリケーションレイヤーとしては、コンシェルジェ、メディア、エンタメ、広告、教育、ウェルネス、ヘルスケアなど、さまざまなサービスが2024年に出てきて激しい競争を繰り広げていくに違いない。
ジェネレーティブAIの分野に関して、非常に参考になる例を二つ挙げたい。一つはワーケラという教育分野のスタートアップだ。同社が目指しているのは、明確なゴールがあるような特定の知識分野、例えば技能試験や資格試験のような分野に対して、AIで必要な理解すべき項目を整理し、その理解に必要な教育コンテンツと到達度をチェックするのに必要なテストをAIを使って生成する。受講する生徒は、指定されたテストの結果に基づいて個別最適化された、最適な教育カリキュラムの提供を受け、適切な途中経過を確認するテストを都度行い、オンラインで効率的に最短で必要な知識の習得を実現すると言うものだ。ワーケラの例は、ジェネレーティブAIがどのようなサービスを効率的に提供し、教育というシステムをどのように変えることができるかを考える上で非常に参考になる。
二つ目の例はアドビのファイアフライというサービスだ。ファイアフライはジェネレーティブAIを使って画像を生成するサービスだが、このサービスの注目すべき点は、AIの元データになる膨大な画像データの権利を全てアドビが購入し、権利関係のリスクを完全にクリアにしている点にある。画像を生成するサービスがあまたある中、将来的なリスクを少なくにするために思い切った投資をしている点は、非常に参考になるだろう。
ヘルスケアウェルネス分野について
ヘルスケアウェルネス分野に関して、2024年特に注目すべきはデータプラットフォームのレイヤーで、単純なデジタル化からの改善モデルが有力になってくる段階だろう。具体的な例として挙げたいのは、糖尿病のモニタリングプラットフォームのバータヘルスとガンの最適診療プラットフォームのニードだ。
バータヘルスは糖尿病の治療を目的に、日々の生活習慣をリアルタイムにモニタリングして、改善を図る指導を主治医やケアマネージャーが効率的に行うものだ。同社のシステムにより、これまで不可能であった数の患者とのコミニュケーション指導をリアルタイムに行うことが可能になり、慢性疾患の最適なモニタリングと症状の改善を実現できるという。
ニードは地方病院では難しかった最適な診療選択を中央病院と連携して実現するもので、高度化・細分化するガン治療の質の向上を実現するというものだ。
この両者に共通するのは、単なるデジタル化に留まらず、不可能であった治療の実現や改善を実現する。このようなデジタルプラットフォームの改善モデルが2024年以降の最注目領域の一つになるであろう。ヘルスケアウェルネス分野は、このようなデジタルプラットフォームやAIによる新たなビジネスモデルと連携する形で、新たな周辺インフラも立ち上がっていくだろう。
長期的な観点で言うと、遺伝子編集、体内細菌、免疫機能、リアルタイム診断などの分野は立ち上がり期を迎えて、さまざまなスタートアップが出始める時期になると思う。
環境分野について
最後に環境分野に関しても、おそらく最初に立ち上がってくるのはデータプラットフォームだろう。例えば、環境負荷のトラッキングプラットフォームは既に関心が非常に高い分野ではあるが、今後はその検証機能やコンプライアンスなどの機能が必須になっていく。2024年は、そのような機能が不足している既存のプラットフォームの問題点が問われる時期になるのではないか。長期的な観点で言うと、合成生物学分野、フードテック、マテリアルサイエンス、長期蓄電電池などが注目分野となる。
ただし、環境分野は他の分野と比べて、既存ビジネスの影響が大きく、ポジショントークに関しての注意が不可欠と言える。例えば、DACのような分野に関してはエネルギー関連企業が非常に希望的な観測を表明しているが、このような会社にとって化石エネルギーの消費は未だ一大ビジネスであり、既存のビジネスモデルを変える必要がないDACのようなテクノロジーの可能性を宣伝することは、非常に都合が良い一面があることを十分理解する必要がある。そのような企業にとって、DACのようなビジネスに少額の資金を投下してPRを行い、既存の化石燃料ビジネスを維持することは経済的なインセンティブが高いという可能性は否定できない。
2024年はスタートアップ全体にとっては選別の時代で、2010年前後を彷彿とさせるこのような時期に勝ち残ってくる会社は、圧倒的なグローバルカンパニーになる可能性を秘めている。その中でも、AI、ヘルスケアウェルネス分野、環境分野の期待は非常に大きい。しかし、注意すべき点は、新しいプラットフォームビジネスでは最初の「ネズミ」が必ずしも中長期的な勝者になるとは限らないことだ。カーボンクレジットのような「第一世代」のスタートアップで疑義が生じる可能性も高いが、その先の二匹目のネズミがそれを乗り越えて新しいインフラを作っていく第一歩になるだろう。私たちベンチャーキャピタルとしても期待すべき1年のように思う。
[中村幸一郎:Sozo Venturesファウンダー/マネージング ディレクター]
早稲⽥⼤学法学部在学中にヤフージャパンの創業・⽴ち上げに孫泰蔵⽒とともに関わる。三菱商事では、通信キャリアや投資の事業に従事し、インキュベーションファンドの事業などを担当した。早⼤法学⼠、シカゴ⼤学MBAをそれぞれ修了。⽶国のベンチャーキャピタリスト育成機関であるカウフマンフェローズ(Kauffman Fellows Program)を2012年に修了。同年にSozo Venturesを創業した。ベンチャーキャピタリストのグローバルランキングであるMidas List 100の2021年版に日本人として72位で初めてランクイン、2022年度版のランクでは63位までランクを上げた。シカゴ大学起業家教育センター( Polsky Center for Entrepreneurship and Innovation)のアドバイザー(Council Member)を2022年より務める。