20〜30年前に様々なメーカーが挑戦し、全てが上手く行かず現在は撤退している技術。そう聞いてその技術に挑戦しようと思う人がどれだけいるだろうか?もし自分が新規事業の担当者だったとして、その技術を「チャレンジしてみませんか?」と社内で提案しても「あの時できなかったのだから取り組む理由がない」と言われるのは目に見えている。
そんな技術に挑戦し、日本発で「これが無ければ世界が回らない」と言われるようなものを作ろうとしているのが、エレファンテックだ。インクジェット印刷と銅めっきで、超低環境負荷の電子回路基板を製造している。同技術で製造する基板は、既存の製造方法と比較すると、銅使用量を70%削減できるという。
「環境への対応が経済合理性につながる」と語る同社の代表取締役社長兼CTOの清水信哉氏に、その意図を聞いた。
清水信哉
エレファンテック株式会社 代表取締役社長
東京大学工学部電子情報工学科卒業、同大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻修士課程修了。2012年4月、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、主に国内メーカーのコンサルティングに従事。2014年1月、エレファンテック共同創業、代表取締役社長就任。
INDEX
・いずれは実現する上、ニーズが高まり続ける市場で、グローバルでも優位性がある
・基礎研究は油田を掘ることに似ている
・気候変動への対応や環境負荷低減は“慈善事業”ではなく、収益が出る経済合理性が高いもの
・DeepTechスタートアップはミッションの言語化と組織浸透がより重要に
・ここがポイント
いずれは実現する上、ニーズが高まり続ける市場で、グローバルでも優位性がある
――既存の電子回路基板の製造方法と貴社の製造方法の違いから伺えますか?
清水:基板と言われてピンとこなくても、“電子機器などを分解した時に見かける緑色の板”というとイメージが湧く方が多いと思います。それが「プリント基板」と呼ばれるもので、絶縁の板に銅の配線を施し、集積回路やコンデンサ、半導体などの部品として利用されています。プリント基板は、小さなものではスマートフォン大きいものでは飛行機に至るまで、あらゆる電子機器に組み込まれています。詳細は省略しますが、これまでの製法は、プラスチックの板の全面に銅箔を貼り、複数の工程を経て、不要な箇所を溶剤で溶かし(エッチング)残る箇所が配線になるというものでした。要は、層を積み重ねていき、8割以上をいらないものとして溶かして捨てていたのです。実は100年以上もこの製法で作られてきました。
対して“ピュアアディティブ®法”と呼ばれる当社の製法では、金属のインクを必要な部分に印刷し配線の土台をつくり、めっきをして厚みをもたせて配線を作っています。溶かして捨てることがないため、既存の製造方法に比べ、エレファンテック製法は、銅使用量を70%、CO2排出量を75%、水消費量を95%削減することができます。
――当然、材料は少ないほうがいいだろうと思ってしまうのですが、なぜこれまではそのような製法が普及しなかったのでしょう。
清水:技術がネックとなり、高品質での量産が困難だったからです。当社が取り組んでいる層を重ねる製法は、コンセプトとしては以前から存在していました。それこそ、20〜30年前にも一度ブームが来ていて、多くの会社がチャレンジしましたが、研究室レベルでは成功しても、技術的に安定した品質で量産に至ることができず、全ての会社が撤退しています。
――そう伺うと、技術的に量産が不可能なことが実証されていると思えるのですがなぜこの領域を選んで起業したのですか?
清水:起業の際にこの領域を選んだ理由は3つあります。「いずれは必ず実現できることが見えていた」こと「継続的にニーズが高まり続けていた」こと、最後が「世界で勝てる可能性があると思えた」ことです。
前回ブームになった20〜30年前とは比較にならないぐらいプリントやインクの技術革新は進んでいましたし、素材技術は日本の強みでもあります。また、2014年の創業当時はSDGsという言葉は一般的ではなく、今のように環境への影響が問題にはされていませんでしたが低資源へのニーズの高まりは感じていましたし、それが一過性のブームではなくトレンドとして継続するだろうと考えました。
加えて、あまり知られていませんがプリンターは、多くの電子機器が海外製造に流れる中、日本が優位性を持ちほとんどの製品が日本国内で作られる数少ないものの一つです。金属インクの技術とプリント技術が組み合わされば充分に世界で戦えます。しかも、一度失敗した企業はそう簡単に「再びこの領域に」とは思わないですから。
基礎研究は油田を掘ることに似ている
――勝算があるなかでの起業だったのですね。
清水:実はそうでもなくて、タイムフレームは見えていませんでした。当時の私は今ほど事業に対しての解像度は高くなかったですし、「技術的に必ず実現できる」と言っても、それが1年後なのか20年後なのかは想像もついていませんでした。スタートアップなのでもし20年後に実現できたとしてもそこまで会社は存続していないでしょうから。それでも、不確実性に取り組むことこそスタートアップの意義だと考えていましたし、最善を尽くして実現できなかったらそれはそれで仕方がないとこの領域に飛び込みました。
実際に起業してみると、厳しいことも多かったですね。基礎研究だけで6年を費やし、やっと量産の工場が作れたのが2020年です。現在は年間数万台の量産に成功しており、2025年の1000万台レベルの製造を目標に掲げ、足元では100万台レベルの量産に向けての製造力強化を進めています。
――研究がベースとなるDeepTechの領域だとしても、基礎研究で6年は長いですね。基礎研究中は売上も立たないと思うのですが、投資家がそこまで長く待ってくれた理由と清水さんの心が折れなかった理由はありますか?
清水:投資家については恵まれていたとしか言えませんね。ただ、時間がかかったとしても世界が変えられる可能性があることと、寄付などをもとに慈善活動をするフィランソロピックなものではなく、経済合理性が高いことを説明し続け、投資家の共感が得られたことは大きいと思います。
私が折れなかった理由は、不確実性の高さがプラスに影響したからですね。基礎研究は油田を掘るようなもので、無限にあるような組み合わせを試していき突然正解にぶつかるもの。前日までは全然だめでも翌日は油田を掘り当てるかのように正解に辿り着けるかもしれない。そんな不確実性があったからこそ折れなかったと言えますね。ただ、起業当初は3年ぐらいで実現できるのではと思っていたので、成果が出ない期間は正直しんどかったです。もし、途中で「あと10年かかる」と確信が持ててしまったらやめていたかもしれません。
気候変動への対応や環境負荷低減は“慈善事業”ではなく、収益が出る経済合理性が高いもの
――ご自身の事業は経済性を顧みない慈善事業ではないということでしたが、気候変動への対応などの社会課題解決と経済合理性は両立するものなのでしょうか?
清水:両立するものです。むしろ、経済合理性が先にくるものだと考えています。自分のことを慈善活動家などではなく、起業家であり事業家だと考えているため、経済合理性は絶対条件です。気候変動への対応の話はオゾンホールの例で考えるとわかりやすいですね。
オゾンホールの原因は、冷蔵庫などで冷却のために使用されていたフロンガスです。オゾンホールを塞ぐにはフロンガスの排出を無くす必要がありました。そのため、各国でフロンガスの使用が規制*されます。しかし、みんな冷蔵庫は必要ですよね。フロンガスが使えないからと冷蔵庫なしの生活に戻れるわけではないので当然代替物質が求められます。つまり、規制によってフロンガスに変わる代替品の市場が一気に立ち上がることになります。今後、同じようなことが様々なものに対して起こっていくのです。
ちなみに、あまり話題には上りませんが、この規制にもとづく各国の取り組みによりオゾンホールは現在塞がりつつあります。気候変動への対応はそういうものだと思います。
――気候変動への対応が進むということは、新たな市場が生まれることだと言い換えられるわけですね。
清水:そうです。もちろん、フィランソロピックなものは非常に意義のあるものです。ただ、世の中への影響度合いは収益が出る“事業”の方が大きいと思います。事業として収益が生まれれば企業の金銭的な価値が高まり、そこに投資が生まれ、更に事業を成長させることが可能になります。結果的に事業の成長が、地球によく、経済的にもよくて、ステークホルダーや取り組んでいる人たちの幸せに繋がり、ひいては人類のためにつながるものになっていくのです。
気候変動への対応と経済合理性の両立ができるようになった背景には、グローバルのマクロトレンドがあることも付け加えなければいけません。世界各国で気候変動への対応や環境負荷軽減が大きなアジェンダになっていなかったら、両立の難易度はより高くなっていたとは思います。
私たちの顧客はメーカーなど製造業の企業です。製造業は保守的であるため、マクロトレンドがなければ基版を変えることへの抵抗はもっと大きかったでしょう。それは当然のことで、もし基板に不具合があれば最低でも製品交換、最悪の場合はリコールになってしまい企業にとって大きな損害となります。ならば、製造時に素材の無駄が多くても、多少環境に負荷があっても実績のある既存の基板を利用しようと思うのは必然ではないでしょうか。しかし、現在は企業単位で環境負荷の軽減が求められるようになっているため、同じ性能が維持できるならば環境負荷の低いものを選ぼうというインセンティブが働くようになったのです。
――マクロトレンドが追い風になっている今だからこそ、気候変動への対応と経済合理性を両立し勝機が見えるのですね。
清水:注意が必要なのは、マクロトレンドだけ意識すればいいわけではないことです。マクロトレンドから生まれる国の規制などトップダウンの流れは大きな要素ですが、企業単位での取り組みなどミクロトレンドも変数の一つとなります。
もし、マクロトレンドだけだとある種の「囚人のジレンマ」のような状態が生まれます。各々の企業で環境への配慮が大事なことがわかっていても、その業界で先陣を切って取り組むことはリスクが高いと考えます。環境負荷の低いものが先進的で、まだ生産量が少なければ切り替えにより製造コストが上がってしまい、競争力の低下に繋がります。競合を意識するあまり「他の企業が取り組んだらうちも……」のような状況に陥り、結局どの企業も環境対策に取り組めない状態が生まれかねません。
それを打破するのが、マイクロソフトやAppleの例に代表されるような先陣を切る各企業の環境対策です。実際、マイクロソフトなどは財団を通してClimate Techに何千億円も投資をしています。
* フロンガスは1987年に採択されたモントリオール議定書で各国に排出目標が設けられた。
DeepTechスタートアップはミッションの言語化と組織浸透がより重要に
――DeepTechの領域でスタートアップとして成長していくことを目指す場合、どういうことが重要になってくるのでしょうか?
清水:一番は自社が目指すミッションや守るべき指針を言語化し、組織に浸透させることです。もちろんこれはDeepTechのスタートアップに限らず言われてはいますが、DeepTechスタートアップの場合はより重要になります。
「成長は、全てを癒やす」の言葉のように、売上が急拡大していくことができれば言語化や組織への浸透が不十分でもまとまりが生まれます。これができる可能性があるのがソフトウェアスタートアップの良さだと思います。対して、DeepTechスタートアップの場合、2つの時期に対応する際にミッションの必要性を感じています。
1つ目は、基礎研究の期間、先程もお話しましたが売上が立たず出口が見えない時期です。いつか実現できると信じていた私ですら、「しんどい」と感じることがあったので、メンバーになればなおさらです。そのときに心が折れたりバラバラにならないようにミッションや目指す未来を言語化し発信し続ける必要があります。2つ目は、拡大フェーズで、量産に成功し拡大していく時期です。製造にはライン作業のようなオペレーティブな仕事が発生します。そして、新しい気付きは製造現場にこそあるものなので、オペレーティブな仕事に関わるメンバーであっても同じ目線で課題に取り組んでいく必要が出てくるからです。
――そのために取り組んだことはありますか?
清水:経営陣がカルチャーを体現し続けることを心がけています。週に1度は全社に向けて、『こういうことをやってほしい、逆にこういうことはやってほしくない』と発信をし続けています。
あとは、透明性も重要視しています。製造において不祥事が起こりやすいのが工場なので、不祥事を未然に防ぐ意味でも、Slackなどのコミュニケーションもオープンチャンネルで実施し、クローズドのやり取りを見つけたらオープンな場で行うように働きかけをしています。
――最後にスタートアップ起業家や新規事業を進めている方にメッセージをいただけますか?
清水:少し前までは両立が難しいと言われていた、社会課題の解決と経済性が両立できるようになっているのが今です。数年前までの感覚だと、当社の基板のように性能は同等で環境に良いようなものは見向きもされなかったでしょう。それは、新しい取り組みやテクノロジーの矛先が性能の向上に向けられていたからです。しかし、潮目は変わりそれらが環境対策に向けられるようになりました。「より性能の高いもの」から「より環境に良いもの」にシフトすることで、気候変動への対応を含め、社会課題の解決が次々新しい市場を生み出していく今は、新しいことに取り組む絶好タイミングです。
そして、社会課題の解決を目指すビジネスは日本発でグローバルでも充分に戦っていけるはずです。
ここがポイント
・既存の電子回路基板の製法と比較して、エレファンテック製法は、銅使用量を70%、CO2排出量を75%、水消費量を95%削減することができる
・この製法は多くの会社がチャレンジしたが、研究室レベルでは成功しても、技術的に安定した品質で量産に至ることができず、全ての会社が撤退している
・金属インクの技術とプリント技術が組み合わされば充分に世界で戦える余地がある
・社会課題解決と経済合理性は両立する。世の中への影響度合いは収益が出る“事業”の方が大きい
・DeepTechスタートアップは、基礎研究の期間、拡大フェーズのオペレーティブな仕事が発生するタイミングはミッションの言語化と組織浸透がより重要になる
・「より性能の高いもの」から「より環境に良いもの」にシフトすることで、気候変動への対応を含め、社会課題の解決が次々新しい市場を生み出していく今は、新しいことに取り組む絶好タイミング
企画:阿座上陽平
取材・文・編集:BRIGHTLOGG,INC.
撮影:幡手龍二