今や他社と共創する「オープンイノベーション」は珍しくなくなった。テクノロジーの進歩のスピードが早まり、顧客のニーズや消費者のライフスタイルの多様化など、世の中の変化が激しく先が見通せない時代に、多くの大手企業が競争力を得る手段の一つとして、CVCの設立やアクセラレータープログラムに力を入れている。
三菱地所も例外ではない。大丸有(大手町・丸の内・有楽町の総称。以下同様)エリアに「EGG JAPAN」や「Inspired.Lab」といった拠点を構え、大手企業とスタートアップのコラボレーションプラットフォームになりつつある。
バブル崩壊やリーマンショックなど、いくつもの波を乗り越えてきた三菱地所。その中で、ハードだけでは生き残れないという思い。三菱地所が取ってきた行動の意味とは?スタートアップ・エコシステムを専門としている横浜市立大学の芦澤美智子准教授と、三菱地所xTECH運営部長の伊藤宏樹氏の対談を実現。今の日本でスタートアップが必要な理由と、三菱地所に求められる役割について語ってもらった。
INDEX
・90年代以降、開き続ける米中との差を埋めるには、新しい産業づくりが欠かせない
・2000年代と現在、大きく違う起業家の素養とビジネスモデル
・大手企業のデータ、スタートアップのテクノロジーとアイデアが組み合わされば、世界を牽引する産業を作るのも夢ではない
・90年代の危機を乗り越えて、エコシステムとしての「街づくり」に乗り出した三菱地所
・「大手企業の役員がコラボレーションオフィスに常駐すること」がエコシステムを活性化するポイント
・「社会課題を解決することで会社を成長させる」企業価値を高める唯一の方法
・ここがポイント
芦澤美智子
横浜市立大学 准教授
1996年10月センチュリー監査法人国際部(現あずさ監査法人国際部)入所。2003年にMBA取得後、産業再生機構とアドバンテッジ・パートナーズで企業経営に携わる。2013年4月より現職。現在は主にスタートアップ・エコシステム形成の研究に従事。また、研究に基づいた政策提案やその実現に力を注いでいる。上場企業3社(ネットイヤーグループ、NECネッツエスアイ、日本発条)の社外役員や横浜市各種委員等も務める。
伊藤宏樹
三菱地所xTECH運営部長(※肩書は取材時)
1992年 三菱地所株式会社入社。余暇事業部、札幌支店、株式会社菱栄ビルマネジメント、三菱地所プロパティマネジメント株式会社等を経て、2018年4月より現職。
90年代以降、開き続ける米中との差を埋めるには、新しい産業づくりが欠かせない
「日本も新しい産業を作らなければ、米中との差はどんどん大きくなるばかりです」
対談冒頭、日本にスタートアップが必要な理由について、芦澤氏はそう語った。
芦澤「IMFが発表した『世界の名目GDP 国別ランキング・推移[1]』を見ると、日本のGDPは1990年代からほぼ横ばい。対して米中のGDPは右肩あがりで、2010年に日本は中国に抜かれ、その後は差が開く一方です。
米中が成長した背景にあるのは90年代から始まった、デジタルを活用した新しいビジネスモデル。大きなプラットフォーマーを中心に価値が集まり、2019年には「FAAMG(Facebook、Amazon、Apple、Microsoft、Google)」5社の時価総額が、東証一部約2,170社の合計時価総額を上回る[2]までとなりました。
時価総額というのがポイントで、今の利益ではなく『将来期待される利益』を含めて、日本とアメリカにはそれだけの差があることを意味しています」
マクロな視点で米中と日本の差を解説した芦澤氏。これほどまでに差が開いた現状を踏まえながら、自分たち世代の働きぶりを振り返った。
芦澤「Google、Amazon、Facebookにいたっては、私たちが大学を卒業した後に設立された会社。海外では同世代の人間たちがそれだけの活躍をしてきた中、私たちは何をしていたのでしょうか。親の世代、もしくは祖父母の世代が作った産業をただ維持してきただけではないか。未来づくりをしてこなかったのではないかと思うばかりです。
日本が海外との差を埋め、グローバルでの競争力を持つには、私たちも新しい産業を作っていかなければなりません。そのためにはスタートアップの成長が欠かせないのです」
芦澤氏と同世代の伊藤氏もまた、これまでの社会人生活を振り返る。
伊藤「私たちが社会人になった90年代は、ちょうどバブルが弾けた頃。社会に出た途端、世の中はいかに景気の悪化を食い止めるか、また、その後処理で必死でした。2000年代に入るとIT企業の台頭により一時的に景気回復の兆しを見せたものの、不動産業界である私たちは景気回復の恩恵を受けるのは最後。ようやく2006年くらいから不動産業界の景気も回復し始めたと思ったら、2008年にサブプライムローンに端を発するリーマンショックが起きた訳です。
よく『失われた30年』と表現されますが、芦澤先生の仰るとおり私たちの世代は目の前で起きる問題に翻弄され、未来づくりまで手が回らなかったのかもしれませんね」
2000年代と現在、大きく違う起業家の素養とビジネスモデル
アメリカに遅れたとは言え、日本にITベンチャーブームがなかったわけではない。2000年代に起きた「第三次ベンチャーブーム」では、現在メガベンチャーに成長した会社が次々に生まれた。
芦澤「2000年を目前に登場した旧ライブドアを皮切りに起きた『第三次ベンチャーブーム』。ただ、このベンチャーブームは現在の『第四次ベンチャーブーム』とは大きく異なります。社会がベンチャー企業に対し、特有の文化を解釈しきれず、『怪しい、胡散臭い』とのイメージを抱いてしまったように思います。
それ故に、三菱地所をはじめとする大手企業も、当時は大手を振ってスタートアップを支援できなかったのだと思います」
伊藤「確かに2013年から今も続く『第四次ベンチャーブーム』と比べて、当時の様子は大きく違いました。当時のベンチャー企業の起業家の一部には、ライフスタイルも含め派手なイメージをまとっている方も少なくなく、それ自体がステータスである一方で、大学生や大学院生にとっては身近な存在ではなかったでしたからね。
一方で、最近の若い起業家の方々と接していて感じるのは、自分たちのテクノロジーやアイデアを活かし、いかに社会を変えるか、貢献するかを本気で考えているなと。もちろん経済的な成功も考えているとは思いますが、それ以上に社会課題の解決に貢献すること、起業家仲間の間で一目置かれ、リスペクトされることをモチベーションとしているように感じますね」
芦澤「第三次と第四次は起業家の志向だけでなく、ビジネスモデルも大きく違います。具体的に言うなら第三次ではB2Cのベンチャー企業が主流でしたが、第四次の多くはB2Bビジネス。特にSaaSビジネス、つまり企業の課題をテックで解決するスタートアップが盛り上がりを見せています。
B2Bビジネスとなると、スタートアップも大手企業を相手にすることも多い。大手企業に営業に行くのにフェラーリで行くわけにいきませんし、スーツも必要になります。各産業特有のお作法も覚えなければならず、そのようなことも第三次ブームの起業家とは姿勢が違う理由かもしれませんね」
大手企業のデータ、スタートアップのテクノロジーとアイデアが組み合わされば、世界を牽引する産業を作るのも夢ではない
「怪しさ」がなくなり、社会的にもスタートアップの存在感が増している現在。多くの企業がスタートアップ支援に乗り出している。スタートアップ・エコシステムにおける大手企業の役割について芦澤氏はこう語る。
芦澤「大手企業は少なくとも2つの意味で、新しい産業を後押しするだけのリソースをもっています。一つは資本。大手企業はこれまで投資機会がなく、資本を蓄積しています。成熟化した社会の中で、どのようにリスクを取って成長機会に投資すればよいか悩み、キャッシュを使えずに溜め込んできた会社が多いのです。
もう一つはネットワーク。日本の大手企業はグローバルで深く根を張っています。日本のB2Bスタートアップがこれから成長していくのに、大手企業のネットワークは大いに役立つでしょう。もはや、大手企業をうまく活用するのはスタートアップを成長させる上で重要な戦略とも言えます」
伊藤「三菱地所においては、大丸有エリアに事業所を構える大手企業を始めとする約4,300社との接点を含めてですが、自分たちのリソースを活用していかにスタートアップの成長を支援することができるかが、責任であり、果たしていくべき価値の一つだと思っています。スタートアップを支援するのは簡単ではありません。私たち自身も壁にぶつかり、悩みながら、常に最適なアプローチをこれからも模索してかなければならないでしょうね」
芦澤氏は、日本で大手企業とスタートアップが手を組むことが、これから日本が世界を牽引していくチャンスにもなると言う。その背景にあるのは、日本を待ち受ける「超少子高齢社会」だ。
芦澤「これまではFAAMGに代表されるような、オンラインで完結するデジタルのビジネスがスタートアップの主戦場でした。しかし、これからはデジタルとものづくりを融合したビジネスにシフトしていくでしょう。
デジタルのビジネスでは世界に遅れをとった日本も、ものづくりが関わるとなれば話は別。今でも日本にはものをが強く残っており、多くのデータを蓄積しています。大手企業の持つデータとスタートアップのテクノロジーやアイデアが組み合わさることで、世界を牽引できる産業を創造するのも夢ではありません」
伊藤「特に日本は課題先進国。日本が世界に先んじて迎えた超少子高齢社会は、いずれ他の国々も体験することになります。スタートアップと大手企業の協業・共創により日本がいち早く解決策を講じることができれば、先進国をリードできる存在になるでしょう」
90年代の危機を乗り越えて、エコシステムとしての「街づくり」に乗り出した三菱地所
大手企業とスタートアップのコラボレーションが求められるなか、プラットフォームを作ってオープンイノベーションを促進しているのが三菱地所。今でこそ「スタートアップ支援に積極的な大手企業」の代表格となった三菱地所だが、その道程は平坦なものではなかった。
「三菱地所ほどの規模の会社が、新しいことを始めようとするのは並大抵のことではないと思います」と投げかけた芦澤氏に、伊藤氏はスタートアップ支援に至るまでの経緯を語る。
伊藤「私たちは不動産デベロッパーとして、これまで長らくオフィスビルという『ハード』にこだわり、そのノウハウも蓄積してきました。ただ、その強みはしっかりと活かしつつも、一方で、これからはハードだけでは競合と差別化できないことを早い段階から認識してきました。
ビルの数だけで競っていけば、私たちは国内ですら勝てません。しかし、私たちが強みとしているのが『エリア展開』。例えば大丸有エリアに集中してビルを保有し運営しているため、『このビルに入っているスタートアップと、隣のビルに入っている大手企業の間で化学反応を起こして頂く』といった仕掛けができるのです。
それまではビル単独で価値を発揮しようと考えてきたのを、そういったエコシステムを『街づくり』の重要な提供価値として位置付けていくことに舵を切りました」
芦澤「通常なら、大手企業がそれだけ大胆なシフトチェンジをすることは簡単ではありません。既存枠組みにない新しい取り組みはリスクが大きく感じられ、潰されやすいからです。三菱地所がそれだけ大きなシフトチェンジをしたことは、他の大手企業も参考にした方がいいかもしれませんね」
三菱地所が大きく舵取りを変更できたのは、大きな危機に立たされたからだ。もし、これまで事業が順調だったならば、今のようなスタートアップ・エコシステムの構築には取り組んでいなかった可能性があると伊藤氏は続ける。
伊藤「90年代の終りは『丸の内のたそがれ』と大手経済紙でも揶揄されるほど、街に活気がありませんでした。丸の内仲通りの路面は銀行店舗が占め、平日の15時以降はシャッターも下りており、週末は通りを歩く人の姿はまばらで、路上に車は駐め放題。そんな新聞記事の見出しを目のあたりにし、社内に激震が走ったものです。
それからは危機感を持っていかに街に賑わいを取り戻すか躍起になりました。経営陣が若手の意見を吸い上げ、商業の活性化を図っていくと共に各種イベントの誘致、開催にも力を入れ、また、海外発の企業の誘致にも真剣に取り組んだのです。もしも、90年代に事業が順調なままだったら、それまでの事業の延長でしか考えることができず、今の姿はなかったでしょうね」
三菱地所ほどの大手企業が大きくシフトチェンジできたことは、日本の株主の許容度にも起因していると芦澤氏は言う。
芦澤「大手企業が利益の読めないことに投資できないのは、企業の風土だけでなく、株主が許さないことも理由の一つ。アメリカでは株主の存在感が強いため、より短期でのリターンが求められます。三菱地所が変われたのは、日本の経営に良い意味で中長期視点、『三方よし』に代表されるような広い視野が根付いていることが要因としてあるのではないでしょうか。
そう考えれば、実は日本は海外に比べてチャレンジしやすい環境にあるとも言えます。目先の売上に惑わされず、長期的な利益のために価値を提供していけば、いずれ時価総額に数字として表れていくでしょう」
「大手企業の役員がコラボレーションオフィスに常駐すること」がエコシステムを活性化するポイント
芦澤氏は三菱地所の取り組みを見て、エコシステム作りに重要なステップを語ってくれた。
芦澤「街や拠点におけるエコシステムがうまく機能するには、いくつか重要なポイントがあります。一つは『街の特徴を捉えた独自性』。東京を見ても渋谷や丸の内にエコシステムができあがっていますが、それぞれ特徴があります。三菱地所は丸の内の特徴を捉えて、うまくエコシステムを作っていますね。
そして、次に必要となるのがハブとなる強い求心力ある人の存在。三菱地所のInspired.LabにおけるTomyKの鎌田さんのような存在ですね。このハブは中途半端な人ではいけません。なぜならネットワークは影響力の強い人に集中するからです。いかにして強力な影響力を持つ人物をエコシステムのハブに据えるかが重要となります。
最後は『大手企業の権限を持った人が常駐していること』。先ほど、スタートアップの成長には、大手企業とのオープンイノベーションが重要であると話しましたが、この時の大手企業担当者に決裁権限がなければインパクトは弱まります。せっかくコラボレーションが生まれそうになっても、会社に持ち帰っていては時間がかかる上に役員を通せないこともあるからです。決裁権を持った方が常にオフィスに常駐し、その場でコラボレーションが生み出される環境を作ることが重要です」
伊藤「ここInspired.Labでは、例えばENEOSさんなどはスタートアップとの協業・共創を含め新事業創出の為の出島オフィスを構えられ、執行役員を含めた複数のメンバーが常駐されています。同社では社内でも新事業のアイデアを生み出すイベントを開催していますが、その場としても当Labをご活用頂いています。全社を巻き込むために私たちのLabを上手く使って頂けるのはありがたいですね」
芦澤「ENEOSのような会社が今後増えるといいですね。今入居している大手企業すべてが決裁者を常駐させるようになれば、拠点におけるエコシステムが格段に盛り上がるはずです」
「社会課題を解決することで会社を成長させる」企業価値を高める唯一の方法
対談の最後に、芦澤氏はこれから企業が取り組むべきことについてこう語った。
芦澤「企業価値を上げる意識をより強く持つことです。そのためには社会課題の解決に取り組んでください。これには2つの理由があります。
一つは、新しいビジネスは常に社会のペイン、社会課題を解決するところに生まれるからです。もう一つは人材をやる気にさせるため。社会課題に取り組むことは、人の心に火を付けます。
少子化で若手人材を採用するのが難しい今、優秀な人材を採用するために必要なのは、社会的意義のある仕事をすること。やる気のある若手が増えることで、ミドル層以上の心にも火を付け、会社全体の士気をあげてくれるでしょう。
ただし、お題目で社会課題に取り組んでも意味はありません。あくまで経営戦略として、会社の成長に繋がる取り組みをしてください。時代の流行に乗ってはじめても、会社の利益にならなければ続けられません。
今はテクノロジーの進化により打ち手の選択肢も増えています。『社会課題の解決』と『会社の利益』を両立できるビジネスモデルを構築のチャンスが大きくなっています。果敢に挑戦して、失われた30年の出遅れを挽回する発展をしていきたいものです」
伊藤「私たちは、新しいことを始める時に一回の失敗でチャンスを奪わないことが大事だと捉えています。大手企業の中には、失敗したことの責任を必要以上に問われたり、次なるチャンスを与えられないケースも多いと聞きます。もちろん、原因分析をしっかりと行っていくことは当然必要ですが、しかし、失敗を過度に恐れるようになってはチャレンジもできません。
株主の視点からも見ても、失敗した人に責任をとってもらうことよりも、その失敗を組織知にしながら次のチャレンジに活かすことを望んでいるはずです。冒頭、芦澤先生から時価評価には将来の期待利益が含まれているとのお話がありましたが、まさにその部分です。失敗をどう次に活かしたか、活かしていくかをステークホルダーに訴求していくことも重要と思っています。
いずれにしても、チャレンジを促し、失敗も次のチャレンジに活かせるような企業風土を作っていくことが重要ですね。そういった意味でもアントレプレナーシップは起業家のみならず、大手企業においても必要な人材育成のポイントだと思います」
大手企業、スタートアップが手を取り合い、社会課題の解決に向けて様々なチャレンジをし、世界をリードする。そんな未来が、スタートアップ・エコシステムが出来上がった先には広がっている。
*1 https://www.globalnote.jp/post-1409.html
*2 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58879220Y0A500C2EA2000/
ここがポイント
・「FAAMG」5社の時価総額が、東証一部約2,170社の合計を上回っており、「将来期待される利益」を含めて、日本とアメリカは差が開いている
・グローバルでの競争力を持つには、新しい産業を作っていかなければならない
・大手企業をうまく活用するのはスタートアップを成長させる上で重要な戦略と言える
・大手企業の持つデータとスタートアップのテクノロジーやアイデアが組み合わさることで、世界を牽引できる産業を創造するのも夢ではない
・企業価値を上げるためには社会課題の解決に取り組んで行くことが重要
企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木光平
撮影:小池大介