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「FANTRY」で目指す小売の新しい価値。三菱地所が生体認証スタートアップELEMENTSと挑む、テクノロジーを活用した買い物体験

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オフィスにあるショーケースの中から好きな商品を選び、スマホでバーコードを読み取って決済完了。そんな新しい買い物の仕方への挑戦が大丸有(大手町・丸の内・有楽町)エリアで始まっている。株式会社ELEMENTSが三菱地所と取り組む、新しい買い物スタイル「FANTRY」だ。

ELEMENTSは生体認証システムの開発を行う株式会社Liquidが社名変更した会社。生体認証の企業と三菱地所がなぜ小売の領域で取り組みを始めたのか。ELEMENTSの中村氏と、三菱地所の和田氏に事業着想の経緯と、オープンイノベーションにおける課題について話を伺った。

INDEX

生体認証技術が小売業界が抱える課題を解決する?
成功のカギを握るのはショーケース展開による顧客接点の増加
商品選定での苦悩。大事なのは欲しい商品が置いてあるか
スピードが求められるタスクはスタートアップへ。大手企業が協業時に気をつけるべきこと
ここがポイント


中村賢司
株式会社ELEMENTS General Manager
2000年よりオンラインマーケティングの業界に携わり、楽天株式会社ではメディアコンテンツのマネージメントやオンラインマーケティングを担当。その後グーグル合同会社にてマーケティングのプラットフォームのスペシャリストとして、またチームの担当部長としてデータ基盤の構築を中心とした業務に従事。2019年7月より株式会社LIQUID(2020年3月より株式会社ELEMTNSに社名変更)の新規事業の責任者として参加。


和田泰秀
三菱地所株式会社 常盤橋開発部(2020年4月より)
2016年に三菱地所株式会社へ入社。入社後は街ブランド推進部(現エリアマネジメント企画部)とDX推進部に所属し、大手町・丸の内・有楽町エリアでの各種エリアマネジメント施策、BtoC向けサービス基盤の構築、スタートアップへの出資、先端技術の活用検討業務等に従事。2020年4月より常盤橋開発部に所属し、東京駅前常盤橋街区の再開発を担当。

生体認証技術が小売業界が抱える課題を解決する?

まずはFANTRYの事業の着想について伺うと、和田氏がELEMENTSから話が持ち込まれた当時に思い描いていた構想について話してくれた。

和田「私は三菱地所で、スタートアップと組んで特にBtoC向けの施策・ビジネスにチャレンジする部署で働いています。ELEMENTS(当時はLiquid)からの話は『新しい小売の価値を作りたい』という話でした。私達としても大丸有エリアで新しいものを生み出していくことに価値をおいていたので、協業を始めることにしたのです。その取っ掛かりとして思い描いたのが、FANTRYのようなレジレスの店舗や、ショーケースを使った小売でした」

FANTRYの事業が始まってから入社した中村氏は、生体認証を行ってきたELEMENTSが小売事業に参入する意味について語る。

中村「私はELEMENTSに入社する前は、Googleで大手事業者に対してデータの収集、分析、活用を継続的に実施するための基盤構築を支援する仕事についてきました。ELEMENTSに転職したのも、リアルのデータを含めて活用する新しいビジネスをサービス事業者の立場でできると思ったからです。そういった意味では、生体認証のサービスを提供してきたELEMENTSが小売事業を行うということは、これまで収集することが難しかったリアルでの人々の商行動のデータを集めることに繋がります。これは面白いビジネス展開ができると思っています。また、自社で蓄積したデータを利活用して小売業界をサポートするなど、幅広い可能性も見えてきます。

ELEMENTSのグループの技術の1つに『eKYC(electronic Know Your Customer:本人認証)』があります。これを活用することで、自動で個人を認証して商品を売ることもできます。今は法律で対面販売でしかお酒を販売できませんが、非対面でもお酒を売ることも実現できるようになるかもしれません」

ユーザーの様々なデータを取得できるELEMENTSは、小売業界が抱える課題を解決する可能性も秘めていると中村氏は続ける。

中村「私達が目指しているのは、実店舗を配送や在庫の拠点にして、周囲のオフィスなどに無人のショーケースを展開していくビジネスです。小さなショーケースに効率的に商品を補充するには、どこにどの商品がどれだけ必要なのか正確に把握し、予測する技術が求められます。私達はアプリやショーケースに設置したカメラを使いながら、そのためのデータを収集しているところです。

大量のデータを集めてより正確な予測ができるようになれば、小売業界が抱える大量の廃棄ロスを減らすこともできるかもしれません。無駄をなくせば店は利益率を上げられますし、その分はユーザーに還元することもできます。ソリューションを提供することがこのビジネスの目的でありませんが、一つの社会貢献の可能性として見据えています」

成功のカギを握るのはショーケース展開による顧客接点の増加

ELEMENTSが他小売事業者へソリューションを提供することは、三菱地所にとっても大きなメリットがあると和田氏は語った。

和田「三菱地所は大丸有エリアを、新しい何かを生み出せるエリアにしていきたいと思っています。そのため、ELEMENTSのレジレスや画像解析の技術を、他のお店でも活用できることは大きな意味を持ちます。商品に自信はあっても販促が苦手だったお店を、テクノロジーで補完することができるからです。

私達も単に場所を貸し出すだけでなく、入ってもらったお店にいかに効率的にビジネスをしてもらうか工夫をしていかなければなりません。ELEMENTSはそういう意味でも私達の力強いパートナーになってくれるでしょう」

双方共に、幅広い事業展開を考えているようだが、当面のミッションはショーケースをいかに展開していくかだと中村氏は語った。

中村「先述したように私達のビジネスは店舗とショーケースで構成されていますが、ミソとなるのはショーケースです。その理由は2つあります。1つは低コストで展開できること。店舗は1つ運営するにも、賃料や人材コストなど様々なコストがかかります。ショーケースの場合、配達コストはかかるものの、店舗に比べて圧倒的にコストを抑えてお客さんとの接点を増やせます。

もう1つの理由がお客さんの利便性です。仕事が忙しい方にとって、お昼ごはんは店で食べることも、わざわざ買いに行くことも時間がもったいないもの。お昼ごはんが自分のデスクまで来てくれないか、と思ったことがある方は大勢いるはずです。私達のショーケースはまさにそういったニーズを満たすものです。アプリで決済できるので、わざわざ財布を持ち歩かなくていいことも便利なポイントです。

販売の機能をショーケースに持たせることで、店舗には新しい機能を持たせられます。現在は在庫を管理するバックヤードの役割を果たしていますが、これからはメディアとしての機能も持たせる予定です。近くで話題になっている商品を置くセレクトショップにすることで、地域の活性化にも役立たせたいですね」

商品選定での苦悩。大事なのは欲しい商品が置いてあるか

最新のテクノロジーを使っているとはいえ、両社にとって小売は未経験領域へのチャレンジだ。そのため商品の選定に想像以上に苦労したと両者は語る。

中村「これまでテクノロジーの話を中心に行ってきましたが、ユーザーにとってはどんなテクノロジーが使われているかは関係ありません。大事なのは『欲しい商品が置いてあるかどうか』に尽きます。そのため、商品の選定は本当に苦労しましたし、今でも頭を悩ませています。
私達はテクノロジーの会社なので、過去のデータに頼ってビジネスを進めたいのですが、お客さんの購買データはまだありません。そのため実際に自分たちで食べ歩いたり、社員たちがどんなものを買って食べているのか調査もしました。これからはデータを分析しながら、随時ラインナップを整えていきたいと思います」

和田「商品の選定に関してはELEMENTSに一任していたのですが、誰が来るかも分からないのに商品を選ぶのはとても難しいと思いましたね。FANTRYに様々な種類の水が置いてあるのを見て、『こんなに水の種類必要かな』とも思ったりもしたのですが、それでも売れる時は売れるのでやってみなければ分かりません。データが揃うまではセンスというか、マーケットに対するアンテナが求められますね」

これから店舗を運営していけば、購買データを蓄積でき、よりユーザーの嗜好にあった商品が店頭やショーケースに並んでいくことだろう。

スピードが求められるタスクはスタートアップへ。大手企業が協業時に気をつけるべきこと

話題は大きく変わり、両社のオープンイノベーションについて。規模も文化も違う両社が、一緒にプロジェクトを進めるに当たって、苦労した点はなかったのだろうか。

和田「私はこれまでもスタートアップと協業することが多かったので、気をつけていることがあります。それが意思決定のスピードを落とさないために、予算・スケジュール感をきちんと決め、その枠組みの中でどちらがコミットしても良いタスクや、よりスピード感が求められるタスクはスタートアップに寄せるということです。これは決して、面倒な仕事を押し付けているわけではありません。当然私達もしっかりコミットし努力・工夫もしますが、企業の特性や強みを考慮し、タスクを最適に振り分けることで、事業の進捗がより加速する可能性があるからです。

実際に過去に自分でタスクを抱えて、プロジェクトの進行を遅らせてしまったことがあったので、今ではプロジェクトを始める時に合意をとって、タスクの振り分けや各社の役割分担に気を使っています」

スタートアップと大手企業の意思決定のスピードが違うのはよく言われることだが、中村氏はどのように捉えて協業してきたのだろうか。

中村「みなさんが思っている通り、大手企業とスタートアップとでは物事を決めるプロセスが違うので、当然スピード感も違います。しかし、それは良い悪いではなくて、そういうものだと受け止めることが重要です。私達にはスピードという強みがある一方で、弱みもあります。例えば店舗づくりなどは全くノウハウがありませんし、その点に関しては三菱地所にカバーしてもらって本当に感謝しています。お互いの強みを活かし、弱みをカバーするのがオープンイノベーションを成功させる秘訣ではないでしょうか」

意思決定のスピードの他に、和田氏が指摘したのは両者間でのコミュニケーションについてだ。

和田「ELEMENTSは代表の久田さんと中村さんがプロジェクトの全体を把握しているので、基本的には中村さん、どんなに広がっても社長である久田さんに話をすれば事足りました。一方、私達三菱地所は様々な部署が関わっていたのですが、フロントに立つ人数は限られた中でプロジェクトを進めてきました。そのため、中村さんからご相談があっても、関係部署に確認しないと答えられないシーンが何回かありましたね。
社内調整の都合上、返事が翌日以降になることもありました。ELEMENTS側には迷惑をかけたと思います」

中村氏もコミュニケーションについてはもっと工夫の余地があると感じていたようだ。

中村「せっかく両社で組んで仕事をするのだから、もっとスムーズにコミュニケーションをとれる仕組みを作れればよかったと思います。それぞれの会社のルールがあるので仕方ない部分もありますが、連絡手段にメールを使ったことで無駄な工数が発生していると感じましたね。今はプロジェクトマネジメントのツールがたくさんあるので、そういったものを使えるようになれば、もっとスムーズに進められると思います」

スタートアップとの協業を模索する中で、和田氏にとっては働き方等に関して一定の悩みを感じているようだった。

和田「私はできる限りスタートアップに合わせて、ツールを使うようにしているのですが、一方で会社のルールの範囲内で対応しております。メールではどうしてもある程度のマナーを守らなければならず、キレイなメールを書けることは前提として非常に大事ですが、時には細かいマナーが省略できるチャットツールを使うことは事業の更なる加速につながると感じました。

また昨今の働き方改革の流れを受けて、以前に比べて世間一般として残業を厭わず業務を進めることに対しナイーブになっていますが、対照的にそれではスタートアップと一緒に仕事を進める上では悩ましい場面もあります。スムーズな事業推進やビジネスパートナーからの信用を得るためには、より柔軟な業務遂行姿勢やクイックなレスポンスが重要と感じております。私の今後のキャリアの中でも、このような悩みは一つ糧にして精進したいと思います。」

いくつかの課題が浮き彫りはなったものの、次回の協業に活かせると前向きに捉えていた両者。これからのイノベーションには、スタートアップと大手企業の協業は欠かせない。今回の経験を糧にして、より大きな価値を生み出していくのが楽しみだ。

ここがポイント

・「FANTRY」は『新しい小売の価値を作りたい』、『大丸有エリアで新しいものを生み出したい』の想いが合わさったことで始まった
・目指すのは実店舗を配送や在庫の拠点にして、周囲のオフィスなどに無人のショーケースを展開していくビジネス
・レジレスや画像解析の技術を、他のお店でも活用できることは大きな意味を持つ
・大事なのは『欲しい商品が置いてあるかどうか』
・オープンイノベーションでは、企業の特性や強みを考慮し、タスクを最適に振り分けることが重要
・スムーズな事業推進やビジネスパートナーからの信用を得るためには、より柔軟な業務遂行姿勢やクイックなレスポンスが重要


企画:阿座上陽平
取材・編集:BrightLogg,inc.
文:鈴木光平
撮影:安東佳介