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高齢者 × テクノロジー。沖縄科学技術大学院大学(OIST)発、エイジテック・スタートアップの挑戦

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沖縄県恩納村にある沖縄科学技術大学院大学(OIST)をご存知だろうか。2011年の設立以来、世界中から集結した優秀な研究者によって、物理、化学、生物学、脳の研究などの先進的な科学技術研究が行なわれている大学院大学だ。

これまでに数々の大学発スタートアップを輩出している。タンパク質等の分子構造の3次元可視化技術を活用する沖縄プロテイントモグラフィーや、バクテリアを利用した低コストの排水処理装置の製造を行うBioAlchemyなどがそう。数多くのOIST発スタートアップが日本から新しいイノベーションを生み出すことに挑戦している。

高齢者の「転倒防止」技術の開発を手掛けるSage Sentinel(セージ・センティネル)社も、まさに技術革新に挑戦しているスタートアップだ。今回Cofounder & CEOを務めるキャシャヤー・ミサギャン氏にインタビューを実施し、「事業発足の背景」や「同社の技術開発」「今後の展望」などを伺った。

キャシャヤー・ミサギャン
Sage Sentinel Cofounder & CEO
モントリオール大学で神経科学を専門とし、視覚科学の博士号を取得。神経筋制御システムおよび老化におけるそれらの応用における研究に勤しむ。OISTの起業家支援プログラム「OIST Innovation Accelerator」に2020年に参加し、Sage-Sentinel 社を共同設立する。

INDEX

家族の転倒事故が、起業のきっかけに
動きを予測するテクノロジー
たった数秒前の予測が、高齢者の転倒防止には重要
私たちの技術・製品は、日本の医療費削減に大きく貢献する
ここがポイント

家族の転倒事故が、起業のきっかけに

ーーまず初めに、高齢者の転倒防止に興味関心を持ったきっかけを教えてください。

きっかけは身内の事故です。ある日、私の祖母がシャワーを浴びている時に転倒して、命を落としてしまいました。家族の中で最も健康な人だったのにです。今でも私たち家族の間では、一番悲しい出来事です。また、私が博士課程のプロジェクトを進めている際に、私の教授の母親も転倒事故に遭ってしまったのです。もし再び転倒してしまって骨盤の骨折でもして健康を害してしまったらどうしようと、教授の家族全員が不安を感じていました。

ちなみに高齢者の不慮の事故による死因別死亡者数のデータでは、世界保健機関(WHO)は「転倒」が、世界で2番目に多い致命的な怪我の原因であると発表しています。たとえ転倒が致命的ではない場合でも、その影響は腰部骨折や頭部外傷といった、生活の質の低下を招く深刻な後遺症につながることも少なくありません。私はモントリオール大学で視覚科学の博士号を取得し、視覚認知や老化をテーマにした研究を行っていたのですが、転倒によって世界中で起こっているそのような事態・課題のことを強く意識し始め、起業のアイデアへと着想したのです。

ーー家族の転倒事故がきっかけだったのですね。それからSage-Sentinel社を設立するまでを教えてください。

まず、人が転倒する際のアクションを事前予測できないかと考えたんですね。転倒時に、脳がその動きを感知するのですが、その際「脳がどのように働くのか」という研究をずっとしてきました。研究を続けていくうちに、転倒を防止するテクノロジーの重要性は今後高まっていくと確信し、高齢者の方々の生活に溶け込むようなシームレスなテクノロジーが必要だと考えるようになりました。私の研究を製品開発に技術移転できる機会を探していた時に出会ったのが、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の起業家支援プログラム「OIST Innovation Accelerator」でした。2020年に採択されてSage-Sentinel社を共同設立するに至りました。

動きを予測するテクノロジー

ーー実際に貴社ではどのような技術を開発されているのでしょうか。

転倒を事前に予測して防止につなげるAIベースのシステムを開発しています。具体的には、体の動きを画像によって解析し転倒を予測する技術とウェアラブルデバイスのシステムです。画像解析によるシステムは、赤外線センサーとAIベースのソフトウェアによって高齢者の体の動きをリアルタイムで継続的に監視・分析することで、転倒が起きる3〜5秒前にその可能性を予測できます

コンピューターによるシミュレーションを活用し人の体の動きを統計的にデータとして取得していき、正常な動きと正常じゃない動きを把握していきました。人が転倒する前には、普段とは異なる正常じゃない動きが起こるため、それをデータとして蓄積し統計データとして分析することで、結果、人が転倒する3秒〜5秒前に少し異様な動きがあるというのを検知できるように研究を進めてきたのです。

ーー蓄積してきた人間の動きのデータベースを応用して、転倒予測の技術ができたということでしょうか。

その通りです。今のは「転倒の“検知”」の話ですが、「予測」に関しても説明しましょう。たとえばサッカーのPKの時、ゴールキーパーはキッカーの動きを見て瞬時にボールがどこに飛ぶのかを予測しますよね。そういった予測をしないと、体の動きが遅れてしまうのです。さきほどの「ドット」のお話で例えると、動くドットを見ることで、次の1秒後に何が起きるかというのを予測しているんです。ボールを蹴る人が4秒間かけてキックするとしますよね。大体ゴールキーパーは1秒目でどっちにボールが飛んでいくかを予測しています。驚きですよね。

サッカーの例と同じコンセプトで、転倒予測のシミュレーションの例を作っていきました。コンピューターのネットワーク上に、“転倒したことがある人のデータ”をどんどんと入れていくことで、転倒時の正確なデータを取ることができ、3秒〜5秒前に予測できるネットワークとなりました。私たちは、カナダにあるいくつかの老人ホームセンターで実証実験を行った研究機関からデータを入手し、それを基に私たちのシステムのテストをしました。そうしたら約90%の正確な予測ができるようになりました。これからは、OISTからすぐ近くにある高齢者向けデイサービス施設で、検証実験を行なう予定です。フィールドデータを取ることで、実際に社会で活用できる製品にしていこうとしています。

たった数秒前の予測が、高齢者の転倒防止には重要

ーーネットワークが検知した「転倒予測」の情報は、どのように高齢者に届きますか。

まず、ウェアラブルデバイスを高齢者に着用してもらいます。もし転倒を予測できた場合には、センサーが事前に感知し、転倒する3秒〜5秒前に振動で着用者に知らせます。着用者は振動を感じたら動きを止めたり、周りの何かに捕まってもらえれば良いのです。これだけで十分な効果があると考えています。ウェアラブルデバイスは普段の生活に支障がないよう、ベルトや腕に取り付けられる小さなものを採用しています。シャワー中の転倒事故が多いので、防水加工も施しました。

ーー転倒する3秒〜5秒前の通知で、本当に転倒を防ぐことができるのでしょうか?

実は3秒〜5秒では、口で「あぶない!」と警告して、聴覚に訴えても転倒を防ぐには時間が足らないんですね。「あぶない」という言葉を理解し行動するまでに時間がかかりますから。しかし、振動などの触覚への訴えであれば、人は非常に速い速度で認知できるので可能なんです。統計によれば、触覚による認知・知覚が起きるのに長くて1秒しかかからないんです。実際にウェアラブルデバイスが振動したら、ほとんどの高齢者が身構えます。身構えることで、転倒への防止反応ができるんです。

これまでに大勢の転倒経験者にお話を聞いてきましたが、彼らの大半が答えたのが「いま転びそうと思ったときには、もう既に転んでいる最中」なんだそうです。加齢のせいで体の反応が鈍くなっていると。悲しいことですね。だから私たちは3秒〜5秒前に「転倒するかも」という予測通知を発信し、体を身構えるようにさせるのです。たった数秒の時差のように思えるかもしれませんが、この数秒が高齢者の転倒防止において非常に重要です。そして、たとえ間に合わず転倒してしまっても、身構えているかどうかで大きな違いがでるのです。

私たちの技術・製品は、日本の医療費削減に大きく貢献する

ーー今後のビジネス上の戦略についてお聞きできますでしょうか。

今はマーケットにフィットした製品を販売するための検証ステージであり、これからフィールドテストを行なうことで、より正確なデータを収集して商品化へと進めたい考えです。

今日本では転倒事故による怪我に掛かった医療費(社会保険・健康保険)が年間約250億円だと言われています。当社の実証実験の結果では、約90%の正確な予測ができるというデータが出ていますが、仮にこれから行なうフィールドテストで多少の予測数値が下回ったとしても、この年間の膨大な医療費の削減に当社の技術が貢献できると考えると、とても価値があるものだと言えます。

フィールドテストが終わって商品化が果たせた後は、画像解析システムに関してはライセンスビジネスでの展開を考えています。セキュリティカメラを設置している会社は沢山ありますし、当社技術をライセンス化して販売していく予定です。ウェアラブルデバイスに関してはBtoBビジネスでの展開を予定しています。日本には約7万4000件の老人ホーム・介護施設がありますし、ゆくゆくはリハビリテーション施設やフィットネス業界、プロスポーツなどにもスケールしていきたいです。

私たちのテクノロジーで最も効果的なのは、サブリミナルラーニングだと考えています。被験者に適切な頻度でフィードバックを与えることで、被験者の方は「これはいい動きだ」「これは悪い動きだ」というのが分かっていくようになるんですね。そうすると脳内にドーパミンが分泌されて、いい動きというのが習慣化していきます。これは転倒防止に対してとても有益なことに間違いありません。決して転倒防止目的でなくても、たとえば猫背で歩くのが癖になってしまっている人がいたとします。ウェアラブルデバイスを装着して猫背になったら振動がいくように設定すれば、振動が来るのが嫌なので自然と背筋を伸ばして歩けるようになるはずです。私たちの技術は、そんなサブリミナルラーニングにも役立ちます。

ーー貴社の技術・製品の研究開発に、OISTの環境はどう役立ちましたか。

最近当社では、マーケティング活動をスケールアップするための戦略として、JETRO(日本貿易振興機構)の事業支援プログラムにエントリーしたのですが、見事採択されました。これは間違いなく、OISTの権威や信頼性、最新の研究開発設備があるという点が後押しになったのだと考えられます。またOISTでは、専門家や教授とのコネクションも多数できましたし、様々なスタートアップとブレインストーミングする機会もあり、私たちの研究開発に好影響を与えています。日に日に当社が発展していけるのも、OISTという環境があってこそだと言えます。

ここがポイント

・Cofounder & CEOであるキャシャヤー・ミサギャン氏の家族の転倒事故が、高齢者の「転倒防止」技術の開発を手掛けるきっかけとなった
・蓄積してきた人間の動きのデータベースを応用することで、転倒予測の技術ができ、実証実験では約90%の正確な予測が可能に
・同社の技術では、もし転倒しそうな状況が起こると予測できた場合にセンサーが事前に感知し、転倒する3秒〜5秒前にウェアラブルデバイスの振動で着用者に知らせる
・振動などの触覚への訴えは、非常に速い速度での認知が可能で、統計によれば長くて1秒しかかからない
・今日本では転倒事故による怪我に掛かった医療費が年間約250億円だと言われており、医療費の削減に貢献できる


企画:阿座上洋平
取材・編集:BRIGHTLOGG,INC.
文:VALUE WORKS
撮影:阿部拓朗