世界的に経営・政治のテーマとして注目される「ESG」。日本でも上場企業に非財務情報の開示が求められるなど、多くの投資家が企業のESGに関する情報に注目している。その流れは、決して大企業に限ったことではない。
2021年に設立された「MPower Partners Fund L.P.」は、日本において前例のないESG重視型グローバル・ベンチャーキャピタル・ファンド。ESGをスタートアップの事業戦略に組み入れることで持続的な成長を促すことを目的としている。
世界でも珍しくゼネラルパートナー(GP)全員が女性の同ファンドは、どのようなビジョンを描いているのだろうか。今回はGPの関美和氏に、世界的なESGの動向や、スタートアップがESGに取り組む際のポイントについて話を聞いた。
関美和
MPower Partners Fund General Partner
モルガン・スタンレー投資銀行部門を経てクレイ・フィンレイ投資顧問元東京支店⻑。日本成⻑株ポートフォリオマネージャーとしてユニクロ等に⻑期投資。その後ベビーシッター会社メイコーポレーションを立ち上げ、教育関連企業に売却。ピーター・ティール、ベン・ホロウィッツなど、起業家のバイブルを多数翻訳。『ファクトフルネス』は100万部を売り上げた。株式会社ワールド、大和ハウス工業株式会社社外取締役。慶応大学文学部・法学部卒業。ハーバード大学院卒業。
INDEX
・「スタートアップにもESG投資を」ファンド設立の想い
・多くの企業が頭を抱える「ダイバーシティ経営」の背景と対策とは
・「ESGの反対運動が起きている」世界の動向を語る
・大企業も巻き込んでESGの潮流を作っていく
・ここがポイント
「スタートアップにもESG投資を」ファンド設立の想い
――なぜESGに特化したVCをスタートさせたのでしょう。
関:上場企業のESG投資のトレンドが、今後は未上場企業にも大きな影響を及ぼすと思ったからです。今やESGへの取り組みは、機関投資家なら当たり前のようにチェックするポイントです。一方で、未上場企業に対してESGを重視して投資するVCは日本に存在しませんでした。
そこで、スタートアップに対して日本でもESG重視の投資を広めたいと思ったのが『MPower』設立のきっかけです。また、企業規模が小さいうちからESG経営を取り入れた方が、成長してから取り入れるよりも容易だと考えられるため、早いうちからESGに取り組む企業を増やすことも狙いです。
――企業規模が小さいうちからESGを取り入れたほうが容易だというのは理解できますが、リソースが少ないスタートアップは、どのようにして事業成長とESGのバランスをとればいいのでしょうか。
関:スタートアップの場合は、最初からESGの全てを意識する必要はないと思います。たとえば、製造業でなければ、少人数のスタートアップが大量に二酸化炭素を排出することは少ないので、わざわざ自社の事業で排出する炭素量を考える必要はないでしょう。
それよりも、自分たちの事業がどのように社会や環境に寄与できるか考え、経営に組み込んでいくことが重要だと思います。たとえばメルカリなどは、事業を通して「新しい商品を作らない」という点で環境に貢献していますよね。そのように、それぞれの企業が事業を通して取り組めることから考えていってほしいと思っています。
――スタートアップがESGに取り組むメリットがあれば教えてください 。
関:ESGのフレームワークを使うことで、事業成長のドライバーを明確にすることができます。また、採用面のメリットは大きいと思います。スタートアップの成長における重要な要素は、優秀な人材を採用してチームを作っていくこと。私たちが調査したところ、ESGに取り組んでいる企業はその効果を、採用でもっとも実感している結果となりました。
仕事を通して社会に貢献したいと考える方は少なくありませんし、ガバナンスがしっかり機能している会社の方が、安心して働けますよね。ESGに取り組むことで、結果的に働く人にとっても居心地のいい環境が作れるため、採用やチーム作りに有利に働くのです。
多くの企業が頭を抱える「ダイバーシティ経営」の背景と対策とは
――ESGを経営に取り入れるにあたり、多くの企業がつまずくポイントがあれば教えてください。
関:企業規模に関わらず「ダイバーシティ経営」につまずく企業が多いです。組織はトップの人の影響を強く受けるため、似たような人が集まりやすい傾向があります。女性起業家の会社は女性比率が高くなりますし、海外の方が経営している会社は同じ地域の方が集まりやすいです。
なぜなら、同質な人同士の方がコミュニケーションを取りやすいから。全てを口にせずとも納得してもらえるため、チーム作りがしやすいのです。一方で、異なるバックグラウンドを持つ方には、しっかり説明しなければ納得してもらえません。
結果的に異質な方が排除されやすくなり、ダイバーシティ経営が難しくなってしまうのです。
――どうすれば、そのような問題を解決できるのでしょうか?
関:しっかりデータをとって分析することが重要だと思います。たとえばメルカリでは、男女の賃金格差を公開しており、他の上場企業と同様に男性の方が高い結果になっています。これは、男性の方が管理職の割合が高いからだというのが、これまでの通説でした。
しかし、同じ序列の男女で比較しても男性の方が高い結果になり、メルカリはその原因を調べています。その一因となるのが、前職での給与でした。メルカリほどの規模のスタートアップだと中途採用が非常に多く、前職を基準に給与を決めてしまうため、女性の方が低くなっていました。
メルカリでは、その差を是正するために、同一職種であれば前職の給与に左右されない給与設定に取り組みを始めています。このように状況を正しく把握して、なぜそうなっているのか分析することで、正しい解決策が見えてくるはずです。
「ESGの反対運動が起きている」世界の動向を語る
――日本ではESGへの意識が高まっている印象なのですが、グローバルでみるとどうなのでしょう。欧米はどういう状況なのですか?
関:最近のESGに関するニュースで最も注目すべきなのが、アメリカで広がっている「反ESG法」です。「脱炭素」や「ダイバーシティ」を謳っている企業に、何らかの罰則を課す法律を制定している州が、全米で10を超えています。アメリカではこれが、大きな政治的なイシューになっています。
そのような背景もあり、年金などを運用するような大手の投資会社の中には、ESGという言葉をあえて使わない会社も増えてきました。2021年までは、ESG銘柄を組み込んだESG投資信託が増えていましたが、2022年頃から減ってきているのが現状です。
――なぜESGの反対運動が起きているのでしょうか?
関:アメリカではESGが左派による政治的な主張だと考えられているからです。たとえば環境(Environmental)については、そもそも地球温暖化が起きていないと主張する保守派も少なくないですし、脱炭素などの取り組みが経済成長を阻害するとして、環境対応への反対意見があります。
また、社会(Social)に関して言えば、大学や職場でマイノリティの方を一定数採用する「アファーマティブ・アクション」が憲法に違反しているという意見もあります。ガバナンス(Governance)でも、取締役に多様性を持たせるために制限を設けることがサステナブルではないという意見が広がっているのです。
ESGというコンセプト自体に反対する方もいれば、コンセプトには賛同していても、具体的な取り組みには反対する方など、様々な立場な人が議論を交わしているのがアメリカですね。
――アメリカ以外ではどういう状況だと捉えていますか?
関:アメリカ以外の地域では、これまで通りESGが広がっているように感じます。特に日本では、ESGという言葉を使うかどうかはともかく、環境や経営の透明性が浸透していきているのではないでしょうか。
上場企業も積極的に非財務情報を開示するようになっていますし、2023年から人的資本の情報開示が始まって、積極的に取り組んでいる企業が多いイメージを持っています。取り組みに本当に価値があるかは、長期的な視点で見なければわかりませんが、意識は大きく変わってきたように感じますね。
――「E」や「S」は開示も進んで来そうですが、ガバナンスに関する取り組みは、今後どのように評価されていくのでしょうか。
関:ガバナンスは経営に短期的な影響が出やすい項目だと思っています。ガバナンスが機能していない企業では、不祥事などのリスクが起きやすく、株価にも大きく影響します。
一方で、取締役会が機能し、内部通報窓口が外部に設置されているような会社では、リスクを大幅に減らすことができるのです。近年、大企業の不祥事を耳にすることが多いですが、それらのリスクを減らせるのは、経営的にも大きなメリットだと思います。
――2024年は、ESG関連でどのような動きがあるのか、予測していることがあれば聞かせてください。
関:2024年は、今のままESGへの取り組みは続いていくと思います。しかし、将来的にはESGという言葉は使われなくなっていくのではないでしょうか。それは、わざわざESGという言葉を使わなくとも、当たり前のように環境に配慮し、ガバナンスがしっかり整備されている社会です。
そもそも、日本に古くからあるような「三方良し」のような経営哲学には、多分にESGの概念が含まれており、日本の経営者は少なからずESGを意識して経営をしていました。それが当たり前になれば、あえてESGという言葉が使われなくなる時代がくると思っています。
――そのような時代に向けて、特にスタートアップは何を意識していけばいいのでしょうか。
関:ESGの中でも「S」と「G」、つまり人に関わることを意識した方がいいと思います。ESGと聞くと環境を連想する方が多いのですが、その前提にあるのは「人」です。どんなに環境に良いことをしていても、社内でパワハラ・セクハラが横行していたり、横領する人がいたりしていては事業が成長しませんし、優れたチームを築くこともできません。
もちろん、事業などを通して環境に貢献することも重要ですが、まずは優れたチームを築くための環境作りから意識してほしいと思います。
大企業も巻き込んでESGの潮流を作っていく
――より未来の話も伺えればと思います。単年ではなく数年単位で考えた場合の展望を教えてください。
関:ESGを実践しているスタートアップの方が、そうでないスタートアップよりもリターンが高いことを証明していかなければならないと思っています。そのためには、2号ファンド3号ファンドと続けてサンプルを増やさなければなりません。
また、将来的にはLPも含めて「MPowerファミリー」として、どれくらい「GHG排出量を減らせた」「多様性のある優れたチームを作れた」という実績を作っていければと思っています。スタートアップだけでなく、大企業も巻き込んでESGの潮流を強めていきたいですね。
――大企業も巻き込んでいくにはどんなことがポイントになると思いますか?
関:自分たちのポリシーを明確に打ち出していくことが重要だと思っています。たとえば私たちはピッチコンテストの審査員や、カンファレンスなどでの登壇を依頼されることもあるのですが、登壇者の2割以上がマイノリティでなければ引き受けません。
そのようなポリシーをいくつか持っており、将来的にはファミリー全体でポリシーを共有していければと思っています。そのような活動を通して、これまで出資を受けられなかったマイノリティの方にも、資金が流れる仕組みを作っていきたいですね。
たとえば、現在、スタートアップが調達した資金のうち、女性起業家が調達した金額はわずか4%と言われています。そもそも起業する女性が少ないのも要因にあると思いますが、女性起業家にとって資金調達のハードルが高いことは明らかです。
一方で、私たちの場合は、女性創業者への投資額は約半分です。そのような背景もあって、多くの女性起業家が私たちのもとに集まってきています。もちろん、私たちは女性だから投資しているわけではありません。それでも、結果的に他のVCよりも女性起業家からのアプローチが多いため、結果的に女性起業家への出資が多くなっているのです。
――最後に、これからのビジョンを聞かせてください。
関:日本に女性キャピタリストを増やしていきたいと思っています。現在、日本では女性GPだけで、私達のようなサイズのファンドを運用しているVCは他に存在しません。だからこそ、まずは私達が結果を出すことで、多様性がリターンに影響することを証明したいと思っています。
女性キャピタリストが増えることで女性起業家への資金の流れも大きくなるはずですし、多様なスタートアップが社会に与えるインパクトも大きくなるでしょう。
ここがポイント
・スタートアップは、自分たちの事業がどのように社会や環境に寄与できるか考え、経営に組み込んでいくことが重要
・ESGのフレームワークを使うことで、事業成長のドライバーを明確にすることができる上に、採用面のメリットも大きい
・ESGを経営で多くの企業がつまずくのが「ダイバーシティ経営」だが、状況を正しく把握し分析することで、正しい解決策が見えてくる
・アメリカでは、ESGが左派による政治的な主張だと考えられており、大きな政治的なイシューになっている
・「三方良し」のような経営哲学にはESGの概念が含まれており、日本の経営者は少なからずESGを意識して経営をしてきた
・女性キャピタリストが増えることで女性起業家への資金の流れも大きくなり、多様なスタートアップが社会に与えるインパクトも大きくなる
企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:鈴木光平
撮影:阿部拓朗