「異彩を、放て。」をミッションに掲げ、福祉を起点に新たな文化の創造を目指す福祉実験ユニット「ヘラルボニー」。社会の陰面に追いやられがちであった知的障害のある方のあり様を肯定し、また障害のある作家が描く感性豊かなアート作品と関連プロダクトを世に発表し続けている。
その勢いは凄まじい。ハイアットホテルグループ「ハイアット セントリック 銀座 東京」とコラボレーションし、1日1組限定のコンセプトアートルーム「HERALBONY ART ROOM」を仕掛け、その盛況ぶりから会期延長が決定されたほか、ジェームズ・タレルやオラファー・エリアソンなど国内外からアーティストを招聘しアート業界においてさまざまな話題を呼ぶ世界的な現代美術館「金沢21世紀美術館」での展示を開催するまでに至った。
創業者であり、代表取締役社長である松田崇弥氏の実兄に重度の知的障害があることに事業の起点があるが、ここまで広く太くかつ大衆にも響くやり方で、この会社が社会と深く結びつく理由はどこにあるのか。聞くと、そこには障害のある当事者たちからの深い共感と、彼ら彼女らに働きかける「ヘラルボニー」のフラットな姿勢、そして日本社会のハードから変革しようとする確かな意思があることがわかった。
松田崇弥
代表取締役社長。小山薫堂が率いる企画会社オレンジ・アンド・パートナーズ、プランナーを経て独立。
4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、双子の松田文登と共にヘラルボニーを設立。
「異彩を、放て。」をミッションに掲げる福祉実験ユニットを通じて、福祉領域のアップデートに挑む。
ヘラルボニーのクリエイティブを統括。東京都在住。双子の弟。世界を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞。
INDEX
・提供するのは「尊重」されるという、当たり前のこと
・小売業に振り切ったことで、世界観が伝わるように
・ヘラルボニーを概念に
・ここがポイント
提供するのは「尊重」されるという、当たり前のこと
――創業4年目を迎えた2022年、ヘラルボニーはアート、福祉の両業界において斬新かつ集客力のある企画をいくつも開催されました。事業が勢いづいた経緯を振り返り、弾みがついたと思われる要素を教えていただけますか。
松田:そうですね。ヘラルボニーの事業の根幹は創業以来変わらず、アート作品の保有とその著作権管理ですが、最初の頃は軌道に乗せきれずにいました。企業に企画を持ち込んでもチャリティー文脈から脱することができなかったり、「なんだか素晴らしいことをされていますね」という反応のみだったりで、真面目に取り合ってもらえなかったんです。福祉実験ユニットを謳っていながらも福祉の仕事には結び付かず、前職の知見を生かした飲食店のプロデュースなどの案件を引っ張ってきて食いついないでいました(笑)。
ブレークスルーポイントは、私たちがヘラルボニーの世界観を作りきらなきゃいけないと自覚した時です。それがいくらリスクを負うことになっても、経営におけるコストやその当時目指していたBtoBビジネスを主とした事業体から大きく逸脱することになったとしても、清濁合わせ飲むことを覚悟しなくてはいけないなと。
この気づき以来、私たちがお預かりしているアート作品をデザインに落とし込み、オリジナルファブリックで作ったアパレルウェアやライフスタイルグッズなどに本腰を入れて生産するようになったんです。
――それとほぼ同時期に、松田さんの地元・岩手県内の百貨店に「ヘラルボニー」が店舗出店することになります。
松田:店舗出店もまた私たちにとっての大きな転換点になりました。ちょうど新型コロナウイルスが猛威を奮い始めた直後のことで、岩手県下における唯一の百貨店も例に漏れず大打撃を受けていたんです。テナントは次々に撤退するけれども百貨店はテナントをどうにか誘致して売上を立てなくてはいけない。
そのため幸か不幸か、販売実績はほぼ皆無の新興ブランドにも関わらず、立地のいい区画を預けていただけました。渋谷のスクランブルスクエアや日本橋三越も同様です。通常であれば、どれだけ願っても叶うことのない立地環境ですから、こればかりは時代の波にのれたといえるかもしれません。おかげでブランドに箔がついた様にも思います。
小売業に振り切ったことで、世界観が伝わるように
――それまで口頭で説明してきた「ヘラルボニー」の思想や哲学が、プロダクトを通じて一般消費者の方々にも届くことによる変化があったのではないでしょうか。
松田:小売業に大きく振り切ったことで「ヘラルボニー」は会社としてではなく、ひとつのブランドとして見られる様になりました。私たちが目指す世界観がいろんな企業さんに伝わる様になったんです。
また百貨店の担当の方々から、普段訪れない層のお客様、ヘラルボニーに共感し支持してくださる知的障害のある方やそのご家族の方々がいらっしゃるようになったと伺いました。それは百貨店側からは決して「来ないでください」と言っているわけでもないけれども、自然と足が遠のいてしまった方々でした。
私の実兄もまた知的障害のあるひとりですから、今まで百貨店を遠巻きにしていた方々の気持ちがよく分かります。兄の場合は、数分に一度叫ばずにはいられず、そのために家族での外出先はどうしても制限されました。レストランではなくファミリーレストラン、百貨店ではなく大型の複合ショッピングモール……ある程度のことを許容してもらえそうな場所を探して行くんです。それは家族が知らず知らずに周囲に気を遣って、できるだけ迷惑をかけないようにという意識からなんですね。
けれどもヘラルボニーの店舗には遊びにきてくださる。それはなにか理由があるはずですし、わたしたちもその気持ちを裏切らない活動をしなくてはいけない。その意識は活動の根底に強く横たわっています。手話通訳や情報保障、バリアフリー環境を整えることは、それと地続きなんです。
――ヘラルボニーの店舗があることで、ある種の呪いから解放される方がいると。
松田:そうですね。知的障害のあるお子さんを育てる親御さんが店舗にお越しくださった際、思いが込み上げたのか店頭で涙を流される方もいらっしゃいますし、福祉施設やアートの作り手の親御さんからお礼をしたためた手紙が届くこともあります。ファンを増やそうと思ってなにかを狙ったことはありませんが、寄り添ってくださる方の要望を聞き、それをつぶさに反映したことが実を結んだのかもしれません。
一連のうれしい反応は本当にシャワーの様に日夜、社内のSlackに流れてきます。そうすると、自分達がやっている仕事が誰に届いて、誰を幸せにしているのかがわかる。僕も含めて、「すごくよいことができているんだな」と実感し続けられる環境にいられるのは大きいですね。
我々ひとりひとりの働きかけが一個人に対するイノベーションを起こしていると感じ続けられますから、もっと先へ、もっと大きなところに飛び込めば、もっとたくさんの人に変革をもたらすことができるかもしれません。それは会社を主語にしたとしても同じです。売上規模が10倍あがれば社会が10倍良くなると自信をもって言えるんです。
――ヘラルボニーの世界観に触れた障害のあるの方やそのご家族が「自分達の居場所がここにある」と感じられ、存在の尊重を感じると同時に、社内にもうれしい反響が届き自分達の仕事の意義を感じることができる。健やかな関係性が育まれていますね。
松田:ありがとうございます。私たちはプロフェッショナルとともに働くことも重要視していまして、社内や社外顧問として21世紀美術館のキュレーターである黒澤浩美氏やラグジュアリーブランド・カルティエの執行役員を務めた関 (鎌田) 玲子氏、私の憧れの人であり前職の社長でもあるオレンジアンドパートナーズの小山薫堂氏などに関わっていただいています。
そうした贅沢な顔ぶれの方々にお声がけして、伴走するパートナーになってくださいとお願いすることはなかなかハードルが高いものですが、やはり業界のフロントランナーとなるためには、それなりの知識を得続ける必要があると思うんです。これは絶対に必要なこと。福祉はどうしても安く見積もられてしまいがちです。けれども展開するアート作品やプロダクトのクオリティがしっかりと伴ったものを世に出せば、純粋に作品が好きな人たちや共感した人たちが手に取ってくださり、評価してくださるんです。
とは言っても彼ら彼女たちも忙しい中でなぜ私たちに付き合ってくださるのか。それはおそらく私たちが本気だからでしょう。上場して終わりと考えているのではなく、やっぱり100年続く会社になりたいと思いますし、「ヘラルボニー」という言葉がひとつの概念として教科書に載る様な世界線に達したらいいなと本当に思っているんです。
ヘラルボニーを概念に
――「ヘラルボニー」という概念とは、また面白いですね。
松田:いつか「アートを扱う会社」という現在のイメージを飛び越えて、「障害のある人たちの異彩に着目していろんな業態をやっている事業体」だと思われる様になりたいと私たちは考えています。
そこから転じて、「ヘラルボニー」と冠されているスペースやプロダクトは全ての人が参加できるという意味をもつものになればいいなと。たとえば、「ヘラルボニー寿司」とあったら、赤ちゃんでも知的障害のある方でもどんな方でも騒いでも大丈夫ですよ、と暗に示していたり、「ヘラルボニービル」とあれば、車椅子の方でもどんな方でも不自由を感じることなく移動ができる設計になっていたり。長期的にみたら、それが教科書や辞書にのるところまでいきたいものですね。
――健常者と障害のある方の境界がなくなる世界線ですね。
松田:現状では、知らずうちに障害のある方が排除されていることがいっぱいあるんです。新聞にせよ、習い事にせよ、健常者であることが前提に設計されている。けれども環境や少しの配慮があるだけで障害がある方もその事柄に参加することができます。
一方で、私たちが展開するアート作品は知的障害のある方だから描けるものだと言い切ることを大事にしています。それはやはり脳の特性のひとつで、健常者と違う働きがあるからこそ生まれるもの。ひたすら叩くことで作品に強弱を生み出したり、ボールペンで丸を連続して書き連ねることで生まれたりする面白みもある。「障害者のお兄さんが可哀想」と言われて、私が感じてきた気持ち悪さのようなものを逆手にとって、それこそが異彩であるし、表現として生きていると伝えていきたいですね。
彼ら彼女たちはひとりの作家であり、私たちもビジネスパートナーとしてお付き合いをしています。作家があってこそ私たちのビジネスが成立する。支援者と被支援者という構図ではなく、作家さんが先にあってこそのこと。このスタンスはこの先もずっと変わりません。
ここがポイント
・事業の根幹は創業以来変わっていないが、ブレークスルーポイントは、世界観を作りきらなきゃいけないと自覚した時
・小売業に大きく振り切ったことで「ヘラルボニー」は会社としてではなく、ひとつのブランドとして見られる様になった
・ファンが増えたのは、寄り添ってくださる方の要望を聞き、それをつぶさに反映したことが実を結んだ結果
・「ヘラルボニー」という言葉を「障害のある人たちの異彩に着目していろんな業態をやっている事業体」という概念にしたい
(注)本記事では、株式会社ヘラルボニーの表記に則り「障害」という表記で統一。
(以下、株式会社ヘラルボニー:メディア掲載における表現の統一について、より抜粋)
「障害」という言葉については多様な価値観があり、それぞれの考えを否定する意図はないことを前提としたうえで、「障害」という表記で統一しています。「害」という漢字を敢えて用いて表現する理由は、社会側に障害物があるという考え方に基づいています。
企画:阿座上陽平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:小泉悠莉亜
撮影:幡手龍二